12月の日曜学校は3日です

今年最後の日曜学校は12月3日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)


※正月は一日午前5時30分より修正会(しゅしょうえ)をお勤めします。
日曜学校は、2月4日午前7時30分からです。

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ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第25回】親鸞聖人のご臨終
人間としてこの世に生まれてきたからには、いつの日か、ある日例外なく突然死ななければなりません。人の死については昨日も聞き、今日も見聞きしているのですが、死をほんとうに自分のこととしてとらえることは難しいようです。
親鸞聖人の臨終はいかがだったのでしょうか。
聖人は晩年、京都から関東の弟子たちに往生浄土が近づいたことについてお便りをしてみえます。現代の人に最もわかりやすいのが、高田派の「親鸞伝絵(でんね)」や本願寺派の「御伝鈔(ごでんしょう)」でしょう。
それらを要約し意訳してその内容を紹介しましょう。
聖人は弘長2年(1262年)いささか、いつもと違って健康がすぐれなくなられ、それからは、口に世間のことなどを話さず、余分なことを語らず、ただ、仏恩の深いことだけを語られ、もっぱら念仏称名の声がたえることなく、11月28日のお昼過ぎ、ついに亡くなられました。御歳90歳でしたと記録されています。
ご臨終の枕辺には数少ない直弟と末娘の覚信尼さま、次弟の尋有さまがおられたぐらいのさみしく静かな場であったと思われます。
さて私たち真宗のみ教えを心の糧として生きる者は、この聖人のご生涯をしのび、ますます聞法の道に精進して参りましょう。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

報恩講(ほうおんこう)
報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁として厳修されます。
高田本山では1月9日から16日までの7昼夜にわたっての法会で「お七夜さん」の名で親しまれています。妙華寺では、以前は12月14日から16日に勤めていました、現在は、12月の第一日曜日にお勤めしますので、12月3日です。
文字通り報恩講は、聖人にお礼を申し上げる法会です。それは煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)である私は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(さんなくどう)に墜ちて当然でありますが、他力念仏の大道をお教えいただくことにより、お浄土に往生させていただく身になるからです。
聖人は、「この強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(あ)い難(がた)いこと」として、和讃に
如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし
師主・知識の音読は  骨をくだきても謝すべし
と述べられました。
阿弥陀如来が「わが名を称えるものは、必ずお浄土に往生させます」という超世(ちょうせ)の願い(大悲)を成就され、お釈迦さま(師主)がこの世に出られて説法され、その道理を三国(さんごく=インド・中国・日本)の七高僧(知識)が正しく伝承されて、「南無阿弥陀仏」が私に届けられたのであります。聖人は、この経緯を自らの喜びとして、詳しくお示しされたのが真宗の教えであります。聖人は、このご縁はなにものにも代えることができない尊いことで「身を粉にしても、骨をくだいても報謝すべし」と最大級のお言葉で申されました。

報恩講の荘厳の特徴は、西余間に親鸞聖人絵伝(四幅)を掛け親鸞聖人の御生涯をわかりやすく拝見できます。(以前は絵説きもあったようです) また、聖人の宮殿のお戸帳も外して聖人像がいつもより拝顔できる喜びもあります。(高田本山では15日の初夜のお勤めの後、内拝と言って出勤法中が内陣でお焼香をさせていただきます)
昨年よりご法話修了後、内陣の聖人像を内拝していただき西余間の絵伝を拝見してお帰りいただく予定です。

 今年は、西本願寺派の布教使で龍谷大学大学院教授の葛野(かどの)洋明(ようみょう)師にご法話いただきます。葛野(かどの)洋明(ようみょう)師は、西本願寺派布教使で龍谷大学大学院教授です。また高田派の若い布教使の育成に助言されています。今回は、衆徒(娘)のご縁で、妙華寺でご法話をいただきます。一人でも多くの皆様にご聴聞をいただきたいと思います。

妙華寺では、年5回の行事のご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

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中陰逮夜忌

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。

妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)とありますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケァする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。

四季の花

四季の花

11月の下旬になり寒さを感じています。銀杏も徐々に紅葉しています。
ドウダンツツジも紅葉しました。これから本格的な冬が訪れる気配です。

11月のおてらおやつクラブ

11月のおてらおやつクラブ 16日に一人親家族様へおすそ分けさせていただきました。支援団体様へは12月の報恩講に支援団体様と行事をさせていただくことになりました時におすそ分けを予定しています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

 

釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心は得しめたる
信心の智慧に入りてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

釈迦弥陀の二尊の大慈悲によって 私どもは大菩提心を頂くことができた
は即ち、如来より賜る信心の智慧であって この信心の智慧を得ればこそ、仏恩を感じてこれに報い奉ろうとする身とはなるのである。

願作は、仏になろうと願う心

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

 

『正像末法和讃』第33首
「釈迦弥陀の慈悲よりぞ」の表現は、国宝本にも文明本にも「釈迦弥陀」となっております。こういう場合は「釈迦弥陀二尊」「二尊一致」ですから、この「一」に着目しておいでになるのだと思います。こういう聖人のお言葉というものは、ご恩を感じての深いおもいです。「釈迦弥陀」「弥陀釈迦」と、弥陀のなかに釈迦が生きつづけておいでになる。われらに慈悲をもたらしめたもう二尊のご恩のかたじけなさを詠っておられるのであります。「釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる」、「願作仏心」というのは、前に何度もでてまいりました「浄土の大菩提心」であります。「仏になりたいと思って弥陀の誓いを信ずる心」、これが「願作仏心」です。国宝本の左訓に、「われをしてほとけにならしめたまえと、ちかいをしんずるこころ」とあります。「釈迦弥陀二尊の温かい、こまやかなおはたらきによりまして、私の身に願作仏心をたまわることになりました」と。そうしてその「願作仏心」のことを言葉をかえて、つぎに「信心の智慧にいりてこそ」、国宝本左訓には「弥陀の誓いは智慧にてましますゆえに、信ずる心のいでくるは智慧の起こると知るべし」とありまして、「信心となって生きて働く智慧に入ることができてみますと、仏のご恩を報ずるというよろこびがわいてきたのであります」と。「仏のご恩を報ずる身」とならなければ、これはわが身に何ごともおこらなかったということです。聖人が「正信偈」をお作りになるときにも、「知恩報徳の為に」「恩を知りて徳を報ず」「仏恩の深遠なるを信知して」といっておられます。だから、仏恩を報ずる心がおこったことが、信心だということです。信心のしるしということは、ご恩かたじけなしという思いがわが身におこってくることです。ご恩を感ずるということは、わが身には、ほこるべきものは何もないということです。自我妄執が砕け散るばかりです。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】

妙華寺の報恩講は12月3日です

妙華寺の報恩講は12月3日です。

1ヶ月前の10月18日は龍谷大学の報恩講でした。龍谷大学の前身である西本願寺の学林を開設された良如上人のご命日にお勤めされているようです。

今年は、高田本山の法主様がご講演されるということを知り拝聴させていただきました。龍谷大学の深草にあります顕真館を訪れたのは子どもが大学に進学した頃で10年前のことです。

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高田本山の法主様は「北関東の親鸞聖人」という講題で、親鸞聖人が流罪赦免後に関東へ赴かれたことに焦点を当てられお話をされました。高田派では親鸞聖人が信濃の善光寺から感得されました一光三尊仏が栃木県の専修寺(本寺)のご本尊でありますので親鸞聖人が善光寺聖の一人として関東へ赴かれた説にそれほど違和感はありませんが、本願寺派の皆様はどのように受けとめられるかご法主様も興味があるようでした。親鸞聖人の在世中のお勤めになる対象やその荘厳は、今よりもっとおおらかなものであったと思います。時代がさがる中でそぎ落とされてきたように思います。

帰りには、久しぶりにキャンパスで多くの学生達の中で、お斎(とき)をいただきました。

妙華寺の報恩講は、ずいぶん以前(昭和6年生まれの前坊守の記憶で)は、12月14日15日16日でした。前々住職の時代に12月4日5日になり、前住職の時代に12月5日になりました。平成28年より12月の第1日曜日に変更させていただくことになりました。今年は12月3日です。

報恩講の荘厳の特徴は、西余間に親鸞聖人絵伝(四幅)を掛け親鸞聖人の御生涯をわかりやすく拝見できます。(以前は絵説きもあったようです) また、聖人の宮殿のお戸帳も外して聖人像がいつもより拝顔できる喜びもあります。(高田本山では15日の初夜のお勤めの後、内拝と言って出勤法中が内陣でお焼香をさせていただきます)
昨年よりご法話修了後、内陣の聖人像を内拝していただき西余間の絵伝を拝見してお帰りいただく予定です。

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今年は、西本願寺派の布教使で龍谷大学大学院教授の葛野(かどの)洋明(ようみょう)師にご法話いただきます。葛野(かどの)洋明(ようみょう)師は、西本願寺派所属ですが、高田派の若い布教使の育成にも助言されています。今回は、衆徒(娘)のご縁で、妙華寺でご法話をいたくことになりました。一人でも多くの皆様にご聴聞をいただきたいと思います。

お寺の年5回の行事では、ご法話をお聴聞していただきます。布教使様がいただかれました、親鸞聖人のみ教えの味わいを通してこの私が阿弥陀如来のお目当てであることをあらためて気づかせていただく時間を大切にしていきたいと思います。

年5回の行事のご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

境内墓地の通路整備終了しました

境内墓地の通路整備の報告(11月)

境内墓地の通路整備は、今年1月から墓地の奥にあたる北西側から通路ごとに順次舗装板を整備していました。
工事の期間中は、大変ご迷惑をおかけしましたが、11月11日に最後の4区画の通路全て整備できました。
これまで砂利道でしたが、これからは、押し車や杖をお使いいただいていますお同行様には歩きやすくなると思います。
お同行の皆様にはご協力いただきありがとうございました。

 

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第24回】悲喜を越えて念仏往生
もと「板敷山弁円」と呼ばれ、聖人を襲った明法房がその後改心して弟子となり、ご信心を頂き、お念仏を歓ぶ人となりましたが、聖人80歳のとき、明法房がお念仏の歓びの中で往生したことをお聞きになり「なにごとよりも明法御房の往生の本意とげて・・・めでたきことにてさふらへ」とお歓びになりました。
また関東へ派遣された、長男慈信房は「深夜父に教えを受けた」「念仏はしぼんだ花だ」等といって教団を乱し始めました。それを知られた聖人は我が子の、法を誹謗する振舞を見て「いまはおやということあるべからず。ことおもうことおもいきりたり」と涙を流しながら義絶状をお書きになりました。お念仏の教え護持のため厳しい裁きをされた聖人の眼に宿る涙にはどんな想いがあったのでしょう。
こんな中でも、85歳のときは「目もみえず候、なにごともみなわすれて候」と言われながら、なおまだ筆を運ばれていました。
90歳の頃、弟子の有阿弥陀仏に対して「としきはまりて」とか「さだめてさきだちて往生」し「浄土にてかならずかならずまちまいらせ候」とご心境を語られ、「かならずかならず」と有阿弥陀仏にお念仏の相続をねんごろに導かれています。
いよいよ聖人御不例の報に専信房が上洛、顕智上人と二人で聖人のご臨終をお世話されました。時に弘長2年11月28日(1262年)、御年90歳で仏の本願に生き抜かれた聖人は浄土に御往生されました。
南無阿弥陀仏
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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「仏教は自死・自殺にどう向き合うか」

11月10日、「仏教と自死に関する国際シンポジウム」で、花園大学の佐々木閑師の基調講演「仏教は自死・自殺にどう向き合うか」を拝聴しました。とっても丁寧な資料をいただきました。
これまで仏教では、自死・自殺は悪であると教えられ、自死遺族の方々を苦しめていることがありました。しかし、徐々にではありますが自死・自殺が仏教で悪でないと言うことを知らされることになりますが、どうしてこれまで仏教では自死・自殺は悪であると教えられてきたのかについて、お釈迦さんの時代では自死・自殺で亡くなった方も、「般涅槃」したと仰せられていたが、時代が下がっていく中で、他の事例と混同しながら自死・自殺が「悪」であるように思われるようになったと佐々木先生の専門の律(仏教の法体系)から分かりやすくお話がありました。

講演の最初に、お釈迦様は、「平等」を説かれましたがこれは、生者だけでなく、死者も共に平等であること、そして自死・自殺について論じる時も死者も聞いている(一緒にいる)ことを胸にして論じることであると仰り、生者のおごりに気づかされました。 仏教における「悪」の定義を説明され、自死・自殺はその定義に当てはまらないことと説明され、自死・自殺は、仏教では仏道に入って涅槃へ至るチャンスを自ら手放すことで「もったいない行為」と話されました。また、教団について、本来ひとりの人をまるごと受けとめることがサンガ(教団)のあり方であったが現代ではその力が無いのが残念であると仰いました。
私(住職)の中で勉強不足で知らないことばかりの律(仏教の法体系)について、多くの事を学ぶことができ、お釈迦様が自死・自殺についてどう思われていたかがわかる貴重な時間をいただけたことに感謝しています。

「仏教と自死に関する国際シンポジウム」自体は、11月6日から海外の自死・自殺に関われている仏教徒を含め、横浜からスタートして京都で最終日を迎えたようです。参加された方々の日本と海外の自死・自殺に関する取り組みの事例発表から見えてきた課題についても活発な議論が進んだようです。この日は、このシンポジウムを振り返って、お話をされていました。日本でも自死・自殺に関わる僧侶や市民が増えること念願します。

※中川個人の感想です。