4月のおてらおやつクラブ

4月のおてらおやつクラブ
今月は、少し遅れましたが、先月同様3つの支援団体様へ24日に1団体、27日に2団体へ「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。
4月に入り新型コロナウィルスの感染防止の為、非常事態宣言が全国にだされました。
子ども達も学校に行くことができない状態が続いて、多くの家庭に影響がでてきています。おてらおやつクラブの活動が一助にでもなれば有難いです。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

「待つ」こと

待つ
「待つ」にまつわる本を読んでいます。
私(住職)には、「待つ」って聞くと「待たされる」感じですが、「待たす」こともありますね。「待たす」と「待たされる」ことで言えば心理的には「待たされる」ことは緊張が高まることはありえます。せっかちでついつい早めに行動しないと気が気でない私(住職)は、好きで「待たされる」訳ではないけれど多くの場合この状態になります。相手は、決めた時間に間に合っているのに、なぜだか不機嫌になる自分がいます。

これまでの時代では「待つ」ことが当たり前だったことが、今は「待たず」にできることが多くなり、なんだか便利になったようだけれど、心の状態は、はたして「待たず」にできる状態が良いのかはわかりませんね。
本の中で「待つ」にいて書かれた書物がたくさん紹介されるのですが私(住職)は、どれ一つ手に取ったことがないものばかりで、紹介されたのもが全て消化できるわけでなくページをめくるのが疎かになります。

グリーフケアで「傾聴」の大切さを教えていただきました。宗教でも相手のことをお聞かせいただく「傾聴」は大切なことですが、「傾聴」として、聴くことは相手のお話を「待つ」ことで、相手から見ると何をいっても受け入れてもらえることですので、聴くことは、自覚して「待つ」ことができないと、傾聴にはなりません。 予測不能のことを「待つ」時、自分の心がふらついていると「傾聴」は難しいです。

みなさん おげんきですか

みなさん お元気ですか
COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染拡大で非常事態宣言が発令されて、これまでと違う日常で、感染という恐怖に向き合う毎日ですが皆様いかがおすごしでしょうか。 今の状況を忘れることではありませんが、少し先(2年先)のことを、お伝えしたいと思います。既にご承知されていますが、高田本山では、令和5年5月に、親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年奉讃法会行事などの特別法要を予定されています。

私たちの法苑院妙華寺では、2022(令和4)年の5月22日(日)に本山に先立ち、親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年奉讃法会行事を考えています。

私たちは、日頃、観念的に「死」について考えていますが、今回のCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染拡大で、より現実的な「死」を身近に考えさせられることになったと感じています。私たちの「生死(しょうじ)」をそのまま「任せなさい」願われているアミダさまがいらっしゃいますが、その声が多くの皆様にお伝えできればありがたいと思っています。

法会は、平素(いつも)の報恩講のような日程で、午後一席のお勤めですが、【予定】として、浄土宗の井上広法師と高田派の清水谷正尊師のご講演と対談をお願いしています。
 私(住職)は、師匠の法然上人(聖人)の「み教え」が弟子の親鸞聖人に伝わったことを、師匠の側からと弟子の側からお話をいただくことを楽しみにしています。
また、妙華寺所蔵の妙華寺蔵の法然上人の「選択本願念仏集」の掛軸(3幅)が傷んでいましたので現在、表装し直し、当日は西余間に掲示を考えています。
 少し先ではありますが、皆様と一緒に讃嘆できることを楽しみにお待ちましょう。

※改修した本堂東楽の間から大正10年3月の聖徳太子御遠忌(1,300年忌)記念の戸帳が見つかりました。

春千部会は4月29日 13時30分から住職・法中だけでお勤めします

永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。
妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。

4月29日の春千部会のご案内です13時30分からお勤めします
今回、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染拡大で非常事態宣言が発令されていますので、集まっていただくお寺の行事ではございますが今回は、一堂にお集まりいただくことをご遠慮いただき、住職・法中がお勤めをさせていただく形を取らさせていただきます。

永代千部会ご加入の皆様方のご法名は、いつも通り本堂向かって左の余間(よま)に掲示させていただきます。

 お墓参りの時に本堂にお上がりいただき、手を合わせていただければ有難いです。

 余間(よま)に上がられる場合、足もとの段差にご注意いただきますようお願いします。

また、昨年の秋千部会以降にご加入の皆様には、初めての千部会を楽しみにされていたことと思います。一緒にお勤め・ご法話を聴聞していただくことができずに申し訳ございません。
 当日のお勤めとご法話をビデオで編集したDVDを後日お届けさせていただきます。
 ご自宅で、ごゆるりとご覧下さい。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
穏やかに「枯れ木」のように

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
人は高齢になり、口から食べられなくなってくると、穏やかに、枯れ木が枯れるかのごとく亡くなっていきます。二週間くらいで、静かに命を終えるのです。

一方食べられなくなった時の「延命治療」として、鼻から管をいれたり、胃に穴を開け栄養を入れる胃瘻(いろう)があります。この治療をすると数ヶ月から数年生き続けることはできるものの、じわじわと体が弱っていきます。
本人の意思表示が無いと家族の希望と意思の倫理観で延命がなされることが多いですが、最近は、生命保険などを使うとき「回復の見込みがある」ことが前提になってきたようで、老化現象で口から食べれなくなった場合、不自然な延命は本人にとって生命の質がよくないと共通認識になりつつあります。

※老化現象を見極める一つとして口から食べれなくなるをあげるなら、人類のこれまでの歴史の中で、老化現象で亡くなられた方とそれ以外の原因で亡くなられた方はどちらが多いのだろう。生き物の「いのち」の終わりはさまざまであると思うけど、穏やかに死を望むのにも意思表示が必要な時代を生きている。

「集い(場)」が消えていく

「集い(場)」が消えていく
2月に入ってから、COVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染拡大で、「集い」の中止や延期のお知らせをいただいています。
お茶の稽古が月一回あります。寺院も、他の業種もそうですが、お茶の世界も、2月頃から大きな大会や献茶式・研究会・講習会などの行事など軒並みに中止や延期が続いています。今後の状況が見通すことができないので、生徒である私(住職)の一人稽古も今後中止になることがあります。

非常事態宣言中に、芸術や文化を語るのはどうなの(危機感がない)と思われるかも分かりません。芸術や文化は一人で楽しむこともできるけれど、同じ志がある多くの人と「集い」、心を一つにすることで、より豊かな心が創造されていくと思っています。今は、密閉・密集・密接を避ける期間ですので「集い」について制限が必要なことは分かっていますが、いつまで続くか分からないことが不安につながってしまいます。

茶道のお茶と言うと、多くの方が体験され思い描かれる、一碗に抹茶を点てたお茶(薄茶)をお菓子と共にいただくものと、一碗に練られた抹茶を何人かで飲み回す濃茶と言われるものがあります。濃茶の飲み回しの衛生面については、今回の非常時で2月に裏千家から「濃茶も1人づつ一碗で練るように」と連絡がありました。
私たちは「同じ釜の飯をくった仲間」と言う言葉の表現で連帯感を共有します。結婚式の三三九度の盃や宴会での返杯も同じ盃を通して連帯感を共有しています。私の限られた知識の中で、同じ器の中の同じ飲み物を飲み回し仲間との連帯表現として残っているのは、濃茶だけかなと思います。(そこには衛生面を超えた宗教性が含まれているのかなと私は勝手に解釈しています)

今の状況によって、これまでのような一つの場所に「集い」話を聞き、意見を交換することが制限されていますので、全国各地からインターネットの環境を使い、時間を共有して、話を聞き、意見交換する新しい「場」に参加することも増えています。最初はその環境に慣れていませんので戸惑うばかりですが、慣れてくると、一つの場所に「集う」ことが難しい状況でも、バーチャル空間で「集う」ことができます。しかし、このバーチャル空間の「集い」とこれまでのようなリアルな空間での「集い」では、違うことも分かっています。お寺の行事などで考えると、どのように、「集う(場)」を考えて行くのか試行錯誤は続きますが、選択肢が増えることは良いことと思います。

今回のCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)の感染拡大で、これまでの私たちの生活規範が大きく変わると想像しています。密閉・密集・密接に関係する「集い(場)」が私たち日本人の行動がどのように変化していくか分かりませんが、公衆衛生面については更に敏感になるでしょうし、自分自身の行動にも更なる自覚が求められるようなことも感じます。
消えていく「集い(場)」が新たな「集い(場)」を生み出す時に立ち会うことができることを喜びたいと思っています。

四季の花(4月)

四季の花
4月に入り桜が満開になりました。お釈迦様の誕生日(花祭り)にふさわしい気持ちになります。しかし花の命は短くはかないことも感じます。花桃やシャガ・名も知らぬ花も咲き、暖かくなる季節と共に藤の花も咲き出しています。

4月19日は、Temple Morning

Temple Morning お寺の朝(テンプルモーニング)はじめます
いつもと違う朝 気持ちを整えて集中できる時間を創りませんか

年8回 第3日曜日午前8時から1時間【1月・2月・7月・8月は休会・雨天中止】
3月15日・4月19日・5月17日・6月21日・
9月20日・10月18日・ 11月15日・12月20日
清々しい朝の1時間 お寺で過ごしませんか

予定 お勤め(10分)・境内の掃除(30分)・お話(10分)・茶話会(自由参加)
※非常事態宣言が出ている期間は、お勤め・お話・茶話会は中止します
掃除道具は貸し出します。途中出入り自由です。雨天は中止です。

お寺の掃除を今風に呼びかけるには、これまで妙華寺の境内(特にお墓)の草抜きなどの掃除は、古くは草抜きなどをされている方、そして現在は高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方にお願いをしていました。依頼していました方がご高齢になり、次の世代の方に草抜きを希望される方がいない状態になり今年の境内(墓)の掃除が難しくなったことが主たる要因です。境内(特にお墓)の清掃として1年の内おそよ8が月延べ160日(1日6時間労働)ほどこれまで高齢者(シルバー)人材センター様に登録されている方々に境内の清掃をしていただいていました。お寺側の身勝手な思いでありますが、お同行の皆様のお力をいただき境内(特にお墓)がこれまでのようにきれいな環境を保てることを願う行事です。
各位のそれぞれのご事情もありますが、お身体の状況をお考えていただきお時間が許しましたら一緒に境内をお掃除しませんか。
Temple Morningは、境内(外)の掃除に集中してすることで気持ちを整える時間です。
お一人お一人4mほど距離をとることは可能です。

※新型コロナウィルスの感染拡大防止の非常事態宣言での開催について、様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。

本堂入口にアルコール消毒液を設置するなどして対策を講じます。
風邪の症状の方へはご参加をご遠慮していただく考えです。
そして健康である方も、不安を抱えながら参加する行事ではありません。
どうかご無理ない範囲でご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

新しい試み(お墓勤め)

新しい試み②お墓勤め
今年の秋で5年目に入るお寺のHPはインターネットを通じてお寺の今を伝え(発信し)ています。当初よりご覧いただく方も増えている気がします。ありがとうございます。
インターネットを通しての発信の方法は、時代とともに静止画から動画へそしてlive(オンライン)へと幅広くあります。全国のお寺からも動画発信などが始まっています。 私(住職)には、インターネットやPCの知識がありませんので、今のお寺のHPでの発信が精一杯ですが、少しトライしてみようと考える機会をいただきました。

お同行様の年忌法要で、遠方の家族がお越しいただくことができなくなり、お一人でお参りをされることになり、その時、来られない家族へ、時間的に短いですがお墓勤めをスマートフォンのテレビカメラ機能で見ていただくことができるのではないかと、先日参加した「インターネット法要・供養事例勉強会」の事例に出会ったからです。こちらの勉強会もインターネットを通じてのオンラインでしたので時間さえ共有できれば自坊にいても全国の仲間と一緒に参加できます。
インターネットをご覧いただく方には、動画配信の「YouTube」などもお楽しみいただいていらっしゃると思いますが、本格的な形はもっと先になると思いますが、今の私(住職)の知識でできることから初めてみようと思っています。

ただ、今回の試みも、お同行様の同意がなければできせんし、それぞれ違うインターネット環境ですので、その方のご負担にならないような配慮も必要になると思います。
私(住職)自身それほど詳しくはありませんので、若い世代の娘(衆徒)や、勉強会の仲間の意見を聞きながら、やってみようと考えています。

※12日、お墓勤めの初めてlive配信を、遠方のご家族のご協力で実践しました。私(住職)は、テレビカメラ機能を使うのは初めてでしたが、三脚を使いお墓を映して、お勤めしました。スマートフォンが自分から離れていますので音声が伝わるか心配でしたが伝わっていたようです。先方からもお勤めの声が聞こえてきましたのは思わぬことで嬉しく感じました。とても良い経験をさせていただき、ありがとうございました。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
最期にできることは、自分の死を人に見せること

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
著書は続いて「いよいよ死ぬ間際になっても、人にはできることがあります。遺された人のためにできる、「最後の大仕事」ともいえるものです。

生き物は必ず死ぬわけですから誰も同じ道をたどっていくのです。先に経験する者として示してあげてほしいと思います。別に、いい見本になろうとか、かっこよく死のうとか思う必要はありません。騒いでも、泣いても、怖がってもいいのです。「ありのままの姿」を見せてあげるのが大事なのでしょう。
現在はどうしても死を隠す傾向にありますが、身近な人の死を見届けるということは、その人にとって苦しくもかけがえのない経験になるはずです。

※私(住職)は、お同行様の死に立ち会うと言いますが、厳密には、亡くなられてから立ち会うことになります。父(前住職)や祖父(前々住職)祖母(前々坊守)の死に際にも立ち会っていませんが、死にゆく過程は見ていました。苛立ったり、穏やかになったりするありのままの姿は、肩書きなど関係なく、限りある「いのち」を精一杯生きている姿と感じています。最期に私にもできることがあるのが嬉しいです。