6月の聞法

6月の聞法


6月は、17日に紫雲会の講座に伺うことができました。
ご講師は、貴島信行師で紫雲会では昨年12月に聞法させていただいた先生です。
阿弥陀如来を12の光に譬えられるお話を「讃阿弥陀仏偈和讃」からお聞かせいただきました。文明本と、高田の国宝本、顕智上人本の左訓を参考に、仏教の教えは、「今」の私への大切な言葉であること感じました。先生のお話をお聞きしながら、言葉を伝えることの難しさは分かっているつもりでしたが、言葉の意味を正しく伝えることはやはりとても難しいものなんだと思います。講座の本題ではありませんが、ある禅師の「霧の中を歩くと 衣をしぼる」と言う言葉から先生の味わいをお聞かせいただきました。また「麗老」(れいろう)と言う言葉も新鮮でした。先生のお寺の近くの方から言葉の遺産として、「法義相続」「仏恩相続」「念仏相続」の書を申し出ていただいた話も素敵でした。阿弥陀如来の徳を光りに譬えることもそうですが、言葉の不思議を改めて感じた1日でした。
※中川個人の感想です。

聞法ではありませんが21日に名古屋で「いのちの積み木」のワークショップがありました。昨年11月に初めて参加し、今回2度目でしたが、講師の井上広法師のワークショップの内容が前回より深化していてとても心に響くものがありました。いのちの繋がりとしてご先祖の可視化をすることが「いのちの積み木」ですが、その先の「感謝」をどのように伝えていくか、一度の研修で伝え方を習得するのが難しいですが、「感謝の心」をどのように育むと、悲しみや苦しさを抱えた悲歎の中の私の心を、喜びや楽しみも含めたより豊かな心になるのか考え続けたい。

27日は、『「仏教」と「精神医学」連携セミナー 自殺リスクへの対処と精神疾患の基礎』を初めてオンライン受講をしました。臨済宗の僧侶で精神科医の川野泰周師が講師で、精神科医の現場で、「死にたい」と訴えられる方への対処方とその原因が精神疾患である場合の特徴、そしてそこから立ち直る手法の1つに、(精神科医の指導の元)自分の思いを表現することなど90分の講義でとても内容が充実していました。
お寺にも、「死にたい」と言う思いをお話に来られる方もいらっしゃいますし、メールでの投稿もあります。対面とメールの場合で対処は違いますが、まず相手の思いをそのまま受けとめることの実践には、マニュアルはないけどなんらかの研修が必要な気もします。そして、僧侶の専門分野の仏教の教えについても、自分の出来ることの範囲を知るために医学的な知識や、地域の支援団体などを紹介ができる情報など、幅広いことを習得する努力をしなければいけないようにも感じています。改めて私(住職)に刺激を与えていただく時間になりました。

※中川個人の感想です。
地方在住の私(住職)にとって、これまで遠方という距離であきらめていた興味のある講義もインターネットを通して受講できるのはとても有難いシステムと感じています。

お茶の効用

お茶の効用
6月は少しお茶を楽しむ時間がありました。

お茶の稽古から遠のいていますが、数年前まで茶事をお教えいただいた先生の飯台の茶事に客として伺うことができました。飯台の茶事は、利休居士も行ったことのある茶事ですが、私は初めての体験でした。禅宗の食事の4椀を工夫されたようです。茶事の懐石は簡素でありますがそれよりもっと簡略した精進懐石で、茶事の本来の姿にも感じられました。 先生とお会いできることも嬉しく、また覚えていただいていたことも有難い一期一会でした。

お茶の稽古を始めて30年以上経ちます。先生が怪我でお茶の稽古を辞められてからここ数年は稽古も遠ざかっています。それでもお寺の住職として茶筅供養を依頼されます。
真宗では、「供養(くよう)」の言葉は使いませんが「恭敬(くぎょう)」としてお勤めをしています。ただ、真宗では「お炊き上げ」をしませんのでその法具がなく代用するしかありません。代用品と「お焚き上げ」の法具とでは尊厳さでかないません。
今は支部で活躍されている若かった頃の青年部の仲間とお会いでき一瞬で同窓会のような場になり昔話を楽しみました。

お茶では、お客様をお招きする場合、お茶一服をその方が美味しく召し上がっていただくことに心をくだきます。迎える側(亭主)はお招きする方(正客)と相対するのですが、その間に、茶室の設えや道具、懐石(食事)を介して会話をします。今の時代にはそぐわない会話形式かも分かりませんが、私には合っていると感じます。
会話の中で相手の今思っている意識の志向がどこに向いているのか楽しみながら自分の意識もその時に相手に合わすことができ一緒に一期一会を創りだしていると感じます。

※昨年末から稽古の時間を月一度取ることができ、学び直しています。

7月7日(日)清和会(津市茶道愛好会の団体)の月釜が妙華寺茶室で開催されます。
時間は9時30分から15時30分です。どなたでもご参加いただけます。(薄茶二服700円)七夕のひととき、ゆったりお茶をたのしみませんか。

6月の法語カレンダー

6月の法語カレンダー
「無碍の光明 信心の人を つねにてらしたもう」 『尊号真像銘文』から

『尊号真像銘文』は、聖人が本尊として安置された名号(尊号)や浄土教伝統の祖師の肖像(真像)の上下にその威徳を讃えるために記した経典や著述の文(讃銘文)を集め、注釈を施してその意味を理解させると共に真宗の教えを述べた書。広、略二本の自筆本が現存するが、専修寺には内容も整備されている広本を蔵している。

広本末巻の最初の源信僧都の『往生要集』からの一節です。銘文は、「我亦在彼 摂取之中 煩悩障眼 雖不能見 大悲無倦 常照我身」(我またかの摂取のなかにあれども 煩悩、眼を障えて見たてまつるにあたわずといえども 大悲、倦(ものう)きことなくして、常に我が身を照らしたまう)

阿弥陀さまは常に私を照らし、必ず救うとご一緒してくださっています。いまもこれからも、これからどうなっていっても。この私が自分自身を忘れ、阿弥陀さまを忘れ、「南無阿弥陀仏」を忘れても、私を忘れてくださらないのが阿弥陀さまでした。いま、その阿弥陀さまがご一緒です。
どんな思いに振り回されても、どんな不安に苛まれても、何ものにもさえぎられることのない阿弥陀さまのお救いは、常に私を照らしてくださっています。常にご一緒してくださる阿弥陀さまに照らされている私たちは、安心して生きて、安心していのち終えることができるのです。
これが浄土真宗・阿弥陀さまのお救いです。

6月のおてらおやつクラブ

6月のおてらおやつクラブ
6月は、お寺のHPから「おてらおやつクラブさんへ農家のお米をご寄付したい」とお申し出がありました。農家のご自宅用のお米の貯蔵庫のスペースを、新米を保存する為に一旦これまで蓄えてあったお米を出してきれいにする必要があるようです。農家全体で考えるとその量は大きいようで、おてらおやつクラブ事務局へも、ご意見を連絡させていただきました。
梅雨に入った、雨の中、三重県南部から妙華寺までお米をお持ちいただきました。とても重たい米袋(20Kgから30Kg)を2袋ご寄付いただきました。送り状にも一言添えていただきました。


ご寄付いただきました貴重なお米は、「おてらおやつクラブ事務局」へ1袋、近くの支援団体様へ1袋お分けしました。一人親家族様ともう1つの支援団体様へは、今月もお寺への「お供え」のお菓子をおすそ分けさせていただきました。

ご寄付いただきました方と少しお話をさせていただく時間がとれ、「おてらおやつクラブ」について関心があるようで、妙華寺と離れた地域の方ですがこれからも「おてらおやつクラブ」の趣旨が多くの方々へ広がるようお願いしました。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

お寺の掲示板

お寺の掲示板

「いつか必ずやってくること」への心がまえ

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から

著者は、「病院に入って治療したら、病気がよくなる」と多くの医療関係者は言うでしょう。しかし、「よくならない状態(老病死)を、どう乗り越えていけばよいのか。このことについて、病院ではほとんど教えてくれない」という訴えが患者さんから出てきます。
老病死に直面している人を、若い体、元の健康な状態に戻せないとすれば、「現実を受け容れる」という形で、苦しみ、不安をケアする取り組みが求められます。と述べています。
これまでの自分と比較しながら、今の自分を見ている「ものさし」ではいずれ行きづまることのようです。

命日

毎年、ご両親の命日のお勤めをご依頼されますお同行様がいます。遠方でお寺に来られるのが難しいのでお手紙や電話でお願いされます。その時は、朝のお勤めにご法名をお出ししてお勤めさせていただきます。また、近隣の方が、命日の当日お墓参りにお見えになられる場合もあり、都合がつきますとお墓でお勤めをする場合もあります。
日常の生活の中で私の大切な方のご命日に、私が仏法に出遇い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する大切なご縁であることに、いつも気づかさせていただくことが有難いことです。

 

命日
毎月、故人の亡くなられた日を「命日」と言います。また「忌日」とも言います。亡くなられた月の命日を祥月命日と言い、他の月々の命日を月命日、月忌とも言うそうです。
私たちは生まれた日を誕生日と言いお祝いをしますが、ずいぶん前に「誕生」とは「うそがうまれる」という意味もあることを聞きました。私たちがこの世に生まれ、生きていく上で嘘もつかなければ生きていくことができない存在であることを私に教えていただいています。では、「命日」は「いのちの日」と言うことはどのような意味があるのか考えています。中国では亡くなられた時にその人の評価が定まると考えられていると聞きました。日本でもそのように考える場合もありますし、死後に災いが起こらないように祀(まつ)ることもありました。

年忌と言うと故人の祥月命日を縁として行う法要で、亡くなられて1年後を1周忌、その次の年を3回忌(亡くなられた年から数えて)その後7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、50回忌とお勤めをします。以降は50年毎に行われます。真宗では、故人を縁として仏法に出遇い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する場でもあります。
そして考えて見ると、大切な方の33回忌に遇えることは、大切な方が亡くなられてから32年後のことであります。それも数えてみると8度目の年忌であります。その間のご遺族の皆様のご苦労に大変頭が下がりますが、今の時代は親御様の遠い年忌に遇うことができにくい時代です。その仏縁に遇う慶びは大きいものと思います。

以前、「忌日」について、忌まわしいと言う字が含まれていますがと尋ねられました。
私の大切な方が亡くなられた時、亡くなられたことをすぐには受け入れがたい心があります。亡くなられてからも生きているように感じる心もあります。しかし、私から離れた方の死について、不浄なものと考えてしまう気持ちも出てくる場合があります。高田派の鑑学の先生が、「大切な方の忌日を勤めるのは、私自身(己の心)の中にある仏道に修しているという思いを改めて省みる日である」と述べられたことを思い出します。

真宗では親鸞聖人のご命日を縁としてお勤めする報恩講があります。高田本山では毎年1月9日から16日までお勤めいたします。各寺院も毎年一番大切な行事としてお勤めしています。(妙華寺では今年から12月の第1日曜日です)
私の大切な方のご命日も、私が仏法に出遇い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する大切なご縁であったことに間違いないことです。

ひとくち法話

お寺に太子のお軸があるわけ

親鸞聖人は、修行が行き詰まると、聖徳太子のご示現におたずねされたという記録が残っています。
その1は、19歳の時に太子の御廟である磯長(しなが)に参籠(さんろう)されたという記録です。2日目の夜に「親鸞よ、諦(あき)らかに聞きなさい。汝の寿命はあと十余歳です。命終わったら速やかに浄土に往生させましょう」というきびしいものでした。聖人はおどろいて、心を新にして再び比叡山に登って修行に励まれました。
その2は、29歳の時です。いよいよ修行に行き詰まって、太子の創建といわれる京都の六角堂に籠(こも)られて、太子のご示現に賭けられました。その95日のあかつきにようやく太子が観音菩薩の姿であらわれて、「後世(ごせ)のことは、法然上人を訪ねなさい」ということでした。
このように聖人は「和国の教主 聖徳王」(前項参照)、つまり聖徳太子は、日本のお釈迦さまですと尊崇(そんすう)されて、『皇太子聖徳奉讃』という和讃を百首程もお作りになっております。
そこで、真宗のお寺には、この聖人のお心をいただいて太子のお軸を掛けているのです。
註 ご示現とは、「仏・菩薩が衆生(しゅじょう)救済」のため、いろいろ姿をかえてこの世にあらわれること」

※妙華寺では、本堂向かって右余間に聖徳太子の像を荘厳しています。

お寺の掲示板

お寺の掲示板

「余命告知」は家族のため? 自分のため?

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
著者は、「患者本人にも家族にも、大きなインパクトを与える余命告知。
それが誰のために、何のためにあるのかを一度考えてみてほしいと思います」と続けます。

私の祖父や祖母がなくなった頃は、本人(患者)に病名告知をしないこともありました。 その方が多かったと思われます。現在は、医師に病名の告知義務があるようで必ず本人(患者)に知らされます。それと共に「余命告知」もあるのだと思いますが、本人(患者)の意思に沿うための確認が大切なのでしょう。
本人(患者)の意思を家族が共有できるような関係を築きたいのですが、本人(患者)の元気な時の意思と病気の時の意思(考え)で変化があったり悩ましい思いがあります。

6月の日曜学校

6月の日曜学校は、第一日曜日が高田派婦人連合大会でしたので第二日曜日(9日)でした。

今年は、久居開闢350年の節目の年ですので、『久居のお殿様』から5代藩主 髙豊(たかとよ)の紹介をしました。

 

6月の法語カレンダーから
「無碍の光明 信心の人を つねにてらしたもう」の紹介をしました。

 

四季の花

【トラノオ】

四季の花

5月の下旬から、京鹿の子、シモツケ、ホタルブクロが咲きました。

【シモツケ】

【京鹿の子】

そして6月は紫陽花が映える時期です。