京都いのちの日

2月に、京都自死・自殺センター「Sotto」の5周年記念誌をお送り頂きました。京都自死・自殺センターの5年のあゆみを振り返りこれからの活動に更なる期待を感じるものでした。発足までの、そして発足してからもご苦労があっての今があると思いますが、活動されている方々の思いはとても真摯で真剣であることが伝わってきます。
また、京都府では、国、市町村及び府民等が一体となって自殺対策を推進して、悩み苦しんでいる方々が孤立することを防ぎ、全ての府民が地域社会の一員として共に生き、共に支え合う社会を実現することを目的として、都道府県で初めて「京都府自殺対策に関する条例」(平成27年京都府条例第20号)を制定されたと聞きました。
そして、毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されています。
行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれ、機能することが、全国に広がる先駆けになることを願いながら、これからも京都自死・自殺相談センターの活動に賛同したいと思います。

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生活の中の仏教のことば

生活の中の仏教のことば

「他力(たりき)」
一般には、他の力をいいます。自分は、何もやらずに、誰かがしてくれるだろうと期待する意味でつかいます。しかし、他力という言葉は、真宗では大切な言葉で、親鸞聖人は「他力とは、人の力でなく、ほとけさまのおはたらきをいう」と教えられました。

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ひとくち法話

01 人身(じんしん)受けがたし
私がいまここにいることが、摩訶不思議です。広い地球の、広い日本の、広い三重県のここに、人のいのちを享(う)けて、いまをいきています。この父、この母を縁にして生まれてきました。この父が別人だったら、この母と夫婦の契りがなかったら、私は永遠に生まれてくることはありませんでした。この不思議としかいいようのない因縁は、親と子という2世代だけのものでなく、無始以来の先祖までさかのぼっていきます。
報恩講に拝読する『式文』の中に「盲亀浮木(もうきふぼく)」のたとえ話があります。いつも大海の底にいて、100年に一回海面に浮き上がってきた時にたまたま穴のあいた浮木(うきき)にぶつかって、その穴に亀の首がはまったという話です。人間にうまれてくること、ほとけの教えにあうということは、これほどのできごとだというたとえであります。実際にこんなチャンスがありましょうか。ありえないことがあったという話です。その証拠が、いまここに生きている私であると教えられています。
『法句経』に、「人の生をうくるはかたく やがて死すべきものの いまあるいのちは ありがたし」という聖語があります。
再び生まれてくることのない私、一回きりのいのちを「どう生きるのが本当か」がわからなくては、永劫(ようごう)に迷っていかねばなりませと、親鸞聖人はお念仏の教えを生涯説いていかれました。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より
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「久居城下案内人の会」様のこと

「久居城下案内人の会」様のこと
津市内には13団体のボランティアガイドがあり各地域で活躍されています。その中で久居藩の城下町として発展した久居の市街地を中心に案内をしているのが「久居城下案内人の会」です。平成20年9月30日に「久居城下案内人の会」は発足しました。津市が企画した市内の名所旧跡を巡る観光バスツアーに参加者に声かけがありそれに応えた人が集まり、地域の歴史や文化に興味がある方々がお互いに協力し、試行錯誤しながらガイド活動を続けています。ガイド活動としてルートマップを発行し、案内する名所旧跡は写真と文章で解説されるのが一般的ですが、「久居城下案内人の会」では、写真とメンバーが読んだ俳句(川柳)2句を添えています。初代藩主高通が「任口」と号す、俳諧を愛していたことにちなんでとのことです。また地域の語り部として案内するだけではなく、紙芝居で久居の歴史を披露していて子供たちに人気だそうです。

妙華寺へも「久居城下案内人の会」のガイドツアーで見学に来られる方々もいらっしゃいます。お申し出がありましたら、「法(みのり)の苑(その)妙華寺を楽しもう」(パンフレット)をお渡しします。
「久居城下案内人の会」様につきましては、津市久居総合支所 地域振興課 産業振興担当にお問い合わせください。

※「久居城下案内人の会」様の記事は、「つぅひ゜ーす」vol.60 2013-04より抜粋しました。

 

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四季の花

梅 中庭と裏庭にある梅は、例年ですと2月の下旬から3月の初めにかけて満開になります。今年は少し早いようです。何かに追いかけられているように日々を過ごしていて頭上にある花に気づけないのは残念なことです。心の落ち着く時間が少しでもあれば1日の生活も豊かな気持ちになります。
市内の近くにも梅の有名な結城神社、かざはやの里があり満開の時期になりますと多くの方々が訪れます。

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ただ今 庫裡を改修中

 2月8日より庫裡の改修工事をしています。3月からは妙華寺会館の改修工事を4月中旬まで予定しています。期間中ご迷惑をお掛けします。
現在の庫裡は前々住職が結婚する前の昭和3年にできたそうです。8軒×5軒で襖で8部屋に区切られています。当初は、食事をつくる場所は土間でした。風呂場も土間にあり、トイレは別の場所にありました。私が小さかった頃もそのような空間の覚えがあり夜トイレに行くのが怖かった記憶があります。食事をつくる場所が土間から板の間になり、ちゃぶ台からテーブルの食卓になり、五右衛門風呂から、現在に通じる風呂場に変わりました。前住職の代になり、玄関の改修、トイレも日本式から洋式に変わりました。平成に入り屋根瓦を葺き替えました。今回の改修では、これまで手を入れてなかった襖で区切られていた5部屋(仏間・客間・居間・事務室・玄関)の部分で、壁面を新設し板の間にすることにいたします。畳をめくり床の下をのぞいてみますとシロアリの影響がひどく床下の束(つか)からの改修になります。
 妙華寺会館は、昭和10年に茶所として作られました。戦後のいつからかはっきりしませんが昭和40年頃までは、三重県の久居食糧事務所として使用していました。前住職が、その後改修して、畳敷き36畳の広間として、葬儀式場・会議会場・お非時会場など妙華寺会館として活用しています。阪神大震災後に建物の耐震診断をしましたら耐震基準に達していませんので心配をしていました。この度、屋根瓦も傷んでいますのでスレート葺きにして、壁面を新設し、空調設備を入れ畳敷きから板の間にすることにいたしました。広さは今まで通りですので、葬儀式場・会議会場・お非時会場などとして活用いたします。
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佛涅槃図

佛涅槃図
2月15日から1ヶ月間、本堂西余間(むかって左側)に涅槃図をお掛けします。
妙華寺の佛涅槃図は、江戸時代の久居の大火で焼失しました。
今回お掛けするのは、親鸞聖人750回御遠忌の記念として高田本山より京都別院の佛涅槃図の複製が配布されました。
京都別院の佛涅槃図は、室町時代の兆殿司筆で、大きさは、縦151.2cm 横128.7cmです。佛涅槃図は、釈迦(しゃか)の入涅槃の場面を描いたもので、釈迦が亡くなられた2月15日の涅槃会で本尊とされます。
お寺にお参りの折りには本堂にお上がりいただきお詣りください。
3月6日の日曜学校で、佛涅槃図の説明をさせていただきます。

2016-02-15涅槃図2IMG_0234

 

2月の日曜学校

2月の日曜学校
今月は、妙華寺の本堂から飛行した人の顛末をお話しました。
『藤影記』(梅原三千著)にある「飛行機の失敗」と言うお話しです。
国友貢(みつぐ)は、鳶鼻の異相を有し、天狗の如く空を飛んでみたいと考え、鴨を一羽手に入れて両翼と尾を秤(はか)り、体の重さも精密に秤量し、その割合を算出して、その比準で自分の体重に適当する大きな羽根を造った。
早速、法苑院へそれを持ち込み、実験するということで、本堂の屋根から、羽ばたきたくましく飛んだが失敗して 蓮池の真ん中に墜ちた。国友はこの時挫折したのかその後空を飛ぶことを計った噂はなかった。
今「久居城下町案内人の会」でこの話を紙芝居の一つとして紹介されています。
ここからは住職の想像です。
①本堂の屋根から飛ぼうとして時期は?
江戸時代のいつであるか定かでないのですが、妙華寺の本堂は、文政4年(1821)3月の久居の大火にて焼失しています。再建された今の本堂は、安政4年(1857)12月に棟上げされました。推測できることは、棟上げされて本堂が再建する過程で、屋根に瓦を載せる前の状態の時ではないかと考えています。
②蓮池はどこに?
妙華寺にはかつてお寺の境内の東南に弁天池と言われる池ありました。現在は、樹木の元でのお墓と駐車場になっています。また本堂の西側に蓮池と言われる池が今もあります。現在は、以前より池の範囲が小さくなり蓮も咲いていません。本堂の屋根の形状が寄棟ですので飛ぶ方向としてはこちらが有力と考えています。
人類で最初にライト兄弟が空を飛ぶことに成功しましたが、世界中で空を飛ぶことを夢見た人はたくさんいたのでしょうね。

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2月のおてらおやつクラブ

妙華寺のおてらおやつクラブの活動も2年目に入り、7日に発送しました。
2月4日付の中日新聞の社会面で名古屋でのおてらおやつクラブの活動が紹介されました。中日新聞は東海地方では一番購読されている新聞ですので大きな反響を呼ぶことと思います。妙華寺では、先月津市社会福祉協議会久居支部様からご紹介いただきました支援団体様とお会いさせていただき改めておてらおやつクラブの趣旨をご案内させていただきました。早速一人親家族の支援団体として登録をされることもお聞きしました。地域の一人親家族様への支援の活動も広がればうれしいです。また地域のおてらおやつクラブへの賛同寺院が増えることやこの活動が地域の方々にも広がることも念願します。
また、年2度の古本勧進も1月末日に発送させていただき、おてらおやつクラブ様にわずかですが寄付させて頂きました。古本をお寺に寄付して頂きました皆様ありがとうございました。次回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。

 

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「未来の住職塾」と私

「未来の住職塾」と私
3年前に「未来の住職塾」を受講しました。その時に娘に話をしたら、「もう住職やん」と言われました。確かに住職になってはいたけれどこれまでお寺のこと学んでいたか?気になっていました。宗派の勉強会や講義で教義のことは勉強するけれど、お寺の運営や、お寺の価値についてはほとんど取り上げられることはなかったようなことで受講にいたりました。

私は京都クラスに所属して5回の学びに参加しました。私のクラスは、石川県や徳島県、愛媛県、兵庫県、滋賀県、三重県と地元京都のお寺以外の方のほうが多く遠方から熱心に受講をされていました。年代も宗門も違うのですがそこに集う僧侶には今のお寺の状況にそれぞれの危機感があり、真剣に取り組みを考えている方々ですので、話される内容に熱い思いを感じることばかりでした。毎回の講義では、聞くばかりでなくワークもありグループで取り上げる視点も違うことで自分以外の考えや視点を学ぶこともでき大変有意義でした。最後の講義はそれぞれのお寺の「寺業計画書」の発表で、講師や受講生からの質問や指摘が叱咤激励のように感じました。

受講して何が変わったか。現代の生活スタイルで可能になったことかもわかりませんが、お寺をもっとよくしたいと思う仲間といつも顔を合わすわけではないけれど全国でそれぞれのお寺で活動をしながらつながっている感覚はこれまで経験したことがありませんでした。卒業生の集い(サンガの集い)も開催され新たな刺激をいただく機会もありがたいことです。
妙華寺としてはお寺の使命が明確になったことや、お寺の現状をお同行様の目線で考えるようになったこと、外部のアンケートにてお寺の見えない価値を知り得たことなど、「未来の住職塾」の学びを通じて、私自身の意識の変化が一番変わったことと思います。お寺のことをもっとよくしたいと思うことは、お同行様や地域の方々との関係をよくしたいと思う活動につながっていくことになります。
2月は、4月から開講の「未来の住職塾」の一日体験教室が各地で開催されています。今年でもう5期生の募集と思うと全国に益々同じ志をもった僧侶が増えるのが楽しみであります。

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