境内墓地の通路整備の報告(10月)

境内墓地の通路整備の報告(10月)

境内墓地の通路整備は、墓地の奥にあたる北西側から通路ごとに順次舗装板を整備しています。
10月末には最後の4区画の4通路を残しています。
通路の整備中に以前に作った雨水枡が見つかりました。
おおよそ予定通りに11月末の完成予定ですが、雨水枡の処理や今後の天候により時間がかかる場合があります。

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ご迷惑をおかけしていますが、境内墓地通路整備期間中の東側駐車場の一部を工事車両が使用します。
また、皆様のお墓の前の通路に花入れなどがございましたら申し訳ございませんが片付けさせていただくことになります。

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秋千部会 お勤めしました

2週連続の台風の影響で雨の中、秋の千部会をお勤めさせていただきました。
足もとが悪い中、遠方からもご家族でお越しいただき、ご法話もご聴聞していただくお姿を拝見し大変うれしく感じました。先週の台風21号の影響が思ってもいないところにも及んでいるのを当日まで知らず、私(住職)としてはゆっくりご法話も聴聞できませんでしたが、布教使様が、「恭敬(くぎょう)」についてお話をされました。「恭敬」と聞きますと、高田派では夕時のお勤めをします、浄土高僧和讃の「不退の位すみやかに 得むと思はむ人はみな 恭敬の心に執持して 弥陀の名号称すべし」が思い浮かびます。また『涅槃経』の「慚愧あるがゆえに、すなわち父母、師長を恭敬す」を併せて仏徳讃嘆されました。


妙華寺でご法話をご聴聞できますのは年5回の行事の時だけです。12月3日の妙華寺の報恩講では、龍谷大学大学院の教授で本願寺派の布教使の葛野洋明(かどのようみょう)師をお迎えさせていただくご縁をいただきました。
布教使様それぞれの味わいをお聴きさせていただくことができるご法話は、限られた人生の中で自分自身を見つめる貴重な時間と思います。お寺の行事にご参加され、ご一緒にご法話をご聴聞しましょう。
また、ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご聴聞いただきますと記念の品をお渡ししています。

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【高田本山でご法話の葛野洋明(かどのようみょう)師】

 

10月のおてらおやつクラブ

10月のおてらおやつクラブ 先週は台風の前から雨が続いて、秋千部会の案内が遅れて、おてらおやつクラブの発送も少し遅れてしまいました。25日、一人親家族、支援団体様へおすそ分けさせていただきました。12月の報恩講に支援団体様と行事をさせていただくことになりました。楽しみにしています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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絵解き説法

絵解き説法
10月26日、高田本山の大講堂にて「絵解き説法」がありました。主催は、三河すーぱー絵解き座と言う団体で、21年前に絵解きの勉強会から始まり愛知万国博覧会で出演を期に「三河すーぱー絵解き座」を旗揚げしたそうです。宗旨宗派を越え、僧俗の別を越え、仏教をわかりやすく視聴覚に訴え、時に面白く、有難く、尊い、絵で法を解く「絵解き」を続けられているそうです。今回のチラシに「What`s絵解き?  掛軸に描かれたお釈迦様やお祖師様のご生涯や仏教の教えを、わかりやすく、尊く、またおもしろく語る説法」とありますので、芸能や娯楽では無く、ご法話の1つの形としてあるようです。


私(住職)は、絵解きは、以前はお寺の行事の報恩講や一光三尊仏のご開扉法会でも盛況に行われていたと聞いていましたが、実際見ることも聴くことも無く、絵解きをする方も高齢で少なくなっているものと思っていました。でも「絵解き説法」の伝統を守りつつ、今も研鑽されている若い方々がいることを知りうれしく、また高田本山を会場にして開催されることを知り、夜の部に聴聞させていただきました。


私(住職)にとって初めて聴く「絵解き説法」は、「二河白道」、「釈迦涅槃図」、「親鸞聖人絵伝」の掛軸を用いて三人の方が、それぞれ掛軸に描かれていることを示しながら仏法を語るのですが、視覚に入る絵(掛軸)がありそれを拝見しながら聴聞することは、布教使のご法話を聴聞するのと、また違った楽しさもありました。また、現代の機器を使用しながらの新しい絵解きは、若い世代の方にも受け入れられるようにも思いました。
妙華寺でも、『お寺で体験』の12月24日は、4幅の「親鸞聖人絵伝」で来年2月25日は、「釈迦涅槃図」を使い、「三河すーぱー絵解き座」の会員でもあります、真宗高田派潮音寺の住職村上英俊師によります絵解き説法をお願いしていますので是非ご聴聞ください。(『お寺で体験』にご参加されます方は、事前にお申し込みが必要です。妙華寺にお問合せください)

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第23回】京での晩年
関東ではご家族とご一緒だったようですが、経済的な裏付けのおぼつかない京での生活を考えられひとまず単身で帰洛され、三条富小路の善法坊、御弟尋有僧都の住坊等に居られたようです。
京でのご生活は、関東の門弟からの喜捨によって支えられ、大抵は200文300文が通例だったようですが、時には5貫文もあったようです。1貫文は米一石に当たるようですから、4万円ぐらいでしょう。ですから、聖人は案外豊かであったという人もありますが、何分にも人々の志ですからいつも十分ではなかったでしょう。
大切にされていた写本『唯信鈔』の綴じ目を外され、紙の折り目を裏返して『涅槃経』が書き写されています。これは重要文化財として本山に残っていますが、紙の様子や、筆の穂先の切れ具合からも不自由な暮らしの中にあって、なお先達の教えに対する熱情がうかがえます。
また、関東の弟子たちの京への来訪や、質問状を大変喜んでみえました。
「なお覚束なきことあらば今日まで生きて候へばわざともこれへたづねたまふべし」
「明教房の上られて候ことありがたきことに候」
「いのち候はば必ずかならず上らせ給うべし」とか、聖人のお返事の末尾には
「またまた追て申すべく候」
「またたよりにて仰せたまふべし」
「何事も何事もまたまた申すべく候」
などのお言葉が記されており、遠く離れた門弟への暖かいお姿の中に「お念仏申さるべし」とのお心が珠玉のように溢れています。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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第3回『お寺で体験』

4月から開催しています『お寺で体験』の3回目は、10月22日(日)午前10時から11時30分頃まで開催いたしました。
当日は台風21号の影響で雨が本格的に降り、足もとの悪い中12名の皆様にお越し頂きありがとうございました。
また住職は、葬儀ができまして大変申し訳ございませんでしたが今回参加できませんでした。地元の「久居の歴史」についてお話をお聞かせいただくことを大変楽しみにしていましたが次の機会に譲りたいと思います。

「久居の歴史」につきましては、久居城下案内の会副代表の若林征男様にお話をいただきました。レジメに基づきお話いただきました。その後、「お寺の歴史」と「みんなの不安」について住職がお話させていただく予定でしたが、簡単な資料を作成したものを坊守が読み上げてお持ち帰りいただきました。
ご参加いただきました皆様には、質問の時間も取れずご迷惑をおかけしました。

お寺(法苑院妙華寺)の歴史(概略)

法苑院妙華寺は、1680年の久居絵図に寺地が記載されています。そして翌年1681年に草庵を結ぶとあります。現在の本堂は、1821年の久居の大火で焼失してから再建したものですので、最初の本堂がどのようなものであったかはっきりわかっていません。1800年頃に本堂内の七高僧宮殿(くうでん)や本尊宮殿の建立とありますので、初代の頃は草庵とありますので本当に小さなお堂と思われます。新しい土地で新しいお同行の皆様のご寄進で1800年頃には現在の本堂と変わらない大きさの本堂が建立されたのではないかと思っています。5代、6代の時代の1821年3月20日の久居の大火で、山門を除きすべて焼失しました。その後7代の1857年12月に本堂の棟上げし、1863年に本堂が完成しました。最初の本堂が焼失して36年ほど経ってから現在の本堂の棟上げがあり6年後の1863年が建立されましたことを思いますと42年間仮の本堂で色んな行事やお勤めをしていたことになります。高田本山の御影堂、如来堂も何度か焼失し再建されていますが、今の如来堂が完成するまで50年ほどかかっていることも思いますと、当時のお同行様のご協力に大変頭が下がる思いです。本堂が再建され、本堂内の荘厳(しょうごん)が明治時代、大正時代に整備されてきました。棟上げから数えますと70年ほどかかり9代の時代です。そして本堂は、戦争を経て、昭和が終わり、平成4年(2004)に国の登録文化財となりました。

まもなく久居開闢350年を迎えます。法苑院妙華寺もこの地で350年を迎えることになります。お寺の住職は、今12代目です。これまでの住職が大切に護ってきました法苑院妙華寺を次の世代に伝えることをお同行や地域の皆様と共に考えていきたい思っています。

 

次回は、12月24日(日)の午前10時から本堂にて、親鸞聖人の絵伝(4軸)の絵解きを開催します。絵解きについて研究、実践されています津市潮音寺住職の村上英俊使の絵解きをお楽しみいただきます。

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年忌(回)法会のお勤め

年忌(回)法会のお勤め
お同行様の年忌(回)法会のお勤めは、お経・文類偈・和讃(自宅では五首、お寺では一首)・念仏廻向文・御書(自宅では改悔文)拝読です。
「どうして文類偈なのですか」とお尋ねがございました。
高田派では、お勤めの時に「文類偈」に親しんでいます。高田本山でのお勤めの節が正式と思いますが、地域によって違いがあるのも事実です。私(住職)は、先々代、先代のお勤めの節回しを聞きながら、自分では同じと思っていますが、音程は違うようです。
妙華寺では、年忌(回)法会は、夕事(ゆうじ)のお勤めをさせていただいていますので「文類偈」をお勤めいたしますが、本堂や内仏での朝事(あさじ)のお勤めは、「正信偈」をお勤めしています。親鸞聖人が、先に「正信偈」(『顕浄土真実教行証文類』)を書かれ、「文類偈」(『浄土文類聚鈔』)は後に書かれたからと聞いています。(『顕浄土真実教行証文類』と『浄土文類聚鈔』は、どちらもはっきりした制作年代はわかっていません)
前々住職の時代には、今の時代では考えられないことですが、年忌(回)法会を夕方にお同行様の自宅でお勤めをして、翌日の朝に本堂でお勤め、続いてお墓勤めをすることもあったようです。

本山のお七夜も、逮夜(たいや)から始まり、初夜(しょや)、晨朝(じんちょう)、日中(にっちゅう)が1つのサイクルになっています。

※最近は、生活様式が変化して、家族そろってお仏壇でお勤めをする機会が少なくなり、お仏壇のお給仕(きゅうじ)やお勤めの仕方も次の世代に引き継ぐことも難しい時代なのかもわかりません。そのような時は、些細なことでもお尋ねいただきましたらお話させていただきます。また、正月を除く毎月第1日曜日の朝7時30分から8時頃まで行っています日曜学校で平素のお仏壇のお給仕や、お勤めについて、おさらいしませんか。

【お勤めの作法】
勤行本を取り出し、頂き開きます。錀(りん)を中・小・大と三回打ちます。句頭(くとう)を拝読するとき家族そろってもう一度頂きます。
朝事(あさじ)は、「重誓偈」・「正信偈」「和讃五首」・「念仏廻向文」を勤めます。和讃が終わりに近づき最後の二音で錀(りん)を二つ打ち、三打目は、念仏の句頭の最後「なまんだぶ」の「ぶ」で打ちます。廻向文は、「安楽国」の「ら」で一打。「こ」で一打、終わって一打します。お念仏しながら合掌礼拝してお勤めを終えます。
夕事(ゆうじ)は、「重誓偈」・「文類偈」「和讃五首」・「念仏廻向文」を勤めます。

『真宗高田派の平素のお給仕』より

 

10月20日、国の文化審議会は、日本の代表的な近世寺院建築とされる高田本山専修寺の御影堂(みえいどう)と如来堂(にょらいどう)を国宝にするよう答申されました。三重県内の建造物で国宝に指定されるのは初めてのことだと新聞に掲載されました。
専修寺を本山としています私たち真宗高田派に属する僧侶並びにお同行各位、三重県民、津市市民において、とてもうれしい知らせでした。これまで高田本山専修寺は、身近で親しくお詣りしていましたが、御影堂が重要文化財の建造物で国内で五指に入る大きさということは平成の大修理の時に初めて知ったことでした。
また、親鸞聖人直筆の『三帖和讃』『西方指南抄』など3点は、昭和28年に国宝に指定されて大切に保管されています。3点の国宝本は、現在、栃木県宇都宮県立博物館の『中世宇都宮氏』展(10月29日まで開催)にて展覧されています。
これから益々多くの方々が専修寺の国宝に指定される御影堂や如来堂にお詣りされると思いますがお詣りするだけでなく、親鸞聖人のみ教えにもっと触れていただきたいと思います。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

『正像末法和讃』第53首

弥陀大悲の誓願を ふかく信ぜむ(ん)人はみな
ねてもさめてもへだてなく 南無阿弥陀仏を(と)となふべし

顕智書写本では「南無阿弥陀仏ととなふべし」とあり、文明本には「をとなふべし」と変わりますのは、聖人の御苦心の存するところとうかがいます。しかもこの「ねてもさめてもへだてなく」は、私どもの生き方が強く問われます。「ねても」というのは、寝るときということだろうか、「さめても」というのは醒めたならばすぐにお念仏称えるということだろうか。そうでなしに寝ているときも称えるということだろうか。これがやれなければ、聖人を慕うような顔をしておってもはじまらない。その方がどれほど尊い方であっても、私がその道を歩むことができなければ、褒めているそのことがおかしい、自分と関係のない人を立派な人といっておっても、これははかないことになります。そういう苦しみをもって思念を続けていますと、「唯除睡時常臆念」こういう言葉をみつけたのです。これは善導の『往生礼讃』の言葉です。善導がわが身に輝いた新しい生命、仏のおんいのちを讃えまつるという『往生礼賛』、そのなかに、「眠っておるときは別にして、常に臆念する」とあります。もとの『観経』「第三観」の「唯除睡時恒臆此事」をよくおよみになったということです。これで解決ができたというのではないのですが、ある一角から光がさし込んだというところです。
もう一つ、『西方指南抄』(中本)にでるところの「もし声はなるるとき、念すなはち懈怠するが故に、常恒に称唱すれば、すなはち念相続す」と。「声はなるるとき」というのは、南無阿弥陀仏の声が途絶えると「念すなはち懈怠す」。この「念」というのは如来に思われて私が如来を思う、如来と私の思い合いです。これが「臆念」です。「懈怠」というのは「なまける」、「途切れる」ということです。だから「常恒に称唱すれば、すなはち念相続す」と。念仏の声が途絶えると、阿弥陀と私とのつながりが途切れてしまう。これが法然上人です。南無阿弥陀仏という声をはなれたら、私らは阿弥陀と直結しなくなる。ここまで念仏中心です。「懈怠」ということを嫌われたわけです。ところが親鸞聖人は、「われらは善人にもあらず、賢人にもあらず、精進なる心もなし、懈怠の心のみにして」といわれる。「精進の心もなし」。しかも与えられた南無阿弥陀仏によって、精進のできぬ身に、精進の心と力を感得するのであります。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】

秋の千部会は、10月28日(土)午後1時30分からお勤めします。

 

永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。

妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。
秋の千部会は、10月28日(土)午後1時30分からお勤めします。
 また、お勤めの後ご法話をお聴聞していただけます。
 布教使は、明通寺の佐波真教師です。
ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

10月の花

四季の花 10月も半ばになり雨が続いていますが、秋の気配を感じています。秋明菊、ホトトギスに今年は、酔芙蓉が咲いています。

またお寺には松の木が多くあります。私(住職)が高校生の頃、境内の松は松食い虫で全滅しました。今ある松はその後、植樹したものです。その中の1本の松は、松葉が3つあります。高田本山の鐘楼堂付近の松の木も確か松葉が3つだったと思います。名前も分かりませんが珍しいと思います。