平成31年(2019) 年回表

 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA平成31年 年回表

01周忌 平成30年往生人
03回忌 平成29年往生人
07回忌 平成25年往生人
13回忌 平成19年往生人
17回忌 平成15年往生人
23回忌 平成09年往生人
27回忌 平成05年往生人
33回忌 昭和62年往生人
50回忌 昭和45年往生人
100回忌 大正09年往生人
150回忌 明治03年往生人
200回忌 文政03年往生人
250回忌 明和07年往生人
300回忌 享保05年往生人

※詳細は、本堂の向かって左手の年回繰出表をご覧下さい
※お勤めの日時が決まりましたらお寺にお知らせください。
土曜・日曜・祝日は、他のお同行様のお勤めの予定を聞いている場合もございます。

年回(年忌)法要
年回(年忌)法要をどうして勤めるの? 私(住職)も若かった頃はそのようなことを疑問に思っていました。ずいぶん前の『高田学報』に高田派の鑑学の先生の書かれた中で、「大切な方の忌日を勤めるのは、私自身(己の心)の中にある仏道に修しているという思いを改めて省みる日である」とおっしゃられた言葉が私(住職)の中で肯くことができました。以前より時間が早く経つのか、するべき事が多すぎるのか少し前の大切な出来事も記憶の端っこに押しやられて忘れがちになるようなこともあります。歳を重ねていく中で、ご往生されました大切な方のことを思う時間が少なくなるのも現実です。それでも改めて大切な方と向き合う時間を年回(年忌)法要を通して持つことの意味を以前より感じています。
また、年回(年忌)と言うと故人の祥月命日を縁として行う法要で、妙華寺ではご往生されて1年後を1周忌、その次の年を3回忌(ご往生された年から数えて)その後7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、50回忌とお勤めをします。以降は50年毎に行われます。真宗では、ご往生された方を縁として仏法に遇い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する場でもあります。
そのように考えて見ますと、大切な方の33回忌に遇えることは、大切な方がご往生さられてから32年後のことであります。それも数えてみると8度目の年忌であります。その間のご遺族の皆様のご苦労に大変頭が下がりますが、今の時代は親御様の遠い年忌に遇うことができにくい時代です。その仏縁に遇う慶びは大きいものと思います。

 

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。
妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)とありますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので、一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケアする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。

 

命日
大切な方がご往生された日を「命日」と言います。また「忌日」とも言います。ご往生された月の命日を祥月命日と言い、他の月々の命日を月命日、月忌とも言うそうです。
私たちは生まれた日を誕生日と言いお祝いをしますが、ずいぶん前に「誕生」とは「うそがうまれる」という意味もあることを聞きました。私たちがこの世に生まれ、生きていく上で嘘もつかなければ生きていくことができない存在であることを私に教えていただいています。
では、「命日」は「いのちの日」と言うことはどのような意味があるのか考えています。中国では亡くなられた時にその人の評価が定まると考えられていると聞きました。日本でもそのように考える場合もありますし、死後に災いが起こらないように祀(まつ)ることもありました。真宗では、故人の命日を縁として仏法に遇う、阿弥陀仏(如来)の恩徳に報謝する日と思います。

 

忌日
以前、「忌日」について、忌まわしいと言う字が含まれていますがと尋ねられました。
私の大切な方が亡くなられた時、亡くなられたことをすぐには受け入れがたい心があります。亡くなられてからも生きているように感じる心もあります。しかし、私から離れた方の死について、不浄なものと考えてしまう気持ちも出てくる場合があります。高田派の鑑学の先生が、「大切な方の忌日を勤めるのは、私自身(己の心)の中にある仏道に修しているという思いを改めて省みる日である」と述べられたことを思い出します。

真宗では親鸞聖人のご命日を縁としてお勤めする報恩講があります。高田本山では毎年1月9日から16日までお勤めいたします。各寺院も毎年一番大切な行事としてお勤めしています。(妙華寺では12月の第1日曜日です)
私の大切な方のご命日も、私が仏法に出遭い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する大切なご縁であったことに間違いないことです。

平成31年の法苑院妙華寺の行事

1月  1日 午前5時30分  修正会 お七夜のお非券配布します

1月 4日         井戸山報恩講

3月 21日 午後1時30分 春彼岸会  布教師 戸田栄信師

4月 7日8日       メリシャカ(花祭り)隣寺とスタンプラリーしています

4月 29日 午後1時30分 春千部会  布教師 高藤英光師

5月 18日 午後2時    婦人会総会・追弔会

5月 18日 午後3時   お寺の講演会 講師 浦上哲也師

7月 7日         初盆火入れ(お申し出の方のお仏壇の前でお勤めします)

7月 12日から15日    お盆勤め(地区別にお勤めします)

7月 23日        初盆総回向

8月 7日         初盆火入れ(お申し出の方のお仏壇の前でお勤めします)

8月 11日から15日    お盆勤め(地区別にお勤めします)

8月 23日        初盆総回向

9月 23日 午後1時30分 秋彼岸会 布教師 鷲山了悟師

10月 26日 午後1時30分 秋千部会 布教師 佐波真教師

12月 1日 午後1時30分 報恩講  布教師 葛野(かどの)洋明師

12月 31日 午後5時   歳末会

新年の準備

新年の準備

お寺の行事は、毎年同じようでありますが、その時1度限りの一期一会です。
毎年最後のお勤めは大晦日の午後5時に歳末会としてお勤めしています。1年間の仏恩を報謝します。
一週間ほど前から新年の準備をします。
お堂の西余間に妙華寺の初代住職の像を中心に歴代住職の位牌を敬置します。また7代住職から11代住職の絵像の掛軸がありますのでお掛けします。
ご本尊前にお同行様からのお供えを披露します。
新しい年の年回繰出表を用意します。
続いて、修正会(しゅしょうえ)の準備ですが、普段あまりお勤めをしない「現世利益和讃」を15首拝読しますのでその用意をいたしました。お屠蘇の用意も年1度のことです。本堂に空調設備が整いましたのでこれまでより温かいと思いますが午前5時30分からの修正会のお勤めは、道中寒い中お越し頂くことになりますので温かくしてお越し下さい。 ※高田本山のお七夜のお非時券を修正会の終了後配布いたします。
枚数に限りがありますので必要な方はお申し出ください。

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尚、修正会は本堂でお勤めしますが、1月から2月の年忌法会などのお勤めは、本堂東楽の間の改修の関係で、妙華寺会館を本堂として使用します。
 春彼岸会は、本堂にてお勤めします。

12月の聞法

12月の聞法

3日は、龍谷大学大宮学舎で宗学院公開講座で「死んだら終わりですか?」~臨床仏教ということ~の講題で、大谷大学学長の木超康師のお話をお聞きできました。「臨床仏教」とは、鷲田清一氏の『「聴く」ことの力-臨床哲学試論-』から臨床を「場」として捉えることから、仏教や真宗(学)も、「理(論)」から「(現)場」を中心に捉え直そうとされています。きっかくは、東日本大震災の現地でのボランティア活動から、子どもさんを津波でなくされたお母さんの「死んだら終わりですか?」の言葉だったそうです。その言葉の奥にある心情を考えることから、教学の近代化でもれていった「人のココロ」を見据えた「臨床仏教」としての仏教学や真宗学を提唱されています。これまでもそうですが東日本大震災の頃、真宗の僧侶の中でボランティア活動について、親鸞聖人のみ教え(教学)からどうなのか議論が沸き起こっていました。そのような中で木越先生は『ボランティアは親鸞の教えに反するか?』を著されたのだと思います。

17日の第816回の紫雲会に伺うことができました。今回は、京都の若手僧侶の法話勉強会「コンパス」に所属され、研鑽され、社会人としても活躍されている20代・30代の4人のご法話でした。それぞれのお味わいと阿弥陀様の讃嘆に、久しぶりにゆっくり法話をお聞かせいただく時間でした。ご法話の中で各人の祖父・祖母のことが語られ、私(住職)自身も祖父・祖母のことを思い出しながらの聞法でありました。不確かな私が不確かな世界を生きているのですが、身内の死を通してこの私が阿弥陀様の願いに遇うことになるまでの経験を聞きながらあたたかい気持ちになりました。また、『仏説阿弥陀経』(お経)にある「倶会一処」のことも、お念仏に出遇わなければうなづくことができない世界なのかと感じたりしました。明日を頼みにするわけでないけれど、後10年前後で、祖父・祖母の50回忌です。その時、私(住職)はどのような状態で、報恩感謝のお念仏に包まれているのでしょうか。
※「コンパス」さんは、3年前の春、妙華寺で法話大会・茶話会を開催していただき主管されていらっしゃる中西正導師とうれしい再会でした。また、中西正導師の法話が掲載されている冊子などもいただき帰ってから拝読させていたたきました。

2019(令和元)年のアーカイブ

2019(令和元)年のアーカイブ

① 山号額
昨年(2018年)12月にご法主殿のご染筆の山号額ができあがり、今年(2019年)1月中旬に本堂に掲げました。掲げる場所にいつも掃除できない髙い部分ですのでできるだけきれいにしました。これまでの、山号額は、庫裡(くり)玄関に掲げてあります。

② 宮殿のステンドグラス
6月中旬に長年思っていたことで宮殿後ろ面にステンドグラスを取り入れました。
こちらも昨年末にステンドグラスを作成していただくご縁をいただく会社が見つかり、 仏様の後光48本の光を表す図案を依頼して完成しました。
光源も工夫して宮殿が輝いてみえます。

③ 本堂下の改修
昨年来、久居の中心街の家屋にもアライグマやハクビシンなどが侵入することを聞きました。郊外のお寺でハクビシンなどに本堂が荒らされ被害があることも以前から聞いており、大切な本堂に影響が及ばないように本堂下に金網を整備しました。

※高田本山のお七夜(1月9日から16日)の「非時券」を、妙華寺の修正会から配布します。数に限りがありますが、ご希望の場合、お寺にお申し出ください。

※本堂東楽の間の改修を1月から2月末にかけて行います。その間本堂が使用できません。ご迷惑をおかけしますが、妙華寺会館を本堂として使用します。

【案内】修正会は元日午前5時30分からお勤めします

【案内】修正会(しゅしょうへ) 今年最初のお寺のお勤め(♯templemorning)
お正月に修する法会で修正会と言います。
年のはじめに心を新たにして佛前に座し合掌礼拝し、お念仏を申し上げます。
法苑院妙華寺では、元日午前5時30分からお勤めをしています。

本堂でのお勤めが終わり、お墓詣りになる頃、夜が明けだします。
寒さ厳しく早朝からのお寺へのお詣りは大変ですが、年に1度の元日の行事を体験しませんか。
ご年配の方から、以前は家族で、氏神さんの野辺野神社に初詣でをして、菩提寺の修正会にお詣りをして、お墓にお詣りし、家に帰り家族で新年の挨拶をされたとお聞かせくださいました。
参加されました方に念珠の一珠をお渡ししています。24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるように用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

高田本山のお七夜の時の「お非時」券も配布いたします。(枚数に限りがあります)

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「毎日、死の練習をしている」

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
「いのちの意味」を考える章で、生物学的には、1日3,000億~4,000億個の細胞が「死んでは生まれる」を繰り返しています。「見た目」は変わりなくとも、私たちの体の細胞は「生まれては死に、生まれては死に」を繰り返し、その事実の上に私たちは生きています。つまり、「生きている」とは、ある意味で死と裏表だということです。
死の練習を毎日している  このことが本当にうなづけるようになれば、「私は今生きている、生かされていることを精一杯、生きていきます」となります。

※若い時に生物学的な話を聞きながら、「今の私は今しかいない」とか「未完でありながら今は完結している」などわかったつもりのことを言っていたことを思い出してちょっと恥ずかしい。

12月のおてらおやつクラブ

12月のおてらおやつクラブ
今月は、先月同様3つの支援団体様へ11日に「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。1つの支援団体様へは果物をお届けしました。
また、支援団体の1つに12月の報恩講のお非時(ひじ)の時に、「子ども食堂」を併設してご奉仕していただきありがとうございました。今年もカレーが多くの方に好評で良かったです。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

四季の花12月

四季の花 12月に入りイチョウの葉がみごとな黄色にそして落葉。10年ほど前までは、11月下旬に落葉して12月の報恩講前に落葉したイチョウを清掃するのが大変でした。
モミジの紅葉も12月になってですが、日の当たらないところにはまだ青モミジも残っています。そして南天の種類と思いますが白色の実がきれいについています。赤い椿もやっと花が咲き出しました。

ひとくち法話

老苦(ろうく)
お釈迦様が、人生は苦なりと仰せになっていますが、その中には老いることの苦しみが含まれています。誰しも歳はとりたくない、老いたくはないと考えますが、避けて通ることが出来るでしょうか。
一般に歳をとると、体が自由に動かない、視覚や聴覚も衰える、バランスがとりにくい、動作がにぶくなる、物忘れが激しくなる等感ずることであります。医学の立場からも、骨折、失禁、痴呆を老人の三大症候群と言っています。
老醜はありて老美は辞書になしと言われますように、老いた人、古くなったものは、くたびれたもの、間に合わないものという通念がありますが、そういう概念だけで処理は出来ない筈です。老苦という言葉が示すように、確かに老いは苦であります。しかし美しく老いた姿には、若者に見られない安らぎがあります。長い年月を通して風雪に耐え、人生の悲しみも喜びも味わってきた老人には、深く美しい年輪が刻まれて、そこはかとなく安らぎを感じさせるものがあります。常に前向きの心を崩さない老人には、強靭な力さえ感じることがあります。
肉体は衰えるが こころの眼がひらく 人間の晩年は面白い
今まで生きて  いのちの深さが見えてきた
法悦の詩人 榎本栄一さんの詩です。いのちの尊厳に目覚め「こころの眼がひらく」ことによって、自由無碍の世界をゆったり歩むことが出来るのでありましょう。

ひとくち法話―四苦八苦―より

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「穏やかな死」だけが、理想的な死に方とは限らない

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
著書は続けて、人の死に「良い」も「悪い」もありません。誰にでも理想の死はあるかもしれませんが、それにとらわれず、後悔のない生き方を考えていきましょう。

人の死に良いも悪いもなく、あるとするなら、「穏やかな死」と「そうでない死」というくらいの、客観的な印象にすぎないでしょう。できるだけ理想の形で死にたいという気持ちはわかりますし、そのためいろいろと準備をしたり、家族に伝えておいたりすることは必要だと思います。
しかし、人はいつ、どんな形で死ぬかわかりません。死の瞬間のシチュエーションばかりにとらわれず、自分の人生に後悔のないように、また、遺された人に対して何ができるかを考えて行動してほしいと思います。