親鸞聖人絵伝②

妙華寺の親鸞聖人絵伝の紹介②
妙華寺の報恩講の時、本堂の西余間(向かって左側)に、親鸞聖人絵伝(四幅)を荘ります。
それ以外にも、高田派の親鸞聖人絵伝がありますので、当日の布教使様の控室や法中様の控室の床の間に掛けます。

親鸞聖人絵伝 1幅 妙華寺蔵
高田派の4幅の親鸞聖人絵伝の構図を1幅にまとめた掛軸
下(向かって)右側に一幅の図 上(向かって)右側に三幅の図
下(向かって)左側に二幅の図 上(向かって)左側に四幅の図
4幅目上段に法主の署名欄がありますが、この掛軸には署名がありません。
4幅の絵伝の4幅下段にある絵師の署名欄自体が無いが構図は4幅の
絵伝と同じですので絵師は4幅の絵伝と同じ高田派の絵師と思われます。

高田本山の境内にある御飯講(本山のお仏飯を毎日用意する講)の仏間に本山の報恩講の間、この掛け軸と同じ物で21代堯熙上人の署名がある絵伝が掲げられています。

「親鸞伝絵」から図画の部分を抜き出し掛軸にしたものが「絵伝」で、場面は下から上へ順序よく配置され、各場面は「やすり霞」といわれる雲形で仕切っています。一般に4幅で一組です。

親鸞聖人絵伝①

妙華寺の親鸞聖人絵伝の紹介①
妙華寺の報恩講の時、本堂の西余間(向かって左側)に、親鸞聖人絵伝(四幅)を荘ります。
それ以外にも、高田派の親鸞聖人絵伝がありますので、当日の布教使様の控室や法中様の控室の床の間に掛けます。

親鸞聖人絵伝 1幅 妙華寺蔵
高田派の親鸞聖人650回遠忌(明治45年4月)の時、作成された絵伝。
場面は、10段あり、下の段(向かって)右側から(向かって)左側、
次に上の段(向かって)右側から(向かって)左側と進み高田派の絵伝の
20の場面からなっています。絵師の署名が一番下の(向かって)右側の 最初に記されているが、詳細は分からない。

妙華寺に伝わる物は、井戸山地区の報恩講で宿の床の間に掛けられた掛軸 で、報恩講の宿勤めを廃止した時に、井戸山地区からお寺に寄贈されたものです。

 

【案内】12月の日曜学校は1日午前7時30分からです

【案内】12月の日曜学校は、1日朝7時30分からです
あっという間の師走です。今年1年どのようにお過ごしされたでしょうか。
もう一度、仏法にふれませんか。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(嘆仏偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。

また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

【案内】報恩講は12月1日です

報恩講【案内】
【報恩講(ほうおんこう)のご案内】
報恩講は、宗祖親鸞聖人のご命日をご縁として厳修されます。
妙華寺では、12月の第一日曜日にお勤めします。今年は1日午後1時30分からです。
文字通り報恩講は、聖人のご遺徳に感謝申し上げる法会です。

それは煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫(ぼんぶ)である私は、地獄・餓鬼・畜生の三悪道(さんなくどう)に墜ちて当然でありますが、他力念仏の大道をお教えいただくことにより、お浄土に往生させていただく身になるからです。
聖人は、「この強縁(ごうえん)は多生(たしょう)にも値(あ)い難(がた)いこと」として、和讃に
如来大悲の恩徳は  身を粉にしても報ずべし
師主・知識の音読は  骨をくだきても謝すべし
と述べられました。
阿弥陀如来が「わが名を称えるものは、必ずお浄土に往生させます」という超世(ちょうせ)の願い(大悲)を成就され、お釈迦さま(師主)がこの世に出られて説法され、その道理を三国(さんごく=インド・中国・日本)の七高僧(知識)が正しく伝承されて、「南無阿弥陀仏」が私に届けられたのであります。聖人は、この経緯を自らの喜びとして、詳しくお示しされたのが真宗の教えであります。聖人は、このご縁はなにものにも代えることができない尊いことで「身を粉にしても、骨をくだいても報謝すべし」と最大級のお言葉で申されました。

報恩講の荘厳の特徴は、西余間に親鸞聖人絵伝(四幅)を掛け親鸞聖人の御生涯がわかりやすく拝見できます。(以前は絵説きもあったようです)
妙華寺の報恩講のお勤めは、高田本山の「初夜」のお勤めをしています。
住職が登壇して毎年「式文」を順読しています。

今年は、高田派の正太寺のご住職で布教使の大河戸(おおこうど)悟道師にご法話をいただきます。
ご聴聞いただくことは、仏教・真宗の見方を知ることでこれからの人生がより豊かになると思います。

一人でも多くの皆様にご聴聞をいただきたいと思います。

ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

お非時も昨年から復活しました。
2022年、食品衛生法が改正されたことを知り、イベントなどで飲食を提供する時に保健所に所定の書類を届け出ることが必要になったと聞きました。無料での提供も食中毒の危険性は同じです。冬は、ノロウィルスによる食中毒が多いそうです。
昨年に続いて、11月に入り、津保健所に届けました。
お非時も以前から気を付けていましたが、これまでも以上に衛生管理には気をつけていきます。

『仏説無量寿経』

浄土3部経③

「浄土3部経」という言い方は、法然の「選択本願念仏集」の二門章にはじまる。往生浄土を明らす根本聖典三部ということであるが、今はもっと厳密に、浄土真宗の根本教義を示す。『仏説無量寿経』康僧鎧(こうそうがい)訳 2巻 『仏説観無量寿経』畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳 1巻 『仏説阿弥陀経』鳩摩羅什(くまらじゅう)訳 1巻 をいう。【親鸞読み解き辞典】

『仏説無量寿経』2巻 康僧鎧(こうそうがい)訳
浄土真宗の根本所依の経典であり、阿弥陀仏の本願が説かれている。
序文には王舎城のぎしゃくっせん(地名)において、すぐれた比丘や菩薩たちに対して、釈尊が五徳の瑞相をあらわして(五徳瑞現)説いたものであり、如来が世間に出現するのは、苦悩の衆生に真実の利益(りやく)を与えて救うためである(出世本懐)といわれている。正宗分にはいって、第一に法蔵菩薩が発願し修行して阿弥陀仏となった仏願の始終が説かれる。まず「讃仏偈」において師の世自在王仏を讃嘆し、続いてみずからの願を述べる。次いで諸仏土中における選択(せんじゃく)と、それによってたてられた48願が説かれるが、なかでも、すべての衆生に名号を与えて救おうと誓う第18願が根本である。次に48願の要点を重ねて誓う「重誓偈」が、さらに兆載永劫(ちょうさいようごう)にわたる修行のさまが説かれ、この願と行が成就して阿弥陀仏となってから十劫を経ているといい、その仏徳と浄土のありさまがあらわされている。下巻にいたると第18願が成就して、衆生は阿弥陀仏の名号を聞信する一念に往生が定まると述べ、さらに浄土に往生した聖衆の徳が広く説かれる。こうして第二に釈尊は弥勒菩薩に対して、三毒、五悪を誡め、胎生と化生の得失を判定し、仏智を信じて浄土往生を願うべき旨を勧める。最後に、流通分(るずうぶん)にいたって、無上功徳の名号を受持せよとすすめ、将来聖道の法が滅尽しても、本経だけは留めおいて人々を救いつづけると説いておわっている。
親鸞は、「教巻」に「それ真実の経を顕さば、すなわち大無量寿経これなり」、また「如来の本願を説きて経の宗致とす、すなわち仏の名号をもつて経の体とするなり」と示し、如来の本願が説かれ、名号のいわれがあらわされた真実の教えであるとする。
【浄土真宗辞典】

『仏説無量寿経』の内容は、上巻に「阿弥陀仏の因果」が説かれ、下巻には「衆生往生の因果」が示されている。すなわち、法蔵菩薩の48願とそれに続く修行が弥陀成仏の因であり、その因が完成して、阿弥陀仏となり極楽浄土が建立され、衆生救済のために六字の名号を成就していること、これが弥陀成仏の果である。衆生往生の因とは、阿弥陀仏の名号を聞信すること(信心を賜ること)ただ一つで浄土往生がかなうという、絶対他力の大道である。すなわち私たちに与えられる救済のすがた。往生の果とは、私たちが浄土に往生して得るところの証果である。
またそれらに加えて、釈迦の出世本懐としての教えがこの『仏説無量寿経』であること、釈尊が本願の念仏に導き信後の倫理生活を勧めた「三毒・五悪段」の説、仏智疑惑のものの往生は不完全な往生の胎生であり、正しい往生の化生は得られないこと、教えが滅尽する末法のときもこの『仏説無量寿経』だけは滅びずに存続すること、なども説かれている。

ところで、この三部経の内容は、表面敵に見るかぎり、阿弥陀仏の本願と他力念仏を教える『仏説無量寿経』、定散二善の実践を中心に示す『仏説観無量寿経』、そして自力念仏を勧める 『仏説阿弥陀経』と、必ずしも同一ではない。しかし、『仏説観無量寿経』
と『仏説阿弥陀経』とは顕説と隠彰というふたつの見方があって、表に説かれた内容(顕説)では定散二善や自力念仏を説いてはいるが、表現のおくそこで本意として説いていること(隠彰)は、ともに『仏説無量寿経』に同じく、他力念仏の法であると考えるのである。
このように「浄土三部経」の内容を、それぞれが説き示すものは異なっていると考えのを三経差別門、おくそこではすべて同一の内容を説いているとするのを三経一致門という。親鸞独特の「三部経」に対する捉え方である。
【親鸞読み解き事典】

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【報告】11月のTemple Morning

【報告】11月のTemple Morning
雨上がりの朝、秋らしい一日になりました。
今年最後のTemple Morningは、3名に奉仕をしていただきました。ありがとうございます。
境内の銀杏も黄葉が始まり、落ち葉もちらほら。雨上がりの落ち葉は重いですね。

次回は、来年の4月からです。目の前の掃除に集中して取り組むことで心を整えるのが目標です。1度、皆様もチャレンジしていただきたいな。

『仏説観無量寿経』

浄土3部経②

「浄土3部経」という言い方は、法然の「選択本願念仏集」の二門章にはじまる。往生浄土を明らす根本聖典三部ということであるが、今はもっと厳密に、浄土真宗の根本教義を示す。『仏説無量寿経』康僧鎧(こうそうがい)訳 2巻 『仏説観無量寿経』畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳 1巻 『仏説阿弥陀経』鳩摩羅什(くまらじゅう)訳 1巻 をいう。【親鸞読み解き辞典】

 

『仏説観無量寿経』1巻 畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳

この経は、釈尊在世当時、王舎城におこった事件を契機として説かれたもので、その事情は、序文に示されている。悪友の提婆達多(だいばだった)にそそのかされたアジャセ太子が父のビンバシャラ王を幽閉し、その王のために食物を運んだ母の韋提希(いだいけ)夫人をも宮殿の奥に閉じ込めた。夫人は、ぎしゃくっせん(場所)に滞在していた釈尊を心に念じ、説法を求めて仏弟子の派遣を請うたところ、これに応じた釈尊みずからが王宮の夫人の前に現れた。そこで夫人は、この濁悪の世を厭い、苦悩なき世界を求め、とくに阿弥陀仏の極楽浄土を選んで、そこに往生するための観法について説法を請うた。こうして、正宗分にまず定善13観が説かれる。定善観法というのは、精神を統一して浄土と仏・聖衆(しょうじゅ)を観想することである。これらのうち第7の華座観が説かれる前に「苦悩を除く法を説こう」という釈尊の声に応じて阿弥陀仏が空中に住中する。この定善観の中心は第9の真身観である。さらに、みずから精神を統一しない散心のままで修する善である散善三福が九品(くぼん)に分けて説かれる。三福とは世・戒・行の三であり、上品には、行福、中品の上生と中生には戒福、中品下生には世福が説かれ、下品には、三福を修し得ない悪人のために、念仏の法が説かれているのである。ところが、流通分(るずうぶん)にいたって、念仏の一行が、アナン(氏名)に付属される。
親鸞は、釈尊の本意は定散二善の法を廃して、他力念仏の一行を勧めることにあるとして、この経には隠顕(顕彰隠密)があると見た。【浄土真宗辞典】

※顕彰隠密(けんしょうおんみつ) 浄土真宗で「仏説観無量寿経」と「仏説阿弥陀経」の教えを解釈する際に用いられる語。顕を顕説(けんせつ)、隠を隠彰(おんしょう)ともいう。顕説とは顕著に説かれている教義の意、隠彰とは隠微にあらわされている教義の意である。顕説の立場からいえば、「仏説観無量寿経」は、定散諸行往生を説くもので「仏説無量寿教」の第19願の法すなわち要門の教えを開説したものと捉える。
「仏説阿弥陀経」は、自力念仏往生を説くもので、「仏説無量寿教」の第20願の法すなわち真門の教えを開説したものと捉える。しかし、隠彰の立場からいえば、両経ともに他力念仏往生の法すなわち「仏説無量寿教」の第18願の教え(弘願法)が説かれているする。すなわち、顕説は表面に説かれた方便の教えであり、釈尊の真意は、これらの経に通底する隠彰にあるとされる。【浄土真宗辞典】

『仏説観無量寿経』は、有名な王舎城の悲劇が語られ、それを機縁として、浄土往生のための定善13観と散善3福が説かれる。そして、散善3福を九とおりの人間(九品)に配当して示すのであるが、下三品(下の上、下の中、下の下の人間)は三福無分の極悪人で、これらは一つとして善を行うことができないから、定散二善ではなしに「念仏の一行」だけが勧められている。また経末には、念仏行はとても優れた往生行であると説かれている。【親鸞読み解き辞典】

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仏説阿弥陀経

浄土3部経①

「浄土3部経」という言い方は、法然の「選択本願念仏集」の二門章にはじまる。往生浄土を明らす根本聖典三部ということであるが、今はもっと厳密に、浄土真宗の根本教義を示す。『仏説無量寿経』康僧鎧(こうそうがい)訳 2巻 『仏説観無量寿経』畺良耶舎(きょうりょうやしゃ)訳 1巻 『仏説阿弥陀経』鳩摩羅什(くまらじゅう)訳 1巻 をいう。【親鸞読み解き辞典】

仏説阿弥陀経 1巻 後秦の鳩摩羅什 訳 浄土三部経の一つ
舎衛国の祇園精舎において説かれたもので、無問自説経ともいわれる。

正宗分は3段に分けて見ることができる。1段には、極楽浄土のうるわしい荘厳相と、仏・聖衆(しょうじゅ)の尊い徳が示される。2段に、この浄土には自力の善根では往生できないのであって、一心に念仏することによってのみ往生ができると説かれる。3段に、東西南北、下方上方の六方の諸仏がこの念仏往生の法が真実であることを証誠(しょうじょう)し、護念している旨を述べられている。
親鸞は、本経にはもっぱら念仏して臨終来迎を期することが説かれているところがあることから、表面的には一心に念仏して多くの功徳をそなえようとする自力念仏の教えがとかれているが、その本意は他力念仏の教えを説くことにあると見た。
【浄土真宗辞典】

※無問自説経 問いをまたずに釈尊が、その本意をみずからすすんで説いた経典。
【浄土真宗辞典】

『仏説阿弥陀経』は、釈尊が五濁(ごじょく)の世の衆生(しじょう)を憐れんで、誰に問われることもなしに自らすすんで説いた(無問自説)経といわれる。極楽浄土を讃嘆し、光明無量、寿命無量のゆえに阿弥陀と号することを説明し、阿弥陀と同様の証果を得る往生を勧めている。そして、この極楽に往生するために、少善根福徳の諸行を捨てて、多善根多福徳の念仏行によるべきことを教えている。また、六方世界の諸仏はこの念仏の功徳を証明し、念仏の行者を護念していることを説いて経がおわる。
【親鸞読み解き辞典】

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しかたがない

しかたがない
私(住職)は、相手の話を聞きながら、よく「しかたがない」の言葉を使ってしまう。言われた相手は、「現状を受用しなければ」と受け取られ、自分に寄り添ってもらえない言葉として、どうすることもできない気持ちになったり、諦める言葉と感じられ、「しかたがない」と言った人を嫌悪してしまう。対人支援の場では禁句の1つなんだろう。

檀家さんとの付き合いで、その時の主になる人に「へつらうな」と言われた。どこにでもある話だが、家族間のいさかいごとに一方に肩入れしないことと同じように感じる。
当人にとっては、自分の味方なってもらえないので「いやなやつ」になってしまう。

以前、実の母が早く亡くなり、父が再婚した義母に育てられた方がいた。その義母が亡くなった時、お骨をどうしてもその家の墓に埋葬することができずにいる。義母から生前虐待を受けいたそうだ。その心境に寄り添うことはできても、ではどうしたらよいのか。 お寺には、共同墓もあるのでそちらも紹介するのだが、それもしない。対人支援の専門家に聞くと、亡くなった義母を憎しみことが生きる支えとしていたのが、義母が亡くなったことで自身の生きる支えがなくなり、戸惑われているのではと指摘された。

何年か前の夕暮れに、突然、大学生が、親とけんかをして、「死にたい」気持ちになって、最後に暖かいお茶がほしいとやってこられた。理由を聞きながら、けんかの相手の親御さんのことが気になった。その話を対人支援の専門家に話したら、目の前にいる大学生のことより、何故、その親御さんのことに気が向いたのか問われた。私(住職)も子どもの親であることや、子どもであった自分が親とけんかしたときの状況を省みてなど理由をあげることはできるがはたしてそれが本当の答えだったんだろうか。

どこに、目の前の相手に寄り添えない気持ちがあるのだろうか。
寄り添うことができたとしても、他者であることの意識が強いのかもわからない。
また、失礼なことであるが、相手(人間)の言葉が真実ではないと感じてしまっているのか。
それは、私(住職)自身(人間)の言葉に真実を見いだせないからなんだと思う。

私の言葉に真実がないことに気づきながら、他者の言葉もそうであると思ってしまう自分がいる。

「しかたがない」の言葉は、現状を受用することや、諦めの言葉でもあるが、私(住職)自分自身に絶望を感じている言葉なのだ。

では、真実の言葉はどこにあるのか。求めてしまう私がいる。

【案内】11月のTemple Morningは、17日8時からです

【案内】コロナ下から始まったTemple Morningは、今年で5年目を迎えます。
これまでも多くの方々にご参加いただきありがとうございます。

今年最後の6回目は11月17日(日)午前8時から9時頃までです。
今年は6回のご案内です。
Temple Morning お寺の朝(テンプルモーニング)はじめます
いつもと違う朝 気持ちを整えて集中できる時間を創りませんか

予定 お勤め(10分)・境内の掃除(30分)・お話(10分)・茶話会(自由参加)
風邪の症状のある方・37.3度以上の熱のある方はご遠慮ください。
   お勤め・お話は、短めに、自由参加の茶話会は、当面中止します
掃除道具は貸し出します。途中出入り自由です。雨天は中止です。

お寺の掃除を今風に呼びかけるには、これまで妙華寺の境内(特にお墓)の草抜きなどの掃除は、古くは草抜きなどをされている方、そして現在は高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方にお願いをしていました。依頼していました方がご高齢になり、次の世代の方に草抜きを希望される方がいない状態になり2020年から境内(墓)の掃除が難しくなったことが主たる要因です。境内(特にお墓)の清掃として1年の内おそよ8が月延べ160日(1日6時間労働)ほどこれまで高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方々に境内の清掃をしていただいていました。お寺側の身勝手な思いでありますが、お同行の皆様のお力をいただき境内(特にお墓)がこれまでのようにきれいな環境を保てることを願う行事です。
各位のそれぞれのご事情もありますので、お身体の状況をお考えていただきお時間が許しましたら一緒に境内をお掃除しませんか。
Temple Morningは、境内(外)の掃除に集中してすることで気持ちを整える時間です。
お一人お一人十分なほど距離をとることは可能です。

どうかご無理のないお気持ちでご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

年6回 第3日曜日午前8時から1時間【1月・2月・3月・7月・8月・12月は休会・雨天中止】
4月21日(開催)・5月19日(雨中止)・6月16日(開催)・9月15日(開催)・10月20日(開催)・ 11月17日 清々しい朝の1時間 お寺で過ごしませんか