8月のおてらおやつクラブ

8月のおてらおやつクラブ
8月は、9日に一人親家族様に19日に二つの支援団体様へ「お供え」を「おすそ分け」させていただきました。

おてらおやつクラブの冊子「てばなす」2号を事務局からお送りいただいています。お盆
参りにお配りできれば良いのですが準備ができずに、秋彼岸会の案内時に配布予定です。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

9月の日曜学校は1日です

9月の日曜学校は9月1日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の朝時のお勤め(重誓偈・正信偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)
9月新学期の始まりです。
もう一度、お仏壇でのお勤めを日曜学校で学びましょう。
今年は、久居の歴史を紹介しています。

8月の法語カレンダー

8月の法語カレンダー
「涅槃の真因は ただ信心をもってす」 『顕浄土真実教行証文類』から

『顕浄土真実教行証文類』6巻
親鸞聖人が、経(釈尊が説いた教え)、論(経説等をインドの高僧が解説した書)、釈(中国の高僧が経論の意味を解説した書)の重要な文章を集め、自身の文章も加えて真宗の要義を組織的体系的に論じ明らかにした書で立教開宗の根本聖典。教、行、信、証、真仏土、化身土の6巻よりなる。74歳の時完成するがその後幾度となく加筆訂正をする。聖人自筆本が東本願寺に蔵されている。
今月の法語は、「三心一心(さんしんいっしん)問答」の文にあります。

何一つなし得ないこの私を、必ずこの上ないさとりの仏に成らせると誓われた阿弥陀さまは、私がなすべきことを全部、阿弥陀さまの方でご用意してくださり成就してくださいました。その全てを頂戴するのがご信心です。
私にとって、ご信心一つが、仏に成らせていただく正しき因でした。
いま、さとりを開き仏と成る、涅槃にいたるいのちを生きることができます。
これが、浄土真宗・阿弥陀さまのお救いです。

8月の初盆総回向お勤めしました

初盆総回向 8月の初盆のお勤めが終わりました。妙華寺では初盆の最後のお勤めを初盆を迎えられましたご家族の皆様と一緒にお勤めしています。
昨年のこの日は台風の影響で強風の日でした。今年は雨の中での開催でした。足もとの悪い中、東京や愛知からもご参詣いただきうれしく思っています。お寺の行事は毎年同じではありますが、そこに集う皆様は初めての方々です。いつものお勤めをするのですが、お勤めの意義をちゃんと伝えているのか毎回緊張しています。

お寺の初盆の行事は、7日に「火入れ」と言ってご自宅の初盆飾りにお勤めをして、お盆中に「送り」と言ってお寺の余間にご法名を安置して23日の「総回向」までお勤めをしています。一つの行事としては長い日数お勤めしています。中陰の49日のお勤めとも似ているように思います。大切な方を亡くされた悲しみに時間をかけて向き合うことが難しい時代では貴重な時間と思っています。
※上記以外にも、ご事情でお寺で火入れをされる場合もあります。

 

今回は、7月と同様、ご本尊の前の高座に「いのちの積み木」を飾りました。
「いのちの積み木」は、先祖を可視化する積み木のおもちゃです。私の中の先祖のイメージをきちんと分かることから考えさせられることもあります。そして、「感謝の心」を育むことをお伝えできれば良いのですが限られた時間では難しいです。
また、いつも初盆の方の法名を余間に安置しています。その余間には、「南無不可思議光如来」の九字名号と「帰命無量盡十方無碍光如来」の十字名号が掛けられてあります。
共に「南無阿弥陀仏」の名号の別号でありますので、お浄土に、一緒にいらつしゃるお姿と見ることもできこちらも、可視化の一方法であるようにも感じました。

最後に、「高田派の平素のお給仕」のビデオを見て頂いてご自宅のお仏壇の作法を改めてご確認していただいています。

また、ご自宅のお仏壇でのお勤めは、毎月(正月を除く)第1日曜日午前7時30分からの日曜学校で、平素のお勤めを参加者の皆様と一緒にしています。知らないうちに作法についても学べますし疑問などにもお答えしています。ご都合がつきましたらご参加ください。

9月は1日です。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
人は「生きてきたように、死んでいく」

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から

著書で、「私(著者)も含め、終末期の医療の現場にいる多くの人が思うのは、『人は生きていたように死んでいく』ということではないでしょうか。まさに「生き様」が「死に様」というのは、本当にその通りだと実感します。「何を大事にして生きてきたか」が、そのまま出てくるわけです」
続けて著者の友人が仏教の勉強を始め、お坊さんにいろいろ質問したところ、「是非、続けて聞法してください」と言われたそうです。 「聞法」とは仏教用語で、仏教の教法を自己と照らし合いながら聴聞するということです。しかし、この友人は私に、「自分たちは食べるために働かなくてはいけなくて忙しいから、「聞法しろ、聞法しろ」と言われても、なかなかお寺に行けないんだ」と感想をもらしました。そこで「食べないと死ぬと思っているかもしれないけど、食べていてもやっぱり死んでいくよ」と私が返すと、苦笑いをしていました。「治療しないと死にますよ」と医師は言いますが、生まれてきた者は、誰もが老病死に必ずつかまっていく現実を忘れてしまっているのです。

私も若い頃から「食べていかないと死んでしまうけど、食べていても死んでいく」ことに「生きる意味」は何かとずっと尋ねているようなことです。

8月のお盆勤め

今年の8月のお盆は台風10号のゆっくりした動きで14日15日は風雨の影響でいつもより大変でした。毎年のことですが、8月のお盆は小さな子どもさんがお仏壇の前に一緒に坐ってお勤めするご家庭が多くこの姿が相続されることがお寺として大切だと改めて感じています。また7月のお盆と同様に「いのちの積み木」を内陣の高座に積み、私の「いのち」が先祖の「いのち」の繋がりを可視化しての思いをお伝えしました。

またお寺のお墓へも、ご遠方からお盆参りにお見えになられるご家族が多くいらつしゃるのは8月のお盆ならではの光景と感じます。事前にご連絡いただいたりして、住職がお会いできましたらお墓でお勤めをさせていただくのですが、出かけている場合が多く、その時は、後ほど住職がお墓や本堂でお勤めをさせていただいています。また、遠方からお盆参りにお見えになるのが困難な場合もご連絡いただきましたらお墓でお勤めをさせていただきます。関東のお同行・名古屋市・四日市・鈴鹿市・松坂市・津市・京都府・大阪府・兵庫県のお同行の方々から連絡をいただき今年は、7日・10日・11日・16日の朝墓でお盆のお勤めをさせていただきました。


※今年は、お盆に入る時にお墓参りの方から隣寺との境の垣根に蜂の巣があることを教えていただきその日の夕方駆除しました。駆除しましたが2週間ほどは蜂が巣を捜しにくるそうですのでもうしばらくご注意ください。
 

真宗でお盆の法会を歓喜会(かんぎえ)というのは、自分を振り返って慚愧の中に佛恩報謝をさせていただき、その喜びを信心歓喜しお念仏申すことだとお聞かせいただきます。
親鸞聖人は「歓喜」というは、「歓」は身のよろこびで、「喜」は心のよろこびと解説されています。身も心もよろこぶという大変なよろこびを「歓喜」と教えられました。
ではこのような喜びはどんなときにあらわれるのでしょう。親鸞聖人は、「私たちが、佛さまの本願(私たち凡夫を必ずお浄土に救いますという願い)を信じて、お念仏を申す心になったとき、このような大きな喜びが自然にでてきます」と申されました。
すなわち、佛さまからいえば、本願が確かであったという証明であり、私たちからいえば、すべておまかせできたという安堵であり、佛と私が共に喜ぶさまが、歓喜といえます。
また、「歓喜」というのは、私の自力の限りを尽くしても不可能であった人生課題が、佛さまの願いによって氷解した時の喜びですから、日常生活上の喜怒哀楽とは次元の違う大きな喜びであります。

Processed with MOLDIV

ひとくち法話

篤く三宝を敬え 憲法十七条
聖徳太子制定の憲法第二条は、これもよく知られた
「篤く三宝を敬え、三宝とは仏法僧なり」とお示しになりました。

親鸞聖人も『皇太子聖徳奉讃』の73首に
憲章の第二にのたまはく(けんしょうのだいににのたまはく)
  三宝にあつく恭敬せよ(さんぽうにあつくくぎょうせよ)
  四生のついのよりどころ(ししょうのついのよりどころ)
  万国たすけの棟梁なり(まんごくたすけのとうりょうなり)
と述べられています。
四生〔胎生(たいしょう)、卵生(らんしょう)、湿生(しっしょう)、化生(けしょう)〕とは生きとし生けるものすべてという意味です。三宝の仏は法をさとり実証することのできた人、すなわち覚者のこと、法とは人のすべてが尊敬し信奉すべき真理の道をいい、僧とは僧伽(そうが)の略で仏と法を信奉する人々という意味です。
太子が第2条に掲げられたお心は生きとし生けるものの帰すべきところ、あらゆる国の依るべき心が示され、すべての人が我執(がしゅう)を離れての生き方を教えています。
「それ三宝に帰せずんば、何を以てか枉(まが)れるを直さむ」とこの条文の最後にお示しになっていますが、それは仏法僧(ぶっぽうそう)の三宝に帰依(きえ)し敬うことによって、己の枉った根性をまっすぐに正すことができると教えられているのです。
三宝に帰依し、三法を敬うことによって、和してゆく世界、そこに見いだされる世界を仏国土(ぶっこくど)というのです。

 

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「死ぬのが怖い」のは、死んだらどうなるか わからないから

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
著者は、「死ぬのが怖いのは、これまでに死を経験したことがないからといえます。
人はいずれ死にますが、死後どうなるかのかは、誰にもわからないのです」と続けます。

また、著書では、「死が怖いのは、「わからない」から。未知のことに対して恐怖心を抱くのは、ある意味当たり前のことだといえます。このように考えると、死の恐怖をなくすには、死んだらどうなるかをあらかじめ考えておけばいいということになります。実際にどうなるはわからないので、創作してもいいということです。
もしも答えが出ているのなら、その考えをぜひ大切にしてほしいと思います。きっと、死に対する恐怖心を取り除く役割をしてくれるはずです」とあります。

私(住職)には、小さい時から身近であった「お浄土の話」がしっくりします。

8月15日 津・平和の鐘

終戦記念日に戦没者の追悼と世界平和への鐘をつきませんか。
昨年、「津がつながる津ぅりずむ」が主催し、津市内にある鐘を撞き「戦没者の追悼と世界平和を祈念する」ことをはじめました。
今年、妙華寺も賛同し15日(木)正午から13時までの間、一分間の黙祷の後、鐘をつきます。どなたでも参加できます。
※【ご注意ください】事故防止の為、管理者(住職)がいない場合は鐘を撞かないでください。また、今後の台風10号の動きによっては中止する場合があります。