正太寺にて

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 7月のお盆のお勤めが終わり、朝から豊橋の正太寺様に伺いました。
「悲しみから希望をー」とある講演をお聞きしたかったからです。ご講師は、尾角光美(おかくてるみ)さんです。私(住職)は、尾角さんのグリーフケアの研修に参加させていただいてお顔は存じ上げていましたが、「グリーフケアが当たり前にある社会の実現」に取り組まれていることのお話しをお聞かせいただけるのを楽しみにしていました。
この活動は、ご自身をこれまで支えていただいたこと=「恩」を必要としている方へ、「恩送り」としてつなげていきたい思いがあるそうです。私(住職)は、「恩返し」と言う言葉は聞いたことがありましたが、「恩送り」きっと研修の時もお聞きしていたんだろうけど今回この言葉がとても印象に残りました。このことは、ご著書である『なくしたものとつながる生き方』(サンマーク出版)にもつながります。また、講演の中のお話しで、私たちが大切なものを失った時の心(感情)にはいろいろな変化がありそちらに注意が向いてしまいがちですが、身体の変化にも注意が必要であること。相手の言葉を「そのまま」聴くことの大切さなど、わかっているつもりでいるのですが実践するとなると難しいことであることに改めて気づかされました。講演の後は、相手の思い出をお聞きして、言葉にするワーク。初めてのことで新鮮でありましたが自分のセンスのなさを感じました。でも表現することはとっても心地よいものだと思います。
 正太寺のご住職様は高感度の美術センスの持ち主で、お寺の寺報の「ようこそ ようこそ」は、装丁も内容もステキです。またご住職様のご興味をもたれるアンテナの感度も素晴らしく活動的でもあります。今年の妙華寺の報恩講でご法話をお聞かせいただけますこと楽しみにお待ちしています。
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四季の花

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今日、三重県は梅雨明けをしたそうです。今年はお盆前からセミが鳴き始めていました。例年ですと蓮が咲き出すのですが、今年は6月に二華咲き、その後蕾を見ることができません。また、サルスベリの木が境内に何本もあるのですが、その1つに花が咲き、他の木は咲く気配がありません。毎年同じようで同じでないことを教えていただきます。

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7月のお盆

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7月のお盆のお勤めが終わりました。毎年梅雨の終わりですので雨の日と暑い日があります。今年は蝉の声を聞くこともありました。毎回お同行様のお仏壇の前でお勤めをしていながら気づくことがあります。お仏壇の作りであったりお同行様のご本尊の由来であったり、脇壇の九字・十字名号の時代であったり今までどこを向いてお勤めしていたのか反省するばかりです。妙華寺のある二ノ町は、江戸時代職人の町でした。腕利きの職人の造られた高田の仏壇が今も大切に相続されているのを拝見することもあります。
また今回は初めてお手伝いしていただいた方に次に伺うお同行様のお家まで案内していただいたことを聞き、その地区の良きコミュニティが続いていることにも気づかさせて頂きましたありがとうございました。
最近はご家族も所用が多く、1日中、ご家庭にいることもかなわないことで、お寺に前もってご連絡をいただく場合もございます。そのような時は、お墓でお盆のお勤めをさせていただいています。

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生活の中の仏教のことば

「同行(どうぎょう)」
ふつう同行(どうこう)と読みます。同行する、同行者などと道連れの意味で使います。
真宗では、○○寺の同行(どうぎょう)といいます。同じ教えをきき、同じ念仏を申す仲間のことです。

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ひとくち法話

他力(たりき)
何もしないで、他人まかせで甘い汁を吸うような事を表現するのに、他力本願という言葉が使われています。真宗の他力の救いをこのように理解している人はいないでしょうか。これは、間違いであり誤解です。
親鸞聖人は、比叡山における20年間の自力修行(じりきしゅぎょう)によっては、どうしても生死(しょうじ)出(い)ずべき道が得られず、苦悩の末に吉水の法然上人を尋ねて、他力念仏に転入されました。
そのことを自ら「雑行(ぞうぎょう)をすてて、本願に帰す」と述べられました。
本願とは阿弥陀仏が誓われた根本の願いです。私たちを救わずにはおかないという誓いです。この阿弥陀仏のお誓いを疑いなく素直に信じて、お任せすることが肝要(かんよう)であります。これを他力といいます。
聖道門(しょうどうもん)の人(ひと)はみな
自力(じりき)の心(しん)をむねとせり
他力不思議(たりきふしぎ)にいりぬれば
義(ぎ)なきを義とすと信知(しんち)せり
『正像末法和讃 54首』 と、聖人が和讃されておられます。
「義といふことは、はからうことなり、行者のはからひは自力なれば義というなり、他力は本願を信楽(しんぎょう)して往生決定(おうじょうけつじょう)なるゆへにさらに義なしとなり」と聖人のお手紙にも度々書かれております。すなわち真宗の教えでいう他力は、他人(ひと)まかせのことではなく、また、物理的な自然現象でもなく、阿弥陀仏のお働きをいうのです。仏力(ぶつりき)です。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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「いのちの学校」in名古屋

「いのちの学校」in名古屋という講座が開講されます。
主催は、一般社団法人 リブオンで、共催は、グリーフシュアリング東海 です。
主催の一般社団法人 リブオンの活動についてHP(http://www.live-on.me/)に下記のように掲載されています。
【死別を経験すると心がしんどくなったり、病気をしたり 家族がばらばらになったり、お金がなくなって中退しそうになったり… あらゆる問題をいっぺんに抱えます。 からまった問題を丁寧にほぐしていき、一緒に考える。 その人が自分の人生を生きていくところまで。 そんな支えが、グリーフサポートだと思います。 そしてただ支えるのでなく「エンパワメント」に。 その人の中にすでにある回復力や希望を生み出す ためのつながりと場を提供できればとリヴオンは 願いながら活動しています。 一般社団法人 リヴオン 代表理事 尾角 光美(おかく・てるみ てるみん)】
そして共催のグリーフシュアリング東海は、グリーフケアについて学んでいるお坊さんを中心とした仲間の団体です。グリーフケアについて精力的に活動をされていますお坊さんがこの度、名古屋で「いのちの学校」を開講することになりました。
一般社団法人 リブオンのHP(http://www.live-on.me/)でも
 【お知らせ】いのちの学校 in 名古屋 第一講
グリーフについて学びあう「いのちの学校」は、これまで石巻、京都、東京と三地域で4期開催されました。
 そしてこの度、今年にリヴオンファシリテーター養成講座2期を修了した五藤広海さんと、 野田芳樹さんがファシリテーターを務め、
 新たな地域、名古屋で開催いたします。
と案内されています。
講座の概要は
Ⅰグリーフを学ぶ
第1講 7月14日(木)「失うこと」について学ぶ
第2講 8月29日(月)イロイロな感情
第3講 9月26日(月)トラウマについて学ぶ
Ⅱ自分自身を大切にする
第4講 10月25日(火)身体とつながるヨガ
第5講  11月21日(月)自分をしらない自分をしる時間
第6講  12月19日(月)自分自身を大切にする
Ⅲグリーフを表現する
第7講  1月23日(月)亡くなった人を想う
第8講  2月21日(火)アートを通じて表現する
第9講  3月29日(水)「思い出の場所」詩
Ⅳこれからを生きる
第10講  4月19日(水)お坊さんと死について学ぶ
第11講  5月23日(火)日常できるグリーフワーク
第12講  6月26日(月)未来ビジョン
事前の申込は必要なく当日会場へお越しください
途中回から1回のみの参加も歓迎します
開催時間は、18:30-21:00(受付は18時から)
参加費は、2,000円(各講座ごと)
会場は、白鳥山法持寺 名古屋市熱田区白鳥1丁目2-17
    地下鉄名城線 神宮西駅4番口より徒歩5分
問合せ先 090-3582-4085 (担当 野田)yakushi.rinshou@gmail.com
病気、災害、自殺などにより大切な方をなくした方々や、医療者、葬祭業従事者、宗教家などグリーフケアに関心のある全ての方々に参加を願っています。
以前私(住職)もグリーフケアについての学びに参加させていただき多くの気づきがありました。今回の「いのちの学校」は1年間の講座で多くの学びがあるようで興味があります。
第1講の日程の間近な案内になってしまい、また三重県の津市からは少し離れた場所での講座の案内ですが、ご興味のあるかたは是非ご参加いただければと思います。
▼チラシPDFデータへのリンク
https://drive.google.com/file/d/0B0Cn6eM1QQ_gQWtpaU8wZ2NWcFU/view
▼リヴオン ブログへのリンク
http://okakuterumi.jugem.jp/?eid=85
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お盆が近づいてまいりました

歓喜会(かんぎえ)
お盆が近づいてまいりました。
日本では昔から正月と盆は年間行事として遠く離れた人も故郷に帰り、お墓やお寺に参る習慣があります。これは亡き人への追慕が佛縁を通して深められたものです。
お盆というと、亡くなった方が還ってくるとか、他宗では施餓鬼(せがき)という法会を勤めますが、正しくは、盂蘭盆(うらぼん)と言う梵語(ぼんご)のウランバナが原語で救倒懸(きゅうとうげん)と訳します。倒懸とは逆さ吊りのことで、大変な苦しみでありすが、その苦しみから救われるというのがお盆です。
『佛説盂蘭盆経』には、目蓮尊者(もくれんそんじゃ)というお釈迦さまのお弟子が神通力で亡き母を尋ねたところ、餓鬼道に墜ちていました。何とか助けようと努力しますが、どうしても救い出すことができず、お釈迦さまに助けを求めました。お釈迦さまは、安吾(夏期研修)終了の7月16日の休養日に僧侶を招き、懇ろにお経をあげてもらいなさいとお諭しをされ、目蓮尊者の母が餓鬼道から救われたとあります。
これらの話から、逆さ吊りの苦は、自己中心の世渡り、自らの苦を増大しているたとえであり、目蓮尊者については、我が子可愛いさのあまり、母親が貪欲にはしったのは、自分に原因があるとの慚愧(ざんぎ)の思いからであると味わいたいものです。
 真宗でお盆の法会を歓喜会というのは、自分を振り返って慚愧の中に佛恩報謝をさせていただき、その喜びを信心歓喜しお念仏申すことだと思います。
親鸞聖人は「歓喜」というは、「歓」は身のよろこびで、「喜」は心のよろこびと解説されています。身も心もよろこぶという大変なよろこびを「歓喜」と教えられました。
ではこのような喜びはどんなときにあらわれるのでしょう。親鸞聖人は、「私たちが、佛さまの本願(私たち凡夫を必ずお浄土に救いますという願い)を信じて、お念仏を申す心になったとき、このような大きな喜びが自然にでてきます」と申されました。
すなわち、佛さまからいえば、本願が確かであったという証明であり、私たちからいえば、すべておまかせできたという安堵であり、佛と私が共に喜ぶさまが、歓喜といえます。
また、「歓喜」というのは、私の自力の限りを尽くしても不可能であった人生課題が、佛さまの願いによって氷解した時の喜びですから、日常生活上の喜怒哀楽とは次元の違う大きな喜びであります。
 妙華寺のお盆の勤めは、7月12日から15日と8月11日から15日に、地区別にお同行の皆様のお仏壇の前でお勤めさせていただいています。ご遠方の方やお盆勤めの日程にご都合がつかない方には、お墓でもお勤めをさせていだきますのでご連絡ください。
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研修会

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三重同宗連の前期研修会が、高田本山の宗務院で行われました。
今回の研修は、『自死問題を通して「いのち」に向き合う』~消えたい気持ち~様々な生死観から見えて来ること と言う講題で、ご講師は、根本紹徹師(臨済宗妙心寺派大禅寺住職)で、およそ90分のお話しをいただきました。以前から自死念慮者への相談や自死遺族へのサポートを、ネットやSNSを利用した新しいスタイルの活動を精力的にされています。フジテレビでご講師先生の1年をドキュメンタリーとして取材されたこともあるそうです。配布された資料には、これまでの取り組みからの、若者の相談から見える感想やコミュニケーションスタイルの変化、自死防止活動が何故広がらないのか、僧侶だからこそ出来ること、自死遺族から僧侶への不信など多岐にわたり書かれていましたが、講演はワークやシェアの時間があり実践的な試みでした。講師先生のお寺には海外のマスコミからも取材が来られるそうです。そこで感じることは、死者への思いの違いだそうです。お寺の位牌堂を海外の方が見るとどうして亡くなられた方の位牌があるか驚かれるそうです。日本人としてあたりまえである、亡くなられた方への枕勤めや通夜・葬儀、中陰、年忌やお彼岸やお盆は、死者を死者として見ているのでなく私の中で大切に生きてくださっている方と出会える場であるようです。海外でも葬儀はありますが、死者とどのように向き合っているのでしょうか。
以前にもグリーフケアの講演の中で、これまであった日本の行事の中でグリーフケアとして通夜・葬儀・中陰・年忌やお彼岸・お盆が機能していたのが現在は形骸化してしまったので、もっと宗教者がしっかりしなさいと叱咤激励されたことも思い起こしました。

 

 

7月の日曜学校

7月の日曜学校では、「とってもやさしい はじめての仏教」 (公益財団法人仏教伝道協会より)を参照しました。
【仏教とはいったいどんな宗教なのか?】
今からおよそ2,500年前、お釈迦(しゃか)さまはこの現実の世界を「苦」であるとみきわめそれを乗り越える道を示しました。
日常生活に存在する迷いや苦しみから目をそらすのでなく、それらを正しくみつめ「今を生き抜く」ための智慧(ちえ)へと転じ「さとり」をひらくことがお釈迦さまの説いた教え、仏教なのです。
日本に伝わってから1,500年余り。仏教はこの国を見守ってきました。光を見失った多くの人が救いを求めている今こそ仏教の教えを見直してみませんか。
【お釈迦さまって誰?】
仏教の開祖、お釈迦さま。恵まれた環境で生まれ育った王子が、なぜ、修行の道を選んだのか?その足跡をたどると、お釈迦さまの教えが一層くっきり見えてきます。
01 誕生
紀元前5世紀ごろ、ヒマーラヤ山脈のふもとにカピラヴァストゥという、シャーキャ族の城がありました。そこで王子として生まれたのが、ガウタマ・シッダールタ、のちのお釈迦さまです。生まれてすぐ、母は亡くなり、シッダールタはおばに育てられることになりましたが、豪華な宮殿での生活は不自由のない、とても恵まれたものでした。その一方、繊細(せんさい)で感受性が強い性格で、「人間はなぜ、苦しみから逃れられないのだろう」という思いが幼いころから芽生え始めました。
02 出家
ある日、シッダールタは城の外へ出てみました。そしてそこで、老人や病人、死人、修行僧に出会いました。こうした人に出会うなかで、「人間は老いることや病気になること、死ぬことは避けられないのだ」と知り、修行の道を歩むことを決意。父の反対を押し切り、29歳で出家しました。
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ひとくち法話

念仏(重誓偈)〔ねんぶつ(じゅうせいげ)〕
「我建超世願(がごんちょうせがん)」で始まる偈文(げもん)があります。これは『大無量寿経(だいむりょうじゅきょう)』において、法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が、自らおこされた48の誓願(せいがん)を、師の世自在王仏(せじざいおうぶつ)にむかって表白(ひょうびゃく)され、その表白が終わった後、頌(じゅ)(詩句)として説かれているものであります。48願で述べられていることを重ねてうたっておられることから、『重誓偈(じゅうせいげ)』と呼ばれています。
この偈文は、その始めのところに「誓不成正覚(せいふじょうしょうがく)」という句が3回おかれています。そこからこの偈文は『三誓偈(さんせいげ)』とも言われています。
三誓のなかの第一は「必至無上道(ひっしむじょうどう)」というものです。この上ない道とは、おさとりの道であります。必ずおさとりの道に至させたい。もしこの願いが満足されることがないのならば、私は仏にならないという誓いです。
第二の誓いは「普済諸貧苦(ふさいしょうびんぐ)」というものです。もろもろの貧しき人々、苦しんでる人々を救っていきたい。もし、そのことができないのならば、私は仏にならないという誓いです。
第三の誓いは「名声超十方(みょうしょうちょうじっぽう)」というものです。「名声」とは、お念仏の声です。私が仏になりました時にはお念仏が広くいきわたりますようにという願いであります。
この三つの誓いのうち、第一の誓いと第二の誓いとは、第三の誓いの中にあらわれているのでしょう。お念仏の中には法蔵菩薩の「必至無上道」という自利(じり)の願いと「普済諸貧苦」という利他(りた)の願いがこめられているのであります。
聖人は、「大小の聖人、重軽(じゅうきょう)の悪人、みな同じく斉(ひと)しく選択(せんじゃく)の大宝海に帰して、念仏成仏すべし(教行証文類行巻)」とすすめておられます。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

 

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