11月は朔日が日曜学校です。朝7時30分より8時頃まで
ご家庭での平素のお仏壇でのお勤めの作法覚えていますか?
ちょっとしたお仏壇の荘厳の疑問ございますか?
今更、聞きにくい念珠の持ち方やお焼香の作法
日曜学校では、基本的な平素のお勤めを中心に、ちょっとした疑問やお尋ねもわかりやすくお話ししています。
11月は朝のお勤めをします。
参加者に念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるように用意しています。
(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
行事の陰で
お寺の行事をお勤めするにあたり、お同行の皆様にお手伝いをいただいています。
大きな行事であれば、総代さんをはじめ同行一丸となり多くの役割を勤めていただくことになりますが、平素の行事でもお世話になっています。
行事の一週間前には、それぞれの担当地域のお同行様にご案内を配布していただくお世話様がいらっしゃいます。当日は、法会の30分前に鐘をついていただき、その鐘で出勤する住職や法中も準備を始めます。また、お同行の皆様が持参されます懇志をお一人お一人懇志帳に記載していただく会計を担当していただいています。お米やお菓子のお供えは、三方に名札と共に余間にお供えをしていただきます。行事が終わりますと、本堂前の仏旗や山門の案内板の片付け、帳場の片付けもしていただきます。
報恩講でありますと、行事の前日から、お非時(ひじ)の準備を婦人会の幹部の皆様にお願いして、当日も朝から準備にきていただき、ご奉仕をしていただいています。
そして、一番ありがたいのは、行事に参詣していただくお同行様がいらっしゃることです。ご多用の中ではありますが、一人でも多くのお同行様が、お寺の本堂でのお勤めとご法話に耳を傾けていただくことが大変ありがたいことです。
昨日の秋千部会にもご参詣いただき、ご聴聞いただきありがとうございました。
真宗の布教使のご法話(お説教)は、仏徳讃嘆であります。阿弥陀如来の働きである智慧と慈悲でこの私の生き方がそのままで納め取られることをお聞かせいただくことであります。私の生き方がそのままで良いと私が肯定するのではなく阿弥陀如来の働きにより私の生き方が傲慢で自分勝手な生き方であることを気づかさせていただくことであります。
そこに至るまでには、お聴聞(ちょうもん)することが大切であります。限られたこの私の人生の中で、どれだけ、ご法話に遇うことができるのでしょうか?
妙華寺では、春秋の彼岸会、春秋の千部会、報恩講の年5回ご法話を聴聞する場がございます。
多忙な生活の中で、ご法話にお遇いできますことを一緒に喜びたいと思います。
布教使の「使」が、「お使い」の「使」であるのは、阿弥陀如来の働きをお取り次ぎするからと聞いています。
お寺の使命
平成25年に受講しました「未来の住職塾」では、1年間の学びの最後にそれぞれのお寺の「寺業計画書」を完成させて発表することで、これからのお寺の活動の方向性をステップアップしていくものでした。
妙華寺のお寺の使命として「私たちのお寺はあなたをひとりぼっちにしません」とさせていただき、悲しみに寄り添えるお寺を目指しています。
今、住職は59歳です。自坊のお寺のお手伝いをさせていただくことになったのは、およそ40年前の20歳を過ぎた頃からです。夏休みにお盆のお勤めからでした。卒業後、社会人になり土日の年回のお勤めを始めました。28歳の頃から亡くなられた方への枕勤めに行くことになりました。大切な方を亡くされて、自宅に帰られたその場に同席しお勤めをする中で、家族の悲しみにどのように接してよいのか戸惑いを感じていました。大学生の頃、祖母を亡くし、24歳の時に祖父の死と対面をしているにも関わらずお同行の方の死に対してそのご家族とどのように接してよいのか戸惑っていました。
そして、お寺のお同行様の中で自死で亡くなられる方が年間1・2軒あることがわかりました。その後、日本で自死される方が年間3万人を超えると知ることになりました。 今から18年前に龍谷大学のREC(社会人講座)で仏教心理学より「傾聴」について学ぶ機会がありました。阪神大震災で被害にあわれ、大変な悲しみを持つ方々も受講されていました。また、7・8年前に本願寺の聞法会館で、「自死」をテーマにしたディスカッションがあり当時同志社大学生の尾角光美さんが自分自身の体験を語り、僧侶が彼女の悲しみに本当に向き合っていないと語り、そのことを私自身のことのように受け止めましたが、やはり悲しみをお持ちの方のお気持ちに寄り添うこと(お聞きすること)しかないのかと感じました。
その後、「特定非営利活動法人 京都自死・自殺相談センター」が設立されましたことを知り、遠方ではありますがその活動に賛同して、ひっそりですが、その活動を紹介させていだいています。
毎月、「Sotto(そっと)」の機関誌をお送り頂いています。また講演会などの案内もあります。
今年からは、三重県こころの健康センターの相談窓口の紹介もしています。
本堂の入口の掲示板に掲示しています。よろしければお目通しください。
昨年(平成26年)グリーフケアの5回の連続講座を受けるご縁をいただき、私に取り貴重な経験でした。法務に追われ、グリーフケアの活動に参加する時間がとれませんが、法務の中で悲しみに寄り添うことの覚悟を問われているような気もいたします
高田本山では、第十六世堯圓(ぎょうえん)上人により始められた法会です。千部という名称は、その昔親鸞聖人が関東に向かわれる途中人々の生活の悲惨さを目の当たりに見られ、その人々の幸せの為に『浄土三部経』を回数多く読誦(どくじゅ)しようと思いたたれた故事にならってつけられました。永代経法会(えいたいきょうほうえ)のことです。
永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。
この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。
高田本山の千部法会は、江戸時代には、報恩講以上の賑わいであったと伝えられています。俳人芭蕉の弟子の珍碩(ちんせき)が「千部読む 花の盛りの 一身田」と詠みました。
妙華寺では、永代千部会(えいたいせんぶえ)として明治三十五年より始まります。当時の荘厳(しょうごん)はどのようなものかはっきりわかりませんが、現在は、西余間(にしよま)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げて、春秋に法会を勤めています。
10月24日(土)午後1時30分からお勤めさせていただきます。ご法話は、明通寺の佐波真教師です。どうぞご聴聞ください。
先日、聖人が、当時の今様である「和讃」を作られたことの思いについてお聞かせ頂きました。
高田の勤行の際に用いる和讃は、「浄土和讃」と「浄土高僧和讃」は、聖人自筆の部分を含む真仏上人の書写本と
「正像末法和讃」は、顕智書写本を用いています。
「浄土和讃」の最初の和讃は、讃阿弥陀仏偈和讃とあります。
「弥陀成仏のこのかたは
いまに十劫をへたまへり
法身の光輪きわもなく
世の盲冥をてらすなり」
阿弥陀仏が本来の自己たる仏御自身におなりになってから、十劫という永いあいだ、休むことなく今日に至っております。
みのりを感じ、みのりによって動かされ、みのりをみずからの身とする仏の御身の、その全体が光で有り
光ははかりなく転輪し、それが限りなく輪をひろげ、娑婆世界の無明の闇を照らしたもうものであります。
まなこくらむものに、それをあわれみ知らしめようとの慈悲の光であります。
『浄土和讃講話』 川瀬 和敬著 法蔵館
阿弥陀如来坐像
妙華寺第二代 融海(ゆうかい)上人が、青巌寺(せいがんじ)から入寺した時に恵心僧都作の阿弥陀如来坐像を持参されました。
先々代、先代の話では、本堂の須弥壇に秘仏として安置してあったようです。妙華寺会館ができた時に会館に安置されていました。
今年5月に本堂西の資料室にご遷坐しました。
青巌寺は、大和地方から伊勢神宮への街道筋にある古くからあるお寺で、万葉集にも波多(はた)の横山(よこやまが、後に、こやま、そして、おやまと呼ばれることになる)が歌われています。