3回忌 平成26年往生人
7回忌 平成22年往生人
13回忌 平成16年往生人
17回忌 平成12年往生人
23回忌 平成06年往生人
27回忌 平成02年往生人
33回忌 昭和59年往生人
50回忌 昭和42年往生人
100回忌 大正06年往生人
150回忌 慶應03年往生人
200回忌 文化14年往生人
250回忌 明和04年往生人
300回忌 享保02年往生人
「高齢多死社会において僧侶ができること、やるべきこと」小谷 みどり
大学院生の子どもからゲストスピーカーの講義を聴講しませんかと連絡があり、京都にでかけた。ゲストスピーカーは、統計学の専門で死生学を研究されている小谷みどり先生でした。僧侶でない一般市民の視点から現代の葬送についての講義は、ある部分僧侶からすると耳の痛い話であるが社会で起こっていることであるので僧侶がきちんとそのことを見つめないといけない。緩和ケァの現場で、死にゆく人が本当に宗教を求めているのかと言えばこれまで宗教に関心を持ってこなかった人は持たないのが現状であるようだ。
また、お寺のお同行(檀信徒)の中で、葬儀や法事だけお寺に来られる方(それだけの関係)の割合はどのようなものか。僧侶はお寺に来られているごく一部の方と接しているだけなので、お寺との関係が薄い、もしくはお寺との関係がない事例には疎くなる。
その一例は、直葬や0(ゼロ)葬と呼ばれる、僧侶を介しない死者の送り方で、名前は知っていたがどうしてそのようにな送り方になるのか十分理解していなかった。そのような中で、僧侶(お寺)という存在はどういったポテンシャルかあるのか?
ここからが講義で小谷先生が一番言いたい(まとめの)部分であるのだが、私の時間の都合で早退を。とても残念であった。少しの時間であったが刺激をいただいた。この刺激から、僧侶のあり方やお寺のあり方を問い直すこともできそうだ。部外者に聴講をお許しいただいた関係者の皆様に感謝し学びの場を後にした。
※講義の前に毎日新聞に掲載された「論点」アマゾン、僧侶派遣 で小谷みどり先生が、「お寺とお同行(檀信徒)の関係を経済的にとらえるとクラブ(会員)の関係として見ることができ、お寺は、会員にどのようなサービスをしているのか。会員であるメリットはどこなのか」と発言されている。
(毎日新聞の掲載は、第一生命経済研究所主席研究員の小谷みどり氏と全日本仏教界理事長の斉藤明聖師、未来の住職塾の松本紹圭師の発言が掲載されていました。
先日の降誕会(5月21日)の祖師寿のお同行様(男性)へ表彰状と記念品が届きました。
出席していただきますと式典で表彰していただくことになりますが、ご都合で出席できない方へは、後ほど高田本山より菩提寺へお送り頂きます。
改めて、「祖師寿おめでとうございます。これからも親鸞聖人のお念仏の「み教え」を共にお喜びできることが有難いことです」
女性のお同行様の祖師寿の表彰は、6月5日(日)の高田派婦人連合大会で行われます。祖師寿についてはご本人またはご家族から菩提寺へお申し込みをしていただきます。詳しくは、年末に発行しています「寺報」をご確認ください。
「グリーフケア~愛する人をなくすということ~」 高木慶子
三重いのちの電話開局15周年の記念講演が三重県総合文化センターでありました。
京都のグリーフケア公開講座の第1回目に参加できなかった時の講師が高木慶子師でしたので大変幸運でありました。「悲嘆」と言う言葉は日常あまり使いませんので、「グリーフ」と言う英語を使い説明を始めるそうです。悲嘆の領域、悲嘆の感情、身体的羅患、高木先生が考える悲嘆の実態など基礎的なことから学べました。また、悲嘆にある方に寄り添う話は、長年この活動に関わってこられた実践がありますので大変奥深いものでした。その中で日本のこれまでの社会で喪の場面に、悲嘆に寄り添う習慣があったのが通夜・葬儀・法事(故人を偲ぶ行事)・お盆・お彼岸(社会としての行事)が形だけになっているので、葬式仏教と揶揄されていると話されました。もっとご遺族の話しを聞く(傾聴する)ことができれば、ご遺族のグリーフケアになるのではと、宗教者対象でない講演会でのお話しで改めて僧侶としてできることを真剣に考えさせられました。「寄り添う時は、相手を尊敬し信頼をもって行う」と言う言葉は大切にしたいと思います。
―真宗の教え―
仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
親鸞聖人(しんらんしょうにん)は、お釈迦(しゃか)さまが説かれたたくさんのお経の中から、次の3つのお経を「浄土の三部経」といって大切にされました。
◎仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)
◎仏説観無量寿経(ぶっせつかんむりょうじゅきょう)
◎仏説阿弥陀経(ぶっせつあみだきょう)
この三経のうち、とくに『仏説無量寿経』を「真実の教」とお示し下さいました。
このお経には、すべてのわたしたちを苦悩の境界から救うのだという「阿弥陀仏」の大きな慈悲とお念仏のおはたらきが説かれています。
阿弥陀仏は自ら「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)」と名告(なご)り、私たちに救いの道を開いて下さいました。
この心を私たちの親しんでいるご和讃に
生死(しょうじ)の苦海(くかい)ほとりなし ひさしくしづめるわれらをば 弥陀(みだ)の悲願(ひがん)の船(ふね)のみぞ のせてかならずわたしける 『高僧和讃龍樹讃第7首』 とうたわれています。
生きているということは、そのまま苦海の中にあるのです。その中に沈みあえいでいる私たちは弥陀の悲願の船(阿弥陀仏の本願)以外に救われる道はないのです。
人間の根源的な救いが南無阿弥陀仏であると教えてくださっているのが『仏説無量寿経』です。
※ 「ひとくち法話」 真宗高田派本山より
先の早い話ですが平成29年の親友婦人会総会5月18日(木)は、親友婦人会の総会の後、井上広法さんにご講演をしていただきます。