11月の日曜学校は3日です

11月の日曜学校は11月3日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(重誓偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
早いもので今年も後二ヶ月になりました。
もう一度、お仏壇でのお勤めを日曜学校で一緒に学びましょう。
今年は、久居の歴史を紹介しています。

10月の聞法

10月の聞法
8日に、羽田信生師の「米国で真宗を学ぶ」~私が米国で体験した困難なことがらと米国人の真宗理解~の講演を聞くことができました。
私(住職)は英語も理解できない人間ですが、異国で多くの日本人か仏教を伝えようとされていることは知っています。羽田先生もそのお一人で現在も米国に在住して米国人に仏教(真宗)の教えを伝えられています。前半は、ご自身が仏教に出遇うことになったきっかけから米国に赴かれたこと。米国での生活の中で日本人と米国人ではバックボーンが違うことから、故郷とか家についての感覚や人間の見方などの相違点。英語を学ぶにあたっての難しさ特に英文を書くことは大変難しいことををお話されました。後半では、真宗のみ教えの「3願転入」から、米国人の真宗理解をお話されました。西洋思想にもある、理性的、合理的、倫理的な仏教や二元的、神秘的な仏教は理解されやすく人気がありますが、それらを超えた仏教には中々理解が及ばないようです。このことは米国人だけでなく今の私たち日本人も西洋思想を前提として勉強していますので「3願転入」に至る道をうなづくことは、師を通して聞法なくしては難しい道と思っています。
※中川個人の感想です。

17日は、4ヶ月ぶりに紫雲会に伺うことができました。講師は、本願寺派布教使の花岡靜人師で「恩徳讃を仰いで」の講題でお話いただきました。「恩徳讃」は身近な和讃で紫雲会の最後にも参加者全員で唱和しています。親鸞聖人が「恩徳讃」でどのようなお心を表現されようとしたのか改めてお話いただきながら私(住職)も考えていました。「如来」と「仏」のこと、「恩徳」の言葉の意味、「報謝」の生き方とは。「疑」についてや「粉骨砕身」の由来や和讃の背景など詳しくお聞かせいただきました。
個人的には、「平等」と「公平」についても興味深く聞きました。講義のようで法話のようなどっちつかずでなく、どちらとしても、私に迫ってくる貴重な時間でした。
※中川個人の感想です。

23日に毎年2回公開講座を開催しています、仏教教育研究センター公開講座の1つに妙華寺衆徒が『「お寺」を開く時代へ』と題してお話するご縁をいただきました。
また、妙華寺の衆徒の話を聴きたいとお同行様も一身田まで駆けつけていただき感謝申し上げます。
仏教教育研究センター公開講座のチラシには、【講師中川結幾から】
近年、様々な分野においてお寺の役割が再発見されつつあります。一方で、お坊さんが世間からの期待に十分応えることができているかというと、まだ検討されるべき余地が残されているように感じます。本講座では、私自身が経験してきた児童館での子どもを中心とした「地域づくり」や「子育て支援」、自死相談活動での「心の居場所づくり」などを通して、開くとはどういうことなのかについて皆様と一緒に考えてみたいと思います。
とあり、衆徒のこれまでの経験の中で、「お寺を開くこと」に関する衆徒自身の思いを共有する時間でした。
お寺の存在価値はどこにあるのか。そして、お寺の何を開くのか。考える中身は深くて様々ですので限られた時間で結論に至る問題ではありませんが、お寺について改めて考える時間となりました。私が思う「みんな」と言う概念の外側にいる「人々」(私が想定できない人々)に思いを馳せていかなければ「開く」ことの意義はないのだろうと言うことはとても新鮮でした。今回のようなテーマは、講師の話を聴くだけでなくWSのスタイルで色んな方の意見も聞くことができれば面白いのではないかと思いました。
私(住職)の知らない衆徒の一面を知ることにもなりましたし、お寺への思いを知ることにもなり親バカかも分かりませんが聴講して良かったと思います。
※中川個人の感想です。

秋千部会お勤めしました

9月の秋彼岸会も前日まで雨模様で、10月の秋千部会も前日まで雨模様で当日の天候も心配でしたが法会の始まる頃には晴れ間も見ることができました。お勤めに出仕していただく法中様は、黒衣・五条です。住職が登壇して『無量寿経上巻』を拝読させていただいています。
ご法話は、佐波真教師で私たちの生き様が念仏のみ教えに遇うことでどのように受けとめるようになるのか身近な方の死を通してお話いただきました。
親鸞聖人が受けとめたお経の中の「親友」や「地獄」とはもう一度考える機会をいただきました。自坊が聞法の場ですので、ゆっくりお聞かせいただくことが大切ですが、わずかな時間にさまざまな雑用が起こり最初から最後までお同行の皆様と一緒にお聞かせいただく時間がとれず残念です。
また、法話の後、リハビリトレーナーさんに「健康体操」をお願いしていました。九月の秋彼岸会から2回目の開催でした。参加されました方から「肩の痛みを和らげる方法を教えてもらって良かった」と感想をいただきました。

前日にお電話で法話を聞くことはだれでも良いのですかと尋ねられました。お寺には、どなた様でもお越し頂くことができます。ご法話を聞法していただくご縁ができればどうぞご聴聞ください。
妙華寺でご法話をご聴聞できますのは年5回の行事の時だけです。
次回は、12月1日の妙華寺の報恩講です。龍谷大学大学院の教授で本願寺派の布教使の葛野洋明(かどのようみょう)師をお迎えさせていただくご縁をいただきました。
布教使様それぞれの味わいをお聴きさせていただくことができるご法話は、限られた人生の中で自分自身を見つめる貴重な時間と思います。ご都合がつきましたら、お寺の行事にご参加され、ご一緒にご法話をご聴聞しましょう。
また、ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご聴聞いただきますと記念の品をお渡ししています。

四季の花

四季の花 9月、10月は雨が多いように感じています。10月に入ると境内のキンモクセイの香りが風に運ばれてきますが、雨で長くはなかったような。数年前に植樹した四季桜も少しずつ花を咲かせています。秋明菊・ホトトギス・ツワブキなど秋を感じることも楽しいです。

死後事務委任って?

弔い委任講座
大阪で先駆的な寺院活動を行っている大蓮寺・應典院が会場で、「お寺のための弔い委任講座」が開催されました。「弔(とむら)い委任」とあまり耳慣れない言葉ですが「死後事務委任」のことです。「死後事務委任」の言葉もあまり耳慣れないですね。お寺では、お同行の方から「私が亡くなった時、後のこと全部お願いします」などの言葉をいただくことがあります。この言葉に込められている、お同行様の思いとお寺の住職である私の思いの中で、重なる部分とどちらかが気がつかない思い、そして共に気づいていない思いが存在しますし、私たちの思いは時間と共に変化します。


また、私に何かあった時の緊急連絡先を思い浮かべてみてください。2人以上の連絡先があればよいけれど、1人だけであったり、思い浮かぶ人がいない場合どうすればよいのか。そこにお寺が連絡先として思い浮かべていただくことができるような関係を結ぶことができないか。特に、これまでの家制度が中心のお寺とお同行様の関係では語られてこなかった単身者や後継者がいない方の死後のこと、お寺の関わりでいえば、葬儀、納骨、その後の供養以外にも多くの事務手続を誰がするのか特に身柄引受は切実な問題のようです。お一人で生活されていらっしゃる方は死後のことだけでなく、生前の生活の中でも多岐にわたり切実な問題があります。
これまでお寺の住職は、葬儀などの仏事だけ行っているだけでよかったのかもわかりませんが、これからの時代のお寺の住職には仏事以外にもできることがあるのではという観点から「死後事務委任」の制度にお寺が関わることができる部分を考えさせられました。
死後事務委任には専門的な知識が必修ですが、僧侶に備わっていない知識は、専門家の士業の方々とパートナーを組みながらワンストップのパッケージの提案でした。
参加された寺院の方々では、お一人で生活されていらっしゃる方へ「死後事務委任」を既に独自に取り組まれているお寺もあり、お話を聞くだけでも興味深い講座でした。会場の大蓮寺・應典院住職の秋田光彦住職のお寺の取り組みを30分ほどお聞かせいただく時間もあり有難いセミナーでした。「死後事務委任」についてのお寺の取り組みにはそれぞれの寺院の形がありますので一律ではありません。それでも志を一つにして、それぞれのお寺での取り組みや工夫を共有できる組織があれば、大いに賛同したいと思います。

妙華寺でも令和2年は、行政書士法人 中村事務所様のご協力をいただき3回にわたり
終活カフェを開催予定しています。日頃、相続や遺言・介護保険について不明な
ことがございましたら、お茶を飲みながらお気軽にお尋ねください。どなたでも参加できます。
令和2年(2020年)
03月20日(祝日・金)春彼岸会 法話終了後から17時終了予定
終活カフェ 行政書士さんに聞く① 「相続を争続にしないために」

09月22日(祝日・火)秋彼岸会法話終了後から17時終了予定
終活カフェ 行政書士さんに聞く② 「遺言・後見・死後事務について」

10月24日(土)秋千部会法話終了後から17時終了予定
終活カフェ 行政書士さんに聞く③ 「介護保険の活用方法」

お寺の掲示板

お寺の掲示板
私は死ぬために生きているのですか?

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
がんの再発などでホスピス(終末期医療を行う施設)に移り、同じ病気の人の死を知る時、医師に訴えた言葉の一つです。家族や友人愛する人がこのような状態の時、私たちはどう寄り添えばよいのか。そして私自身が死の床にある時、その現実をどのように受け取ればよいのか。死く人たちの「生きることの意味」「生きることの物語」の問いかけに僧侶も十分答えることができているでしょうか。

秋千部会は10月26日(土)13時30分からお勤めします

永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。

妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。

10月26日の秋千部会のご法話は、明通寺の佐波真教師です。
 13時30からお勤めの後ご法話をお聴聞していただけます。

ご法話の後、終活セミナーの一環としてリハビリトレーナーさんをお招きして「健康体操」を開催させていただきます。秋彼岸会と違う内容ですのでご参加ください。

ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

ご法話は、その時、その場所で布教使様とお聴聞されていますお同行の皆様とが共に仏徳讃嘆されることで成り立つお話しです。その臨場感はその空間でしか味わえない法悦(ほうえつ)を感じます。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

ひとくち法話

ひとくち法話

聖徳太子と親鸞聖人は仏々想念
聖徳太子は、我が国の文化の創始者であり、その文化の中心には、常に仏教精神を据えて、国民の心をまとめていこうとされました。
憲法十七条の制定は、その精神の最たるものです。第1条の「和を以て貴しとなす」も、第2条の「篤く三宝を敬え。三宝とは仏・法・僧なり」も、そして第10条の「われ必ずしも聖(ひじり)にあらず、かれ必ずしも愚(おろか)にあらず、ともに是れ凡夫(ぼんぷ)ならくのみ」もすべて仏の教えに依っての平和思想であります。
こうした平和への願いは、1400年後の今日に至るまで、それぞれの時代の人々の心を潤してきました。
鎌倉時代初期に出られた親鸞聖人は、その日ぐらしをしている庶民こそが救われなければ、真のほとけの教えではないという立場でしたから、聖徳太子の教えがそのままほとけの教えであるといただかれたのであります。だから聖人は、太子を「日本のお釈迦さまである」と褒め讃えられ、『皇太子聖徳奉讃』というご和讃までおつくりになりました。
また聖人は、ご自分の求道遍歴(ぐどうへんれき)の中で、転機に立つたびに太子のご示現を仰がれた話は有名であります。そして、聖人は「太子のお導きがなかったら、真宗の教えもなかった」とまでおのべになっておられます。まさに仏々相念のお心であります。
私たち真宗のご縁にあうものは、この聖人の心を心として、太子を仰ぎ七高僧ともども御影(みえい)を掲げて、お慕い申し上げるばかりであります。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
何のために 何を求めて
傷つきつかれ 年老いて死ぬのか

「何のために」 作詞 北山 修

世の中には、自分で気がつかない葛藤に縛られて、強迫的な窮屈な生き方をしている人は少なくないようです。そのために自分が本来もっているはずの可能性を発揮できないでいます。そこから自分でもっと自由に、自分らしく生きてゆけるようになる地点まで連れてゆくのが精神分析です。たとえ厳しくても、自分のおかれている現実を、そのまま現実として直視することができるようになると、その人なりに何か、自分にできる現実に即した適応的な豊かな生き方を模索することになるものでしょう。といっても、結局、人は死の前には無力です。これは動かしがたい現実です。しかし生きているかぎり、今ここに生きているからこそできることや、味わえる楽しみや喜びを味わうしかありません。そこで何を、どうするといいのか、そこに「君たちはいかに生きるか」という今日的な課題も出てきます。精神分析は自分なりの幸福論を探して、自分なりの生き方を求めてゆくための心の自由を援助するものです。
『良い加減に生きる』歌いながら考える深層心理 きたやまおさむ・前田重治(共著)

自分の中で「何のために」と問うことは大切な決断をするときに起きてくる。
自分の進路で悩んでいる時、何かを天秤にかける時、大義名分がほしくなる。
「生きる」ことだけでなく「生死」は「何のため」と問うていくと どうだろう。

10月のおてらおやつクラブ

10月のおてらおやつクラブ
10月から一人親家族様へのおすそ分けは、おてらおやつクラブ事務局からの発送に運営方針が変更になりました。今月からは3つの支援団体様へ7日・8日に「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。
また、12月の報恩講のお非時(ひじ)の時に、支援団体様のご奉仕で「子ども食堂」を併設させていただく予定です。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。