いのちの日

いのちの日
京都府では、(平成28年から)毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。

また、京都では、この趣旨に賛同した宗教者の活動の一つが「Life Walkいのちを想う宗教者の行進」があります。宗教者でしたらどなたでも参加できるようですので時間が合いましたらお申し込みをして参加してください。(Life WalkのHPから申込)

 

行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれ、全国に「いのちの日」が広がることを願っています。

三重県こころの健康センター主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】三重県自殺対情報センター
059-253-7821(平日8:30-17:15・祝祭日・年末年始除く)

自死遺族サポート ガーベラ会主催の「自死遺族の集い」(わかちあいの会)
【お申し込み・問合せ】mail miegabera@gmail.com
HP http://www.miegabera.jp

【案内】3月の日曜学校は2日午前7時30分からです

【案内】3月の日曜学校は、3月2日の朝7時30分から8時頃までです。
新しい年を迎えて2ヶ月が過ぎようとしています。3月は、卒業の月・旅立ちの月でもあります。日曜学校から始めませんか。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(重誓偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

ご注意ください

ご注意ください
墓地北側にある水屋付近に線香をつける為の設備があります。
何時も、ローソクに火を灯して線香に火をつけていただき、ローソクの火を消していただいていますが、ローソクの火を消し忘れたことで、アクリル製の扉が焼けてしまいました。扉自体を修理することが可能か問い合わせいたしますが、墓参に見える方々にご不便をおかけしますことお詫び申し上げます。

道具の扱い

道具の扱い
茶道以外の分野でも道具を大切に扱うことは重要です。
お寺にも大切にされているものが数多くのこされています。大きなものはそのままの状態で保管されますが、掛軸など、小物は桐箱に保管されることが多いと感じます。
箱の真田紐の結び方や掛軸の扱い方は、前住職や僧侶の先輩方から教えていただきますが、慣れていない場合は、保管状況が悪くなるので注意が必要です。
拙寺でも掛軸の管理を考える時、歴代住職によって扱い方が違いますので、大切な掛軸を傷めてしまうこともあったりして、修福不可能な場合もあり考えさせられます。
私は、茶道で道具の扱い方を学び、お寺の大切な道具(宝物)の保管にも役立っています。
掛軸の扱いも「軸荘」で基本を学びました。

講演会「三部経大意」

講演会
三重県地域文化財総合活性化事業で「専修寺聖教」の修理活用事業の一環として毎年講演会が開催されています。今年度修復した聖教の「三部経大意」について、高田派鑑学の清水谷正尊師の講演がありました。専修寺には、親鸞聖人を含めて歴代上人の書かれ大切にされてきた宝物(国宝を含めた重要文化財指定書物など)が数多くあります。

「三部経大意」は、法然聖人の教えを表した著書でありますが、真偽説があります。
「三部経大意」に書かれている教えが、法然聖人の教えを受け継ぐ門弟にどのように伝わってきたかをわかりやすく教えていただきました。「念仏往生」の言葉にも、何を重きとするかで解釈は違ってきます。法然聖人から門弟に伝わる教えも、門弟の一番響く言葉や意味が核になり伝わっていくように感じました。親鸞聖人の言葉も、私(住職)に響く言葉や意味とあなたに響く言葉や意味は一緒ではないでしょう。でも、重なる言葉や意味もあり、共に「み教え」を聞いていく「場」が開かれていくのだと感じました。
※中川個人の感想です。

【案内】佛涅槃図を荘厳します

【案内】佛涅槃図を荘厳します
佛涅槃図は、釈迦(しゃか)の入涅槃の場面を描いたもので、釈迦が亡くなられた2月15日の涅槃会で本尊とされます。
平成24年から、妙華寺では、2月15日から1ヶ月間、本堂西余間(むかって左側)に涅槃図をお掛けしています。
妙華寺所蔵の佛涅槃図は、江戸時代の久居の大火で焼失しました。
今お掛けしていますのは、平成23年の親鸞聖人750回御遠忌の記念として高田本山より京都別院の佛涅槃図の複製が配布されましたものです。
京都別院の佛涅槃図は、室町時代の兆殿司筆で、大きさは、縦151.2cm 横128.7cmです。
本堂にお上がりいただきお詣りください。

※また、高田本山では、3月15日頃に如来堂にて佛涅槃図がかかります。(詳細は高田本山のHPでご確認ください)

 

お茶からの学び

お茶からの学び

茶道を学び始めると、日本文化について多くのことに気づかされます。
僧侶として、お同行さんの自宅でお勤めする時、お茶(抹茶)をいただくことがあります。お寺の行事で他寺にお手伝いにいく時、もてなしとしてお茶(抹茶)をいただくことも多いです。お茶(抹茶)のいただき方(作法)も知らず、先輩の僧侶に教えていただきながら、床の間には掛軸がかかり、花が生けてあることに深く考えることはありませんでした。しかし、1幅の掛軸や一輪の花に込められた意味を知ると、もてなす側の想いをより深く感じることができます。
茶室に限らず、これまでの日本建築の建物には床の間があり、花が生けてあるのに、何も知らずにいたことに気づくと恥ずかしい気持ちになり、公民館の茶道講座で学び始めました。稽古は、茶事を行う為の点前を習うのですが、床の間の掛軸のことや花を生けること、禅の教えを通しての精神性や、客をもてなすことを通して他者への気配りなど、日本文化や精神性などに関係していてとても興味深いものを感じます。

稽古の最初は、客としての作法から入ります。招かれた家に入る時から始まります。襖(障子)の開け閉め、畳の足の運び、床の間の拝見の仕方、畳の座り方などは、お茶に関係なくても日常にあることです。お茶を習わなくてもマナーとして学ぶこともありますが、1つの形として身につけると迷わなくなります。お茶(薄茶)とお菓子の関係も茶道の中では、最初にお菓子をいただき、お茶(薄茶)をいただく形です。
茶会や茶事では、客の役割も増えますが、日常でもその場を一期一会として考えるなら、招く側(亭主)と招かれた側(客)の関係をより深く感じることができると思います。

今年は、茶道を習い気づいたことを記載していきます。

【報告】真宗入門講座

【報告】真宗入門講座
高田本山専修寺の「親鸞伝絵」から親鸞聖人の生涯の紹介です。
今回は、「稲田興法」の段でした。親鸞聖人の越後での流罪が終わり、信州を越え関東に向かわれました。何故関東へ向かわれたかの理由は定かではありませんが、関東の地におよそ20年間逗留し、法然聖人の教えを弘めていました。その1つの住居が稲田です。僧俗多くの方が教えについて聞きに来られたようです。話の中で、「教えを聞く」と「教えに聞く」の違いの説明を聞き、親鸞聖人は、師の法然聖人の教えをどこまでも聞いていくことを喜ばれたことを改めて感じました。また、「弟子1人持たず」と言うスタンスの親鸞聖人でしたが、多くの方が教えを聞きに来ることは、親鸞聖人が師匠の法然聖人と出遇うことと同じように、親鸞聖人に出遇われた方々がいらっしゃったんだと感じました。
※中川個人の感想です。



次回は3月27日(木)13時30分から15時30分 高田会館ホールで「山伏済度」の段の紹介があります。高田本山も桜が咲き出す頃と思います。関心のある方は是非足をお運びください。
※前回の案内では、03月26日(水)でしたが、3月27日(木)に変更になっています。お間違えなきようお願いします。

本堂の荘厳①

本堂の荘厳①
本尊
本尊には、「木像」・「絵像」・「名号(みょうごう)」があり、いずれかを安置いたします。木像の本尊は、阿弥陀如来の立像で、光背(こうはい)は傘後光(かさごこう)を本来の形としておりますが、舟形後光のものもあります【真宗高田派の平素のお給仕より】

真宗のご本尊
ご和讃に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」とあります。阿弥陀仏のご本願は、衆生のはかりある(有量の)境涯の苦悩を、摂取して捨てずのお心を成就するために、はかりなき(無量)仏になり給うた。これが阿(無)弥陀(量寿)の名のりであります。この仏が、衆生のために名乗り立ち上がる。すなわち南无(帰命)阿弥陀(無量寿)の仏となる。すなわち南无阿弥陀仏なのであります。【中略】では浄土真宗のご本尊はどうなっているでしょうか。座像でなく、立像の来迎仏でもなく、お真向(まむき)さまと呼びならわされています。これは、52段を衆生の場まで降り切って、真向いに至り着いて離れぬ大悲心を表しています。ご開山聖人が、こうして至り来て下さっている「大悲無倦常照我」の仏を、仏というより「如来さま」といただかれていたことは、ご和讃のよろこびの高潮した折りのお言葉に、「如来大悲」とか「如来作願」とか、「仏」より「如来」の方が多く唄われているのを見てもうなずかれます。さて衆生の所まで常に昼夜を分かたず、来切って下さるので、「来迎まつことなし」の不来迎、不廻向で、「常来迎」です。如来よりの「御廻向」が、み足を揃え1つの蓮台に乗っておられるみ姿となります。この蓮華に割り蓮華といって前から見ると2つに見え、それがくっついて1つになっているのがあります。お寺の古い仏像でよく見かけますが、これは来り来る瞬間を表したものかも知れません。
古い仏像は、光背が舟型の雲が多いですが、こうした阿弥陀像をいわゆる「傘後光」に直したのがあり、そのみ光は数十本の荘厳でした。しかし阿弥陀如来の誓願は、所依の経典『大無量寿経』から窺いますと、摂取不捨たらしめるために48願が説かれてあります。従ってこの願を表すために48本のみ光を後光とするのが、そのみ姿のありようになってまいりました。御画(絵)像につきまして、この48本のみ光が、金色の線で表され、この影の部分が紺地で相互しています。高田派や、本願寺派のはそのみ光が画面の中央を通り、これが逆になっているのもあります。こうした仏像はご本尊とする時、必ず「お裏書」があります。これは最近まで、ご法主が書かれたものでありましたが、制度が変わり、今は本山「専修寺」になっています。ご本山進納所でお受けするお真向さまには、これが裏に貼ってあります。お寺の木像には「お墨付き」が下付され保管されています。書かれてあるのは、「方便法身尊像」で、基本としては本願の「名号」がご本尊ですが、最初に申した通り、「法」の法身から、「方」まさしく、「便」すなわち、形を以て象徴した時、あるべくして拝み出されたのが、この大悲の願(48)を背負い、生死の苦海に出でまして「衆生を呼ぼうて乗せたまふ」お慈悲が、立像として寄り添い、常に喚びかけ給う、これがお真向さまであります。そうであったかと願心を仰ぐのみであります。
【「一期一会」真置俊徳著より】