【案内】親あるあいだの語らいカフェ

【案内】「親あるあいだの語らいカフェ」を開催します
10月05日(土)13時30分から16時 妙華寺本堂

お寺と教会の親なきあと相談室津市妙華寺支部では、令和5年5月13日にキックオフ講演会を開催しました。
その後、昨年(令和5年)10月7日・令和6年2月3日、6月1日「親あるあいだの語らいカフェ」を開催し「親なきあと」の課題について、「つながりの場」と「傾聴の場」をご用意しました。
4ケ月に一度ではありますが、継続的に「親あるあいだの語らいカフェ」の開催を予定しています。
当事者やご家族の皆様の悩みの「親なきあと」問題の支援が必要な場合は、専門的な知識をお持ちの支援団体に「つながる」ように。
当事者やご家族の皆様の悩みに寄り添うようにお話を「傾聴」します。
妙華寺の「親あるあいだの語らいカフェ」は、(一社)みえ円満相続支援センター様にもご賛同いただいています。

また、「傾聴僧の会」の宗教者のお力添えいただきます。

必要な方に届きますように

真・行・草

真行草
「真・行・草」の言葉は、皆さんご存知ですか。私(住職)は、書道を学ぶ時に知りました。楷書(真)・行書(行)・草書(草)として、完成した書体から少し柔らかな書体と省略された書体として理解しながら、日本の武芸や建築、庭園、俳諧、絵画など日本文化の中でも取り入れられた表現で、真があり、行・草へ拡がっていくと思われますが、草に美意識を感じるのが日本的でもありそうです。
お茶にも茶室や床荘、道具・点前などさまざまな「真・行・草」の格があります。お茶の稽古の最初にお辞儀の「真・行・草」を学びました。このお辞儀の「真・行・草」は社会人としてのマナーでも取り上げられますね。欠けた茶碗を修繕して、公式の場で使うことも、「草」の意識が感じられます。日本文化の豊かさを感じる1つです。

【報告】秋彼岸会

【報告】秋彼岸会
台風14号の影響で雨が降ったり止んだりの中、遠方からお越しいただく方もあり、ありがとうございました。「暑さ寒さも彼岸まで」の言葉は、最近「秋彼岸」には通用しないように感じられます。
お勤めの後の法話は、真楽寺の鷲山了悟師から、自身の病気に向き合う気持ちの変化から、真宗の教えが響いてくることのお話でした。法話の後、控室で親鸞聖人の和讃の魅力も語られたことも意義深いことでした。

秋分の日

秋分の日
明日9月22日は秋分の日と言い「祖先を敬い、亡くなった人をしのぶ日」として1948年に祝日法で制定されました。
また秋分の日は、祝日法の上で「秋分日」とされています。毎年2月1日に、国立天文台が作成する「暦象年表」という小冊子に基づき閣議で来年の(秋分の日の)日にちが決定されます。
祖先を供養する日
秋分の日は春分の日と同様に、昼と夜の長さが等しくなる日です。しかし、春分の日よりも昼の平均気温は10度程高く、まだ夏の気配が残ります。
秋分の日を中心とした一週間を「秋彼岸〔あきひがん〕」と言います。各家々では、家族そろってお墓参りに行ったり、祖先を供養する「法会〔ほうえ〕」が行われたりします。
1948年には、お寺参りの日・先祖供養の日など、宗教的慣例としてのまつりの日だけではなく、広い意味で「祖先を敬い、亡くなった人を忍ぶ日」として国民の祝日に制定されました。

妙華寺では9月22日(祝・日)午後1時30分からお勤めをいたします。
そして真楽寺の鷲山了悟師のご法話がございます。
 妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています

まかせる

まかせる
真宗の僧侶は、「まかせる」の言葉は親しみがあります。阿弥陀様の「まかせよ」の願いにうなづいていくことが私の仏道であるからです。

私のこと誰か(他者)に「まかせる」ことができますか
随分前に、お同行の方と話の中で「葬儀をたのみます」と言う意味で「お寺さん。私の最後をおまかせします(お願いします)」と言う会話がありました。葬儀は死後のことですので、今の時代では「死後事務委任(契約)」にあたるのでしょうか。これは事務的なことで大切なことではありますが、「こころ」の領域では、私の死後の安心が最大のテーマになるのではないでしょうか。お釈迦様は死後のことについて語られてはいませんが、「こころ」がおだやかなることを「涅槃」と表し、その人にとって一番の方法を示されたのが今の仏教につながっています。

阿弥陀さんの「まかせよ」の願いは、生きている中で仏道を修することができない私(住職)にかわって、阿弥陀さんが全て修してくださっているので「まかせよ」と願われているのです。そのことを信じて人生を歩んでいくことが私(住職)の仏道になるのです。

 

【案内】秋彼岸会は9月22日午後1時30分からです

【案内】秋彼岸
讃佛会(さんぶつえ)
「暑さ寒さも彼岸まで」と言います。日本では、昼夜が同じ時間になり、太陽が西に沈む頃の春分の日・秋分の日を中心に一週間を春秋二季の彼岸と例えます。日本人の心に根付いた仏教への心温まる気持ちの現れです。
彼岸は、仏典に出てくる言葉で、パーラミターというインドの言葉を訳したものです。彼岸とは「到彼岸」の略で、迷いの世界(この世)から悟りの世界に到るということです。この迷いの世界を此岸(しがん)といい、如来の悟りの世界を彼岸と名付けています。
親鸞聖人は、「人みなこの此岸、つまり人間世界から彼岸への途を歩まねばならない」と申してみえます。
此岸から彼岸へのこの道は阿弥陀如来ご廻向の道であります。浄土への道は、浄土からの呼びかけの道であります。彼岸会はインド・中国にはなく日本独自の法会です。真宗では彼岸の一週間を佛徳を讃嘆する場として、また聞法のご縁の場として大切にしています。
真宗では、彼岸会を讃佛会とも申しています。

法苑院妙華寺では、春分の日・秋分の日の午後1時30分からお勤めと法話を勤めています。 親鸞聖人のご和讃に
「生死の苦海ほとりなし
ひさしくしずめるわれらをば
弥陀の悲願のふねのみぞ
のせてかならずわたしける」とお述べになっています。
苦悩の世界(此岸)に沈んで久しい私たちは、阿弥陀如来の悲願によって救われる(彼岸へ運ばれる)とお諭しになられています。

9月22日(祝・日)午後1時30分からお勤めをいたします。その後、真楽寺の鷲山了悟師のご法話がございます。
妙華寺では、ご法話をご聴聞していただくと法会参加票にスタンプを押印させていただいています。ご聴聞をお喜びするご縁となりますように、10回ご参加いただきますと記念の品をお渡ししています

不安なこころで毎日生活を送っています。このような時、私の「いのち」についてもう一度考えてみませんか? 聞法の中で、仏様の「はたらき」をお聞かせいただき、仏徳讃嘆の「おこころ」をいただきましょう。

 

【報告】Temple Morning 

【報告】
天気予報が雨の為、中止を予定していましたが、3名の方がお越し頂きました。
急遽、準備をしてご奉仕していただきました。本当にありがとうございました。
奉仕時間中は雨も降らず、蒸し暑い中のご奉仕していただき感謝申し上げます。

掃除に集中することを通して、心を整えるTemple Morningは、日常と違った時間を味わうことができます。
次回は、10月20日(日)午前8時から9時です。時間に都合がつきましたらご参加ください。(雨天は中止です)

皆さんは、空を見上げることはありますか。
私(住職)は、最近空を見上げることはあっても、空を見て楽しめていません。
私(住職)は、空の色を見るのが好きです。青空と言っても、毎日色が違います。雲は色も形も違います。降る雨も決して一緒ではありません。空を見上げて、あれこれ思うことで豊かな気持ちになれるのですが、今はその時間をつくれません。
感性が麻痺しているのか、余裕がないのかわかりませんが少し残念です。

中陰

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。四有の1つで、生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。また故人が亡くなって49日間のこと。
浄土真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ、念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので、中陰法要は、追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺った者も阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝する。【浄土真宗辞典】

私の中陰
大切な方が亡くなられた時、その事実を受け入れることができない感情もあります。そのような状態で、これから私の人生を歩むことができるでしょうか。
自分自身が受け入れることができない悲しみや苦しみを、自分の時間で受け入れていくこと、心を整えることが、大切ではないでしょうか。
受け入れがたい悲しみや苦しみを受け入れたからといってその悲しみや苦しみは消えるものではありません。その悲しみや苦しみと共に人生を歩むことの中で宗教の「み教え」が私に響いてくるものだと思います。
浄土真宗の「み教え」は、大切な方が亡くなられても、「往生」(往って生まれる)することができ、諸仏の1人となり、遺った私を見守ってください存在になる。教えです。 また、私もその「み教え」にうなづくことができるなら、私も「往生」することができる存在となる教えです。
大切な方が先に往った世界に私もまた往くことができることで、心が安心することもあります。

「亡くなったらそれで終わり(しまい)」と考えることからは決して生まれない想いです。

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