生活の中の仏教のことば

尊重(そんじゅう)
一般には「尊重(そんちょう)」と読み「人権尊重」などと使います。「尊重(そんちょう)」は人間同士がお互いに相手を大切にする意味です。「尊重(そんじゅう)すべきは世尊(せそん)なり。」この文は、私たちが親しんでいる和讃の一行です。「尊重(そんじゅう)」は、仏さまを尊み敬うこころをいい、信心と同義に用いられています。

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9月のおてらおやつクラブ

9月のおてらおやつクラブ

お彼岸が終わり今月もおすそ分けさせていただきました。
1支援団体様では、12月23日にクリスマス会を予定されています。その時には子ども達にいつも以上の笑顔になっていただければと思い。地域のまだ「おてらおやつクラブ」をご存知でないお寺様にも呼びかけることができればと思案中です。

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「古本勧進」も8月末に毎回お同行様がお寺にお持ちいただく不要になった古本を些少ではありますがお送りしました。次にお送りするのは、来年1月の末です。ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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10月の日曜学校は2日です

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10月の日曜学校は2日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤めを一緒にお勤めいたします。輪(りん)の打ち方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
衣替えの時期で、冬の衣ではまだまだ暑いと感じるのですが、秋がやってきているのは感じます。スポーツの秋、芸術の秋でもありますが、お仏壇での毎日のお勤めや作法を尋ねてみませんか。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

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四季の花

四季の花 お彼岸も終わり境内を見渡すと秋の花が咲いています。野牡丹は8月のお盆頃に見ることもありますがお寺では9月に入り咲き出します。萩や彼岸花そしてホトトギスと目を楽しませていただきます。朝晩の虫の音も秋の深まりを感じさせてくれます。

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私の一盌

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私の一盌
今秋、京都の茶道資料館で開催されています『私の一碗』展では、60数名の著名な方々のかけがえのない思い入れがある一碗(茶碗)を拝見できるようです。
お茶を愛好する方々には一人一人かけがえのない思い入れの一碗があると思います。
私(住職)の一盌と尋ねられれば、妙華寺の親鸞聖人750年御遠忌を勤めた時に記念の品として岐阜県土岐市の陽山窯の水野雅之氏に依頼した志野茶碗を取り上げます。30盌造り、お勤めいただいた組内のご住職様やお手伝いいただいたお寺のご住職様などにお渡しさせていただきました。行事の1年前に、茶陶の水野雅之さんに相談し、お茶碗の構想を練って頂きました。半年ほどして、窯場に来て茶碗に何か書くよう連絡があり訪れました。素焼きされた茶碗が並んでいて、一碗一碗に筆で書き入れるのですが、大変難しく同じ字を書くのですがどれひとつ同じ形にならず貴重な体験をさせていただきました。後日、桐箱に記念行事の名称を入れていただきお送り頂きました。水野雅之さんとは以前に裏千家茶道の東海ブロックの青年部活動で知り合い親しくさせていただいています。日本の古陶の美濃(土岐)で茶陶の陽山窯の三代目(当主)として精進されています。

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父(前住職)はお茶を喫茶することにそれほど興味はありませんでしたが、高田本山の青少年会館で陶芸教室が開催されていて15年ほど参加して作陶を楽しんでいました。
電気窯でしたが柔らかい土の楽焼きの作品を造っていました。ある会の賞もいただいたことがありましたが、本人は月に二度ほど教室で、茶碗や花入れ、香合・香炉・菓子器など造って年に2度焼き上がった作品を知り合いの僧侶やお同行の方、友人に差し上げて楽しんでいました。毎年お盆のお勤めの時に前住職の造った花入れに、ノボタンをいれて迎えていただくお同行様がいます。

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 祖父(前々住職)は、お茶(薄茶)が好きで毎日居間で、自分で点てていただいていた姿を思い出します。茶碗は、いつも楽茶碗(黒)でした。祖父が往生してから、その茶碗の箱を拝見すると「一元写黒 銘 不老門 比老斎(藪内家6代)玉水焼」とあり由緒のある茶碗で毎日お薄を楽しんでいたことを知りました。
喜寿の時は、自祝いとして、万古茶碗に筆で自分の干支を書かれた茶碗が残っています。また茶友の僧侶から贈られたお茶碗や、祖父が旅行先で出会った茶碗などが茶室へ続く廊下の棚に並んでいました。祖父だったか祖父の年代の方から、以前は「組内の報恩講にお勤めに行くと、各お寺で毎年同じお菓子とお茶碗でおもてなしをしていただくことが楽しみであった」となつかしそうにお話しいただきましたことを思い出します。
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 お寺(妙華寺)にはお茶道具がいくつかあります。禅宗のお寺ではないですが、お茶は僧侶をもてなすことの大切な1つであったと思います。妙華寺の8代の実言上人は松尾流のお茶を教えていたようです。また内室として嫁がれた方のお寺から持参されたお茶道具も残っています。お同行の方の中には、ご往生されました方の形見としてお譲りいただくこともあります。また、高田本山から本山の行事の記念の品としてお茶碗をお贈りいただくこともあります。高田本山に伝わる宗旦古流の家元(ご法主)が銘をつけられたお道具も残っていて大切に伝えなければいけないと思っています。
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秋彼岸会 お勤めしました

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台風一過の秋晴れとはいかず、あいにくの天気の中、秋の彼岸会のお勤めとご法話をご聴聞していただきありがとうございました。ご法話は、真楽寺の鷲山了悟師でした。昨年までは春の彼岸会でご法話をお願いしていましたが、妙華寺の都合で今年は秋の彼岸会にお願いしました。いつも元気なお声でご法話をしていただいています。その源をお尋ねいたしましたら、若い頃、歌を歌っていた時に大きな声で歌えとアドバイスを得たことがあったようです。ご法話をするようになり、最初にご聴聞されている方々から、声が大きいことを褒められたことも大切にされていることの1つだそうです。
今回、ご法話をいただくに当たって、厚かましくご法話への思いをお寺のHPに掲載してよろしいかと伺いましたらご丁寧に用紙にお書きいただきました。
「私の思い 鷲山了悟
いつもお世話になっております。妙好人の因幡の源佐さんの「決して美しい説教をしなさんなよ。親様のお手伝いだけをしてきなさんせよ」の言葉を抱いてお説教に臨んでいます。今日は、高田派で最もなじみの深い、「不退のくらいすみやかに えんとおもわんひとはみな 恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」のご和讃をいただき、「恭敬」・「名号」・「不退のくらい」についてご相談させていただきます。私(布教使)も話しながら聞くようにして臨み、阿弥陀様を讃えさせていただきます」とありました。
いつも、鷲山様のわかりやすく語りかけていただくご法話を、ご聴聞されている皆様は楽しみにしていただいています。
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また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

伝わる法話 「み教え」は法話で伝わっている?

伝わる法話 「み教え」は法話で伝わってるか?
真宗は「お聴聞」が基本です。私が阿弥陀仏のはたらきに気づかせていただくことを布教使様から何度もお聞かせくださいます。
布教使様からお聞かせ頂くお話しを、「お取り次ぎ」・「お説教」・「ご法話」と総称していますが、この「お取り次ぎ」・「お説教」・「ご法話」が、お聴聞されている方々に伝わっているのか?
お伝えする側から考えますと、妙華寺でお聴聞できる場は、お寺の5つの行事(春秋の彼岸会・春秋の千部会・報恩講)のご法話の時間だけです。その場に立つときは、布教使として、初心者であろうが、経験豊かな者であろうが、その時の聴衆へ私(布教使)が阿弥陀仏のはたらきに気づかされことをその時の聴衆と共に讃嘆できるようなお話しを心がけているのでしょうが中々そのようにはならないのが現実であります。ご法話はこの私が阿弥陀仏のはたらきに気づかされた物語です。その物語をお伝えするには自分の経験や学びを交えてですが、表現力も必要でしょうし、その物語自体の構成も大事だと思います。ご法話の後あれもこれもダメだったと反省しきりの布教使でありますが、お聴聞くださる方々は、批判や反論を言うわけでもなく、これまでお聴聞されてきたご法話の中からやご自身のご領解(りょうげ)で、今日のご法話を補いながらご自身の物語としてご法話をお聴聞してお帰りになります。とても温かく優しく布教使をお育てをしてくださっている背景には同じ物語を共有する世界があり仲間(同行)であるからだと思います。
現代の多様な価値観を認める一般社会の常識から見ると不思議な光景なのかもわかりません。また、真宗では自分の愚に気づいて翻っていく世界でありますが、愚に気づくことが、今の時代の考え方の中では否定的(マイナス)に感じ(見)てしまうようで、伝わりにくい事であるのかもわかりません。これまでも長い間、指摘されてきたことですが、ご法話の内容が初めてお聴聞される方々には伝わらないので、お寺の行事への参加者も少なくなり、お寺が以前より閑散として衰退していき、仏教自体が一般社会から見限られていく一因だと言われています。
今後は、これまでのような僧侶(布教使)とお同行様を共にお育てをいただく場がなくなり、ご法話いただく場には、阿弥陀様と畳と柱しかいない日が来るのだと思います。それでもご法話をよりどころとして「み教え」を伝える覚悟を問われるところです。覚悟だけで今のお寺の問題が解消するわけではありませんが・・・伝わる法話に精進していかなければならないのでしょう。
また違う言葉で言えば、法話は法施と考えても良いと思います。法施とは布施の1つで、「布施とは梵語ダーナの意訳 檀那・檀と音訳する。他に与えること、施しの意。財物を施すことを財施、法を説くことを法施、無畏(おそれなき心)を施すことを無畏施といい、総称して三施という」とあります。
私の法話(法施)がお同行の皆様にちゃんと伝わっているのか省みながら精進していきたいものです。
 住職としては、このような時代でありますが、ご法話をご聴聞くださる皆様がここ妙華寺にいてくださることが大変有難いことであります。阿弥陀仏のはたらきに気づかせていただくご縁を大切にして、皆様と共に聴聞させていただきます。

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七高僧 龍樹菩薩

昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
①龍樹は、『華厳経』の「十地品」を註釈した書物『十住毘婆沙論』の第九章「易行品」
の中で、仏道を難行道と易行道に分けた。陸路を徒歩で歩いてゆくのにたとえられる 困難な修行の道と、船に乗って水上を進むのにたとえられるやさしい道である。易行 道すなわちやさしい道こそ求め願われるべき方向で「信方便の易行」という名で出て くるが、「信心を内容とする称名」のことである。
すなわち、阿弥陀佛など諸仏諸菩薩の名号(みょうごう)を称える行が易行道であっ て、龍樹は、阿弥陀佛の信仰を表明し、称名行によって不退転地にいたることを教え た。「易行品」においては、必ずしも弥陀一佛への称名行だけが説かれているわけでは ないが、親鸞聖人は、意識的な読み替えにより、阿弥陀佛に対する称名易行にとりき っていった。このようなことから最初に阿弥陀佛信仰に生きた先輩として龍樹が位置 づけられ七高僧の第一に入れられた。
『親鸞読み解き事典』から
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ひとくち法話

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龍樹菩薩(りゅうじゅぼさつ)
龍樹大士(りゅうじゅだいし)よにいでて 難易(なんい)ふたつのみちをとき
流転輪廻(るてんりんね)のわれらをば 弘誓(ぐぜい)のふねにのせたもう 『高僧和讃龍樹讃第4首』
龍樹菩薩は、お釈迦さまが亡くなってからおよそ500年後に南インドで生まれました。仏教に精通され、多くの書を著されたので「8宗(はっしゅう)の祖」「千部の論師(せんぶのろんし)」等と言われました。
親鸞聖人(しんらんしょうにん)が、七高僧の第一に挙げられたのは、ほとけになる道を「難易(なんい)のふたつ」にわけて、凡夫のわれらにも、ほとけになる道があるとお説き下さったからです。
そのひとつは難行道(なんぎょうどう)です。これは陸路の歩行のようなもので、山あり谷あり、体力の限りをつくして苦行(くぎょう)するという聖者の道です。もうひとつは易行道(いぎょうどう)といい、阿弥陀如来の本願を信じ念仏を申すというわたしたちが救われる道です。それはちょうど陸路の歩行が困難であるのに対して「水路の乗船」のようなものだという巧みな比喩(ひゆ)で解説されました。
聖人は比叡山での20年間にわたる自らの難行苦行の体験を通じて「流転輪廻のわれら」には易行道であればこそ、ほとけになれるということを明かされました。
「弘誓のふね」は阿弥陀如来の本願をいいます。私たちのただひとつの救いの道であるから、深く信ぜよと聖人は導いてくださいます。
※「難行は、いわゆる仏心(禅宗)・真言宗・法華(天台宗)・華厳宗等の教えであり、易行は真宗である」『愚禿鈔』と聖人は説明されています。だからこの「難易ふたつのみち」は今日でも日本仏教の中に脈々といきづいていることに留意しましょう。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

キーワード3

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※ホームページ開設1周年を記念して、9月中の「お寺からのお知らせ」に掲載します3つの記事(ブログ)の中で3つにキーワードをお知らせしました。そのキーワードを集めて、ホームページの下部にあります「お問い合わせ」に3つのキーワードを記載してメールしてください。メールをお送りしていただいた方へ記念品をお送りします。締め切りは9月30日までです。

仏旗をご存知ですか?

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仏旗(ぶっき)をご存知でしょうか?
お寺の行事の時にお堂の上がり口の柱に掲げています。仏旗のことを「六金色旗(ろっこんしょくき・ろっこんじきき)」と呼ぶことがあります。仏旗を見ると五色しかありませんが、六金色旗と言うのはどうしてか何も知りませんでしたので改めて確認しました。
「六金色旗(ろっこんしょくき・ろっこんじきき)」と言われるのは、ブッダの体から六色の光が放たれることからのものだそうです。
妙華寺の仏旗は「緑、黄、 赤、白、紫」の五色で、「青、黄、 赤、白、樺(橙)」と違いますが、「緑、黄、 赤、白、黒(紫)」の仏旗は旧来の仏旗のようです。
仏旗(ぶっき)については全日本仏教会のHPから紹介します。
Q.  仏旗とはなんですか?
A. 仏教徒が、仏教を開かれたお釈迦さま(仏陀)の教えを守り、仏の道を歩んでいく時の大いなる旗印となるものです。
Q. いつ定められたのですか?
A. かねてより多くの仏教国で掲げられていましたが、世界仏教徒連盟(WFB)が結成され、スリランカでの第一回世界仏教徒会議が開かれた1950年に、正式に「国際仏旗」として採択されました。さらに1954年、永平寺で開かれた第二回全日本仏教徒会議でも決められました。
Q. 仏旗の色と形にはどういう意味があるのですか?
A. 仏陀がそのすぐれた力をはたらかせる時、仏陀の体から青、黄、赤、白、樺及び輝きの六色の光を放つと『小部経典』というお経の中の「無礙解道」の項に説かれていることからこれらの色が使われています。このため仏旗は「六色仏旗」とも呼ばれています。また、次のようにも理解されています。
◦青は仏さまの髪の毛の色で、心乱さす力強く生き抜く力「定根(じょうこん)」を表します。
◦黄は燦然と輝く仏さまの身体で、豊かな姿で確固とした揺るぎない性質「金剛(こんごう)」を表します。
◦赤は仏さまの情熱ほとばしる血液の色で、大いなる慈悲の心で人々を救済することが止まることのない働き「精進(しょうじん)」を表します。
◦白は仏さまの説法される歯の色を表し、清純なお心で諸々の悪業や煩悩の苦しみを清める「清浄(しょうじょう)」を表します。
◦樺は仏さまの聖なる身体を包む袈裟の色で、あらゆる侮辱や迫害、誘惑などによく耐えて怒らぬ「忍辱(にんにく)」をあらわします。インド、タイ、ビルマ等のお坊さんがこの色の袈裟を身につけています。
この縦と横に重なり合う五色で表される仏さまのお姿と教えが、仏の道を進む私たちを励まして下さっているのです。
Q. 仏旗のデザインと色の目安について教えてください
A. デザインと色についての、目安は次の通りです。
◦デザインは縦に6本の同じ幅で左から青・黄・赤・白・樺で、一番右の列は上から青・黄・赤・白・樺です。ただし、縦の樺色と横の樺色の間には区切りがなく、英語のL字型で表示されます。
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※写真の妙華寺の仏旗のデザインで色の位置が、左からではなく右から「緑、黄、 赤、白、紫」で、一番左の列は上から「緑、黄、 赤、白、紫」になっています。仏旗の生地の表裏を見て撮影しましたが、デザインからすると逆のようです。
また、五色と上から「緑、黄、 赤、白、紫」が並んだ部分が、「輝き」を表す部分で、六色になるのだと知りました。しかし、「輝き」を示す部分が他の五色の部分より幅広なのも仏旗としてのデザインとしては間違っているみたいです。
※高田本山の山旗はご存知でしょうか? 高田派の旗章は、白地に赤い「一」です。行事がありますと山門に掲げられます。以前、どなたかに一身田の「一」と聞いたこともありますが真偽はわかりません。