生活の中の仏教のことば

礼拝(らいはい)
教会の結婚式に出席したら牧師さんが礼拝(れいはい)と言いました。礼状、礼儀など「れい」と使うのでマスコミも礼拝(れいはい)といっています。
しかし、仏教では昔から合掌(がっしょう)・礼拝(らいはい)と「らいはい」と読むのが慣わしです。読み方が違うので気を付けましょう。

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現代と仏法を考える集い 『寺院崩壊?』

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現代と仏法を考える集い
高田本山の教学院主催の「現代と仏法を考える集い」で今年は『寺院崩壊?』の講題の講演会に参加しました。台風の影響で雨が降っているにも係わらず、愛知県や岐阜県からも参加され会場に多くの方々がいらっしゃいました。講師は、那須公昭師で本願寺派総合研究所の研究員でもあります。1988年NHKで「寺が消える」と言う番組が放送され、人口減少と高齢化で過疎地の寺院が消えていくと言われて久しいですが、昨年日本創成会議の人口減少問題検討分科会で2040年には今ある地方自治体の3割が消滅する可能性があると言う予測と、昨年に『寺院消滅』と言う題名の本の出版が重なり、地方寺院の存続について多くの方が注目するようになったと感じました。今年に入って『人口減少社会と寺院』と題する社会学的な側面から論じられた本が出版されての今回の講演会でしたので、寺院活動に危機感を持たれている参加者が多いのもうなづけます。私もその一人です。
西本願寺では長年、過疎地にある寺院活動について研究所で研究されていられるようでその研究の一端をお話しされました。地方寺院の現状と課題はそれぞれの寺院で違いがあるので一概に言うことは出来ないが、廃寺になる要因として、檀信徒の減少、本堂など建物の老朽化より、寺院の後継者がいないことが第1にあがるそうです。その後、お寺の活性化の事例を紹介されて、結びとして、お寺は地域の象徴であったり、地域でのつながりの拠点である面に目を向けて、寺院と地域社会の関係性(社会関係資本)の大切さに気づいての寺院活動が求められるようであると話されました。人口減少や高齢化問題は、寺院だけの問題でなく日本社会のシステム全体で考えなければいけない大きな問題と感じています。寺院活動の問題としては、人口減少の問題もありますが、人びとの「心」(信心)の過疎化と言うか、希薄化について、こちらも長年論じられていますが減ずるばかりであります。
改めて、2年前に妙華寺の現状について考える時間を持てたことを思い出しました(2016-01-08お寺の現状のブログ参照)あれから2年が経っているのでもう一度、妙華寺の今の現状を見つめ直さないといけないと感じています。
また、非現実的なことですが、「お寺は何故移動しないの?」そんなことを帰路で考えていました。(※中川個人の感想です)
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※『寺院消滅』については昨年5月の読後の感想をここに掲載します。
5月の本
『寺院消滅』 鵜飼秀徳著 日経BP社
衝撃的な題名であるが、未来の住職塾で学んでいたので内容に興味があった。僧侶の経済記者が「地方消滅」といわれる場所にある寺院に赴き取材をされている。全国のお寺がおよそ77,000ヶ寺で現在でもおよそ20,000ヶ寺が住職がいないお寺であること、不活動寺院が2,000ヶ寺ほどあるということも驚きであるが、「地方消滅」が現実となれば25年後には、お寺は三分の二程度になる計算に考えさせられることはいくらでもありそうだ。 明治時代になった時に鹿児島県では寺院・僧侶が消えた事実に学べることもありそうだ。悲観的な話の中で、玄侑宗久師、石井研人師、戸松義晴師へのインタビューは心強い気持ちにさせていただけた。
 『人口減少社会と寺院』は、厚い本で中々読み切れていません今回を機会に読み切りたいです。

前々住職の36回目の祥月命日

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8月29日は、前々住職の36年目の命日です。
祖父(前々住職)は明治33年生まれで、祖父・祖母は4人の子ども(姉妹)に恵まれ、私(住職)が生まれた時は、初孫でもあり大変喜んでいただいたようです。私の知る祖父は、いつも着物姿で居間にある火鉢でキセルのきざみタバコに火をつけていたことと、火鉢にかかる鉄瓶のお湯で薄茶を美味しく飲んでいた姿です。また、境内で菊つくりもしていました。月に何回か書院で囲碁をする姿もありました。後で知ることでは、和歌を楽しんでいたことでした。私が得度するのは、中学3年生の9月15日(敬老の日)でした。その年の夏休みは毎朝、祖父が私に「阿弥陀経」をゆっくりと勤めてくださったことでした。私は、大学に進学してから自坊のお盆のお勤めからお手伝いをして、祖父の代わりに井戸山の報恩講のお勤めにも行くことになりました。私が自動車免許を取得してからは、祖父の運転手・カバン持ちとして法務や私的な時間を共有してその時の語らいは貴重なものでした。昭和54年に妙華寺がこの久居の地に建立され300年の記念の行事で、祖父(前住職)・父(住職)・私(衆徒)が衣(ころも)姿でお勤めできたことを祖父が喜んでいただいたことを後で聞きました。昭和55年81歳でご往生されました。
祖父の歩みをたどってみますと、祖父は明治44年に得度をされ昭和14年から昭和54年まで住職として教化活動をされていました。昭和26年には宗務総長として高田本山の第22世堯猷上人の葬儀を執り行わせていただいています。また現職の監正局長でもありました。また、本山から出版された『高田の古徳』や『高田の寺々』の編集人の一人でありました。
個人としては『私が経営する日曜学校の立場』という冊子を大正14年に刊行しています。和歌の冊子である『漱月抄』も15冊ほどつくられています。
13年後は祖父(前々住職)の50回忌の年であります。そして妙華寺が創建され350年になる年でもあります。その頃に妙華寺がどのようになっているのか、今からしっかりと見つめていきたいと思います。
4年後には久居(藩)開闢350年で久居に新しい町ができ、妙華寺以外のお寺も久居の地にそれぞれ創建されてきましたので地域のお寺の350年を記念する行事も一緒にできれば面白いと感じています。
また、真宗高田派では7年後には、親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年を迎えることもありました。

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8月のおてらおやつクラブ

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8月のおてらおやつクラブ 今月は久居の特産品の梨をお供えいただくことがあります。果物など日持ちしないお供えは中々おすそわけできませんが、お盆が終わり少し時間に余裕ができましたので、1家族様にお送りさせていただきました。1支援団体様へは子どもさんの人数が多いので分けやすいお菓子になりますが、お盆のお供えのおさがりをお渡しさせていただきました。

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「古本勧進」も年中受け付けています。年2回(8月末と正月末に古本をまとめて寄付しています)
ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。一人親家庭の支援団体様に寄付をします。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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8月の初盆総回向

8月の初盆のお勤めが終わりました。前々住職の時代は、翌日に初盆の灯籠を境内で焚いていました。前住職の頃になりますと外で物を燃やすことができなくなり、それぞれの灯籠を小さく片付けて処理をしていました。今は大きな飾りの灯籠が少なくなり片付けに関しては楽になりました。また、お勤めの後、平素のお仏壇のお給仕の仕方のビデオを見ていただいています。改めて拝見していますと何気なくしていた仕方が間違っていたことにも気づくこともあります。以前ほどお仏壇の前でお勤めする時間はとれなくなっている時代ですが、私たちの心の安心や落ち着く場所としてお仏壇のある空間を見直していきたいと思います。
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※毎月(正月を除く)第1日曜日午前7時30分からの日曜学校では、平素のお勤めを参加者の皆様と一緒にしています。知らないうちに作法についても学べますし疑問などにもお答えしています。ご都合がつきましたらご参加ください。ひ

四季の花

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四季の花 8月のお盆が終わるまで心が落ち着く時間があまりとれません。朝のお勤めで本堂の唐戸を開ける時に感じる空気は少し涼しく感じられます。境内の花も暑い中でも咲いています。9月に咲き出す秋明菊の蕾も膨らんできました。

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ひとくち法話

現生正定聚(げんしょうしょうじょうじゅ)
念仏往生(ねんぶつおうじょう)の願因(がんにん)により
必至滅度(ひっしめつど)の願果(がんか)をうるなり
現生(げんしょう)に正定聚(しょうじょうじゅ)に住(じゅう)                   し必ず真実報土(しんじつほうど)にいたる 『浄土三経往生文類』
親鸞聖人(しんらんしょうにん)がお念仏の功徳(くどく)、お念仏の喜びの極致をしめされました。念仏者の力強い確信をあらわしてくださいました。
さて、どうでしょうか。この聖人のお言葉を声に出して読んでいただけませんか。何回も大声で読んで下さい。さらに、たくさんの人と一緒に唱和(しょうわ)したら、なおすばらしいと思います。
読み上げていると、静かに喜びがわいてまいります。
阿弥陀仏(あみだぶつ)の念仏往生(ねんぶつおうじょう)のご本願(ほんがん)のおかげで、浄土(じょうど)へ往生し、仏さまになります。このご本願を聞いて、念仏し、確かな、確かな人生をすごさせていただくのです。そして、必ずお浄土へと往生させていただくのです。
私たちは、今の今まで、煩悩(ぼんのう)に狂って生き、迷ってきました。過去の罪障(ざいしょう)に悩み、苦悩の連続でした。だが、今この文を聞いています。私に、この文を読ませてくださっています。
阿弥陀仏の願いは、私をこの世において、必ず成仏する仲間に入れて、不退(ふたい)の位につかせようと言われるのです。
南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)の六字は、その阿弥陀仏からの、呼び声です。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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生活の中の仏教のことば

念珠(ねんじゅ)
真宗では一般に「数珠(じゅず)」のことを「念珠」といいます。もとは念仏の数を数える道具だったのです。
念珠のひとつひとつの珠は私たちです。それが一つのひもで輪になってつながっているのは、お念仏という仏さまの心で、みんな仲良く輪(和)になっているということです。だから、手を合わせるにふさわしい道具ともいえます。

日曜学校念珠IMG_1154

 

8月のお盆

仏間額装IMG_2537

8月のお盆は11日~15日に120軒ほどのお同行様へ伺いました。暑い中で、短い時間ですがお仏壇の前でお勤めをさせていただいています。限られた時間にも関わらず、その日をお待ちいただいていることに感謝します。お盆のお勤めに、私が伺い始めて40年ほどになりますが、念珠が途中で切れて、そのお家の念珠をお借りしたことや、輪袈裟が扉の取っ手に引っかかり切れて、応急処置をしていだいたこと初めて経験することがありました。最初の頃は、作法も分かってるようで分かっていないこともあり、その時のお同行の皆様にお育てをいただいていたことです。その頃の主(あるじ)がご往生され、2代目、3代目が主として私(住職)をお待ちしていただいているお家では、以前のお話になる時もあります。また、8月のお盆は、ご家族がお休みで遠方からお帰りになられているお家もあり少し賑やかなお勤めになります。毎年同じ日に伺いながらお勤めをさせていただいています。また、妙華寺がこの地に建てられた時の高田本山のご法主殿の書かれたお名号を大切にされているお同行様のお仏壇でお勤めさせていただくことも有難いことです。
8月のお盆では、数年前から忘れることができないことがあります。一人住まいのご高齢の方でお寺に親しい方が、妙華寺の親鸞聖人750回御遠忌の前年に本堂の改修にあたりご寄付を8月初旬にお寺に持参していただきました。その頃はお寺まで歩くことも大変でタクシーをお使いでした。お盆でお伺いしてお礼を改めて申す予定でご自宅に伺いました。いつもなら玄関のチャイムを鳴らすとしばらくしてから鍵が開けられ、お仏壇の前でお勤めをいたします。その時は何度玄関のチャムを鳴らしても鍵が開きません。窓から室内の明かりが点いているのが分かるのですがお声をかけても返事も無く、しばらくして次のお同行様に伺いました。気にはなっていましたがそのまま時が過ぎ、9月の中旬にその方が亡くなられていたとご親戚から連絡がありました。死亡診断書には8月下旬と推定されていました。私(住職)がお盆で伺った時に違った対応がとれていたらと悔やみながら、ご命日をご親戚の方と決めて納骨をいたしました。今年もそのお家の近くを通りお盆勤めをしました。

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ひとくち法話

歓喜会(かんぎえ)
真宗では、お盆を「歓喜会(かんぎえ)」といっています。高田本山では、8月14日から16日までの3日間「歓喜会」がつとまります。そして、この期間は、境内で地元のみなさんによる盆おどりがあって、たくさんの人々が集まって賑やかなひとときをおくります。
なぜ盆会のことを「歓喜会」というのでしょう。親鸞聖人は「歓喜」というは、「歓」は身のよろこびです。「喜」は心のよろこびですと解説されています。身も心もよろこぶという、大変なよろこびようを「歓喜」と教えられました。
では、こんな喜びはどんなときにあらわれるのでしょう。親鸞聖人は「私たちが、仏さまの本願(私たち凡夫を必ずお浄土に救いますという願い)を信じて、お念仏を申す心になったとき、このような大きな喜びが自然にでてきます」と申されました。
すなわち、仏さまからいえば、本願が確かであったという証明になり、私たちからいえば、すべておまかせできたという安堵(あんど)であり、仏と私がともに喜ぶさまが歓喜といえます。また「歓喜」というのは、私の自力の限りを尽くしても不可能であった人生課題が、仏さまの願いによって氷解(ひょうかい)した時の喜びですから、日常生活上の喜怒哀楽(きどあいらく)とは次元の違う大きな喜びでもあります。
盆会を「歓喜会」というのは、このような深い大きな意味がこめられているのです。人と生まれ、しかも仏法に遇い得た(あいえた)という不思議ないのちの因縁は、ただただ仏さまからの賜わりものですと「歓喜会」のご縁を通してよろこばせていただきましょう。

※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

妙華寺の8月のお盆は、11日から15日まで地区を分けてお勤めさせていただいています。

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