3月の聞法

3月の聞法

新型肺炎の感染拡大防止で、集い・集まる機会が少なくなっています。妙華寺で開催しました春彼岸会でも、開催にあたり、風邪症状の方への参加を控えていただく事や、手指の消毒・うがい、手洗いの場所の確保・マスクの準備・会場の換気・接触場所のアルコール消毒など、出来ることをさせていただきました。

春彼岸会 法話 浄泉寺 戸田栄信師のご法話は、「今、ここで 安心(あんじん)の人生を歩む」と題されてお話されました。

讃題に、
「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 
 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」 浄土和讃 弥陀経意 第1首
を拝読され、この和讃を、高田派の前ご法主は「全宇宙の中の念仏する人々を照覧なさって、その人々を救い取って決して捨て去ることがないから、その仏の名を阿弥陀とお呼び申し上げる」と注釈されています。
また、私自身をどのように捉えるか、親鸞聖人ご自身が述懐された和讃として
「浄土真宗に帰すれども 真実の心(しん)はありがたし
 虚仮不実のこのみにて 清浄の心(しん)もさらになし」
正像末法和讃 愚禿悲歎述懐第1首を示して私のあり方(姿)を示されました。
この和讃の意訳として「浄土真宗に帰依したおかげで、私に真実の心がなかったということが、知らされてまいりました」『正像末法和讃講話』(川瀬和敬著 法蔵館)を私(住職)は思い浮かべました。
仏教の教えは、「苦」がベースにあり、その「苦」を転じていくことで「安心」とし人生を歩むことができるのです。私の本当の姿を、 阿弥陀様が既に見通し、全て阿弥陀様が領解して「まかせよ」と誓われているのですから、私が安心の人生を歩むことができるのです。
今、私たちは、新型肺炎のことで「死」について不安な心が大きくなっていますが、「限りあるいのち」しかない私たちは生まれてきてから既に不安な心で生きているのだということを改めて感じました。、
お同行様にしっかり聞法してくださることが大切ですと申していながら、細かなことにとらわれて、自坊の本堂に座ってお聞かせいただくことができず残念です。

四季の花(3月)

四季の花
3月に入りました。モクレン・さんしゅう・りきゅう梅・山吹・貝母・コブシ・ユキヤナギなどいろいろな花が咲き出しました。自然に目をやると春を感じ、今回の世の中の騒ぎを忘れさせてくれる時間です。お彼岸も過ぎ、境内の桜も蕾が膨らみ、しだれ桜が咲き出し、27日にソメイヨシノが咲き出しました。少し雨模様が続きますが満開を楽しみにしています。

パンデミックからの問いかけ

パンデミックからの問いかけ 生活規範の変化
感染症の世界的流行で混乱している中、私たちの生活が否が応でも見直すことになるように思えます。先日、法務の間に視聴した僧侶向け「体験講座」での一コマ。
人類は今回のパンデミックやこれまでのパンデミックも医学や科学の力で時間はかかるかも分からないが必ず克服していくことは考えられます。しかし克服されたから、私たちの生活がこれまで通りになるとは思えません。世界で新しい生活規範が作られていくようなことを感じます。
そのような観点で改めて、お寺の存在はどうなっていくのだろうか?考えていく時間をいただいたように思っています。
私(住職)も3月に入って毎日2度から3度の検温と入念な手洗いをするようになりました。見えないウイルスが気になり人混みさえ気になる感覚になっています。今回のパンデミックが終われば、忘れてしまうこともあるかもわかりません。でも毎日の習慣として続いていくものもありそうです。
3月09日のブログでも記載しましたが、私の「不安な心」に向き合う中で、「安心」や「安全」な心(気持ち)になるのに、神仏の「み教え」が対応できるのだろうか?
これまでの生きていくことが困難な時代に、多くの人々の苦しみを「安心」にかえる「はたらき」を宗教が担ってきた事実が、現在も宗教が存続しているのだけど、以前ほど人々は宗教に重きを置いているわけではないことも現実と思います。
これからの生活規範を見直す中で
あなたにとってお寺はどのような存在なのですか?
あなたにとって僧侶はどのような存在なのでしょう。
と問われているような時間です。

3月のおてらおやつクラブ

3月のおてらおやつクラブ
今月は、先月同様3つの支援団体様へ18日に1団体、24日に2団体へ「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。
2月末から新型コロナウィルスの感染防止の一環で小中学校が一斉休校になり、多くの家庭に影響がでてきています。おてらおやつクラブの活動が一助にでもなれば有難いです。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

春彼岸会 お勤めしました

今年の春彼岸会(20日)は朝から強風でした。朝掲げる仏旗も風でなびくので無く竿に巻き付くような姿です。13時30分からお勤めを始め、布教使様からご法話をいただきました。
布教使様は、岡崎の浄泉寺の戸田栄信師で「今、ここで安心(あんじん)の人生を歩む」とご自身の大学院での学びと共に、今不安の中にいる私を阿弥陀さまがそのままお救いすることを分かりやすく丁寧にお話されました。
全国いや世界中で、新型コロナウィルスの感染防止が叫ばれています。集会に該当する彼岸会のお勤めやご法話を開催するにあたっては悩んでいました。心が不安な状態でありますのでその不安を安心にする「はたらき」をお聞かせいただく場を閉ざして良いのかの判断で、お同行の皆様に周知をして、お寺でできる、アルコール消毒液の設置、うがい・手洗い場の確保、出入り口のアルコール消毒など、坊守と共にしました。
毎回、遠方から電車にのって来られるご家族・バスに乗って来られる方などお聴聞していただける方々がそれぞれの健康管理にご注意していただいたと思っています。お寺側としてとても感謝しています。


今回は、春彼岸会の後、行政書士で相続についてご専門の中村先生から3回にわたって「終活カフェ」を開催することにしました。第1回目は「相続を争続にしないために」と題して、これまでの先生の経験をふまえて専門家からの視点でお話をいただきました。次回は秋彼岸会にお願いしています。
私たちは、中々専門家の方からお話をお聞かせいただく機会は少ないです。専門用語を分かりやすく、相続についても法の改正などがあり最新の詳しいお話です。よろしければ次回のご参加をお待ちしています。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「死を見せること」は、次世代への遺産

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から

著書では、「死にゆく場に立ち会うということは、「見送ってあげる」と同時に大事なこと 人は必ず死ぬ存在であること、生きていることのありがたさ を教えてもらっている場面でもあります」と述べています。
※「死を見せる」ことは、私のはからうことでなく、自分の「都合の悪い姿」が暴き出される時でもあります。『人間とは、縁次第でどんな心の持ち方にでもなるんだ』ということに気づく場でもあるようです。そこに仏の「はたらき」として私に届けられれば、「死に方」を思い通りにしたいと思う心にとらわれことなく「死を見せること」が大切なことになるのだと思います。

春分の日と彼岸

春分の日と彼岸
「自然をたたえ 生物をいつくしむ」 祝日法の春分の日の趣旨

【春分の日(しゅんぶんのひ)】は、日本の国民の祝日の一つであり、祝日法により天文観測による春分が起こる春分日が選定され休日とされる。通例、3月20日から3月21日ごろのいずれか1日。
しばしば昼が長くなって「昼と夜の長さが等しくなる日」といわれるが、実際は昼の方が少し長い。

少しずつ温かい日の中で、自然のうつろいや虫たちの活動が気になる頃です。

【彼岸(ひがん)】は、雑節の一つで、春分・秋分を中日とし、前後各3日を合わせた各7日間(1年で計14日間)である。この期間に行う仏事を彼岸会(ひがんえ)と呼ぶ。
最初の日を「彼岸の入り」、最後の日を「彼岸明け」

俗に、中日に先祖に感謝し、残る6日は、悟りの境地に達するのに必要な6つの徳目「六波羅蜜」を1日に1つずつ修める日とされている。
語源
サンスクリットのpāram(パーラム)の意訳であり、仏教用語としては、「波羅蜜」(Pāramitā パーラミター)の意訳「至彼岸」に由来する。
Pāramitāをpāram(彼岸に)+ita(到った)、つまり、「彼岸」という場所に至ることと解釈している。悟りに至るために越えるべき迷いや煩悩を川に例え(三途川とは無関係)、その向こう岸に涅槃があるとする。
ただし、「波羅蜜」の解釈については異説が有力である。
由来
浄土思想でいう「極楽浄土」(阿弥陀如来が治める浄土の一種、西方浄土)は西方にあり、春分と秋分は、太陽が真東から昇り、真西に沈むので、西方に沈む太陽を礼拝し、遙か彼方の極楽浄土に思いをはせたのが彼岸の始まりである。現在ではこのように仏教行事として説明される場合が多い。それがやがて、祖先供養の行事へと趣旨が変わって定着した。
しかし、彼岸の行事は日本独自のものでインドや中国の仏教にはないことから、民俗学では、元は日本古来の土俗的な祖霊信仰が起源だろうと推定されている。五来重は彼岸という言葉は「日願(ひがん)」から来ており、仏教語の「彼岸」は後から結びついたものであるという。
歴史
806年(大同元年)、日本で初めて彼岸会が行われた。このとき崇道天皇(早良親王)のために諸国の国分寺の僧に命じて「七日金剛般若経を読まわしむ」と『日本後紀』に記述されている。

第1回 Temple Morning 開催できました

第1回Temple Morningを開催しました。
前日の雨、再び寒さが戻ってきた3月15日でしたが、多くの方にご賛同いただき、初めてお寺の掃除の時間でした。本堂で「重誓偈」のお勤めの後、初回でしたので記念写真を撮ってから各自それぞれ境内の掃除となりました。集中していると、時間があっという間に過ぎていきます。今後も継続していく為に、約束の時間で終了しましたが抜いていただいた雑草や枯葉などが入ったゴミ袋が集まりました。掃除終了後、皆さんには、衛生面に気をつけて、手洗いや、手指の消毒をしていただき、お茶タイムの後、余間(よま)に15日(その日)まで掛けていました「仏涅槃図」を間近でみていただきご紹介しました。

ご参加いただいた方から早速感想もいただきありがとうございました。

また、「時間的に伺うことはできませんので自分の空いた時間に、お掃除します」とお電話をいただき、お寺のことを思ってくださる「おこころ」に感謝しています。

第2回 Temple Morning は、4月19日午前8時からです。「気持ちを整えて集中できる時間を創りませんか」

春彼岸会は3月20日(祝・金)13時30分からお勤めします。

讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」と申してみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。

法苑院妙華寺では、春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めと法話を勤めています。 親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。

3月20日(祝・金)午後1時30分からお勤めをいたします。その後、浄泉寺の戸田栄信師のご法話がございます。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています

不安なこころで毎日生活を送っています。このような時、私の「いのち」についてもう一度考えてみませんか? 聞法の中で、仏様の「はたらき」をお聞かせいただき、仏徳讃嘆の「おこころ」をいただきましょう。

※新型コロナウィルスの感染拡大防止の件について、様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。
本堂入口にアルコール消毒液を設置するなどして対策を講じます。
とはいえ、決して不安を抱えながら参加する催しでもありません。
どうかご無理ない範囲で参加のご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

また春彼岸会の後、行政書士法人 中村事務所様にご協力いただき、「終活カフェ」(3回講座)の第1回の行政書士さんに聞く① 「相続を争続にしないために」が開催されます。
 日頃専門家のお話をお聞かせいただく機会はありませんが、お寺の何を話しても良い雰囲気の中、私の人生のエンディング分野で気になることをお聞きしませんか。

お寺の掲示板

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話せるうちに、「ありがとう」を伝える

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
続けて著書では、「直接、言葉で感謝の気持ちを伝えることは、話せるうちにしかできないことです。その日が来る前に、後悔しないためにも、早めに伝えてほしいものです」

最後に、「なかなか素直になれない、照れくさくて言えないという気持ちはわかりますが、感謝も謝罪も、口が動かなくなったり、意識がなくなったりすればできなくなってしまいます。心に引っかかっていることは、ぜひ口に出して伝えましょう」とまとめてあります。

※私(住職)は、何年か前に母に感謝の手紙を書きました。当時今より元気でしたが、病気で入院をしたり老いていく姿を見ていました。マインドフルネスの「感謝を伝える」講座で、手紙を書くことを勧められました。私(住職)も照れくさや、恥ずかしさが先に立ち「感謝」を伝えることは躊躇していました。それでもこれまでの母のことを思い出し、文字にすることは私(住職)の心がとても落ち着くようで私(住職)自身が救われたような気持ちです。 その後も、入退院を繰り返し今は老健施設で元気にしていますがあの時に伝えていて良かったと思います。