境内墓地の通路整備の報告(9月)

境内墓地の通路整備の報告(9月)

境内墓地の通路整備は、墓地の奥にあたる北西側から通路ごとに順次舗装板を整備しています。
9月末には三区画の一通路を残しています。おおよそ予定通りに四区画の終了が11月末の完成予定ですが、今後も台風などの天候で、時間がかかる場合があります。
ご迷惑をおかけしていますが、境内墓地通路整備期間中の東側駐車場の一部を工事車両が使用します。
また、皆様のお墓の前の通路に花入れなどがございましたら申し訳ございませんが片付けさせていただくことになります。

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宇都宮

 

宇都宮
栃木県と言えば、真宗高田派の私(住職)は、真岡市(以前は、二宮町高田)にある本寺(ほんじ)を一番最初に思い浮かべます。そして日光東照宮もお参りにいったこともあります。しかし、これまで栃木県の他の町を訪れる機会がありませんでした。

今回は、宇都宮市で開催されています栃木県博物館の開館35周年特別展の「中世 宇都宮氏」を拝見するのに初めて伺うことになりました。宇都宮氏は、今は地名にもなる宇都宮市周辺で活躍された名門武士団のことで今回の展覧会です。この展覧会については、高田本山で知り、内容を聞きますと、高田本山専修寺の国宝の『西方指南抄』・『三帖和讃』を始め、親鸞聖人真筆の八字名号・十字名号、本寺の真仏・顕智上人像、専修寺に残る宇都宮家の書状など法宝物が出展されるということを聞き、一度尋ねてみたいと思いました。
初めて行く場所(宇都宮市)ですが、調べて見ますと今年の5月の婦人会総会の時にご講演いただきました井上広法師の光琳(こうりん)寺様がありました。突然ではありましたが連絡をしましたら、ご多用の中でしたがご一緒していただけれることになりました。また、一昨年の5月の婦人会総会の時に「死の体験旅行」を開催させていただき、再来年(2019)の5月の婦人会総会の時にご講演を依頼しています神奈川県の「なごみ庵」の浦上哲也師もご同行いただけるとのことでうれしい再会のご縁をいただきました。

展覧会では、宇都宮氏(一族)のスケールの大きさに驚きました。武士でありながら法体姿の絵像や法然上人絵伝の中にも描かれている姿、遠くは奈良の東大寺や京都の泉涌寺、伊勢神宮への寄進など神仏への信仰も篤く、和歌への造形の深さなど知り、数多くの国宝など貴重な文化財をたくさん拝見することができました。栃木県にある本寺も宇都宮氏の領地にありますので関係が深かったことが窺えました。また、複製でしたが鉄塔婆(供養塔)の大きさにも驚きと同時に真仏上人の報恩塔を思い出しました。


続いて、井上広法師の光琳寺様にお参りに行きました。光琳寺様は、展覧会に展示されていました江戸期の古地図に宇都宮氏の居城の西側に、描かれており歴史を感じました。
東日本大震災の時、光琳寺様では、墓石の倒壊や鐘楼堂の屋根瓦の被害があったそうです。テレビや新聞だけの報道で知るだけでは分からない被害規模の1つを改めて教えていただきました。
ご本堂は耐震工事をされていたことで被害はなかったことが何よりと感じました。御本尊の阿弥陀様を取り囲む内陣の壁面に平等院の化仏が数多く荘厳されている光景は、これまで見たことがない内陣でした。余間には由緒ある閻魔様の像が安置されて、地獄絵と共に年一度お目にかかれる(ご開帳される)そうです。お堂内の荘厳もそうですが、境内にある鐘楼や墓地の整備にお同行の皆様が力を合わせて取り組んでこられたことをお聞きして、光琳寺様のこれまでの寺院活動に敬服することです。これから広法師の代になっても新たに地域との共存を含め素晴らしい寺院活動を継続されると思いました。

ハードな一日でしたが井上様、浦上様のおかげで実りある一日でありました。

※宇都宮と聞くと餃子も有名です。現地で食べる初めての宇都宮餃子やっぱり美味しかったです。餃子だけのお店で平日に関わらず多くの方が並んで待っています。駐車場の車も他県ナンバーが多かったです。

9月のおてらおやつクラブ

9月のおてらおやつクラブ

秋彼岸会の後、一人親家族、支援団体様へおすそ分けさせていただくことができました。季節も秋になり、少しずつですが過ごしやすい気候のようです。支援団体様ともお寺と一緒に何かできないかお話をしているところです。
お寺からの限られた支援ですが続けられるようにしたいと考えています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています>
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

10月の日曜学校は10月1日です。

今年も後3ヶ月ほどにになりました。過ごしやすい時期になりましたが、10月の日曜学校は10月1日です。朝7時30分から8時頃までです。
ご家庭での平素の夕時のお勤め(重誓偈・文類偈・5首和讃)を一緒にお勤めいたします。輪(りん)の鳴らし方や、念珠の持ち方もご一緒にしますので自然と覚えます。
また、ご参加いただきますと念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるようにご用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

秋彼岸会

前日の雨から晴れ間がひろがる中、秋の彼岸会のお勤めとご法話をご聴聞していただきありがとうございました。ご法話は、真楽寺の鷲山了悟師でした。植木等さんの「スーダラ節」のお話を交えて、正像末法和讃の愚禿述懐和讃の第20首の「仏智うたがふつみふかし・・・」の和讃のお心に触れさせていただいたご法話でした。布教使の鷲山師は、とても声が通りますのでご聴聞いただきました皆様にも毎回喜んでいただいています。
ご法話の聴聞が私をお育ていただけます。私の生死(しょうじ)のことが徐々にですがはっきりしてきます。布教使様と共に仏徳讃嘆できる場にご参加されますこと念願しています。
鷲山師のお子様は、小学生で今日(秋分の日)が運動会とのこと、午前中応援にいかれていたそうです。お寺から秋彼岸会のご案内をお同行様にさせていただいていますが、最近は、幼稚園や小学校の運動会が重なることも耳にします。ご多用の中ご聴聞いただきました皆様に感謝いたします。

また、お寺の行事の時は、ご聴聞されるお同行の皆様と共に、行事のお手伝いをしていただく方々もいらっしゃいます。お堂にお入りいただいた所の帳場ではお同行の皆様方が仏様へお供えいただきましたご懇志を各行事ごとに懇志帳に全て記帳していただいております会計担当のお同行様がいらっしゃいます。皆様のご懇志は、妙華寺にお預かりさせていただき、今後の妙華寺の護持、阿弥陀仏の「み教え」を伝える一助にさせていただいています。

ご聴聞いただきました皆様には、小さな秋をご賞味いただきした。

ひとくち法話

親鸞聖人のご生涯をとおして
【第20回】関東から京都へ 箱根にて
お念仏に無縁の関東の地に、念仏の種をまかれた親鸞聖人の教えは、高田門徒をはじめ各地に大きく広がりました。
しかし、関東に入られて20年、63歳頃この地を離れる決心をされました。少数の弟子をともなわれ、行脚の足を京都に向けながら、東海道の旅を続けられたのです。天下の険で有名な箱根にさしかかった時のことです。供に従ってきた性信房にこうおっしゃいました。「私が帰洛後どんな妨げがあるかも知れぬ。どうか私にかわって関東に留まり、門徒衆を教化してくれないか。」突然の仰せに当惑する性信房に、親鸞聖人は次の歌を示されました。
病む子をば あずけて帰る旅の空
心はここに 残りこそすれ
関東の門弟をわが子のように思っておられる聖人のみ心に、性信房はこの大任をお受けし、涙ながらに引き返したのです。
この時、聖人は愛用の笈を与えられたことから、この地は「笈の平」と呼ばれ「親鸞聖人御旧跡 性信房訣別之地」の石碑が歌碑と共に現存しています。
やがて、芦の湖畔、箱根権現にたどり着かれた時には夜も更けていましたが、権現が「わたしの尊敬する客がこの路を通る。丁寧にもてなすように」と、その示現が覚めやらぬ中に聖人が通られました。社人たちは、暖かくもてなし、親鸞聖人は三日三夜参籠、自ら木像を刻み献上されました。この木像は、現在も箱根神社に所蔵されています。こうして、京都への旅が、続けられたのでした。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

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お寺のホームページを開設して2年が経ちました。

お寺のホームページを開設して2年が経ちました。
私(住職)には、ホームページを作成できる知識も技術もありませんでしたが、お寺を応援してくださる(一社)お寺の未来様のお力をお借りして、平成27年(2015)の9月にお寺のホームページを開設して2年を迎えました。お寺のホームページが開設できましたことは、お堂の掲示板や行事案内・寺報などでお知らせをしていますが、まだまだご承知いただいていないようです。ご年配の皆様にはホームページと言われても何のことやら分からない部類の1つかと思われます。もしご年配の皆様のご家庭に若い世代の方々でパソコンやスマートフォンをお持ちの方がいらっしゃいましたら、インターネットで https://www.myoke-ji.com と入力をしていただきますと、法苑院 妙華寺のホームページが閲覧できます。(法苑院妙華寺や妙華寺で検索していただいても法苑院妙華寺のホームページが検索できると思います)またお寺のHPの中の、「お寺からのお知らせ」の記事は、お寺の行事の案内や住職が日頃感じたことまたお同行の方の投稿もございますので、時間がございましたら一度ご覧ください。

ホームページを開設して何が変わったか? 1年目の時も記しましたが、私(住職)の毎日の生活への見方が変わりました。私(住職)の生活の中での仏教や親鸞聖人の教えやお寺がどのように関わっているのかを改めて感じています。そこには私(住職)個人のこれまでから現在、将来のことや、お寺のこれからについて、その時に感じたことを記していますので時間とともに変化していることもあると思います。
また、考えたり感じたりすることを文章にすることの厳しさと共に大切さも感じています。そのことから、親鸞聖人が晩年までご著書に筆を入れられ、お手紙を書かれていたお姿に思いを馳せますととても感動いたします。

現在の私達の葬儀や法要のあり方、お墓についての意識は、これまでよりとても早く変化しています。また、葬儀や法要のあり方、お墓についての考え方もいろんな視点から論じられていますので考えを一つに整理することも難しいです。
一人一人のあなたにとってのお寺とは「何か」葬儀とは「何か」お墓とは「何か」を、お同行様のお一人お一人からご意見をお聞かせいただき一緒に考えることで、これからの妙華寺のあり方を共に作り上げていくことができればと感じています。

お寺の行事を行うことは別段これまでと違うわけではありませんが、そこに至る過程を丁寧に見ることになりました。私(住職)が法務を初めて40年ほどになりますが、変わってきた部分について改めてその背景に気づいたりします。お同行の皆様におかれましても生活の変化を感じられていると思います。変わるべきものと変わらないもの、必要とするものと必要でないと思えるもの、お同行様の視点ではお寺や親鸞聖人のみ教えをどのように感じられているのでしょうか?

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

仏力无窮にましまさば 罪障深重も重からず
仏智无邉にましませば 散乱放逸も捨てられず

弥陀の本願力は、極まりないものであられるから、どんなに罪とがが深かろうとも、それを重しとしない。弥陀の智慧は際限があられないから、我々の心がどんなにしまりがなく、自分勝手であろうとも、それをお見捨てにはならない。

散乱放逸は、欲望に常に乱され、ほしいままに振舞う者。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

勤行本として依用しています文明本の正像末法和讃第36首目は、
願力无窮にましまさば 罪障深重も重からず
仏智无邉にましませば 散乱放逸も捨てられず
聖覚法印の『唯信鈔』のお言葉によって詠われます。『唯信鈔』というのは、『歎異抄』にも唯一の引用書としてその名が見えます。「弥陀いかばかりかの力ましますと知りてか、罪業の身なれば救われ難しと思うべき」と。『唯信鈔』は「仏」「罪悪」それが『歎異抄』では「弥陀」「罪業」にかわっておりますけれども、『唯信鈔』が聖人のお弟子たちに読まれていた証拠です。いまのご和讃のところ、『唯信鈔』の言葉を掲げます。
仏力無窮なり、罪障深重の身重しとせず。仏智無辺なり、散乱放逸のものも捨てることなし。ただ信心を要とす、そのほかをば顧みざるなり。
これはよく調えられた文章で、和讃せずにはおれない響き合いを感じられたのでしょう。聖覚は法然上人そのままです。それだから上人亡きあと法然上人につかえるようなお気持ちで慕い敬っていかれたわけでしょう。「如来の本願の力は窮まりなくましますので、私の罪業がいかに深く重くとも、それがさまたげにならず、仏のお智慧はほとりなくましますから、私どものような、心散り乱れているもの、散乱放逸のものも見捨てるということがないのです」と。(以下省略)
以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】

 

10月10日(火)の高田本山清掃奉仕の依頼

本山清掃奉仕
3~4年に一度、高田本山の清掃奉仕をお願いしています。今年は10月10日(火)【10月の連休明け】が妙華寺の当番日になりました。ご奉仕いただける方は、当日午前8時に妙華寺に集合いただきそろって高田本山に行き、午前中本山内の清掃をご奉仕させていただき、昼食となります。
その後、妙華寺まで一緒に戻り解散させていただく予定です。
ご多用ではありますがご参加をお待ちしています。昼食の準備などの都合で9月25日までに、ご奉仕いただけます方は妙華寺までお知らせください。

※これまで、お世話方様・婦人会の幹部様にお願いしていましたがお同行の皆様の中でご都合がよろしければ是非ともご参加していただければと思います。
お彼岸のご案内の時に、依頼文を同封させていただき、ご奉仕をいただける方のお名前をご記入の上、9月25日までにお寺にお申し込みください。
また、お寺のHPからもご申込いただきましても結構です。

秋の彼岸会は9月23日(祝・土)午後1時30分からお勤めをいたします。

法苑院妙華寺では、毎年春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めとご法話がございます。
親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。

秋の彼岸会は9月23日(祝・土)午後1時30分からお勤めをいたします。
その後、真楽寺の鷲山了悟師のご法話がございます。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています。

讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」とおっしゃってみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。