【報告】秋千部会お勤めしました

秋らしい気候の中で秋千部会をお勤めしました。
午前中が年忌勤めがあり、少しあわただしい準備でしたが、法中様と共にお勤めさせていただきました。法話は、明通寺の佐波真教師で「悲喜交流」と題されての法話でした。私(住職)はしっかり聞くことができませんでしたが、布教使の法友が続いて往生されていく中で「阿弥陀仏」の「はたらき」を感じることのようでした。
引き続き、第二回目の終活カフェで行政書士法人中村事務所の堀井行政書士からエンディングノートの意義を伝えていただきました。名前からなんとなくイメージがわるそうに感じる方もいらっしゃいますが、今の自分の考えを書くことで家族や親しい方への思いや自分の意思が可視化できるものと考えるととても大切なものになると思いました。一度書いたらそれで終わりでなく、一年に一度見直しながら自分の近くに置いておかれるのが良いみたいです。
私(住職)も今年の春にエンディングノートではありませんが、法人の代表としての立場と個人の立場で死後の事務手続きなどを残しました。紙媒体でなくPCやスマートフォンに入っている情報をどのように伝えるかちゃんとしておかないといけないと思います。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【案内】終活カフェは、28日15時からです

【案内】終活カフェ(どなたでも参加できます)3年ぶりに、中村行政書士事務所のお力を得て「終活カフェ」を開催します。
第二回目が10月28日(土) 秋千部会終了後15時頃から17時頃まで予定しています。
※ご参加いただく方に「これからの供養のかたち」井出悦郎著 祥伝社新書をお渡しします。ご関心のある方はご参加ください。
第三回目は、令和6年3月20日(水・祝) 春彼岸会終了後15時頃から17時頃を予定しています。

お寺のお勤め

お寺のお勤め
皆さんは、僧侶のお勤めをどのように感じられているでしょう。
真宗高田派の妙華寺のお勤めは、浄土の教えが書かれたお経『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』(浄土三部経)をお勤めしています。短い偈文の『重誓偈』『歎仏偈』も『無量寿経』の中の一節です。
また、宗祖親鸞聖人が書かれた「正信偈」「文類偈」「和讃」なども拝読します。
「南無阿弥陀仏」と称する念仏も称えます。
私(住職)は、「お勤めは仏徳讃嘆」と聞き伝えられています。

本堂のご本尊「阿弥陀仏」の「はたらき」で私が本当の私の姿に気づき、懺悔し生まれかわっていくからです。
「正しいのは私だけ」の私が、そうではなかったと翻る経験を「阿弥陀仏」の「はたらき」がさせてくださるのです。

自分の健康が「あたりまえであること」が、「そうではなかった」と感じることはありますね。人それぞれの状況での経験ですので、そのことを「阿弥陀仏」の「はたらき」によってですよと言ってもそう捉えない方もいらっしゃるでしょう。
私の判断がいつも正しいことでなく、私の損得や善悪と違う物差しがありますよ。それが「阿弥陀仏」の「はたらき」として私に届くことを願っています。

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葬儀と初七日

葬儀と初七日
お寺のお同行さんが亡くなられると葬儀が営まれます。
もう40年以上前の話ですが、葬儀が終わるとお墓にお骨を埋葬し、その日は終わりました。そして初七日のあたりの日に初七日のお勤めをしていました。それが、葬儀の日と初七日の日が近いので初七日のお勤めを葬儀の日に一緒にする方が、改めて遺族親族が集まらなくてもよいので、葬儀と初七日を同じ日にすることが当たり前のようになってきました。それでも最初は、葬儀や埋葬が終わったら区切りとして、遺族を始め参列者がお寺の山門からいったん外へ出て、再び山門から入って初七日のお勤めをする姿が、数年間続いていました。しかし、20年ほど前からは、区切りの姿もなくなり、当たり前のように、葬儀納骨が終わると続いて初七日のお勤めをしています。
東京で20年頃前に、葬儀をして火葬の間の時間に初七日のお勤めを依頼されて驚いたこともありました。そして、ある市の方が亡くなられ葬儀の依頼が入りました。この市では、葬儀のお勤めをして引き続き、初七日のお勤めをして、出棺で火葬でその日が終わるとのことのようです。お寺の地域では葬儀時間を60分ほど取り、出棺で火葬の段取りがほとんどですが、葬儀時間60分の間に初七日のお勤めをして、出棺火葬と続くとなると葬儀のお勤めと初七日のお勤めがとてもタイトになります。ただ、今は家族葬がほとんどの為、葬儀開始時間を少し(10分ほど)早めてもらうことができれば、しっかりお勤めもできると思います。
葬送の儀は地域によって様々であるようで、また時代と共に変化していくものだと感じました。

秋千部会は10月28日13時30分からです

【案内】秋千部会
妙華寺の永代千部法会(えいたいせんぶほうえ)

永代経法会というと、亡くなられた方が少しでも早くお浄土へ往生させてもらうための供養法事と思いがちですが、大きな考え違いです。この法会は、亡くなられた方が、後に残った私たちに「仏法を聞きなさい」「お念仏を申しなさい」と呼びかけてくださる大切な仏縁であります。私たちが亡くなられた方へではなく、すでに浄土に往生された亡くなられた方が私たちの為にしていただく法会であります。

妙華寺では、永代経冥加金をお納めいただきますと、現在、永代千部会(えいたいせんぶえ)として春は4月29日(祝日)、秋は10月第四土曜日に、西余間(向かって左の余間)に加入されましたご法名を法名帳・法名軸を掲げてお勤めしています。
 また、お勤めの後ご法話をお聴聞していただけます。
 布教使は、明通寺の佐波真教師です。
ご法話をお聴聞していただきますと「法会参加票」に押印させていただきます。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

今回は、ご法話の後、行政書士法人中村事務所様のご協力で「終活カフェ」を三年ぶりに開催しています。家族があっても、おひとり様であっても関係ない問題です。備えることの大切なことをお教えいただきます。「終活カフェ」は、来年の3月の春彼岸会の時も開催させていただきます。

『日本政教関係史』

日本政教関係史
10月15日のブログで宗教法人について考えていかなければならないことを投稿しました。
その後、『日本政教関係史』筑摩書房の本を知りました。まだ、最初の部分しか読んでいませんが、明治以降の150年、日本国が宗教にどのように向き合ってきたかを概観しています。現在の宗教法人法も終戦後の中でどのような背景があったかを知ることから新鮮に感じられました。当然そこには、戦前の宗教団体法が可決されるまでのことも知ることができ、改めて、宗教法人のことを学ぶ機会を得ました。

私(住職)にとっての親鸞聖人の「み教え」をどのように領解(りょうげ)しているのかもう少し掘り下げて味わいたいものです。

きっかけは何か

きっかけは何か
ある反省会で、「きっかけ」について話題になりました。
考えてみると何かを始める時「きっかけ(動機)」は、明確であると思います。
例えば、私(住職)の場合、車の免許を取る「きっかけ」は、家族の両親も祖父母も免許は持っていませんでした。当時は自転車が唯一の乗り物でした。近くのお同行様の自宅に伺うのは今も自転車を使いますが、遠方のお同行様からお勤めの依頼があれば送り迎えをお願いしていました。時にはタクシーを使う時もありました。そのころから、自転車だけでの生活では行動範囲が限られてしまいます。地方都市では、公共交通機関も発達していませんので、車が必要な時代になり始めていました。同級生の中には、18歳になった時点で教習所に通い車の免許を取得する者もいました。「車があればどこにもいける。生活が充実する」ということが、免許をとる「きっかけ」だったと思います。
ある物事を始める時も心の中で「きっかけ」があって始まるのだと思いますが、継続する中で「きっかけ」を思い起こすことができなくなることもあります。それほどの思いがなかったのでしょうか。それでも続けていることは何故なんでしょうか。
継続する意味は何か。改めて言語化しなければならないようです。
言語化できてもすべてを開示することはできないような気もします。
それでも、「けっかけ」を問うことはとても大切なように感じています。

宗教法人

宗教法人
法苑院 妙華寺は、宗教法人として昭和28年5月1日に認証されています。お寺の歴史としては、江戸時代に野辺野に藩が生まれて、新しい町の中に寺領を割り当てられて草庵が天和元年(1681)に結ばれました。それからこの地で寺院活動(布教)を続けています。

今の寺院規則の第5条(目的)に 「この法人は、真宗高田派宗制により、宗祖親鸞聖人の立教開宗の本義に基づき、教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して公共の福祉に寄与し、その他この寺院の目的達成のために、必要な礼拝の施設、その他財産の維持管理その他業務及び事業を行うことを目的とする」とあります。皆様に親鸞聖人の「み教え」を伝えることを目的として多くの行事などを行っています。

先日、本山での研修で、今後、宗教法人を取り巻く状況は、人口減少も含めますます厳しい状況になることを改めて学びました。そこには、お寺側の意識が生活者の意識から乖離していることが大きいのかもわかりません。もう少し、今の社会の現状を正しく認識しお寺の運営をしていかなければいけないと感じています。

檀信徒の皆さんに親鸞聖人の「み教え」が伝わっているか。問いかけていきたいと思っています。

 

言葉「させていただく」

言葉
私(住職)は「させていただく」の言葉をよく使います。「お勤めをさせていただきます」「私の口から称えるお念仏は仏さまからの呼び声として、お念仏させていただいています」
日常の中でも使ったり聞くことがあります。

【なごみ 令和5年10月号 「させていただきます」は誰のため? から引用】
・お稽古をさせていただきます。
・値下げさせていただきます。
・楽しく過ごさせていただきました。

「させていただく」
自分の行為について(相手に)させてもらうのだというとらえ方をし、「いただく」という謙譲語を用いて相手を高める言い方(『明鏡国語辞典』)

諸説の一つに「させていただく」は大阪船場界隈で使われた「させてもらう」に由来すると言われています。「儲けさせてもらう」「勉強させてもらう」(値引きするの意味)など、いずれも自分が中心の言い方ではなく、商人たちは世間や相手方を立てた表現を用いたといわれます。さらにたどると、北陸地方の浄土真宗の門徒さんたちが使用していた表現が大阪の船場地区の商人たちに伝わったという説もあり「生かされていただいている」という捉え方からの言葉になるのかな。

ただ、丁寧すぎる敬語の使い方は、「礼も過ぐれば諂いとなる」とあるようにかえって無礼になるので気をつけなければならないようです。
※中川個人の感想です。