新年の準備

お寺の行事は、毎年同じようでありますが一期一会で同じことはありません。
毎年最後のお勤めは大晦日の午後5時に歳末会としてお勤めしています。1年間の仏恩を報謝します。
一週間ほど前から新年の準備をします。
お堂の西余間に妙華寺の初代住職の像を中心に歴代住職の位牌を敬置します。また7代住職から11代住職の絵像の掛軸がありますのでお掛けします。
ご本尊前にお同行様からのお供えを披露します。
新しい年の年回繰出表を用意します。


続いて、修正会(しゅしょうえ)の準備ですが、普段あまりお勤めをしない「現世利益和讃」を15首拝読しますのでその用意をいたしました。お屠蘇の用意も年1度のことです。今回は空調設備を新設しましたのでこれまでより温かいと思いますが午前5時30分からの修正会のお勤めは、寒い中お越し頂くことになりますので温かくしてお越し下さい。

※高田本山のお七夜のお非時券を修正会の終了後配布いたします。
枚数に限りがありますので必要な方はお申し出ください。


※今年は、ご法主殿にご染筆いただきました「山号」の額装を余間に敬置してあります。
  修正会後、そちらで記念写真を予定しています。

 

 

平成30年 年回表

平成30年 年回表

01周忌 平成29年往生人
03回忌 平成28年往生人
07回忌 平成24年往生人
13回忌 平成18年往生人
17回忌 平成14年往生人
23回忌 平成08年往生人
27回忌 平成04年往生人
33回忌 昭和61年往生人
50回忌 昭和44年往生人
100回忌 大正08年往生人
150回忌 明治02年往生人
200回忌 文政02年往生人
250回忌 明和06年往生人
300回忌 享保04年往生人

※詳細は、本堂の向かって左手の年回繰出表をご覧下さい
※お勤めの日時が決まりましたらお寺にお知らせください。
土曜・日曜・祝日は、他のお同行様のお勤めの予定を聞いている場合もございます。

年回(年忌)法要
年回(年忌)法要をどうして勤めるの? 私(住職)も若かった頃はそのようなことを疑問に思っていました。ずいぶん前の『高田学報』に高田派の鑑学の先生の書かれた中で、「大切な方の忌日を勤めるのは、私自身(己の心)の中にある仏道に修しているという思いを改めて省みる日である」とおっしゃられた言葉が私(住職)の中で肯くことができました。以前より時間が早く経つのか、するべき事が多すぎるのか少し前の大切な出来事も記憶の端っこに押しやられて忘れがちになるようなこともあります。歳を重ねていく中で、ご往生されました大切な方のことを思う時間が少なくなるのも現実です。それでも改めて大切な方と向き合う時間を年回(年忌)法要を通して持つことの意味を以前より感じています。
また、年回(年忌)と言うと故人の祥月命日を縁として行う法要で、妙華寺ではご往生されて1年後を1周忌、その次の年を3回忌(ご往生された年から数えて)その後7回忌、13回忌、17回忌、23回忌、27回忌、33回忌、50回忌とお勤めをします。以降は50年毎に行われます。真宗では、ご往生された方を縁として仏法に遇い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する場でもあります。
そのように考えて見ますと、大切な方の33回忌に遇えることは、大切な方がご往生さられてから32年後のことであります。それも数えてみると8度目の年忌であります。その間のご遺族の皆様のご苦労に大変頭が下がりますが、今の時代は親御様の遠い年忌に遇うことができにくい時代です。その仏縁に遇う慶びは大きいものと思います。

 

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。
妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)とありますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので、一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケアする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。

 

命日
大切な方がご往生された日を「命日」と言います。また「忌日」とも言います。ご往生された月の命日を祥月命日と言い、他の月々の命日を月命日、月忌とも言うそうです。
私たちは生まれた日を誕生日と言いお祝いをしますが、ずいぶん前に「誕生」とは「うそがうまれる」という意味もあることを聞きました。私たちがこの世に生まれ、生きていく上で嘘もつかなければ生きていくことができない存在であることを私に教えていただいています。
では、「命日」は「いのちの日」と言うことはどのような意味があるのか考えています。中国では亡くなられた時にその人の評価が定まると考えられていると聞きました。日本でもそのように考える場合もありますし、死後に災いが起こらないように祀(まつ)ることもありました。真宗では、故人の命日を縁として仏法に遇う、阿弥陀仏(如来)の恩徳に報謝する日と思います。

 

忌日
以前、「忌日」について、忌まわしいと言う字が含まれていますがと尋ねられました。
私の大切な方が亡くなられた時、亡くなられたことをすぐには受け入れがたい心があります。亡くなられてからも生きているように感じる心もあります。しかし、私から離れた方の死について、不浄なものと考えてしまう気持ちも出てくる場合があります。高田派の鑑学の先生が、「大切な方の忌日を勤めるのは、私自身(己の心)の中にある仏道に修しているという思いを改めて省みる日である」と述べられたことを思い出します。

真宗では親鸞聖人のご命日を縁としてお勤めする報恩講があります。高田本山では毎年1月9日から16日までお勤めいたします。各寺院も毎年一番大切な行事としてお勤めしています。(妙華寺では12月の第1日曜日です)
私の大切な方のご命日も、私が仏法に出遭い、阿弥陀如来の恩徳に報謝する大切なご縁であったことに間違いないことです。

平成30年の法苑院妙華寺の行事

1月  1日 午前5時30分  修正会 お七夜のお非券配布します

1月 4日         井戸山報恩講

3月 21日 午後1時30分 春彼岸会  布教師 戸田栄信師

4月 7日8日       メリシャカ(花祭り)

隣寺とスタンプラリーしています

4月 29日 午後1時30分 春千部会  布教師 高藤英光師

5月 18日 午後2時    婦人会総会・追弔会

5月 18日 午後3時   お寺の講演会 講師 英月師

7月 7日         初盆火入れ

(お申し出の方のお仏壇の前でお勤めします)

7月 12日から15日    お盆勤め(地区別にお勤めします)

7月 23日        初盆総回向

8月 7日         初盆火入れ

(お申し出の方のお仏壇の前でお勤めします)

8月 11日から15日    お盆勤め(地区別にお勤めします)

8月 23日        初盆総回向

9月 23日 午後1時30分 秋彼岸会 布教師 鷲山了悟師

10月 27日 午後1時30分 秋千部会 布教師 佐波真教師

12月 2日 午後1時30分 報恩講  布教師 大河戸悟道師

12月 31日 午後5時   歳末会

「心に響くことば」 

2019 法語カレンダー 「心に響くことば」 葛野洋明 解説

毎年真宗教団連合から「法語カレンダー」が出ています。今年のカレンダーに掲載された「法語」を、龍谷大学大学院教授で本願寺派布教使の葛野(かどの)洋明師の解説された一冊があります。葛野洋明師は、妙華寺の2019年の報恩講の布教使です。

「法語」が目に入る時、私にどのようなことが起こるのでしょう。「法語」の言葉をそのまま受け取ることも、また「法語」の言葉の奥にある意味を拝察することも、また書かれた方のことを思ったり、その時の自分の心情に重ねてみたり、私自身を省みたり、新しい自分に出遇ったりします。残念ながら機が熟しておらず「法語」が私に響いてこない時もあるでしょう。

そのような時に、「法語」の解説された方の、「あじわい」を通して私にしっかりと「法語」を届けていただくことになると思います。
葛野洋明師の法語カレンダーの「法語」の「あじわい」を通しながら、妙華寺の2019年12月1日の報恩講にご法話を楽しみにお待ちしましょう。

 

今年の妙華寺の日曜学校は、葛野洋明師の解説された冊子を元にしたいと思います。
また、元旦の修正会にご参加の皆様に、お渡しします。
また、お寺には、葛野洋明師の解説された冊子もございますので、ご自宅でお読みされます方はお寺にご一報ください。お渡しさせていただきます。

2018(平成30年)のアーカイブ

2018(平成30年)のアーカイブ

① 台風の影響
今年は、この地域に影響があった台風が4回ありました。お寺のある久居は高台でありますので水害の心配は少ないのですが、強風の影響を感じました。
目に見える被害として、お寺の前の瓦屏の一部の瓦が飛ばされていました。裏門に通じる通路のトタン屏の一部が飛ばされました。書院の外部の漆喰が剥落して内部の床の間の壁に雨漏りが生じました。本堂の天井の一部分が空いていますので、強風により小屋組のホコリが畳に落ちました。山門の門扉が強風に煽られました。
11月末までにそれぞれの部分について修復させていただきました。

② お寺の裏側の空き地について
お寺の裏側に現在使用していない部分があります。そこは裏側の道路に面していてコンクリートブロック塀で囲まれています。そして手入れもしていません樹木が数多くあります。その樹木が境内の外側に倒れると被害が出ますので、中勢森林組合様に境内の外側に倒れる恐れのある樹木を数本伐採することになりました。その時に、お寺で火災があった場合、お寺の正面の道路は昔の通りのままで大きな消防車などか進入しにくいことなどで、裏側の道路に面した現在使用していない空き地に開閉門を作り火災時に大型消防車などが進入し、消火活動がスムーズにできるようにとアドバイスもいただき、複数年をかけて整備を考えます。
今回は、コンクリートブロック塀の一部に開閉門を整備しました。今後は、樹木の伐採や、空き地の整備を予定します。

 

③ 登録有形文化財トレーディングカードについて
一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値をご認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも数に限りはありますが作成していただきました。
今年の4月から配布していますが、遠方からは新潟県・兵庫県からお越しいただいた方もあります。旅の楽しみの1つとして三重県内の登録有形文化財にも足をお運びいただきトレーディングカードを集めてみてはいかがですか。

トレーディングカードは庫裡(くり)にて「トレーディングカードありますか」(なくなり次第終了)とお声かけください。

④ 山号 お寺には、山号(さんごう)があります。妙華寺の山号は、「寂陽山」(じゃくようざん)と本山からいただいています。この度、ご法主殿のご染筆の山号が額装として出来上がってきました。山号は、本堂入り口内部の上部に掲げてありますので普段目にしていただく機会も少ないと思い、しばらくの間(1月中旬頃まで)本堂向かって左の余間に敬置させていただきます。本堂にお詣りの時にゆっくり見て下さい。

これまで本堂に掲げてありました山号は、東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)(1833-1912)が書かれたものでした。何時かは特定できませんが、「当山に御来遊中に筆」と歌と画賛の二本の掛け軸もありその時に「山号」も書かれたのだと思います。
※当分の間これまでの「山号」は本堂入り口内部の上部に掲げてあります。

※番外① 東京の国立劇場で高田本山専修寺(真宗)の声明公演
声明(しょうみょう)とは、仏教儀式において僧侶が唱える声楽を指すそうです。(浄土真宗の声明真宗高田派本山専修寺の「報恩講式」 独立行政法人日本芸術文化振興会発行より)真宗の私達の一番大切にしています行事の報恩講(お七夜)でのお勤の「式文」拝読も語り物として後世の浄瑠璃音楽の祖型をなすもののようです。平素はお勤めとしか思っていないものを声明公演として、妙華寺の関東のお同行様にお声をかけさせていただき、一緒に国立劇場で鑑賞する機会を得ました。

② 「おてらおやつクラブ」活動の評価
「おてらおやつクラブ」の活動に賛同しています妙華寺としてもうれしい受賞でした。
「おてらおやつクラブ」の活動が、10月31日に「2018年度グッドデザイン大賞」を受賞しました。「グッドデザイン賞」って聞いたことある言葉ですが、形有るもの贈られるものと思っていましたが、「仕組み」(システム)も対象なのですね。
引き続いて、11月9日には、環境大臣賞優秀賞(グッドライフアワード)も受賞されました。これまでも仏教関係の中で、「おてらおやつクラブ」の仕組みを、評価されてきましたが、より広く多くの方々にも評価されることになった1年でもあると思います。
「おてらおやつクラブ」の活動に賛同して妙華寺でも毎月一人親家族様や支援団体様へ、「お供え」の「おすそ分け」を続けてこられたことは、お同行様のご理解・ご協力があってのことです。
※詳細は、「おてらおやつクラブ」のHPをご覧下さい。

修正会 元日午前5時30分からお勤めします

修正会(しゅしょうえ)
お正月に修する法会で修正会と言います。
年のはじめに心を新たにして佛前に座し合掌礼拝し、お念仏を申し上げます。
法苑院妙華寺では、元日午前5時30分からお勤めをしています。

本堂でのお勤めが終わり、お墓詣りになる頃、夜が明けだします。
寒さ厳しく早朝からのお寺へのお詣りは大変ですが、年に1度の元日の行事を体験しませんか。

高田本山のお七夜の時の「お非時」券も配布いたします。(枚数に限りがあります)

ご高齢の方が、以前は家族で、氏神さんの野辺野神社に初詣でをして、菩提寺の修正会にお詣りをして、お墓にお詣りし、家に帰り家族で新年の挨拶をされたとお聞かせくださいました。

お勤めは、『鎮国文』・『重誓偈』・『正信偈』・『現世利益和讃』・『念佛』・『廻向文』で
『繙御書』を拝読いたします。

『鎮国文』は、親鸞聖人が真実の教えと仰がれた『仏説無量寿経(ぶっせつむりょうじゅきょう)』の一節です。
『佛所遊履(ぶっしょゆうり) 国邑丘聚(こくおうくじゅ) 靡不蒙化(みふむけ)
天下和順(てんげわじゅん) 日月清明(にちがつしょうみょう) 風雨以時(ふうういじ)
災厲不起(さいれいふき) 国豊民安(こくぶみんなん) 兵戈無用(ひょうかむゆう)
崇徳興仁(しゅとくこうにん) 務修礼譲(むしゅらいじょう)』
と、説かれています。この文を分かりやすく換言しますと、
「仏が行かれるところは国も町も村も、その教えにさからうようなことはない。そのため世の中は平和に治(おさ)まり、太陽も月も明るく輝(かがや)き、風もほどよく吹き、雨もよい時に降り、災害や疫病などもおこらず、国は豊かになり、民衆は安穏(あんのん)にくらし、軍隊や武器をもって争うこともなくなる。人々は徳をもって思いやりの心で、あつく礼儀を重んじお互いにゆずり合うのである。」とおおせられました。

このような尊い教えをいただきながら、悲惨な戦争が繰り返されているのは、全く悲しいことです。私たちの家庭や日常生活を反省してみますと、親鸞聖人の”世の中安穏なれ 仏法ひろまれ”と申されるおことばがお念仏とともに力強く私たちの心に響いてまいります。

『現世利益和讃』は、妙華寺では15首拝読しています。高田では「和讃」は5首拝読が基本ですが、修正会だけのパターンです。

また、修正会には、必ず『繙御書』(ひもときのごしょ)を拝読いたします。ひもとくとは、巻物をひもとくという意味です。一年の始めに拝聴する御書のことです。この御書は、本山第18世の圓遵(えんじゅん)上人がお書きになりました。一年の始めにあたって忘れてはならない仏法の要をわかりやすく説かれて、求道のこころを諭してくださっています。
その要旨は、
【一】生者必滅の道理。寿命は老少不定(ろうしょうふじょう)の世の中だから、新年を迎えて喜んでもいつの間にか夏がきて、秋暮れて、また一年が経ってしまう。一日一日を無駄に過ごさぬよう。
【二】身にしてはならぬこと、口にしてはならぬこと、心で思ってはならぬことがある。因果応報の業道(ごうどう)は、秤(はかり)のように必ず重い方に牽くから身(しん)・口(く)・意(い)の三業(さんごう)を常に慎むこと。
【三】煩悩いっぱいのわれらは、他力念仏の法に依らねば浄土往生は不可能です。この道を誓われた阿弥陀仏、この教えを伝承されたお釈迦様と七高僧の広大な恩徳に報謝せよ。
【四】先ずは父母孝養(ぶもきょうよう)の心を第一とし、父母存生(ぞんしょう)の日は孝順(きょうじゅん)を先とし、没後は法事を怠ること無く報恩につとめよ。そして、六親眷属(ろくしんけんぞく)むつまじく、互いに信心をみがきなさい。とあります。

参加者に念珠の一珠をお渡しして、24珠で単念珠が、108珠で二連念珠ができるように用意しています。(親珠には「妙華寺」の寺院名が刻印されています)

12月のおてらおやつクラブ

12月のおてらおやつクラブ
17日に新しい支援団体様、一人親家族様と21日に地域の支援団体様にお送りさせていただくことができました。
また、地域の支援団体様には、昨年に引き続き、12月2日の妙華寺の報恩講にお非時(ひじ)と兼ねた「こども食堂」にご奉仕をしていただき、ご縁を感謝しています。
改めてこの1年間も「お供え」を「おすそわけ」させていただくことができ、お同行様のご理解をいただきありがとうございました。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

「お寺の講演会」ご講師 浦上哲也師から 2

今回、来年2019年5月18日の親友婦人会総会後の「お寺の講演会」のご講師をお願いしています横浜市の「なごみ庵」のご住職 浦上哲也(うらかみてつや)師に「お寺の講演会」の半年前の11月から月一度のペースでご寄稿をお願いし快く受けて頂きました。その2回目を掲載します。
浦上さんは、僧侶ですがお寺の本堂から飛び出して、多彩な活動をされています。
平成27年の親友婦人会総会の日には、希望者に「死の体験旅行」と言うワークショップを受講していただきました。私(住職)も受講して、死に向かっていく自分の感情や取捨選択を受講した者同士が共有しながら、今生きていることの不思議を感じたことでした。
「死の体験旅行」と言うワークショップを全国で開催されたり、「自死・自殺に向き合う僧侶の会」の共同代表や、「仏教死生観研究会」を立ち上げられたり、お坊さんが回答する「hasunoha」の回答僧のお一人であり、「まちのお寺の学校」の講師であったり、最近は「方丈社」マガジンに連載が始まりました。また妙華寺も賛同する「おてらおやつクラブ」に参加する寺院の住職でもあります。そのような多くの顔を持つ浦上さんの今感じることを月一度、妙華寺のHPにも掲載して5月18日の講演を楽しみに待ちたいと思っています。

浦上さんの掲載文で、何か感想などございましたら、お寺にお知らせください。

 

2018年の漢字

 毎年、京都の清水寺の貫主さまが揮毫される今年の漢字が「災」になりました。たしかに災害が多い年でしたが、なにもそんな字を選ばなくても…と思ったものの、公募で決まった字が書かれるそうなので、貫主さまも仕方なく書かれたのでしょうね。

 起こってしまった災害を無かったことにはできませんが、せめて元号も新しくなる2019年は「災い転じて福となす」という一年になってほしいと願うばかりです。ですがこの「福」というのも、なかなか難しいものがあります。なぜなら、福・幸せとは他者と比較の上に、相対的に成り立つものだからです。

 人間の幸福感の研究によると、人は最低限の衣食住が満たされると大きな幸福感を感じるが、その衣食住が高価になることで得られる幸福感は小さいのだそうです。
 例にあげられていたのは、アメリカの中間層(立派なマイホーム)とインドの人力車引き(壁がビニールシートの簡素な家)でしたが、両者が感じる「幸福度」は同等でした。

 現代の私たちの生活と、親鸞聖人の生きた平安鎌倉時代を比べれば、アメリカとインドより差は大きくなります。電気はある、エアコンはある、車も飛行機もある。昔と比べれば現代人は夢のような豊かで便利な生活をしています。しかし誰もが幸福感に充ち満ちて生きているわけではないことは、皆さんもご承知の通りかと思います。

 この先、どれだけ医学や科学が発展しても、物質的な充足を追い求める方向性では幸福感が満たされきることは無いでしょう。仏教で説かれる「足るを知る」「己を知る」道、つまり精神的な充足を求めることこそが、「災い転じて福となす」への近道になるのではないでしょうか。

今年の27組の報恩講

27組報恩講
今年も10月28日から27組の報恩講が戸木の満誓寺様から始まりました。昨年は10月下旬の台風の影響で雨でしたが今年はいつものように晴天で暑さも感じる1日でした。
私が組内の報恩講に出仕させていただいたのは20代の大学生の頃からですので40年以上になります。今のようなマニュアル本もない時でしたので、作法も何も分からないまま、諸先輩のご住職に教えていただいたり、まねたりして身につけていったことでした。それでも報恩講に遇わせていただくことは普段とは違うことで楽しみにしていた気持ちでした。

【満誓寺 本堂内陣】

11月10日新家(にのみ)の光蓮寺様の報恩講に2年ぶりに伺いました。前住職がご往生され坊守様も施設に入られて、普段ご住職がいらっしゃらないのでお同行の皆様がお寺をお守りされています。いつも拝見させていただいているのですが、内陣の脇壇の1つに木像の坐像が荘厳されています。高田の寺院の内陣の1つの脇壇には、高田派の歴代上人の絵像やそのお寺の歴代上人の絵像を荘厳されると聞いています。それも、繧繝縁(うんげんべり・うげんべり)の畳に荘厳されていますので大変高貴な僧侶とお見受けしました。高田派の歴代か光蓮寺様の初代か中興上人かと思われますがお同行の方にお聞きしても分からず残念でした。
(※後日、『久居の仏像』で調べましたがそこでも人物は不詳でした)

11月18日は、戸木の西向寺様の報恩講です。四季桜が満開で春を思わせています。11月の中旬ですがまだまたストーブが要らないような一日でした。光蓮寺様の荘厳のこともあって、出仕の前に西向寺様の本堂をお参りさせていただきました。西向寺様は高田派の中興上人の真慧上人の絵像が掛かっています。私(住職)は真慧上人の絵像はあまり拝見したことがありませんでしたのでとても有難かったです。毎年の報恩講で出仕させていただいているのですが、それぞれのお寺の荘厳をじっく拝見することもなくこれまでのことを残念に思い、これからはできるだけそのお寺の本堂にお参りさせていただくように心がけたいです。

【西向寺 本堂内陣】

11月23日は、小戸木の西林寺様の報恩講です。いっぺんに寒くなりマフラーを巻いて伺いました。毎年多くのお同行の方がお詣りいただいています。法中(ほっちゅう)のお勤めが終わりますと、お同行様が一緒に「文類偈」を声に出してお勤めすることも、お同行の方が、法中をお接待をされることは最近少なくなってきましたがまだ続いていることは素晴らしいことと思います。

【西林寺 本堂正面】

11月25日は、木造の蓮性寺様の報恩講です。待合の床には、高田派18世の圓遵(えんじゅん)上人の十字名号がありました。「一志郡 木造 蓮性寺」とありますので、本堂の余間に掛けられたものと思われます。この頃蓮性寺が創建されたようです。今本堂の余間の九字・十字名号の掛軸は、高田派23世堯祺上人のものでした。

【蓮性寺 本堂内陣】

昨年と同じような穏やかな報恩講で12月2日に妙華寺の報恩講をお勤めすることができました。組内の5ヶ寺のご法中様、お手伝いをしていただいています慈相寺様と妙華寺の衆徒でお勤めできました。昨年から新しいご縁をいただきました津市母子父子寡婦福祉会久居支部の皆様のご奉仕で、「こども食堂」も兼ねて、お非時もできました。前日からのご準備ありがとうございました。子供さんが喜ばれるフルーツポンチやマカロニサラダ、これまでのお非時にも提供していました里芋煮、柿なますも揃い皆で美味しくいただきました。

【妙華寺 非時】
ご法話は、2年ぶりに豊橋市正太(しょうたい)寺の大河戸悟道師にお越しいただき、私のいのちが阿弥陀如来が願われていることを親鸞聖人のご書物や聖徳太子の言葉を通してしっかり丁寧にお聞かせいただきました。私の「いのち」が当たり前にあるのでなく、有難いことであることを、お同行の皆様一人でも多くご聴聞いただければと思います。

【妙華寺 法話】

昨年は、ご法話の後、親鸞聖人像の内拝を試みました。今年は、高田派の本山が、栃木県真岡市から津市一身田に移ったことを紹介しました。

12月9日 今年27組最後の報恩講が野村の浄徳寺様です。穏やかな日から一転寒い日でした。最近は本堂も暖房設備が行き届いていて寒くても出仕が楽です。本堂に幼い副住職のご子息がいるだけで賑々しくなります。副住職が式文を拝読され、出仕する27組のメンバーも若い世代に移行していく気配です。

【浄徳寺 本堂内陣】

【番外】青巖寺様の報恩講
11月11日、小山の青巖寺様の報恩講のご法話を聴聞する時間をいただきました。私のお寺の地域の多くのお寺の報恩講は、組内の報恩講と重なりますので近くのお寺でありながら組が違うと伺うことがかないません。満堂の中、既にお勤めが始まっています。お勤めが終わるとご法話が始まります。布教使様は、葛野(かどの)洋明師(妙華寺の2019年の報恩講の時の布教使様)です。真宗の「ご信心」について、難しい「不疑」と「無疑」を分かりやすく笑いあり、時には涙ありでお示しされました。ご法話を聴聞させていただいても直ぐ忘れてしまう私(住職)ですが何回もお聞かせいただく時間はとても有難い時間です。ご法話が終わり青巖寺様のご厚意で、お非時もいただき、心もカラダ(お腹)もいっぱいの半日でした。

【青巖寺 本堂正面】

ひとくち法話

―お釈迦様のご生涯―
13自灯明、法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)
お釈迦(しゃか)さまは悟(さと)られてから40数年、ガンジス河の流域で教えを説いてまわられましたが、最後は故郷のカピラ城を目指しての教化の旅でありました。
今その疲れ切った老躯(ろうく)をおし、なおインドの大地を歩むお釈迦さまの姿に、私たちは言いようのない畏敬(いけい)と真実への燃えるような熱情に驚嘆し、かえってそこにまた親愛の情さえおぼえます。お釈迦さまはガンジス河を北にわたり、そしてバイシャリーという街へはいられました。そして、阿難をはじめとする弟子たちに、説法をして過ごされましたが、お釈迦さまはここで激痛をともなった重い病気にかかられました。その苦痛を堪え忍ぶ中で、最後の教えを請う阿難に「私は誰彼の差別なく教えを説いてきた。私は年月を重ねて老衰し、このお身はあたかも古ぼけた車が皮紐の助けによってようやく動いているよう なものだ。阿難よ、それゆえ私の死後も他を頼りとせず、誰もが、ただ自己と法とのみをよりどころとせねばならない」と説かれました。これが「自らを灯明とせよ。法を灯明とせよ」と言う有名な教えです。親鸞聖人もこの教えを心とされ、「自灯明」のこころを「南無阿弥陀仏(なもあみだぶつ)によって、仏のいのちを我が命とする輝かしいいのちを果たす人間となれ」、また「法灯明」のこころを「仏の教える真実の道を、己の計(はか)らいを捨てて教えのままに生きよ」と教えられました。
※「ひとくち法話」真宗高田派本山より

夜鳴き

「夜鳴き」
お寺で犬を飼っています。今の犬は8年前にペット店からやってきました。私の生まれる前からお寺には犬をいますが、今の犬はペット店育ちのせいか、人が近づいても吠えません。ですから番犬としては、あまりいただけません。

その犬が年に何度か、遠吠えや夜鳴きをします。近所の皆様の安眠を妨げてしまい、ご迷惑をかけていて大変申し訳なく思っています。遠吠えは生理的なことのようですが、どうして夜鳴きをするのか色々理由があるようです。夜、小動物(猫やイタチ)が犬の領域に近づくと鳴くより吠えたりしています。朝晩与える餌が少なかったようでお腹が空いての場合もあります。私(住職)が、散歩や構うことが少なくストレスでの場合もあります。少し驚くことは、小さな虫(毛虫やナメクジ)が犬の場所に近づいて来た場合もあります。他にもまだ気づいていない理由もあるのかも、夜眠たい中でのことで、好物の餌を与えてみたり、スキンシップをしたりするのですが、私(住職)が眠たいので雑になると何度も夜鳴きに付き合わされます。飼い犬でありますが「犬の気持ち」は分かりません。

眠い中起こされることから、30年以上前に子供が生まれた頃のことを思い出しました。時期ははっきり覚えていませんが、生まれて1年程は我が子の夜泣きで起こされることでした。それからも何度か発熱なんかで起こされました。我が子ではありますが、一夜に何度かだったり、連日になるといらだったりしてしまう自分がありました。我が子の夜泣きは、私自身の記憶にないのですが私もまた赤ん坊の時は、何度も夜泣きをしていたのです。夜泣きをする私(住職)に付き合わされた両親や家族にお育ていただいて今の私があります。
「人様に迷惑をかけてはいけない」ことは誰しも頷く行いですが、生まれてきたときは誰一人も自分のことが何一つできない存在でした。その私が多くの縁でお育ていただいているのです。そして、迷惑いっぱいかけて生きている今も、後生のことも心配いりませんよと阿弥陀如来様が誓われているのです。

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以前東海TVの「スタイル+」と言う番組内の「お宝照英」コーナでお寺が紹介されました時、スタッフからタレントの照英さんは犬が好きらしいと言われ、境内の本堂の見える場所に繋いでいました。(いつもは庫裡の裏に犬小屋があります)撮影終了間近に照英さんが犬に駆け寄ってかわいがっていただきました。その部分が番組で紹介されると、放映後、半年間に愛知県からや三重県内も遠方から5家族ほどが「犬をテレビを見ました。見せて下さい」とご自身の飼われている犬も連れてお寺に来られる方もいらっしゃり、犬が大好きな方の行動力に感心しました。
※「お宝照英」の事は2015年12月21日のお寺のHPで紹介しました。

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