令和07年 年回表

令和07年 年回表

01周忌 令和06年往生人
03回忌 令和05年往生人
07回忌 平成31年・令和元年往生人
13回忌 平成25年往生人
17回忌 平成21年往生人
23回忌 平成15年往生人
27回忌 平成11年往生人
33回忌 平成05年往生人
50回忌 昭和51年往生人
100回忌 大正15年往生人
150回忌 明治09年往生人
200回忌 文政09年往生人
250回忌 安永05年往生人
300回忌 享保11年往生人

※詳細は、本堂の向かって左手の年回繰出表をご覧下さい
※お勤めの日時が決まりましたらお寺にお知らせください。
土曜・日曜・祝日は、他のお同行様のお勤めの予定を聞いている場合もございます。

年回(年忌)法要
年回(年忌)法要をどうして勤めるの? 私(住職)も若かった頃はそのようなことを疑問に思っていました。ずいぶん前の『高田学報』に高田派の鑑学の先生の書かれた中で、「大切な方の忌日を勤めるのは、私自身(己の心)の中にある仏道に修しているという思いを改めて省みる日である」とおっしゃられた言葉が私(住職)の中で肯くことができました。以前より時間が早く経つのか、するべき事が多すぎるのか少し前の大切な出来事も記憶の端っこに押しやられて忘れがちになるようなこともあります。歳を重ねていく中で、ご往生されました大切な方のことを思う時間が少なくなるのも現実です。それでも改めて大切な方と向き合う時間を年回(年忌)法要を通して持つことの意味を以前より感じています。
また、年回(年忌)と言うと故人の祥月命日を縁として行う法要で、妙華寺ではご往生されて1年後を1周忌、その次の年を3回忌(ご往生された年から数えて)その後7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、50回忌とお勤めをします。以降は50年毎に行われます。真宗では、ご往生された方を縁として仏法に遇い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する場でもあります。
そのように考えて見ますと、大切な方の33回忌に遇えることは、大切な方がご往生さられてから32年後のことであります。それも数えてみると8度目の年忌であります。その間のご遺族の皆様のご苦労に大変頭が下がりますが、今の時代は親御様の遠い年忌に遇うことができにくい時代です。その仏縁に遇う慶びは大きいものと思います。

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。
妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)勤めといいますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので、一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケアする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。

命日(めいにち)
大切な方がご往生された日を「命日」と言います。また「忌日」とも言います。ご往生された月の命日を祥月命日と言い、他の月々の命日を月命日、月忌とも言うそうです。
私たちは生まれた日を誕生日と言いお祝いをしますが、ずいぶん前に「誕生」とは「うそがうまれる」という意味もあることを聞きました。私たちがこの世に生まれ、生きていく上で嘘もつかなければ生きていくことができない存在であることを私に教えていただいています。
では、「命日」は「いのちの日」と言うことはどのような意味があるのか考えています。中国では亡くなられた時にその人の評価が定まると考えられていると聞きました。日本でもそのように考える場合もありますし、死後に災いが起こらないように祀(まつ)ることもありました。真宗では、故人の命日を縁として仏法に遇う、阿弥陀仏(如来)の恩徳に報謝する日と思います。

忌日(きじつ)
以前、「忌日」について、忌まわしいと言う字が含まれていますがと尋ねられました。
私の大切な方が亡くなられた時、亡くなられたことをすぐには受け入れがたい心があります。亡くなられてからも生きているように感じる心もあります。しかし、私から離れた方の死について、不浄なものと考えてしまう気持ちも出てくる場合があります。高田派の鑑学の先生が、「大切な方の忌日を勤めるのは、私自身(己の心)の中にある仏道に修しているという思いを改めて省みる日である」と述べられたことを思い出します。

真宗では親鸞聖人のご命日を縁としてお勤めする報恩講があります。高田本山では毎年1月9日から16日までお勤めいたします。各寺院も毎年一番大切な行事としてお勤めしています。(妙華寺では12月の第1日曜日です)
私の大切な方のご命日も、私が仏法に出遭い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する大切なご縁であったことに間違いないことです。

令和5年の法苑院妙華寺の行事

1月  1日 午前5時30分  修正会 お七夜のお七夜券配布します

1月 4日         井戸山報恩講

3月 20日 午後1時30分 春彼岸会  布教使 戸田栄信師

4月 7日8日       メリシャカ(花祭り)隣寺とスタンプラリーしています

4月 29日 午後1時30分 春千部会  布教使 高藤英光師

7月 7日         初盆火入れ(お申し出の方のお仏壇の前でお勤めします)

7月 12日から15日    お盆勤め(地区別にお勤めします)

7月 23日        初盆総回向

8月 7日         初盆火入れ(お申し出の方のお仏壇の前でお勤めします)

8月 11日から15日    お盆勤め(地区別にお勤めします)

8月 23日        初盆総回向

9月 23日 午後1時30分 秋彼岸会 布教使 鷲山了悟師

10月 25日 午後1時30分 秋千部会 布教使 佐波真教師

12月 7日 午後1時30分 報恩講  布教使 葛野洋明師

12月 31日 午後5時   歳末会

お茶からの学び

お茶からの学び

茶道を学び始めると、日本文化について多くのことに気づかされます。
僧侶として、お同行さんの自宅でお勤めする時、お茶(抹茶)をいただくことがあります。お寺の行事で他寺にお手伝いにいく時、もてなしとしてお茶(抹茶)をいただくことも多いです。お茶(抹茶)のいただき方(作法)も知らず、先輩の僧侶に教えていただきながら、床の間には掛軸がかかり、花が生けてあることに深く考えることはありませんでした。しかし、1幅の掛軸や一輪の花に込められた意味を知ると、もてなす側の想いをより深く感じることができます。
茶室に限らず、これまでの日本建築の建物には床の間があり、花が生けてあるのに、何も知らずにいたことに気づくと恥ずかしい気持ちになり、公民館の茶道講座で学び始めました。稽古は、茶事を行う為の点前を習うのですが、床の間の掛軸のことや花を生けること、禅の教えを通しての精神性や、客をもてなすことを通して他者への気配りなど、日本文化や精神性などに関係していてとても興味深いものを感じます。

稽古の最初は、客としての作法から入ります。招かれた家に入る時から始まります。襖(障子)の開け閉め、畳の足の運び、床の間の拝見の仕方、畳の座り方などは、お茶に関係なくても日常にあることです。お茶を習わなくてもマナーとして学ぶこともありますが、1つの形として身につけると迷わなくなります。お茶(薄茶)とお菓子の関係も茶道の中では、最初にお菓子をいただき、お茶(薄茶)をいただく形です。
茶会や茶事では、客の役割も増えますが、日常でもその場を一期一会として考えるなら、招く側(亭主)と招かれた側(客)の関係をより深く感じることができると思います。

今年は、茶道を習い気づいたことを記載していきます。

【報告】真宗入門講座

【報告】真宗入門講座
高田本山専修寺の「親鸞伝絵」から親鸞聖人の生涯の紹介です。
今回は、「稲田興法」の段でした。親鸞聖人の越後での流罪が終わり、信州を越え関東に向かわれました。何故関東へ向かわれたかの理由は定かではありませんが、関東の地におよそ20年間逗留し、法然聖人の教えを弘めていました。その1つの住居が稲田です。僧俗多くの方が教えについて聞きに来られたようです。話の中で、「教えを聞く」と「教えに聞く」の違いの説明を聞き、親鸞聖人は、師の法然聖人の教えをどこまでも聞いていくことを喜ばれたことを改めて感じました。また、「弟子1人持たず」と言うスタンスの親鸞聖人でしたが、多くの方が教えを聞きに来ることは、親鸞聖人が師匠の法然聖人と出遇うことと同じように、親鸞聖人に出遇われた方々がいらっしゃったんだと感じました。
※中川個人の感想です。



次回は3月27日(木)13時30分から15時30分 高田会館ホールで「山伏済度」の段の紹介があります。高田本山も桜が咲き出す頃と思います。関心のある方は是非足をお運びください。
※前回の案内では、03月26日(水)でしたが、3月27日(木)に変更になっています。お間違えなきようお願いします。

本堂の荘厳①

本堂の荘厳①
本尊
本尊には、「木像」・「絵像」・「名号(みょうごう)」があり、いずれかを安置いたします。木像の本尊は、阿弥陀如来の立像で、光背(こうはい)は傘後光(かさごこう)を本来の形としておりますが、舟形後光のものもあります【真宗高田派の平素のお給仕より】

真宗のご本尊
ご和讃に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」とあります。阿弥陀仏のご本願は、衆生のはかりある(有量の)境涯の苦悩を、摂取して捨てずのお心を成就するために、はかりなき(無量)仏になり給うた。これが阿(無)弥陀(量寿)の名のりであります。この仏が、衆生のために名乗り立ち上がる。すなわち南无(帰命)阿弥陀(無量寿)の仏となる。すなわち南无阿弥陀仏なのであります。【中略】では浄土真宗のご本尊はどうなっているでしょうか。座像でなく、立像の来迎仏でもなく、お真向(まむき)さまと呼びならわされています。これは、52段を衆生の場まで降り切って、真向いに至り着いて離れぬ大悲心を表しています。ご開山聖人が、こうして至り来て下さっている「大悲無倦常照我」の仏を、仏というより「如来さま」といただかれていたことは、ご和讃のよろこびの高潮した折りのお言葉に、「如来大悲」とか「如来作願」とか、「仏」より「如来」の方が多く唄われているのを見てもうなずかれます。さて衆生の所まで常に昼夜を分かたず、来切って下さるので、「来迎まつことなし」の不来迎、不廻向で、「常来迎」です。如来よりの「御廻向」が、み足を揃え1つの蓮台に乗っておられるみ姿となります。この蓮華に割り蓮華といって前から見ると2つに見え、それがくっついて1つになっているのがあります。お寺の古い仏像でよく見かけますが、これは来り来る瞬間を表したものかも知れません。
古い仏像は、光背が舟型の雲が多いですが、こうした阿弥陀像をいわゆる「傘後光」に直したのがあり、そのみ光は数十本の荘厳でした。しかし阿弥陀如来の誓願は、所依の経典『大無量寿経』から窺いますと、摂取不捨たらしめるために48願が説かれてあります。従ってこの願を表すために48本のみ光を後光とするのが、そのみ姿のありようになってまいりました。御画(絵)像につきまして、この48本のみ光が、金色の線で表され、この影の部分が紺地で相互しています。高田派や、本願寺派のはそのみ光が画面の中央を通り、これが逆になっているのもあります。こうした仏像はご本尊とする時、必ず「お裏書」があります。これは最近まで、ご法主が書かれたものでありましたが、制度が変わり、今は本山「専修寺」になっています。ご本山進納所でお受けするお真向さまには、これが裏に貼ってあります。お寺の木像には「お墨付き」が下付され保管されています。書かれてあるのは、「方便法身尊像」で、基本としては本願の「名号」がご本尊ですが、最初に申した通り、「法」の法身から、「方」まさしく、「便」すなわち、形を以て象徴した時、あるべくして拝み出されたのが、この大悲の願(48)を背負い、生死の苦海に出でまして「衆生を呼ぼうて乗せたまふ」お慈悲が、立像として寄り添い、常に喚びかけ給う、これがお真向さまであります。そうであったかと願心を仰ぐのみであります。
【「一期一会」真置俊徳著より】

【案内】真宗入門講座

【案内】真宗入門講座
真宗入門講座は、高田本山専修寺に伝わる「親鸞伝絵」から親鸞聖人の生涯の紹介です。
今年で3期目にあたります。
02月05日(水) 13時30分から15時30分 高田会館ホール
「稲田興法」の段
03月26日(水) 13時30分から15時30分 高田会館ホール
「山伏済度」の段
04月16日(水) 13時30分から15時30分 高田会館ホール
「箱根霊告」「熊野霊次」の段
05月20日(火) 13時30分から15時30分 高田会館ホール
「聖人入滅」「廟堂創立の段
どなたでも参加できます。関心のある方は、高田本山教学院におたずねください。

【案内】2月の日曜学校は2日午前7時30分からです

【案内】2月の日曜学校は、2月2日の朝7時30分から8時頃までです。
新しい年を迎えて1ヶ月が過ぎようとしています。新たな年を日曜学校から始めませんか。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

【案内】「親あるあいだの語らいカフェ」2月01日(土)13時30分から16時 妙華寺 本堂

【案内】「親あるあいだの語らいカフェ」を開催します
2月01日(土)13時30分から16時 妙華寺 本堂

お寺と教会の親なきあと相談室津市妙華寺支部では、令和5年5月13日にキックオフ講演会を開催しました。
その後、令和5年10月7日・令和6年2月3日、6月1日、10月05日「親あるあいだの語らいカフェ」を開催し「親なきあと」の課題について、「つながりの場」と「傾聴の場」をご用意しました。
4ケ月に一度ではありますが、継続的に「親あるあいだの語らいカフェ」の開催を予定しています。
当事者やご家族の皆様の悩みの「親なきあと」問題の支援が必要な場合は、専門的な知識をお持ちの支援団体に「つながる」ように。
当事者やご家族の皆様の悩みに寄り添うようにお話を「傾聴」します。
妙華寺の「親あるあいだの語らいカフェ」は、(一社)みえ円満相続支援センター様にもご賛同いただいています。また、「傾聴僧の会」の宗教者のお力添えいただきます。
令和7年も、2月6月10月の第一土曜日13時30分から16時頃の年3回開催予定です。

必要な方に届きますように

「親あるあいだの語らいカフェ」津市妙華寺支部の約束
「親あるあいだの語らいカフェ」が安心安全な「場」となるよう①~④を約束します
①布教はしません
②あなたのことを尊重します
③生き方や考え方を押し付けません
④入退室は自由です

また、みなさまと一緒に安心安全な「場」をつくるため、⑤から⑧をお願いします
⑤当日、話された内容は、この場限りで、他者には話しません
⑥ご自身の悩んでいることや辛いことをお話する
⑦他の方が話されている時は、割り込まず、最後まで聞きます
⑧お互いの悩みや「おもい」を評価したり比較したりしません

似たような境遇であっても感じ方やとらえ方は、人それぞれ異なります。
それぞれの気持ちを大切に、一期一会の時間をお過ごしください。

 

仏徳讃嘆

年忌法要のお勤め(仏徳讃嘆)
真宗の年忌法要は、亡くなられた方との縁を通して、私が仏法に出遇い、阿弥陀仏の恩徳に報謝するものですから、亡くなられた方へのお勤めでないことに違和感を感じるかもわかりません。

妙華寺の年忌法要のお勤めは、お経(浄土三部経から)・文類偈・和讃(五首か三重念仏一首)・御書拝読です。
浄土の教えのお経と親鸞聖人が著した中から漢文の偈文、同じく和語で讃じた文、歴代ご法主の手紙形式の法語です。そして、亡くなられた方を通して阿弥陀如来のはたらきが、私を必ず救うと誓ってくださり、生きる喜びを知らしめてくださることに対して仏恩を讃歎しています。
限られた時間ですので、亡くなられた方と今の私の関係を新たに結んでいただく時間でもあると考えています。大切な方が亡くなられた時点では気がつかなかったことが時間と共に気づかせていただくことがあったりします。

私(住職)も、前住職(父)が亡くなった後、言葉を交わすことがなくなったのですが、お寺のことで悩んだりする時、前住職ならどう考えるか・前々住職であればどう捉えるかなど現実的ではありませんが、心の中で対面しています。
そして、そのことが大きなはたらきの中のことであると感じています。

文化財防火デー

文化財防火デー
毎年、1月26日を文化財防火デーとして火災に注意喚起がなされています。
昭和24年(1949)1月26日法隆寺金堂が焼失し、貴重な文化財などに再びこのようなことが起こらないよう昭和30年に「文化財防火デー」が制定されました。

文化財だけでなく火災については注意が必要です。
昨年11月下旬にお寺の近くで民家の火災がありました。一軒の家屋が半焼で人的被害もなかったですが、燃えさかる火を見ると怖さを感じます。

お寺の本堂を始めとして、消火器や火災報知機を設置していますが、日頃から火災への意識を更新していかなければいけないと思っています。

文化財と聞きますと国宝や重要文化財の建物や宝物など貴重な品を最初に思い浮かべますが、小さなお寺にも地域やお同行の皆様から大切にされているものがいくつもあります。
私(住職)は、手を合わせる場・心が癒やされる場・非日常の場などの集いの場を思い浮かべますが、皆様はどうでしょうか。

最近は、喫煙者も少なくなりましたが、境内では、タバコのポイ捨ても見受けられますのでマナーをお守りいただく周知も必要です。
地域やお同行様の大切なものを預かっている寺院管理者として、もしもの時の行動を身につけることも大切だと改めて考えています。

また、火災だけでなく、南海地震の発生も以前に増して確率が上がっています。
今年の1月17日は阪神淡路大震災から30年でした。この地でも震度4だったかと思いますが、私の中では大きな揺れで、目をさましました。東日本大震災でも、ゆっくりした揺れに不気味な感じを受けました。昨年(令和6年)の元日の能登半島の地震でも本堂の輪燈が揺れていました。8月8日の日向灘沖の地震では、東南海地震注意が発出されたことも改めて地震について考えるきっかけになりました。
災害時に活用できます未来共生災害救済マップをご存じでしょうか。指定避難所以外にも、寺院や神社の施設で避難所として使用できる場合に現状(避難人数)などを投稿することもできる仕組みがあります。妙華寺でも、防災対策に取り組んでいます。

【案内】選択本願念仏集の掛軸

【案内】選択本願念仏集の掛軸
今年も本堂西余間に「選択本願念仏集」の 掛軸を荘厳します。(2月10日まで)
令和3年に修復しました「選択本願念仏集」の掛軸を、法然聖人のご命日(1月25日)に、ちなみ本堂西余間に披露します。ご興味のある方は、ご覧下さい。
法務などがありますので、事前にご連絡いただけますようお願い申し上げます。
※本堂でお勤めなどがある場合は、ご覧いただけませんのでご了承ください。

選択本願念仏集 掛軸 3幅 妙華寺所蔵
紙本 着色 表具縦194cm横97.5cm 本紙縦142cm横77.5cm

法然聖人の『選択本願念仏集』の内容を絵画で著している3幅の掛け軸。
1幅目から3幅目全て下から上へ6段に分かれ、3幅目の最後(上)の段は「選択本願念仏集終」と書かれている。
法然聖人の吉水の草庵に九条兼実が訪れた場面から初まり、法然聖人が弟子7名(内1名が祐筆)に話をされている。次に『選択本願念仏集』の名札「第1章」から「第16章」が3幅に、その内容が描かれている。

妙華寺が所蔵している「選択本願念仏集」の掛軸について、令和元年から青巖寺の清水谷正尊師に調査を依頼していました。令和3(2021)年12月24日に掛軸を撮影し、12月27日にこれまでにわかったことを報告していただきました。

「選択本願念仏集」は法然聖人が著した漢文の書物で、称名一行の専修を主張した、浄土宗の独立を宣言した立教開宗の書物でもあります。親鸞聖人は、29歳で法然聖人に帰依し33歳の時、書写を許され、その喜びを「顕浄土真実教行証文類」で述べています。その教えを自分の言葉で晩年まで多くの人々に伝えています。

漢文の「選択本願念仏集」が、江戸時代には、その教えを広める中でより多くの形態の1つとして絵画化が生まれてきたと思われます。

「選択本願念仏集」を最初に絵画として描いたのは、高田敬輔の「選択集十六章之図」です。この絵画を元として「通俗絵図選択本願念仏集」の挿絵が作製されたようです。 また、同時期に「図画和字選択集」を関通が開版し、その挿絵を和風で描いたのが忍海と言われる浄土宗の画僧です。

調査された清水谷師は「図画和字選択集」の挿絵の部分に注目し、挿絵を妙華寺の「選択本願念仏集絵伝」に合わせてみると一致したことで、「透(すき)写し」と言う手法で描き、配置を決めて掛軸の紙に写した後、着色したと報告していただきました。

挿絵と同じ構図でありますが、詳細な部分で違いがみられる部分もあります。当初、絵画が精密でなく、絵師の卵が描いたのではないかと感じもしていましたが、掛軸に至る作業としてはとても根気がいる仕事だったと感じられます。

報告を受けながら、3幅の選択本願念仏集の掛軸が、妙華寺の西余間に掛けるサイズですので、そこに荘厳し、法然聖人の「選択本願念仏集」を多くの方にわかりやすく伝えていた時期もあったのだと想像しています。