【お知らせ】本山専修寺 お裏方様のご逝去

お裏方様 ご逝去
3月27日 高田本山専修寺のお裏方様(59歳)がご逝去されました。
私(住職)は臨時宗報(令和4年3月28日号)で知り、大変驚いています。
平成7年5月27日にご成婚されたことを思い出していました。
密葬は3月31日11時から如来堂で執り行われます。まだ日程は未定ですが本葬儀が決まりましたら、妙華寺住職として焼香させていただく予定です。

3月のおてらおやつクラブ

3月のおてらおやつクラブは、お彼岸の前後に県内の2つの支援団体様に「お供え」を「おすそ分け」させていただくことができました。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

【案内】「久居藩の城下をたずねて」妙華寺にも立ち寄られます

講座ボランティア企画 郷土を歩こう 「久居藩の城下をたずねて」が5月18日に開催されます。昨年、久居藩350周年を迎えた町を歩きながら歴史を知る企画です。

その中で、妙華寺にも立ち寄って「飛行機の失敗」と言う紙芝居を久居城下案内人の会の会員が紹介されます。

定員は30名で申込締切が4月26日(必着)とありますので、ご興味のある方は、お申し込みください。お寺の本堂にも、申込書を置いてありますので必要であればお申し出ください。

申込・問合せは、三重県生涯学習センター 三階事務所にお願いします。

四季の花(3月)

四季の花 三月も下旬になりました。お寺の境内にはいくつもの桜があります。
一番早いのは、裏庭にあります彼岸桜で、2月の下旬には花が咲き出し、3月の彼岸前には散ってしまいました。山門の入った左側の小さなしだれ桜に花がつきました。また右側の桜と、山門左側の駐車場から見える桜は蕾の先がピンク(25日現在)になり、咲きかけようとしています。昨年は、25日現在で咲きはじめていましたので今年は少し遅いようです。他にも、モクレンやレンギョウ・ユキヤナギもあり楽しめます。お墓参りの時に少し楽しんでください。

【報告】春彼岸会お勤めしました

【報告】春彼岸会
昨日まで寒さが戻っていましたが、21日は、少し暖かい一日になりました。今回の春彼岸会は三連休の最後の日。遠方からお墓参りに見える方にお聞きしますと3日間ともそれほどの混雑はなかったようです。今回も遠方からお越しいただきました方や、私(住職)の代になって初めて、3代(お母さん・お嫁さん・娘さん)で、法話の最後までお聞きくださった家族もあり、とても有難い時間でした。
13時30分からお勤めの後、ご法話を浄泉寺の戸田栄信師が「死んだらどうなるの」と題して、ご自身の体験を通してご法話をされました。
お釈迦様は、どのような「死」に方もそのままを認めています。「死後」については何も語られてはいません。
私(住職)も「死後」については不安であったり、どうしてお釈迦様は何も語らなかったのか不思議でもあります。
浄土の教えでは、阿弥陀如来が、私の「いのち」を必ず救うと誓(願)われ、「まかせよ」と仰っています。そのことに頷くことができれば、必ず「往生(おうじょう=往って生まれる)」することができるのです。私の「死後」の不安はなくなるのです。
そのようにお聞かせいただきました。
※中川御仁の感想です。

いのちのつながり

「いのち」のつながり いのちの積み木
日本では、春秋のお彼岸とお盆に多くの方々がお墓参りをされます。お墓をきれいにして花と線香を手向け、手を合わす姿、また、ご自宅の仏壇で手を合わす姿から、私(住職)は、先祖を尊び偲び、そこから「いのち」のつながりを感じる1つの表れと思います。
自宅のお仏壇やお墓からイメージする私の先祖はどのようなものでしょうか。
それは、多くは父方(一方)の先祖です。しかし、私の「いのち」は、母方(もう一方)の先祖にもつながっています。
漠然としてイメージしていたものが、「いのちの積み木」によって可視化できます。
「いのちの積み木」は、自分の「いのち」のこれまでを見える化して、「いのち」のつながりから「生きる力」や「感謝の心」を育てることができると感じています。
父方・母方をきちんと遡って見えてくるものは何か。そして私の「いのち」をどのように捉えるか、伝えたいことは何か。

春彼岸会から考えて見ませんか。
お勤めは今日(21日)13時30分から ご法話は14時からです。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています

※新型コロナウィルスの感染拡大防止中での開催について、様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。

本堂入口に非接触型体温計・アルコール消毒液を設置するなどして対策を講じます。
マスク着用をお願いします。また風邪の症状の方・体調の優れない方はご参加をご遠慮していただく考えです。
そして健康である方も、不安を抱えながら参加する行事ではありません。
どうかご無理のないお気持ちでご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

生死 誕生と命日

Processed with MOLDIV

誕生と命日
66年前の今日、私(住職)は生まれました。母の父(前々住職)は、自分の子どもは娘4人でしたので、初孫が男であったことをすごく喜んだそうです。
※性差別の表現が含まれていますがお許し下さい

3月19日と言うと、お寺では春彼岸会の準備中であったと思います。今は春分の日一日のお勤めですが、当時は、春分の日をはさんで三日間のお勤めでした。
その年の春彼岸はどのようなものだったのか、前住職・前坊守に聞かずに今に至ってしまいました。

誕生は、生まれる・物事がはじめてできあがるということですが、「誕」には、うそ、いつわりと言う意味もあります。

命日は、日限をいいつける・人が死んだ日にあたる毎月または毎年の日
「命」には、いのちの他、いいつける・おしえ・なづける・ちかいのことば と言う意味もあります。

私(住職)が仏教を学び始めた頃、「誕生」は、うそをつかなければ生きていけない社会に生まれてきたことで、「命日」は、そのいのちが終わる日であると、先生だったか、書籍だったか忘れましたが教えていただくことになりました。
確かに、生きていく上で、自分も嘘と気づかず(知らず)に嘘をついている時もあり、嘘をつかずに一生を終えることは難しいと思います。この世で「いのち」終わる時、初めて嘘をつかなくなるその日を「命日」と呼んだとも感じます。

私(住職)も、いずれ目を閉じ、呼吸が止まる命日を迎えます。その時まで有縁の方々としっかり仏教の教えを学び続けることができればうれしいです。

お寺の敷居

お寺の敷居
お寺で生活する宗教者(僧侶)は、あまり気づいていませんが、生活者から「お寺の敷居は高い」とか「お寺に行くときは緊張する」とか聞くことがあります。また、江戸時代から「坊主まるもうけ」との声も聞こえてきます。「坊主まるもうけ」の件は次の機会に考えてみたいですが、「お寺の敷居は高い」や「お寺に行くときは緊張する」ことについて考えてみたいと思います。

私(住職)自身の個人的な性格からくる気持ちかもわかりませんが、私(住職)も、初対面の方と会うときはとても緊張しています。また何度かお会いした方ともある程度緊張(距離)感を持ち続けています。
私(住職)は「お寺の敷居が高い」と感じたり「お寺へ行くときは緊張する」と感じるのは、生活者と宗教者の関係性が希薄なことから来るものと考えているのですがどうでしょうか。

また、お寺は全国にコンビニのお店以上あると言われています、日本の宗教団体の信者としてカウントされる数字は、日本の人口以上の数字になることも報告されています。
一方、宗教者数は人口の何パーセントでしょうか。詳しく調べていないので的外れになるかもわかりませんが、1パーセントにも満たないのではないかと思います。そう思うと宗教者と(地域や職場などで)関係性がある生活者は、それほど多いは思われません。

個人として、私(住職)の場合、大学卒業後10年勤めていた市役所で顔を知る職員は数多くいましたが、話を(交流)する職員は100人もいなかったと思います。高田本山宗務院(本山)で勤務していた時は、宗派の僧侶が主で50人くらいの方と話ができる関係だったと思います。お寺のお同行さんが500軒としても全ての方を知っているわけではないし、葬送儀式やお寺の行事でお会いする関係性であります。個人的な年賀状のやりとりも100人ほどです。多くの方と関係性があり活動されている宗教者もいらっしゃることは存じていますが、私(住職)個人として考えれば社会でそれほど多くの方と関係性があるとは思えない生活者の一人であります。

いろいろな事情を振り返りながら、「お寺の敷居」の問題を解決することができるかと考えています。
その1つが、宗教者と異業種の方との交流です。
日本に仏教が伝来したときから、お釈迦様の教えを実践する1つの形として、世の中で困窮した生活者を救済する為、医療・福祉・教育関係の施設などを寺院も併設していました。今も仏教系の医療・福祉・教育施設は存在しています。
しかし、個々の生活者の視点から見ると、宗教者(特にお坊さん)は、世の中のことにコミットしていない存在と思われているのも事実だと感じています。

お寺として考えることは地域で行われているさまざまな活動の中からお寺と交流できそうな活動とどのようにコミットできるか。ありふれた事ですが、お寺の場の提供であったり、宗教者としてのゆるやかなスピリチュアルケアから生まれるものと私(住職)の場合は考えています。そして私(住職)にできることから始めようと思います。

 

高田派宗議会議員

高田派宗議会議員
この度、高田派の宗議会議員の一人として活動させていただくことになりました。
任期は、3月12日から4年間です。

宗議会は、5月に真宗高田派(包括法人)と本山専修寺(本山)の予算案と9月の決算案の審議する為に年2回開会されます。その他、真宗高田派や本山専修寺に大きな問題が生じた場合は臨時宗議会が開会されます。

妙華寺の住職(代表役員)として、14年間お寺を運営するなかで、何ができたかは皆様の声に預けますが、1つの宗教法人としての活動には、限界があります。その時に妙華寺の所属する包括法人の真宗高田派で取り組むものもあるのでないかと感じています。

間近に迫る2025年問題もありますが、日本のこれからは、寺院(宗教)に限らず行政(清治)も企業(経済)も人口減少に伴う危機感を共有しています。しかし、その為に取り組むべき施策(指針)をどのように描いていくかが分からず、悩んだりしているのではないでしょうか。
これまでもその時代の危機感はあり、それに対応してきたと想いますが、1つの宗教法人として取り組むことができない課題を、包括法人として1つ1つの宗教法人をサポートできる取り組みを、他の宗議会議員と共に考えていきたい思っています。

【案内】春彼岸会は21日13時30分からです

【案内】
讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」とおっしゃってみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。

法苑院妙華寺では、春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めと法話を勤めています。 親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。

3月21日(祝・月)午後1時30分からお勤めをいたします。
浄泉寺の戸田栄信師のご法話がございます。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています

※新型コロナウィルスの感染拡大防止中での開催について、様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。

本堂入口に非接触型体温計・アルコール消毒液を設置するなどして対策を講じます。
マスク着用をお願いします。また風邪の症状の方・体調の優れない方はご参加をご遠慮していただく考えです。
そして健康である方も、不安を抱えながら参加する行事ではありません。
どうかご無理のないお気持ちでご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。