第5回『お寺で体験』

第5回の『お寺で体験』は、茶室にてお寺に伝わる茶道具を通してお話をさせていただきました。昨日(27日)のように雪は降りませんでしたが寒さの中ご参加ありがとうございました。


高田本山には、宗旦古流と言われますお茶の流派が伝わっています。妙華寺にも、高田派歴代のご法主殿のお道具が伝わり、また妙華寺第8代の実言上人は松尾流の先生でもあったようで、その頃からの茶道具も伝わっています。茶室の設えから日本のおもてなしを味わいました。続いて、真宗の教えで大切にされています7高僧について説明をさせていただきました。

会費1,000円(当日徴収します)

準備の都合上、事前申込をお願いします。
事前申込制(単発も可)どなたでもご参加いただけます

第6回は、2月25日の「お寺で体験」は、本堂西余間の涅槃図で絵解きをします。
絵解きは、潮音寺住職の村上英俊師です。「親鸞聖人絵伝」の時もあっという間に時間が過ぎていきました。次回も楽しみにしています。

今後の予定【内容は調整中で変更の場合もございます】
02月25日 涅槃図の絵解き 潮音寺住職 村上英俊師
03月25日 花祭りについて・花を愛でる(境内の桜)  真宗②

お問い合わせ・申込先 津市久居二ノ町1743番地
真宗高田派 法苑院(ほうえんいん)妙華寺(みょうけじ) 中川 和則
お寺のHP https://www.myoke-ji.com 電話・ファックス 059-255-2846

※宗旦古流は、宗旦の時代に大徳寺の自笑から京都の高田別院の塔頭の北の坊の至道に伝えられ、その後、17代圓猶上人が一身田の本山へ伝えられました。現代の家元制度の以前は、宗旦古流の免許皆伝を許された高田派のお寺の僧侶もいらっしゃいました。本山境内の安楽庵で歴代のご法主の茶会が開かれ僧俗共に楽しまれたことが茶会記に残されています。
歴代のご法主のお好みの茶道具もありますし、以前は、安楽庵に窯があり茶碗なども焼かれていたとお聞きしたこともあります。また本山の行事の記念として茶道具が造られています。昭和50年代に安楽庵の改修と新しい立礼室が建てられた記念に「安楽」の銘の茶杓や御対面所奥に桐陰席が造られた時は、「桐陰」の銘の茶杓を記念にいただきました。今のご法主のご成婚の記念には、ご殿に伝わるご遺愛の茶碗の写しが造られました。他にも、地元の阿漕焼の茶碗や阿漕塗の棗などで記念品が造られています。毎年報恩講(お七夜)中や降誕会の茶会では、前のご法主殿や今のご法主殿が揮毫された茶碗や、銘を付けられた茶杓も披露されています。

 

四季の花

四季の花
1月は寒さに負けて境内に出る機会も少ないです。27日(昨日)朝起きると、あまり積雪がないこの地域にも朝雪が積もっていました。雪はお昼には融けてなくなりました。私(住職)が小学校の頃(昭和37年から6年間)は、雪が積もった中を学校に行き、校庭で雪合戦をしたり、葉っぱに積もった雪を食べていたりしたことも思い出しています。
水仙は、12月から咲いています。裏にあるロウバイが花が咲き出しました。椿は昨年春に毛虫に葉を全て食べられ、夏には新しい葉がつき始めましたがこの冬はまだ花がつきません。

グリーフケアとしての仏事

グリーフケアとしての仏事
平成28年に、上智大学、龍谷大学共催の「グリーフケア公開講座」~生き抜く力~の連続講座を聴講しながら、今年に入って、『グリーフケア入門』悲歎のさなかにある人を支える (高木慶子編著 上智大学グリーフケア研究所制作協力 勁草書房)の中の「日本社会の伝統的なグリーフケア」大河内大博師の論文を拝読しました。

大切な人が亡くなった時のグリーフケアとして仏事を考察されています。
これまでは地域社会で人が亡くなると、その地域で亡くなった方のことを遺族と共に悲しむ中で、亡くなった方を知る僧侶が葬儀を行い、49日間のお勤めを通して、(その後の初盆や、年忌も含めると長い時系列で)遺族や親族、なくなった方を知る地域の方で悲しみを共有することがグリーフケアとして大切な要素であったと思います。
そのグリーフケアの大きな要素であった地域社会で共に悲しむ「死」が、家族だけで悲しむ「死」や、悲しむことができない「死」へ向かっているように思え、大切な方が亡くなった時のグリーフケアとしての仏事をどのように考えていくか僧侶にも意識の変革を求められていると感じました。
僧侶として「死」を悼む儀礼の先にあるものと、大切な方を亡くした遺族の考える「死」を悼む儀礼の先にあるものが決して同じではないことを前提として仏事がどうあるべきか考えていかなければいけないようです。

ご遺族様の亡くなられた方への思いはさまざまでありますが、亡くなられた方を「忘れたくない」「忘れられない」のお気持ちに耳を傾けながら、ご遺族様と亡くなられた方の新たな関係を築いていくことが大切でないかと考えています。

グリーフケアとは直接関係はありませんが、独り住まいの方がお亡くなりになり、後日分かり、ご縁のある方がお寺に連絡をいただくようなことが最近増えているように感じます。地域のコミュニティが以前より希薄になっているのは感じていましたが、行政のセーフティーネットにも漏れ、近所の方も気づかず亡くなられていたことが、私の町でも起こっています。

私達は、生活の中で将来(老後)の不安はとても大きくて、その心配で今を、自分らしく生きることができない時代と感じます。独り住まいの方だけの問題でなく今生きている私の問題として、将来(老後)の不安の先にある「死」の不安をどのように感じていらっしゃるのでしょうか?
どのような状態で「死」を迎えても、「私は救われるのか?」、「阿弥陀如来の私へのお救いとは?」

私の後生(ごしょう)の一大事について、心の不安を解き放す1つとして、布教使のご法話を何度もお聴聞しながらうなづかさせていただくしかないと思います。

和讃の紹介

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
浄土和讃 現世利益和讃(国宝本では14首)(文明本では11首)

天神地祇はことごとく 善鬼神となづけたり
これらの善神みなともに 念仏のひとをまもるなり

天の神も地の神もすべて、仏法を守護するよい神々であるから善鬼神と呼ばれている。
これらの善き神々がみな一緒になって、念仏する人を護られる。

梵王帝釈四天王等が天神、堅牢地祇八大竜王等は地祇。
超人間的な力能を持つものを鬼神と言い、その力能によって仏法を保持し、国土を守護するものを善鬼神、これに反するものを悪鬼神とする。

※ 標題の「現世の利益和讃」の註解として
他力の信を得て念仏する者にはおのずからこの世の利益が法徳として

そなわることを、主として金光明経に拠りつつ和讃する
以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

梵天・帝釈天・四天王などの天の神、堅牢地祇・八大竜王などの地の神はみなもろともに、不思議な能力を備えているから鬼神と呼ぶべきですが、仏法を守護しますから善鬼神と名づけます。これらの善神はみな一緒に、南無阿弥陀仏と称える人をお護りになります。

※他の首の解説の中で、「現世利益和讃」といっても、「浄土和讃」の中に編入されているのだから、阿弥陀仏の称讃を離れていないのです。現世、この世といいつつ浄土よりのはるかな慈光を蒙る中に見い出されたものなのです。浄土に対して現世の存在を主張しているのではありせん。浄土があるからこの世はないがしろにするのでなく、浄土の光の中たしかな一歩をふみしめることができるのは、護りの力がはたらいていることをあらためて知るのです。
以上【浄土和讃講話 川瀬和敬著より】

お七夜にお詣りにいきました

高田本山のお七夜にお詣りに行きました。9日に「高田本山専修寺の伽藍の特色と価値」と題した、三重大学大学院工学研究科教授の菅原洋一先生の特別講演があり拝聴しました。昨年、専修寺の御影堂と如来堂が国宝に指定されましたが、文化庁へ国宝指定の申請をする時のお話で専修寺の両御堂が本願寺の両御堂とどのような違いがあるか、また専修寺の両御堂が国宝となった特徴と価値について詳しく説明をいただきました。これまで何気なく両御堂が南向きに建てられていると思っていましたが、御廟も含めた3つのお堂が南向きに建てられたことを知りました。御影堂は津藩藤堂高虎の支援が大きく関わって再建されましたが、如来堂はお同行や僧侶の支援が中心で再建されたこと。また、現在の御影堂や如来堂が建てられる前の御堂が焼失した時に今の一身田から別の地にお堂を建立するお話があったことや、一身田の当初の御堂の向きなども初めて知ることもありました。


また、年2回開かれる宝物館の宝物展では、御影堂と如来堂の国宝指定書(複製)の展示や両御堂に関する史料が展示されていました。


毎年食堂(じきどう)では、お非時の接待を受けますし、有慶堂では、高田派に伝わる宗旦古流の呈茶もあり、お七夜は本山境内で、僧侶の知人や親しい方に新しい年に初めてお会いできる機会でもあります。

本山のお七夜のお勤めに出勤するには、お勤めが始まる30分前に、後堂で着帳(ちゃくちょう)して衣体に着替えて5分前に後堂で出勤する順番を待ちます。順番が来ますとその時の自席に着座して、ご法主殿の出勤をお待ちします。お勤めが終わりますと、ご法主殿が退堂され順番に退堂します。その後、御堂の中陣の高座で布教使のご法話が始まります。ご法話が終わり一座が終了します。出勤までの時間は控室でいろんな話を聞くことができて勉強になります。毎年お七夜期間中、お勤めに出勤できる29座(席)全て出勤される方もいらっしゃいます。私(住職)にはとてもできないことで、尊敬するばかりです。

ひとくち法話

―お釈迦様のご生涯―
02 世の無常を痛まれる(よのむじょうをいたまれる)
シャカ族のカピラ城では、王子さまがお生まれになったという知らせに、人々は大よろこびで、宮殿へお祝いにまいりました。アシタ仙人は王子を見た瞬間、「こんなに立派な王子さまを見たことがない。きっと世界の人々を救われるすばらしいお方になられることでしょう」と言って涙を流して喜びました。
王子さまはシッダッタ太子(目的を達成した人)と名づけられました。
しかし、大変悲しいことがおこりました。太子がお生まれになってから7日後、母の摩耶夫人(まやぶにん)が突然病気で亡くなってしまわれたのです。
こうした悲しみも乗り越えられ、父の浄飯王(じょうぼんのう)や義母や、その他の人々の慈愛をうけて、立派に成長されてゆかれました。
ある日、太子は、なにげなく田んぼの方に目をやりました。農夫が掘りかえした土の中から、ミミズやカエルなど、小さな生き物が出たり入ったりしていました。すると空から鳥が舞いおりて、サッとくちばしにくわえて飛び去っていきました。きっとあの鳥に喰い殺されることであろうと心から悲しまれました。
そして、人間も動物もどうしたら争いがなくなるだろうかと、深くお考えになりました。心のやさしい王子さまであったのでしょう。だから、すべての人々を救わなければならないと、太子は自分自身が苦しまれ、やがて、このお心が、私たちへの願い、お念仏(ねんぶつ)の教えとなって今に伝えられています。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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『お寺で体験』5回目は、1月28日です

今さらではありますがお寺について知りたいけど、お寺の敷居が高くて入りづらいし直接お坊さん(住職)に話しても良いの?
知らないことを聞きたいけど誰に聞けば良いの?と感じている方へ
お寺には日本の伝統文化がたくさん残っています。今、妙華寺に残されたものを通して日本の仏教文化を『お寺で体験』しませんか?
残り3回の開講になりました。 平成30年3月までの予定
第4日曜日 午前10時から11時30分まで二部制(途中休憩あり)
会費1,000円(当日徴収します) 準備の都合上、事前申込をお願いします。
事前申込制(単発も可)どなたでもご参加いただけます

第5回は、1月28日の「お寺で体験」は、お茶(茶室の楽しみ)をテーマに、炉の茶室で、高田派の歴代の書や茶道具を通してお話する予定です。正座が苦手な方には椅子もご用意をする予定です。

予定【内容は調整中で変更の場合もございます】
01月28日  お茶(茶室の楽しみ)            真宗①
02月25日 涅槃図の絵解き 潮音寺住職 村上英俊師
03月25日 花祭りについて・花を愛でる(境内の桜)  真宗②

お問い合わせ・申込先 津市久居二ノ町1743番地
真宗高田派 法苑院(ほうえんいん)妙華寺(みょうけじ) 中川 和則
お寺のHP https://www.myoke-ji.com 電話・ファックス 059-255-2846

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1月のおてらおやつクラブ

1月のおてらおやつクラブ

お寺の修正会も終わり9日に一人親家族様へおすそ分けさせていただきました。

12月のおてらおやつクラブは、妙華寺の報恩講が終わってから一人親家族様におすそ分けいたしました。また支援団体様へは昨年の12月23日のクリスマス会前日におすそ分けしました。支援団体様には、報恩講でお非時のご奉仕をしていただき「子ども食堂」も同時開催をさせていただきました。1月は来週におすそ分けを予定しています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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法苑院妙華寺の紹介

今年は毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。

第1回は、本堂です。今ある本堂は、文政4年3月の久居大火にて焼失した本堂を当時のお同行の皆様のご尽力により安政4年に再建した本堂です。
平成16年11月に国登録文化財に指定されました。
その紹介文と英訳を紹介します。

国登録文化財
妙華寺 本堂 江戸時代

妙華寺は久居(ひさい)藩の城下町にある久居藤堂(とうどう)家菩提寺の玉せん寺(ぎょくせんじ)の西隣に並ぶように天和元年(1681)に建立された真宗高田派の寺院です。 文政四年(1821)の久居大火により焼失して、現在の本堂は安政四年(1857)の再建と 伝えられています。山門の奥に南面にして建つ本堂は、木造平屋建で表側(南側)を大 間(だいま)・奥の中央に内陣(ないじん)、その両側に余間(よま)、背面(北側)に 後堂(うしろどう)に区画し、建物の両側面には楽ノ間(がくのま)が配置されています。屋根は桟瓦葺の寄棟造り、錣(しろこ)葺で正面に向拝が突出しています。
高田本山専修寺(せんじゅじ)の御影堂(みえいどう)(重要文化財)と同じ手法が高田派の寺院の本堂建築等に取り入れられています。妙華寺は、藤堂家菩提寺と境内を 並列する待遇を受ける寺院でその本堂は、向拝の装飾的な構成や桟瓦葺の寄棟造りの屋 根に錣(しころ)にするなど特色のある外観をもっており久居の城下町の歴史的景観を留める貴重な建物です。
津市教育委員会

MYOKE-JI (designated as important cultural properties)

Myoke-ji is a time honoured temple of the Takada sect of the Shinshu Buddhist School, established in 1681, Edo period. It is located in jokamachi (towns surrounding daimyo’s castle) of Hisai-han (“han” is an estate of a daimyo), right next to the Gyokusen-ji, the temple of Hisai-han’s daimyo, Tohdo.
Myoke-ji was burned down by the huge fire which devastated the town of Hisai in 1821. The current building was rebuilt In 1857.
The wooden made main building placed at the back of the gate consists of Daima at the front, Naijin at the center of the back, Yoma on the both sides of Naijin, and Ushiro at behind. Gakunoma is located at the both sides of the main building.
Myoke-ji is specially allowed to situate beside Hisai-han’s daimyo, Tohdo’s temple, and is also constructed in the similar way as the head temple of the Takada sec.
Myoke-Ji is a precious temple maintaining historical atmosphere of Hisai’s jokamachi with distinctive appearance, such as decoratively carved eaves and Shikoro styled roof on Yosemune-zukuri architecture (roof sloping into four directions).
「英訳: (一社)お寺の未来 松﨑香織」

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続いて、「すばらしきみえ」の掲載文も紹介します。
【「すばらしきみえ」三重の「国登録有形文化財」平成20年10月発行より】
久居の中心部を歩くと、久居旅籠町・久居東鷹跡町(ひがしたかと)など、かつての城下町を彷彿させる地名が続きます。
雲出川の北に広がる野辺野(のべの)の丘に居を構え、町を形成したのは、藤堂高虎の孫、高通(たかみち)で、寛文9年(1699)のことでした。久居とは彼がこの地に「永久に鎮居する」の意味を込め、命名したと伝わります。
久居二ノ町には、玉せん寺(ぎょくせんじ)と妙華寺(みようけじ)が並びます。どちらも藩主藤堂家ゆかりの名刹。しかし、文政4年(1821)の大火でいずれも焼失の憂き目に会いました。玉せん寺は、明治時代に再度本堂を失ってしまいましたが、妙華寺は安政4年(1857)の再建から今日にいたるまで、150年の間この地に建ち続けています。
現在、妙華寺本堂を訪ねると、随所から歴史の重みが伝わります。中でも見事なのは、参詣者が本堂に上がる場所・向拝(こうはい)に見られる装飾でしょう。エビのように曲がった化粧梁は、「海老虹梁」(えびこうりょう)、木鼻(きばな)のキバの無い動物は「獅子」、有る方は「象」を表していることなどを、住職の中川和則さんから教えてもらいました。
屋根に視線を移すと、途中で形が変わり、まるで2段構造になっているように見えます。この形が、兜の左右から後方に垂れて首筋を覆う錣(しころ)に似ていることから「錣葺」といわれる、独特の造りです。
開基は天和元年(1681)までさかのぼる妙華寺、寺の存在は、今後も久居の歴史の1ページを飾ることでしょう。

※玉せん寺(ぎょくせんじ)の「せん」は、旋の「方」が「さんずい」になります。

 

※国の登録文化財の紹介の一環で、トレーディングカードの作成が決まりました。
まだお寺に届いていませんが、届きましたらお知らせします。

高田本山の報恩講(お七夜)が始まります

今年も高田本山の報恩講(お七夜)が始まります
親鸞聖人のご遷化が、今の暦で正月16日です。高田本山の報恩講は毎年ご正忌をご縁として正月9日から16日までお勤めされています。
七昼夜、親鸞聖人のご遺徳をしのび、ご恩を喜び報謝させていただきますので、「お七夜」と親しまれて呼ばれています。
期間中、高田本山では、お勤めとご法話も多くあり、特別講演や宝物館の開館、呈茶、お非時、見学会や山門前の通りの屋台などご家族で楽しめますので是非お詣りください。
今回は、両御堂が国宝に指定されて初めてのお七夜で賑わうことと思います。