水無月
京都のお菓子で、「水無月」と呼ばれるお菓子があります。三角形のういろうに小豆がのっているものです。6月の晦日の「夏越しの大祓」と「氷室の節句」の行事から始まったとか。そういえば、神社で「茅の輪」くぐりがありますね。無病息災を祈ることは、無病息災の生活が大変難かしいことでもあり、祈りが生きる力にもなっていたのだと感じます。
月: 2024年6月
高田本山の江戸時代の安居関係資料か?
高田本山の江戸時代の安居関係資料か?
「天台法門大観之図」2巻 125cm×55cm 勢洲専修寺蔵版
3年前、兵庫県の天台宗寺院の住職から、自坊の宝庫から、専修寺蔵版(本)の2幅の掛軸が見つかったようで連絡をいただきました。私(住職)は初めて見るものでまったくわかりませんでしたので、当時の宝物館主幹に連絡をしました。宝物館の主管からは、江戸時代の高田派の安居(あんご)の資料(教材)でないかと連絡をいただきました。当時の安居で天台宗の教えも学ぶ機会があったようです。「天台四教義」の説明だそうです。
令和6年発行の「高田学報」の「真慧上人から江戸時代へ」栗原直子著の論文で、高田派の江戸時代の安居の紹介があり、記録が残っている100年ほどの講義に、7回「天台」の教えについての講座があったので、その時の資料(教材)であったのかと思ったりしています。
阿吽
阿吽(あうん)
先日、ヨガのインストラクターの方に、「阿吽」について質問がありました。ヨガ(ヨーガ)も古代インドの宗教的な瞑想から始まっているのか「阿吽」についても関心があるようです。
私(住職)は、「阿吽」は、仏教語でありますが、仏具に口が開いた状態や閉じた状態の動物の据え方(向き)で学びました。口が開いた「阿」が始まりで口が閉じた「吽」が終わりでありますので誕生から終わりを連想することもありますが、それ以上の知識もなく話は終わってしまいました。
始まりと終わりがあることからそれを超えた仏教の視点を伝えなければいけないのかと反省しています。
「阿吽」
「意味古代インドのサンスクリットの悉曇文字(梵字)において、a(阿)は全く妨げのない状態で口を大きく開いたときの音、m(h??、吽)は口を完全に閉じたときの音である[1]。悉曇文字の字母の配列は、口を大きく開いたa(阿)から始まり、口を完全に閉じたm(h??、吽)で終わっており、そこから「阿吽」は宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉とされた[1]。宇宙のほかにも、a(阿)を真実や求道心に、m(h??、吽)を智慧や涅槃にたとえる場合もある。阿吽は宗教的な像にも取り入れられ、口を開けた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の像は、神社の狛犬(本来は獅子と狛犬の一対)などにみられる[1]。また、寺社の金剛力士像(仁王像)や沖縄のシーサーなどにも口を開けた阿形と口を閉じた吽形がみられる。」((https://ja.wikipedia.org/wiki/阿吽 参照 2024年6月24日))
【指摘】2024-06-29
阿吽について記載しました。阿吽は、一瞬(息を吸い息を出す)のことを表していて、一刹那のことだそうです。仏教ではその一刹那を大切に生きることともお教えいただきました。
過去・現在・未来の三世(さんぜ)とも関係する話になりそうです。
親戚寺院の3回忌
親戚寺院の3回忌
先日、親戚寺院の3回忌でお焼香させていただきました。
高田派では、住職の絵像を掲げることが多いです。本山専修寺に準じた形と考えられます。
絵像を拝見すると「似ている」・「似ていない」とついつい詮索してしまいますが、絵師はどのように描こうとされているのでしょうか。現代は本物そっくりの絵像を求めてしまいがちかもわかりませんが、時代を遡ると、あまり「似ていない」絵像が多かったとか、いろんなことを教えていただきました。
花は野にあるように
花は野にあるように
お茶の稽古を月1度しています。これまで覚えていた点前や作法も何度稽古しても満足にできることはありません。いつも、注意をしていただきながら、以前習ったことを思い出したりしています。その中で、花入に花をいけることはとても難しいです。
花入れの花は幾度となく先生に手直ししていただいています。今回、初めて先生に花の生け方を褒められました。ただ、1点花入れの水はギリギリまで入れることを注意されました。「花は野にあるように」と言いますがまだまだ深い境地があるのだと感じました。
利休七則の1つ「花は野にあるように」があります。「花は自然に入れなさい」ということですが、「自然そのままに」再現するということではなく、一輪の花に、野にさく花の美しさと自然から与えられたいのちの尊さを盛りこもうとすることに真の意味があります。【裏千家HPより】
喪服
喪服
一周忌のお勤め前に、施主様から「喪服で参加でしょうか」とお尋ねがあった。
葬儀の時は、「喪服」姿がほとんどであるが、最近は、それ以降の法事では、「喪服」姿は少なくなっている。特に暑い時期の「喪服」はつらいと私(住職)自身も感じている。かと言って、施主様に「平服」の黒っぽいものでもよろしいですよと言ってしまうのもどうだろうか。参加される方の中には「喪服」姿の方もいるかもわからないからだ。
「弔意」をどのように表現するかはそれぞれだから。
【報告】6月のTemple Morning
【報告】6月のTemple Morning
先月5月のTemple Morningは雨で中止でした。今月も前夜雨が降り、どうなるか心配でしたが、晴れ間が広がるTemple Morningでした。
気温も上昇する中、熱中症に注意しながら、4名の方にご奉仕いただきました。
ありがとうございました。
掃除に集中することを通して、心を整えるTemple Morningは、日常と違った時間を味わうことができます。
次回は、9月15日(日)午前8時から9時です。時間に都合がつきましたらご参加ください。(雨天は中止です)
【案内】初盆のお勤め
【案内】 初盆のお勤め
妙華寺では、以前からお盆行事の一つとして、ご希望の方の初盆のお勤めをしています。
昨年のお盆から今年のお盆までの期間に亡くなられた方のご家族が初めてお盆を迎える時に初盆のお勤めをします。
妙華寺のお盆は、7月と8月の両月に地区を分けて行いますので、ご希望の月に初盆を勤めることができます。
一般的には、7日に初盆を勤めるご自宅に出向いて、火入れのお勤めします(火入れ)
その後、13日~15日の期間の夕方以降に、妙華寺の本堂でお勤めします(本堂で23日まで朝夕お勤めをします)
23日の午後7時より妙華寺の本堂で初盆を営まれたご家族と共に最後のお勤めをして初盆の行事は終了いたします。23日の予定は、お勤め(30分)と、「高田派のお仏壇のお給仕」のビデオ(20分)を見ていただき終了いたします。
注① 初盆の7日の火入れをご希望の方は、前月末までに、妙華寺までお申し出ください。月初めに火入れのお勤めに行くご自宅の順番を決めさせていただきますので、火入れの時間を妙華寺にお尋ねください。(およそ30分単位で決めています)
注② 13日~15日の期間の夕方以降に妙華寺の本堂でのお勤めの時間は、ご希望時間が重なりますと調整させていただく場合がございます。また、遅延されます場合は、妙華寺にご到着された順になる場合がありますのでご了承ください(およそ30分単位で決めています)
また、妙華寺の本堂にお持ちいただく初盆の仏具ですが、ご法名の記載されたもの以外の仏具は、ご遠慮をお願いしておりますご了承ください。
注③ ご遠方の方で初盆のお勤めをご自宅でご希望の方は、7日に火入れのお勤めができない場合がございますのでご了承ください。また、本堂(お寺)での火入れのお勤めも行っております。
※ご不明な点はお寺にお聞き下さい。
今回、「傾聴僧の会」の活動の1つ「ことはな」を活用させていただき、ご遺族様の亡き人への想いを「言語化」して、手向けることで、ご遺族様を援助できれば考えています。
山門の開閉時間
山門の開閉時間
先日、お同行さんから「山門の開閉時間はいつですか」と電話をいただきました。妙華寺の場合、山門は常時開いています。以前から、境内の通路が駅への通り道になっているのも理由の1つだと思っています。
夏場だと、まだ暑くならない、朝5時頃から境内墓地にお参りにこられるお同行さんもいらっしゃいます。
本堂の開け閉めの時間は、朝6時頃から17時頃まで、いつもご本尊へ手を合わせることができます。
2030と2033
2030と2033
4月の世話方会で、次の一光三尊仏御開扉法会の話をしました。
2030年は、高田派の一光三尊仏御開扉法会の年です。また、お寺の創建350年の記念の年でもあります。6年後のことですので私(住職)より、次の世代が中心になり進めていく行事と感じています。
その3年後の2033年は、(伊勢)神宮の式年遷宮です。
高田派にとっては2030年が大切な年ですが、国民は2033年の式年遷宮が関心事になっていくでしょう。今年2024年に、正式に式年遷宮が発表され、来年2025年から式年遷宮に関係する本格的な神事がはじまり、年々神事が行われ遷宮を心待ちにする声が大きくなっていくのでしょう。
規模が違うのでたいしたことはできませんが、お寺の創建350年・一光三尊仏御開扉法会も今から少しづつ情報発信をしていこうと思います。