お寺の掲示板

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私は死ぬために生きているのですか?

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
がんの再発などでホスピス(終末期医療を行う施設)に移り、同じ病気の人の死を知る時、医師に訴えた言葉の一つです。家族や友人愛する人がこのような状態の時、私たちはどう寄り添えばよいのか。そして私自身が死の床にある時、その現実をどのように受け取ればよいのか。死く人たちの「生きることの意味」「生きることの物語」の問いかけに僧侶も十分答えることができているでしょうか。

秋千部会は10月26日(土)13時30分からお勤めします

永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。

妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。

10月26日の秋千部会のご法話は、明通寺の佐波真教師です。
 13時30からお勤めの後ご法話をお聴聞していただけます。

ご法話の後、終活セミナーの一環としてリハビリトレーナーさんをお招きして「健康体操」を開催させていただきます。秋彼岸会と違う内容ですのでご参加ください。

ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

ご法話は、その時、その場所で布教使様とお聴聞されていますお同行の皆様とが共に仏徳讃嘆されることで成り立つお話しです。その臨場感はその空間でしか味わえない法悦(ほうえつ)を感じます。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

ひとくち法話

ひとくち法話

聖徳太子と親鸞聖人は仏々想念
聖徳太子は、我が国の文化の創始者であり、その文化の中心には、常に仏教精神を据えて、国民の心をまとめていこうとされました。
憲法十七条の制定は、その精神の最たるものです。第1条の「和を以て貴しとなす」も、第2条の「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」も、そして第10条の「われ必ずしも聖(ひじり)にあらず、かれ必ずしも愚(おろか)にあらず、ともに是れ凡夫(ぼんぷ)ならくのみ」もすべて仏の教えに依っての平和思想であります。
こうした平和への願いは、1400年後の今日に至るまで、それぞれの時代の人々の心を潤してきました。
鎌倉時代初期に出られた親鸞聖人は、その日ぐらしをしている庶民こそが救われなければ、真のほとけの教えではないという立場でしたから、聖徳太子の教えがそのままほとけの教えであるといただかれたのであります。だから聖人は、太子を「日本のお釈迦さまである」と褒め讃えられ、『皇太子聖徳奉讃』というご和讃までおつくりになりました。
また聖人は、ご自分の求道遍歴(ぐどうへんれき)の中で、転機に立つたびに太子のご示現を仰がれた話は有名であります。そして、聖人は「太子のお導きがなかったら、真宗の教えもなかった」とまでおのべになっておられます。まさに仏々相念のお心であります。
私たち真宗のご縁にあうものは、この聖人の心を心として、太子を仰ぎ七高僧ともども御影(みえい)を掲げて、お慕い申し上げるばかりであります。

お寺の掲示板

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何のために 何を求めて
傷つきつかれ 年老いて死ぬのか

「何のために」 作詞 北山 修

世の中には、自分で気がつかない葛藤に縛られて、強迫的な窮屈な生き方をしている人は少なくないようです。そのために自分が本来もっているはずの可能性を発揮できないでいます。そこから自分でもっと自由に、自分らしく生きてゆけるようになる地点まで連れてゆくのが精神分析です。たとえ厳しくても、自分のおかれている現実を、そのまま現実として直視することができるようになると、その人なりに何か、自分にできる現実に即した適応的な豊かな生き方を模索することになるものでしょう。といっても、結局、人は死の前には無力です。これは動かしがたい現実です。しかし生きているかぎり、今ここに生きているからこそできることや、味わえる楽しみや喜びを味わうしかありません。そこで何を、どうするといいのか、そこに「君たちはいかに生きるか」という今日的な課題も出てきます。精神分析は自分なりの幸福論を探して、自分なりの生き方を求めてゆくための心の自由を援助するものです。
『良い加減に生きる』歌いながら考える深層心理 きたやまおさむ・前田重治(共著)

自分の中で「何のために」と問うことは大切な決断をするときに起きてくる。
自分の進路で悩んでいる時、何かを天秤にかける時、大義名分がほしくなる。
「生きる」ことだけでなく「生死」は「何のため」と問うていくと どうだろう。

10月のおてらおやつクラブ

10月のおてらおやつクラブ
10月から一人親家族様へのおすそ分けは、おてらおやつクラブ事務局からの発送に運営方針が変更になりました。今月からは3つの支援団体様へ7日・8日に「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。
また、12月の報恩講のお非時(ひじ)の時に、支援団体様のご奉仕で「子ども食堂」を併設させていただく予定です。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

應典院「おてら終活祭」のお手伝い

應典院「おてら終活祭」のお手伝いをして
大阪で先駆的な寺院活動をされている應典院様の「おてら終活祭」のお手伝いをさせていただきました。遺影の撮影会やお坊さんへの「よろず相談」、お坊さんと一緒に食べる精進料理。そして午後から「戒名」についてお坊さんのぶっちゃけトークと「戒名」ワークショップ。多くの参加者で会場の本堂は満堂でした。僧侶の参加者は超宗派の17名でお寺から飛び出して活躍される僧侶も多く参加されていましたので私(住職)にとても刺激をいただいた時間でした。


①午前中のよろず相談では、2名の生活者からご相談を受けました。医療関係者の方は、お寺の僧侶と医療関係者で何か取り組むことができないかと模索されていました。應典院さんとも行事を考えていらっしゃるようですが多くの寺院とも取り組みたいことを考えていらっしゃるようです。もう一人は菩提寺があるのですがその方の姉が嫁がれたのがお寺(菩提寺と別の宗派)で、これからのお寺との付き合いで自分のご先祖さんをどちらに託すのがよいかと悩まれていました。今ある人間関係での悩みでありますが自分のご先祖様のことも含んでの選択でゆっくり考えながらのことになると思います。
②僧侶と食べる「精進料理」では3名の大阪のご婦人と一緒でした。それぞれ一人で参加されているのですが、一人が持参していた地元スーパーの袋からスーパーへの感想をそれぞれがされいつのまにか友達のような雰囲気になるのに驚きました。また僧侶はいつも「精進料理」ばかり食べているのかとか、どこの精進料理が美味しいとか尋ねられるのですが、私(住職)はいつも精進料理を食べている訳でもなく、精進料理と言うと京都かなと思い語ろうとすると、私より詳細な情報をお聞かせいたただくことになりました。今回の行事に参加されたことは、新聞での案内とお聞きしました。お一人は昨年も参加して應典院さんからの案内だったようです。


③午後からの「戒名」についての僧侶のぶっちゃけトークには参加者全員が真剣に耳を傾けていらっしゃったと感じました。「戒名」と言う言葉から何を思うかはそれぞれですが、「戒名」のいわれとか、こめられている思い、授ける方の思い、金銭にまつわる思いなど「院号」を含めてお聞かせいただいたと思います。

④続いて参加者との「戒名」ワークショップでは、私のグループは2名の生活者と私(僧侶)でした。Aさんは40代の起業された方。Bさんは仕事を退職され、配偶者を少し前に亡くされた70代男性。まずはグループ内で自己紹介をし、お二人は今回初めての参加でこちらに見えた理由をお尋ねしました。「戒名」という言葉がキーワードであったようですが、自分で「戒名」を考えることまでは思っていなかったそうです。少しお寺のことやお坊さんのことを知りたいと言うのが本音のようです。ワークシートに10分ほど時間をとり私(僧侶)も記入をして3人で共有しました。そのあとご自身で「戒名」の文字をいくつか考えていただくのにおよそ15分ほど時間をとりました。私(僧侶)もワークシートの内容の振り返りで文字を書きました。3人で共有する前に、私のお寺でどのように「戒名」をお付けしているかを拙寺のサンプルを示しながら説明しました。「戒名」の漢字の読みは、呉音か漢音かとか、「戒名」の漢字として使用を控える場合や欠画文字のことなどお話ししました。それから「戒名」候補の漢字の共有をして少しコメントしました。また限られた時間の中で、お二人とお話させていただいた関係性から感じた私(僧侶)の「戒名」候補の一字をお二人に示してその背景をお話しました。ワークの時間として1時間30分ほどでした。


※注意
ワークショップで自分で「戒名」候補としてあげた字が、菩提寺様の「戒名」の候補となるかは別の問題であります。ワークショップではこれまでの自分を振り返りこれからの生きる指針になる字の1つとして考えていただいたことが大切と思いました。
「生前戒名」を希望される方へはこのワークシートを使って一緒に考えることができると思いますので妙華寺でも取り入れたいと思います。
とても有意義な経験をできたことに感謝します。

※真宗では「戒名」とは言わず「法名」と言いますが、行事でのテーマの「戒名」を使用し記載しました。

※中川個人の感想です。

9月の聞法

9月の聞法
4日は、本願寺派の「浄土真宗聖典全書」全6巻の刊行記念の講演会とシンポジウムに参加しました。行事の後半時間には大きな雷鳴が響くこともあり久しぶりに雷鳴に驚いていました。また会場である京都で同郷の知人に会うこともうれしいものでした。
講演は、徳永一道師と佐々木勇氏で、徳永先生は、浄土真宗聖典の英訳への取り組みで苦労されていることは、西洋文化と東洋文化の違いからくるもので、「ありがとう」とサンキューや、「さよなら」とグッドバイの違いをお教えいただきました。「他力」思想は東洋文化から生まれてきたものということも私(住職)には詳しくは分かっていませんがうなづくことができそうでした。佐々木先生は「親鸞聖人の漢文訓読」と題され親鸞聖人の真蹟から分かることをお話されました。私(住職)は他の祖師の真蹟を見ることはほとんどありませんので親鸞聖人の真蹟と比較することもありませんでしたが、親鸞聖人自ら読みを加点することは他の祖師にはない特徴のようです。時代と共に訓読も変化している中で親鸞聖人は時代を先取りした形であったことも驚きの1つでした。経文解釈に独特のものがあるのも親鸞聖人の中で独自のルールがあったのか気になるところでした。
後半は、本願寺派の田中真師が「浄土真宗聖典全書」の刊行までのご苦労を紹介されました。大谷派の三木彰円師は『板東本 教行信証』から親鸞聖人が聞思された教言を、そのまま私たちが聞思していくことの大切さを話されました。高田派の栗原廣海師は、高田派聖典を刊行した時の紹介で、聖典刊行には、学術的な研究の紹介と広く多くの方へ親鸞聖人のみ教えの紹介する力点をどのように工夫するか今後も難しい問題であることや高田派の特色などを話されました。 ※中川個人の感想です。

10月の日曜学校は6日午前7時30分からです

少し秋を感じる時期になりました。心を落ち着けて日曜学校に参加しませんか。
10月の日曜学校は、6日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

今年は、久居の歴史を紹介しています。

お寺の一日(10月)

10月は、夏衣から冬衣への衣更えでもあります。私(住職)は暑がりのせいか、10月でも暑い日に冬衣を着ると再び汗いっぱいになることもあります。
12月発行の寺報の原稿を10月初旬に印刷屋へ原稿を入れ2度ほどの校正で11月上旬に刷り上がり12月の報恩講の案内に同封しています。
また、秋千部会の案内の宛名を手書きでしています。案内文は印刷ですがせめて宛名は下手な字ですが心を入れて書いています。