2月のおてらおやつクラブ

2月のおてらおやつクラブ
今月は、先月同様3つの支援団体様へ17日に1団体、24日に2団体へ「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。
妙華寺のおてらおやつクラブも2月で5年目に突入です。これもお同行様のご協力なくしては継続することができません。とてもありがたいことと感じています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

3月の日曜学校は1日です

3月の日曜学校は1日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(歎仏偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
新型コロナウィルスについて、専門家会議の提言を受けて政府の見解がでました。この2週間を、国民1人1人が注意深く生活をすることが求められています。
お寺では、アルコール消毒液を用意しています。
新型コロナウィルスにご心配な方は無理をしないでくださいね。
 東楽の間の改修工事が終わり、本堂で開催します。

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本堂東楽(がく)の間の改修工事

【HP報告】
本堂東楽(がく)の間の改修工事
昨年秋に、平成22年の本堂の大がかりな改修工事の時もそのままで、以前から物置状態になっている本堂東楽の間を覗いてみました。普段確認をしていませんが、いつもホコリや小さい粒状のものが床に落ちています。外側の壁の一部が剥落したり雨漏りの跡が残っていますので調べていただき、その報告は、昨年11月に総代各位にお渡ししました。
報告の中で、屋根瓦の一部破損や、瓦の下の返しの部分の腐朽があること。本堂本体と東の楽の間の瓦屋根取付部分に隙間が出来ているなどで、いつもホコリや粒状の土が落ちるような状態であることが判りました。床材も古くなっていますので、今回、東楽の間の屋根改修と床材の改修及び内装改修をすることになりました。期間は1月から2月末の予定です。
また、今回改修する東楽の間と呼んでいるスペースですが、屋根の部分の傾斜が、前後2つに分かれています。この部分は本堂建立当初は屋根が無い外縁であったか、外縁もなく何もない部分に、前後どちらからか屋根を取付て、外壁を作り本堂のスペースに加えていったのではと考えています。

7日から、本堂内陣の脇壇と余間壇の板の張り替えが始まります。
古い板を取り除き、新しい板にするのですが、新しい板の厚みが違いますのでその調整があります。壇の板の正面側は、黒塗りの框と言ってよいのか太い材木ですが、丸太の状態で見えない裏側が丸い部分です。壇の後ろの材木は角材です。黒塗りの壇の下部の化粧板の裏面に「昭和35年12月 一志町久居二ノ町1丁目 上段下込枠6枚 制作人 中川鹿乃助」とあります。地元の指物師が造られたようです。

12日、本堂内陣の脇壇と余間壇の板の張り替えが終わりました。以前の2倍の厚さの板をいれるのですが、それぞれの部分の柱でレベルが違っていたり、ソリ、ネジレがあり加工しながらの作業です。前の部分と後ろの部分でレベルが違う場所は、前の框に合わせています。

脇壇の床の1カ所から下を覗きますと、丸柱の下に御影石がある柱や当初のままと思われる亀石に丸柱が乗っているものなどあるようです。前住職や前々住職からも聞いていませんでしたが、当初建立から2度ほど本堂下を改修しているようだと現場監督が推測されています。脇壇下部の化粧板に「昭和35年12月 一志町久居二ノ町1丁目 上段下込枠6枚 制作人 中川鹿乃助」記載されていることを考えると、その時本堂下も改修していたのかと考えられます。昭和35年と言いますと60年前になります。平成22年に本堂の大間部分の修理、地震対策としての壁面補強、西余間の新築。そして今回の東余間部分の改修と手をいれて本堂を次世代につなげることができれば有難いです。
また、本堂東楽の間内部のクロス張りも終了して、後は電気工事を待つばかりです。
今回の改修で床に点検口を2カ所設けていただきました。本堂床下に入る作業が少し楽になります。
また、本堂に隣接する通路の一部が工事車両が通行した為クラックが入り、補修をします。

18日に本堂内の電気工事が終わり、通路の一部改修(セメント舗装)が始まり22日に完了しました。現在は東楽の間に保管する物の搬入と本堂内の掃除をしています。
お同行の皆様にはご迷惑をおかけしていましたが、2月29日(土)の年回法要から本堂を使用する予定です。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「どうして、私はこんな病気になったんでしょうか」

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から

著書では、多くの場合、はっきりとした因果関係はわかりません。仏教の世界では、そうした時、「どういうご縁の巡り合わせか知らないけれども、私は今、こういう病気をいただいてしまった。この病気をすることによって『健康で生きていること』を今まで当たり前と思ってきたけれど、それは貴重なことだと思い知らされました。そして、『自分は生かされてきた』ということを改めて知らされました」という形で病気を受け取るのです。

※私(住職)も命に関わらないような病気で床に伏して日頃の生活が出来ないと「健康」について改めて感謝をしますが、元気になり日常生活を送っていると忘れてしまっています。私のものさしだけでなく、仏のものさしによって知らされているのと思います。

前々住職生誕120年

前々住職生誕120年

2月に入り、母の妹が、嫁がれた娘さんと一緒にお寺にお越しいただきました。祖父母や父母が元気な時は、中庭の梅見をするのに親戚がよく訪れていました。(今思うと祖父の誕生月でもありお祝いも兼ねての梅見だったのかもわかりません)
祖父(前々住職)が自分の生まれた干支の子(ねずみ)を描いた茶碗でお茶を出していましたら、今年祖父が生まれて120年の年と気づきました。
叔母にとっては父親の造ったお茶碗に出合えたことがとても嬉しそうでした。
祖父の茶碗は自身の喜寿の記念に、四日市万古で造ったものと聞いていますので、44年くらいは経っています。久しぶりに祖父のことを思い出し懐かしい気持ちになりました。

※中庭の白梅は少し咲き出しました。

妙華寺会館のご本尊

今年1月から2月末の予定で、本堂東楽の間の屋根・内部改修工事でご迷惑をおかけしています。

本堂が使用できない期間、妙華寺会館を仮本堂として使用しています。

現在 妙華寺会館のご本尊は、一光三尊佛です。阿弥陀佛と観(世)音菩薩・勢至菩薩が1つの光背にある形です。有名なのは、長野(信濃)の善光寺の一光三尊佛様があります。親鸞聖人が善光寺からいただいたと伝わる一光三尊佛が、栃木県の本寺のご本尊様です。高田派では江戸時代に入って本寺の一光三尊佛のご開扉が始まり、その模刻が始まったようです。

妙華寺の一光三尊佛も江戸時代に作製されたものです。平素は、12月の報恩講の時にご開扉していますが、今年は仮本堂として使用しています期間ご開扉しています。

一光三尊仏立像 三駆 江戸時代 三重県津市 妙華寺所蔵
中尊    寄木造  玉眼 肉身部分金泥 衣部分漆箔
観音・勢至 各一木造 玉眼 肉身部分金泥 衣部分漆箔
像高 中尊 39.5cm 観音・勢至 28.3cm

像と一具の厨子に安置される一光三尊仏像で、通常は妙華寺の宝庫に保管されている。中尊の頭部形状、脇侍の五角形の宝冠や裳の形状等、高田山式の一光三尊仏像の特徴を顕著にあらわしている。また、両手足の指の爪をあらわすなど、細部にまで行き届いた丁寧な表現を見せている。像や厨子等に年号や作者等を示す銘文はまったく見当たらないが、作風から判断して18世紀末から19世紀の初め頃に制作された像と考えられる。
【親鸞 高田本山専修寺の至宝展】資料解説より

一光三尊仏立像
信濃善光寺の本尊一光三尊仏立像は、古くから秘仏として知られている。飛鳥時代に百済からもたらされたと伝えられ、鎌倉時代にはその模刻像の制作が流行し、関東地方を中心に今も数多く残る。その像容は、一枚の光背に中尊と左右の脇侍を配した「一光三尊」と呼ばれる形式で、中尊は衲衣を偏袒右肩に着して右手は施無畏印、左手は垂下して第二・第三指を伸ばしたいわゆる刀印を結ぶ。両脇侍はそれぞれ八(六)角形の宝冠を付けて、両手を胸前で上下に重ね合わせる姿である。これに対して「高田山式」とでも言うような、真宗高田派独自の姿をあらわした一光三尊像が伝来している。これは、下野高田専修寺の如来堂本尊の姿を模したもので、そのほとんどが近世の作である。基本的には善光寺式阿弥陀三尊の像容であるが、何点かの異なる特徴を有している。

展覧会での真宗高田派寺院に伝来する一光三尊仏の特徴
ほとんどが近世の作で木像が多い。
・中尊の頭部が縄目状の頭髪をあらわす。
・両脇侍の宝冠が五角形。
・両脇侍の裳の衣文表現が明らかに異なる。
・光背は、中尊の頭光中心部の八葉蓮華や外縁に絡み合う蓮華唐草文をあらわさない。
・光背の化仏が三体のものがあるる
・光背の中尊頭光左右に見られる雲焔文が非対称である。
・光背と三尊を載せる方座に格狭間をあらわさないものがある。

【親鸞 高田本山専修寺の至宝展】資料解説より 瀧川和也

ひとくち法話

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死苦(しく)
生・老・病・死(しょう・ろう・びょう・し)という四苦(しく)は、身体面からみた代表的な苦です。この中でも死に対する苦は、その最たるものでしょう。ある人が、死苦の起因する問題点を3つに分けて発言していました。その1は、どんな死に方をするか。その2は、この息が止まる時の苦しみはどんなものか。その3は、死後はどうなるのかということです。これらはすべて未知、未経験のことばかりですから3点の思いが重なり合って、不安や恐れ怖さがこの上なく増すわけでしょう。
また或る大金持ちが主治医に「私は死ぬのが怖いです。お金ならどれだけでも出しますから、私を死から救って下さい。」と懇願したという話があります。どれほど地団駄踏んで泣き叫んでも、逃れることが出来ないと承知していながらも、このように頼む心が出てくる程「死苦」は根が深く重いということです。
『御書(ごしょ)』のいたるところに「後生(ごしょう)の一大事に心をかけて、仏法を聴聞(ちょうもん)せよ」と説かれています。これは即ち「死苦」に対する説法です。後生は、死後のことです。一大事は、これ以上の大事なことはないという意味です。
私のいのちは、この身体の生、死にかかわらず前世、現世、後世の三世を貫通して、しかも因果応報(いんがおうほう)の道理によって受け継がれていくものであると仏教は説いて下さっています。
だから、死後のことは、生きている間に仏法を聞いて、はっきりさせておくことが何よりも肝要であります。
ひとくち法話より

お寺の掲示板

お寺の掲示板
死の瞬間まで、自分にできることは意外とある

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
続いて著書では、自由に動けなくても、言葉を発することができなくなっても、そして意思がなくなっても、人にはそれぞれ必ずできることがあります。

一番ありきたりに見えて一番大切なことは、「普段の生活を続ける」ということだと思います。もちろん、症状も進行していくわけなので、これまでと同じ生活を送ることはむつかしくなっていくでしょう。それでも、体や心の変化を含めて遺される人にありのままの姿を見せていくことは、先に逝く者としてできる大きなことです。

※私(住職)も、その人のありのままの姿を見せていくことは大切と思っています。しかしそれができない環境もあるように思ったりして、「ありのまま」「そのまま」などについて考えさせられます。

佛涅槃図 3月15日まで

佛涅槃図
平成24年から、2月15日から1ヶ月間、本堂西余間(むかって左側)に涅槃図をお掛けしていますが、今年は本堂東楽の間の改修工事が2月末までかかる予定です。
本堂を使用できます3月に入ってから皆様にご覧いただけます。
妙華寺所蔵の佛涅槃図は、江戸時代の久居の大火で焼失しました。
今お掛けしていますのは、平成23年の親鸞聖人750回御遠忌の記念として高田本山より京都別院の佛涅槃図の複製が配布されました。
京都別院の佛涅槃図は、室町時代の兆殿司筆で、大きさは、縦151.2cm 横128.7cmです。佛涅槃図は、釈迦(しゃか)の入涅槃の場面を描いたもので、釈迦が亡くなられた2月15日の涅槃会で本尊とされます。
お寺にお参りの折りには本堂にお上がりいただきお詣りください。


3月15日の新しい行事のTemple Morning お寺の朝(テンプルモーニング)で、佛涅槃図の説明をさせていただきます。

お寺の朝(テンプルモーニング)

いつもと違う朝 気持ちを整えて
集中できる時間を創りませんか

どなたさまでもご参加できます

年8回 第3日曜日午前8時から1時間
清々しい朝の1時間 お寺で過ごしませんか

お勤め(10分)・境内の掃除(30分)・お話(10分)・茶話会(自由参加)

掃除道具は貸し出します。途中出入り自由です。雨天は中止です。
※ご参加いただきますと念珠の「珠」をお一つプレゼント
22珠集めると親珠(「妙華寺」寺号入り)と紐をプレゼント

四季の花 2月

四季の花 1月は心に余裕がなく花を愛でる時間がなかったような。暦の上では立春もすぎましたが、肌に感じる寒さは今頃が一番のような。それでも例年よりは温かい日が多いですね。境内では、1月から寒アヤメやサザンカが咲いています。水仙、ロウバイやツバキも咲いています。寒さの中で花を愛でることができるのもうれしいことです。2月の中旬以降に梅が咲き出しますがまだ固い蕾です。