【報告】真宗入門講座

【報告】真宗入門講座
高田本山専修寺の「親鸞伝絵」から親鸞聖人の生涯の紹介です。
今回は、「稲田興法」の段でした。親鸞聖人の越後での流罪が終わり、信州を越え関東に向かわれました。何故関東へ向かわれたかの理由は定かではありませんが、関東の地におよそ20年間逗留し、法然聖人の教えを弘めていました。その1つの住居が稲田です。僧俗多くの方が教えについて聞きに来られたようです。話の中で、「教えを聞く」と「教えに聞く」の違いの説明を聞き、親鸞聖人は、師の法然聖人の教えをどこまでも聞いていくことを喜ばれたことを改めて感じました。また、「弟子1人持たず」と言うスタンスの親鸞聖人でしたが、多くの方が教えを聞きに来ることは、親鸞聖人が師匠の法然聖人と出遇うことと同じように、親鸞聖人に出遇われた方々がいらっしゃったんだと感じました。
※中川個人の感想です。



次回は3月27日(木)13時30分から15時30分 高田会館ホールで「山伏済度」の段の紹介があります。高田本山も桜が咲き出す頃と思います。関心のある方は是非足をお運びください。
※前回の案内では、03月26日(水)でしたが、3月27日(木)に変更になっています。お間違えなきようお願いします。

本堂の荘厳①

本堂の荘厳①
本尊
本尊には、「木像」・「絵像」・「名号(みょうごう)」があり、いずれかを安置いたします。木像の本尊は、阿弥陀如来の立像で、光背(こうはい)は傘後光(かさごこう)を本来の形としておりますが、舟形後光のものもあります【真宗高田派の平素のお給仕より】

真宗のご本尊
ご和讃に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなはし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづけたてまつる」とあります。阿弥陀仏のご本願は、衆生のはかりある(有量の)境涯の苦悩を、摂取して捨てずのお心を成就するために、はかりなき(無量)仏になり給うた。これが阿(無)弥陀(量寿)の名のりであります。この仏が、衆生のために名乗り立ち上がる。すなわち南无(帰命)阿弥陀(無量寿)の仏となる。すなわち南无阿弥陀仏なのであります。【中略】では浄土真宗のご本尊はどうなっているでしょうか。座像でなく、立像の来迎仏でもなく、お真向(まむき)さまと呼びならわされています。これは、52段を衆生の場まで降り切って、真向いに至り着いて離れぬ大悲心を表しています。ご開山聖人が、こうして至り来て下さっている「大悲無倦常照我」の仏を、仏というより「如来さま」といただかれていたことは、ご和讃のよろこびの高潮した折りのお言葉に、「如来大悲」とか「如来作願」とか、「仏」より「如来」の方が多く唄われているのを見てもうなずかれます。さて衆生の所まで常に昼夜を分かたず、来切って下さるので、「来迎まつことなし」の不来迎、不廻向で、「常来迎」です。如来よりの「御廻向」が、み足を揃え1つの蓮台に乗っておられるみ姿となります。この蓮華に割り蓮華といって前から見ると2つに見え、それがくっついて1つになっているのがあります。お寺の古い仏像でよく見かけますが、これは来り来る瞬間を表したものかも知れません。
古い仏像は、光背が舟型の雲が多いですが、こうした阿弥陀像をいわゆる「傘後光」に直したのがあり、そのみ光は数十本の荘厳でした。しかし阿弥陀如来の誓願は、所依の経典『大無量寿経』から窺いますと、摂取不捨たらしめるために48願が説かれてあります。従ってこの願を表すために48本のみ光を後光とするのが、そのみ姿のありようになってまいりました。御画(絵)像につきまして、この48本のみ光が、金色の線で表され、この影の部分が紺地で相互しています。高田派や、本願寺派のはそのみ光が画面の中央を通り、これが逆になっているのもあります。こうした仏像はご本尊とする時、必ず「お裏書」があります。これは最近まで、ご法主が書かれたものでありましたが、制度が変わり、今は本山「専修寺」になっています。ご本山進納所でお受けするお真向さまには、これが裏に貼ってあります。お寺の木像には「お墨付き」が下付され保管されています。書かれてあるのは、「方便法身尊像」で、基本としては本願の「名号」がご本尊ですが、最初に申した通り、「法」の法身から、「方」まさしく、「便」すなわち、形を以て象徴した時、あるべくして拝み出されたのが、この大悲の願(48)を背負い、生死の苦海に出でまして「衆生を呼ぼうて乗せたまふ」お慈悲が、立像として寄り添い、常に喚びかけ給う、これがお真向さまであります。そうであったかと願心を仰ぐのみであります。
【「一期一会」真置俊徳著より】