12月の日曜学校は4日です

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今年最後の日曜学校は4日の報恩講の朝7時30分から8時頃までです。
お寺の一番大切な日を日曜学校から始めませんか。報恩講のお話しもできればと思っています。
ご家庭での平素の夕時のお勤めを一緒にお勤めいたします。輪(りん)の打ち方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

日曜学校念珠IMG_1153

生活の中の仏教のことば

出世(しゅっせ)
ほとけさまがこの世に出られたことを出世といいます。また我々が世間を捨てて仏道にはいることにも使います。
現代では金銭的に裕福になるとか、地位をのぼることを出世といいますが、欲得を離れた本来の意味からいえば寂しい限りですね。

 

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報恩講のご講師様から

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講師挨拶

この度は妙華寺さまの報恩講にご縁を頂戴しました、大河戸悟道と申します。

報恩講とは恩に報いる講(あつまり)という名称であります。さて、その恩とはいかなるものなのでしょうか。よく「親になって初めて知る親の恩」などと言うことがありますが、親になったからといって親の恩に気づくとも限りませんし、もし「ありがたい」と感じることがあったとしても、それで親の恩を知り尽したとは言えないであろうと思います。

報恩講の恩とは、親鸞聖人がいらっしゃったからこそ、この私はお念仏に出遇うことができたことに違いありません。その恩を私はどれほど頂戴しているのでしょうか。気づかないまま息をしているばかりでは、恩に報いるどころか、恩を恩とも知らずに生きていることになってしまいます。

報恩講は私の人生における句読点のようなものと思っています。ここで一旦立ち止まり、足元から確かめてみることで、大きな恩に気づくかもしれません。

南無阿弥陀仏

 

住職より

※今回の布教使であります大河戸悟道(おおこうど ごどう)師からご挨拶が届きましたのでご披露させていただきます。大河戸師は、豊橋市にあります高田派の正太寺(しょうたいじ)のご住職です。高田本山では勿論のこと宗外でも布教について研鑽されています。

この度ご縁をいただきまして妙華寺の報恩講でご法話をいただくことになりました。

 

私たちは人生の中でどれほどご法話をお聴きすることができるでしょうか。振り返ってみると私(住職)は自坊の年に5回ある行事のご法話も満足に聴聞できていない身であります。多忙であるから聴聞できないのでなくなんとはなしに聴聞する時間をとらない自分自身があるのです。聴聞できる時間をとらないと聴聞できないのであれば365日間、聴聞する訳ではありません。是非とも妙華寺の5回の行事にご参詣いただき、ご法話をご聴聞していただければと思います。

 

大河戸師の正太寺につきましては正太寺のHP(http://shotaiji.com/)がございますのでご覧下さい。

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源空聖人

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七高僧
昨日HPで、高田本山のひとくち法話の紹介で、7高僧についての「ひとくち法話」が始まりました。妙華寺の日曜学校でも以前7高僧について紹介しましたことも続けて掲載させていただきます。
七高僧とは、親鸞聖人が浄土教の祖師として尊崇した、インド・中国・日本の七人の高僧を示します。龍樹(りゅうじゅ)菩薩・天親(または世親)菩薩【インド】、曇鸞(どんらん)大師・道綽(どうしゃく)禅師・善導(ぜんどう)大師【中国】、源信(げんじん)和尚・源空(げんくう)上人【日本】の七人で、それぞれの著書の中で真宗で大切にしているものを「七祖聖教」(しちそしょうぎょう)という。
龍樹の『十住毘婆沙論』の「易行品」
天親の『無量寿経優婆提舎願生偈』(浄土論あるいは、往生論と略する)
曇鸞の『無量寿経優婆提舎願生偈註』(往生論註あるいは、浄土論註、単に論註と略する)
と『讃阿弥陀仏偈』
道綽の『安楽集』
善導の『観無量寿経疏』 と『法事讃』と『観念法門』と『往生礼讃』と『般舟讃』
源信の『往生要集』
源空の『選択本願念仏集』
⑦源空(法然)は天台宗の僧であったが、善導の『観経疏』の「一心にもっぱら弥陀の名号を念じて、行往坐臥に時節の久近(くごん)を問はず念々に捨てざるは、これを正定の業と名づく、かの仏の願に順ずるがゆえなり」という文によって専修念仏(せんじゅうねんぶつ)に帰した。あとは偏(ひとえ)に善導一師をよりどころにして浄土教をひろめていったのである。源空の浄土宗独立の宣言書が『選択本願念仏集』である。「往生の業として、阿弥陀佛が本願に選び取られた行こそが念仏である」として、称名念仏の専修を教えている。親鸞の『教行証文類』にならい、有名な「三選の文」の引用すると「それすみやかに生死を離れんと欲(おも)はば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門を閣(さしお)きて選びて浄土門に入るべし。浄土門に入らんと欲(おも)はば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行を抛(なげす)てて選びて正行に帰すべし。正行を修せんと欲(おも)はば、正助二業のなかに、なほ助業を傍(かたわ)らにして選びて正定をもつぱらにすべし。正定の業とは、すなはちこれ仏名を称するなり。名を称すれば、かならず生ずることを得。仏の本願によるがゆえなり」この「仏の本願による」という言葉に、「阿弥陀佛の選択」された念仏こそがすべてである。という源空の強い思いが見て取れよう。親鸞はこの源空を生涯の師とした。かれが師の教えとして、「正信偈」源空讃にその功績をたたえていることは、『選択集』の第8「三心章」で、「生死の家には疑をもって所止(しょし)となし、涅槃の都には信をもって能入となす」と述べている。本願を信ずること(信心)こそが浄土往生の正因であるという教えは、師 源空より得たとの言明である。
『親鸞読み解き事典』から

ひとくち法話

源空上人(げんくうしょうにん)
源空上人は法然上人(ほうねんしょうにん)の名で親しまれています。
上人は平安時代の末、崇徳天皇(すとくてんのう)の長承2年(1133年)4月、美作(みまさか)の国(現在の岡山県久米南町)でお生まれになりました。親鸞聖人より40年前のことでした。
ご幼名は勢至丸(せいしまる)と申されましたが、勢至菩薩(せいしぼさつ)に似て、よほど智慧のすぐれたお方だったのでしょう。御父君は明石の代官の夜襲を受けて、亡くなられたのですが、その時、枕元に勢至丸を呼んで「父の恨みで代官を『敵討ち』してはならぬ。次はお前も敵対されて、これが代々続いて永遠に恨みとけないものであるぞ」とさとされました。
この遺言が法然上人を仏道に向かわされたと伝えられています。
上人の御事績は数多くありますが、中でも特筆すべきことは『選択本願念仏集(せんじゃくほんがんねんぶつしゅう)』を著されたことでしょう。ここで老若男女や身分の上下に関係なく、お念仏一つでまちがいなくお浄土まいりができると説かれたのでした。
比叡山を去り東山の吉水(よしみず)を拠点に説法される法然上人の許には、庶民も含めて群衆が門前市をなすようでした。ここへ親鸞聖人も観音菩薩の夢告をうけて馳せ参じられました。親鸞聖人は『教行証文類(きょうぎょうしょうもんるい)』の中の「正信念仏偈(しょうしんねんぶつげ)」に
本師源空明仏教(ほんじげんくうみょうぶっきょう) 憐愍善悪凡夫人(れんみんぜんなくぼんぶにん)
真宗教証興片州(しんしゅうきょうしょうこうへんしゅう) 選択本願弘悪世(せんじゃくほんがんぐあくせ)
と讃歎されたのでした。わが師法然上人がこの世に現れなかったら、浄土の真宗の教えを、庶民に届けることもできなかったと、上人の徳を称讃されたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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11月のおてらおやつクラブ

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11月のおてらおやつクラブ 今月もおすそ分けさせていただきました。12月の報恩講にと玄米30kgをお寺にお供えいただきました施主様とお話しをしておてらおやつクラブの支援団体様にもおすそ分けさせていただきました。支援団体様は12月23日にクリスマス会を予定されています。12月には、お菓子がお届けできればと思います。
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先日11月20日の「Mr.サンデー」(フジテレビ系)でおてらおやつクラブの活動が紹介されました。私(住職)も代表の松島ご住職のおてらおやつクラブの設立に至るまでの経緯を知ることができて良かったです。また、一人親家族の環境が大変であることが見えにくいことも再認識いたしました。これまで以上に多くの方々が関心を示していただくことができれば有難いです。
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またこの度、おてらおやつクラブの活動の趣旨に賛同していただければと思い、募金箱を本堂に設置させていただきます。
おてらおやつクラブの事務局からの依頼としては、現在おてらおやつクラブでは、日々拡充する活動の資金を確保することに加え、当活動とその背景にある貧困問題についての周知を強化するため「おてらおやつクラブ募金箱」の設置をお願いしています。
活動開始からおよそ3年、おかげさまで全国各地に広がっている当活動ですが、貧困問題については、日本のどこにでもあるということがまだまだ認知されていない、あるいは「見て見ぬふりをされている」という現状があります。
問題が知られなければ対策をすすめることも容易ではなく、支援団体や当事者の多くの方が問題周知について悩みを抱えていらっしゃいます。
そこで、おてらおやつクラブに参加していただいてる皆さまに、その事実周知の一翼を担っていただきたく、その方法の一つとして募金箱の設置を提案させていただいております。ぜひ設置にご協力いただけませんでしょうか。
一つひとつのお寺が貧困問題を考える場となり、「おてらおやつクラブ」がその解決のための実践活動であることを多くの方に認知してもらい、募金という形で応援頂けたならばこれ以上の喜びはありません。
お母さん・お父さん・お子さまの声は「おてらおやつクラブFacebook」
でお知らせいたしますので、ぜひご覧くださいね。
https://www.facebook.com/oteraoyatsu
これまでも、お同行の皆様には、おてらおやつクラブの活動にお供えというお気持ちをおすそ分けしていただいていますが、募金という形でもお願いすることになりました。重ねての依頼ですので、心苦しい一面もございますが、ご趣意にご賛同いただけましたらよろしくお願い申し上げます。
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引き続き、一人親家族の支援団体への寄付となる「古本勧進」もやっています。
次回の発送は来年1月の末です。
ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。
11月も10月に続いてお同行様から不要な本をご持参いただきありがとうございます。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。
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お寺ってなんだ1? ~求められる寺院のすがた~

お寺ってなんだ1? ~求められる寺院のすがた~と題する公開シンポジウムを拝聴しました。
今回のシンポジウムのパネリストは、「人口減少社会に生きる寺院仏教に覚悟はあるか」と題して櫻井義秀先生と、「寺院の機能とお寺の存在の相即を」と題して山口洋典先生と、「お寺への回帰」と題して藤丸智雄師がそれぞれの立場で提言されました。コメンテーターとして貴島信行師が3名のパネリストの提言をまとめていただき、後半に葛野洋明師がコーディネーターとして4名の方々に提言を更に深く起こしてながらお聞きくださいました。聴衆者からの質問にもたくさんお答えいだき満足することでした。また後半のはじめに龍谷大学大学院実践真宗学研究科の3名の「地域とともに歩むお寺」・「首都圏のお寺」・「ハワイのお寺」のレポートの発表もありとても充実した時間でした。詳細は書ききれませんので省略しますが、今お寺を預かっている私(住職)にも改めてお寺のこれからについて考えさせていただく時間になりました。これまでのお寺とお同行様との関係を続けることの難しさを住職としてこの10年間肌で感じることもあります。私(住職)がお寺のものさしと社会のものさしの違う点をお同行様に充分お伝えする力不足に原因があるのですが、お寺とお同行様の関係を何か対極として考えたりしてしまうこともあるようです。しかし、お寺もお同行様も向かおうとするところは、共に歩む方向は同じであります。提言にもありましたが、「わたしと」一緒にお寺を1つのコミュニティの場として成り立つことができればと感じました。また、これまでお寺が取り組んできたことを新たな視点で見つめ直すことも必要と感じました。寺院の運営についてこれまで以上に様々な困難も生じると思われますが、妙華寺のお寺の使命として「私たちのお寺はあなたをひとりぼっちにしません」を大切にしてお同行の皆様に向き合って、共に歩んで行きたいと思っています。
※妙華寺のお寺の使命「私たちのお寺はあなたをひとりぼっちにしません」については、このブログの2015-10-20のお寺の使命に記載しています。
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報恩講お非時(ひじ)のお手伝いのご案内

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                 報恩講お非時(ひじ)のお手伝いのご案内
 平素は、妙華寺の寺院活動にご協力をいただきありがとうございます。
今年より報恩講は、12月の第1日曜日(今年は4日)にお勤めをいたします。
 報恩講のお非時(ひじ)を皆様もお召し上がられたこともあるかと思います。温かい麹味噌のお味噌汁。おいしい味付けの飛竜頭。お同行様からいただいた冬野菜を丁寧に料理していただいて、大皿に盛られたおばんざい。お供えでいただいたお米を大きな炊飯器で炊いた温かいご飯。毎年いただくのが待ち遠しいと言ってくださるお同行の方々もたくさんいらっしゃいます。

この報恩講のお非時(ひじ)のお手伝いは、これまで婦人会会員の皆様にお願いをしておりました。近年は婦人会会員の皆様もご高齢の方が多くなりご奉仕をいただくにあたりご無理をお願いしております。婦人会の会員様の増加が望まれますが、現状では難しいことでもあります。

お寺では、報恩講のお非時(ひじ)をこれからも続けていきたいと考えておりますが現状を考えますと婦人会の会員のご負担も考え、この度、婦人会会員様以外の方々へも、報恩講のお非時(ひじ)のお手伝いをお願いしたくご案内させていただきます。
お手伝い(ご奉仕)していただく日時でございますが、
・前日3日(土)は、午後1時30分より準備(午後4時頃には終わります)
・当日4日(日)は午前8時30分より準備、午前11時から午後1時過ぎまでがお非時
(ひじ)のご奉仕の時間、その後片付け(午後3時までには終了)
 この度お願いいたします皆様には、ご都合の良い日・時間でも結構ですので、お手伝いいただければと存じます。
 これまで、妙華寺の報恩講のお非時(ひじ)を喜んでいただいています方々へも、またお手伝いしていただく皆様へも、精進料理のおいしさが更に伝わるよう願っています。
 既にお手伝いを申込いただいています方もいらっしゃいますが、お手伝いを募集いたします。
準備の都合もございますので、お手伝いいただける方は、11月30日までに妙華寺までにお知らせ下さい。
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『ぴっぱら』11-12月号から

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『ぴっぱら』11-12月号から
2ヶ月に一度送られてきます『ぴっぱら』11-12月号の巻頭言にあたる「如是仏観」に奈良康明師の「葬儀の心」と題された文章が掲載されています。今の葬儀のあり方を遺族側の視点で考察されていて私(住職)は、そうだったのかと頷くばかりでした。「死者をどう悼む」かの継承がいろんな条件で難しくなっている時代ですが著者の最後の言葉「葬儀は形ではなく、心の出来事なのである」を伝える努力をしなければと感じました。
現代社会の中では親から子どもへも伝えることもままならない時代のようです。(私も先達から伝わったことを次の代に伝えることができるかと言うとあまり自信がありません)伝えることの必要なものの1つに「死者をどう悼む」かの問題は社会の中での宗教者の存在価値にも関わってきそうな感じです。

また、臨床仏教公開シンポジウムin京都の「いのちのケアを考える」のレポートも掲載されています。9月に京都で開催されることを案内していただいていましたが、所用でいけなかった私(住職)にとって有難かったです。テーマは「日本人の精神性に即したスピリチュアルケアとは?」キリスト教の宗教文化の中で培われてきたケアのあり方を日本の宗教文化の中で活用していく方途を探ることが目的のようでした。四人のパネリストの提言と議論があったようです。日本の生活環境の変化と社会の中で僧侶の存在感の希薄化が今後遺族の方々のケアに機能しなくなることに危惧され、総括として大学や研究所で、死をどのように受け入れるということに加え、仏教や葬儀の意味について建設的に考えようとすることが増えるのではとまとめられたようです。
「誰もが漠然とした不安を感じているさなか「いのち」について生涯を通じて問い続け、苦しみに寄り添う実践を行い続ける宗教者、仏教者が、今求められているのです」と最後にまとめられた言葉に向き合いながら実践活動ができればと思いました。

 また同封の案内に、「子ども食堂の作り方」と題して、お寺が子ども食堂を運営されているご住職様と地元の大学生ボランティアスタッフが講師としてお話しされる研修会が12月にあるようです。とても興味深いのですが時間の調整がつかないので残念です。
 ※「ぴっぽら」とは、お釈迦さまは、「ぴっぱら樹」という大樹の下に坐り、瞑想され、お悟りを開かれました。そこで、「ぴっぱら樹」のことを人々は「菩提樹(悟りの樹)」と呼ぶようになりました。本誌「ぴっぱら」は、「菩提樹」のインド名から名づけました。
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生活の中の仏教のことば

布施(ふせ)
ほどこし。信者(しんじゃ)は僧(そう)に財物をめぐみ、僧は信者に法を説く。ともに布施ですが、現在では僧へのめぐみを「お布施」と使います。代表的な仏教語です。
自力宗(じりきしゅう)では、仏へ近づくための修行に六波羅密(ろっぱらみつ)という6種の行(ぎょう)〔布施・持戒(じかい)・忍辱(にんにく)・精進(しょうじん)・禅定(ぜんじょう)・智慧(ちえ)〕があり、そのひとつが布施です。

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