8月のお盆が始まります

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8月のお盆の時期になりました
妙華寺では、8月の初盆のお勤めが7日から始まります。またご自宅でのお盆勤めを、8月11日から15日まで行っています。
これまでもそうですが、ご遠方の方やお盆勤めの日程にご都合がつかない場合、お墓でもお勤めをさせていただいていますのでご連絡ください。

※7月から三重県でも新型コロナウィルスの感染者が増えてまいりました。今月になり急増しています。お寺でも新型コロナウィルス感染症の感染防止に十分注意はしていますが、不安な気持ちがございましたら、気兼ねなくご遠慮をお申し出ください。
 事前でも、当日に伺った時でもお受けします。

ひとくち法話

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死苦(しく)
生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)という四苦(しく)は、身体面からみた代表的な苦です。この中でも死に対する苦は、その最たるものでしょう。ある人が、死苦の起因する問題点を3つに分けて発言していました。その1は、どんな死に方をするか。その2は、この息が止まる時の苦しみはどんなものか。その3は、死後はどうなるのかということです。これらはすべて未知、未経験のことばかりですから3点の思いが重なり合って、不安や恐れ怖さがこの上なく増すわけでしょう。
また或る大金持ちが主治医に「私は死ぬのが怖いです。お金ならどれだけでも出しますから、私を死から救って下さい。」と懇願したという話があります。どれほど地団駄踏んで泣き叫んでも、逃れることが出来ないと承知していながらも、このように頼む心が出てくる程「死苦」は根が深く重いということです。
『御書(ごしょ)』のいたるところに「後生(ごしょう)の一大事に心をかけて、仏法を聴聞(ちょうもん)せよ」と説かれています。これは即ち「死苦」に対する説法です。後生は、死後のことです。一大事は、これ以上の大事なことはないという意味です。
私のいのちは、この身体の生、死にかかわらず前世、現世、後世の三世を貫通して、しかも因果応報(いんがおうほう)の道理によって受け継がれていくものであると仏教は説いて下さっています。
だから、死後のことは、生きている間に仏法を聞いて、はっきりさせておくことが何よりも肝要であります。
ひとくち法話より

ひとくち法話

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ひとくち法話

病苦(びょうく)
お釈迦様は、人間には生・老・病・死の四つの苦しみがあることに気付かれ、その苦しみからどうすれば逃れるかという思いから出家されて苦行のすえ悟りを得られました。
病には病状の軽いものから不治の病まであります。現在ではガン、心疾患、脳卒中が三大生活習慣病として恐れられています。
健康の裏側には病苦がある。それは逃れたいと思っても逃れられない事実であって、誰でもさけて通れないものであります。
では、病苦をどう受けとめたらよいのでしょうか。それは病を得たことで病を肯定し、そこから生かされているわが身に気付かせてもらうことであります。
ガンを告知された知人が、
「元気な時は分からなかった親鸞聖人のみ教えが、自分が病気になって、初めてわが身にしみて伝わってくる。」
と話してくれました。
「病気になったあと、あれこれ悩み、迷信に走ったりしなくても、安心してまかせられる尊いみ教えを聖人は一生かけて、私達のために説いて下さった。それを信じて生きていけば、何も心配はいらない。」
というのです。
生死の苦海ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば
  弥陀の悲願のふねのみぞ のせてかならずわたしける  『龍樹菩薩第7首』
と和讃される聖人のおことばを信じて生きていくことこそ、苦しみをのりこえていくことだと思います。 ひとくち法話より

 

ひとくち法話

老苦(ろうく)
お釈迦様が、人生は苦なりと仰せになっていますが、その中には老いることの苦しみが含まれています。誰しも歳はとりたくない、老いたくはないと考えますが、避けて通ることが出来るでしょうか。
一般に歳をとると、体が自由に動かない、視覚や聴覚も衰える、バランスがとりにくい、動作がにぶくなる、物忘れが激しくなる等感ずることであります。医学の立場からも、骨折、失禁、痴呆を老人の三大症候群と言っています。
老醜はありて老美は辞書になしと言われますように、老いた人、古くなったものは、くたびれたもの、間に合わないものという通念がありますが、そういう概念だけで処理は出来ない筈です。老苦という言葉が示すように、確かに老いは苦であります。しかし美しく老いた姿には、若者に見られない安らぎがあります。長い年月を通して風雪に耐え、人生の悲しみも喜びも味わってきた老人には、深く美しい年輪が刻まれて、そこはかとなく安らぎを感じさせるものがあります。常に前向きの心を崩さない老人には、強靭な力さえ感じることがあります。
肉体は衰えるが こころの眼がひらく 人間の晩年は面白い
今まで生きて  いのちの深さが見えてきた
法悦の詩人 榎本栄一さんの詩です。いのちの尊厳に目覚め「こころの眼がひらく」ことによって、自由無碍の世界をゆったり歩むことが出来るのでありましょう。

ひとくち法話―四苦八苦―より

ひとくち法話

生苦(しょうく)
お釈迦さまは、「人生は苦なり」と仰せになっています。その「苦」には、例えば、二苦(内苦=自己の心身より起こる苦、外苦=外的作用により起こる苦)、三苦〔苦苦=不快なものから感じる苦、壊苦(えく)=好きなものが壊れることから感じる苦、行苦=ものごとが移り変わることを見て感じる苦〕などがあるといわれます。
これらの苦しみを、お釈迦さまは、まとめて生・老・病・死の四苦として大きく問題にされ、その解決のために出家されたのでありました。さらにこの四苦に愛別離苦(あいべつりく)・怨憎会苦(おんぞうえく)・求不得苦(ぐふとっく)・五蘊盛苦(ごうんじょうく)の四苦を加えたものを八苦と言われています。つまり前の四苦は、人間の生きものとして起こる苦しみであり、後の四苦は、人間が人間であるために味わう苦しみを言われたものです。
この苦しみは、人生において避けて通れない苦しみです。かけがえのないこの世の生き方を考えるとき、この四苦八苦に対する心構えが根源になければなりません。
生苦とは、人としての基盤、生まれ、生きるすべての苦しみのおおもととなるのです。まさに人として生まれることによって、すべての苦しみがつきまとっています。
親鸞聖人は、このような生苦を背負って生きているすべての人が救われなければならない、この生死(しょうじ)の苦海を渡る道は、阿弥陀仏の本願念仏の一道を信ずるほかないと、生涯を説法することに完全燃焼されたのでありました。
ひとくち法話―四苦八苦―より

ひとくち法話

ひとくち法話

聖徳太子と親鸞聖人は仏々想念
聖徳太子は、我が国の文化の創始者であり、その文化の中心には、常に仏教精神を据えて、国民の心をまとめていこうとされました。
憲法十七条の制定は、その精神の最たるものです。第1条の「和を以て貴しとなす」も、第2条の「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」も、そして第10条の「われ必ずしも聖(ひじり)にあらず、かれ必ずしも愚(おろか)にあらず、ともに是れ凡夫(ぼんぷ)ならくのみ」もすべて仏の教えに依っての平和思想であります。
こうした平和への願いは、1400年後の今日に至るまで、それぞれの時代の人々の心を潤してきました。
鎌倉時代初期に出られた親鸞聖人は、その日ぐらしをしている庶民こそが救われなければ、真のほとけの教えではないという立場でしたから、聖徳太子の教えがそのままほとけの教えであるといただかれたのであります。だから聖人は、太子を「日本のお釈迦さまである」と褒め讃えられ、『皇太子聖徳奉讃』というご和讃までおつくりになりました。
また聖人は、ご自分の求道遍歴(ぐどうへんれき)の中で、転機に立つたびに太子のご示現を仰がれた話は有名であります。そして、聖人は「太子のお導きがなかったら、真宗の教えもなかった」とまでおのべになっておられます。まさに仏々相念のお心であります。
私たち真宗のご縁にあうものは、この聖人の心を心として、太子を仰ぎ七高僧ともども御影(みえい)を掲げて、お慕い申し上げるばかりであります。

ひとくち法話

共にこれ凡夫のみ 憲法十七条(ともにこれぼんぷのみ けんぽうじゅうななじょう)
みんなが平和に生活することはいつの世でも、また誰でも願っていることです。
聖徳太子(しょうとくたいし)は幾多の国をまとめるための仕事をされましたが、その中でも私たちの生き方の支えになることを示さねば、国はおさまらないと考えられ、人間の和を重んじた心のバックボーンを『憲法十七条』としてお示しになりました。
その第10条には人間として一番の争いの元になる「怒り」や「腹立ち」などを戒められ
「十に曰(いわ)く、心の怒りを絶ち、面(おもて)の怒りを棄て、人の違(たが)うことを怒らざれ。人みな心あり。心おのおの執るところあり。彼是(ぜ)とするときは我は非(ひ)とす。我是とするときは、彼は非とす。我必ずしも聖(ひじり)にあらず。彼必ずしも愚(おろか)にあらず。共にこれ凡夫ならくのみ。」
ここには同じ大地に立つ凡夫であるという仏教の教えから考えられる平等思想が貫かれております。
そして人間がどこまでいっても凡夫であること、命終わるまで絶対に消えることはない。これに気づかない限り、国をまとめるような大事業はやれないとお考えになったのではないでしょうか。
親鸞聖人も「凡夫というは、欲も多く、怒り、腹立ち、そねみ、ねたむ心多く暇なくして、臨終(りんじゅう)の一念に至るまでとどまらず、消えず、絶えず」と教えられています。『一念多念文意』

ひとくち法話

篤く三宝を敬え 憲法十七条
聖徳太子制定の憲法第二条は、これもよく知られた
「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」とお示しになりました。

親鸞聖人も『皇太子聖徳奉讃』の73首に
憲章の第二にのたまはく(けんしょうのだいににのたまはく)
  三宝にあつく恭敬せよ(さんぽうにあつくくぎょうせよ)
  四生のついのよりどころ(ししょうのついのよりどころ)
  万国たすけの棟梁なり(まんごくたすけのとうりょうなり)
と述べられています。
四生〔胎生(たいしょう)、卵生(らんしょう)、湿生(しっしょう)、化生(けしょう)〕とは生きとし生けるものすべてという意味です。三宝の仏は法をさとり実証することのできた人、すなわち覚者のこと、法とは人のすべてが尊敬し信奉すべき真理の道をいい、僧とは僧伽(そうが)の略で仏と法を信奉する人々という意味です。
太子が第2条に掲げられたお心は生きとし生けるものの帰すべきところ、あらゆる国の依るべき心が示され、すべての人が我執(がしゅう)を離れての生き方を教えています。
「それ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直さむ」とこの条文の最後にお示しになっていますが、それは仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝に帰依(きえ)し敬うことによって、己の枉った根性をまっすぐに正すことができると教えられているのです。
三宝に帰依し、三法を敬うことによって、和してゆく世界、そこに見いだされる世界を仏国土(ぶっこくど)というのです。

 

ひとくち法話

和を以て貴しとす 憲法十七条
聖徳太子ご生涯の数々の業績の中で、特筆すべきは我が国で初めて憲法を制定された事であります。
『親鸞聖人の皇太子聖徳奉賛』第57首に
太子の御とし三十三(たいしのおんとしさんじゅうさん)
なつ四月にはじめてぞ(なつしがつにはじめてぞ)
憲法製して十七条(けんぽうせいしてじゅうしちじょう)
御てにて書して奏せしむ(みてにてしょしてそうせしむ)

憲法とは国家のあるべき姿を成文化したものであり、われわれ衆生のために掲げられた規則です。
その第1条に、どなたでもご存じの
「和を以て貴しと為し、忤うこと無きを宗と為よ(わをもってとうとしとなし、さからうことなきをむねとせよ)」とあります。

平和を最も大切にし、抗争しないことを規範とせよ、という意味であります。これは和国の実現を天下に示したものであり、憲法の根幹をなすものであります。
私たちがこの世で生きていく上で、和より大切なものはない。みんなが平和に生活することは、いつの世いかなる所であっても、願わずにはおれないことです。
しかし、現実には、地球のどこかで戦火の消えることがなく不安におびえている人々がいるのも事実です。

内外をあげて困難な時局に際し、政治の大本を示された太子が、和を憲法の第1条に示されたことに注目したいものであります。

 

ひとくち法話

お寺に太子のお軸があるわけ

親鸞聖人は、修行が行き詰まると、聖徳太子のご示現におたずねされたという記録が残っています。
その1は、19歳の時に太子の御廟である磯長(しなが)に参籠(さんろう)されたという記録です。2日目の夜に「親鸞よ、諦(あき)らかに聞きなさい。汝の寿命はあと十余歳です。命終わったら速やかに浄土に往生させましょう」というきびしいものでした。聖人はおどろいて、心を新にして再び比叡山に登って修行に励まれました。
その2は、29歳の時です。いよいよ修行に行き詰まって、太子の創建といわれる京都の六角堂に籠(こも)られて、太子のご示現に賭けられました。その95日のあかつきにようやく太子が観音菩薩の姿であらわれて、「後世(ごせ)のことは、法然上人を訪ねなさい」ということでした。
このように聖人は「和国の教主 聖徳王」(前項参照)、つまり聖徳太子は、日本のお釈迦さまですと尊崇(そんすう)されて、『皇太子聖徳奉讃』という和讃を百首程もお作りになっております。
そこで、真宗のお寺には、この聖人のお心をいただいて太子のお軸を掛けているのです。
註 ご示現とは、「仏・菩薩が衆生(しゅじょう)救済」のため、いろいろ姿をかえてこの世にあらわれること」

※妙華寺では、本堂向かって右余間に聖徳太子の像を荘厳しています。