【注意】駐車にご注意を

境内駐車場に近い墓石の石柵の一部が壊れています。
壊れたのは、28日夕方から29日朝7時前の時間だと思われます。
津南警察署と墓石の継承者に連絡をしました。
お心当たりがありましたら、お寺に連絡をお願いしたいと思います。

ご迷惑をおかけしますが、当分、壊れた石材の近くには駐車をしないでください。

引退 卒業 引き際

引退 卒業 引き際
先日、長年境内の樹木の剪定をしていただいていました庭師さんから「高い所に登れんようになったので、剪定に伺えません」と電話をいただきました。

少し病院通いにもなったそうです。齢も80歳を超えられ、大きな脚立やはしごを持つのも以前より苦労されていましたので、「本当にお疲れさまでした」と感謝を伝えました。
これまで私(住職)が知っている限りでも庭師さんは3回替わっています。その時、その時のご縁で境内の樹木の剪定を引受ていただく方がいらっしゃりこの景観が守られていること有難いですね。さて、これからのことを考えないといけません。

お寺の住職に定年はありませんので「いのち」終わるまで活躍されている住職もたくさんいらっしゃいます。しかし、住職としての責務ができなくなれば、次にバトンを渡すことも必要です。その判断をどのようにするのかがお寺のこれからの課題のように感じています。

※先日「フォークの貴公子」と呼ばれていた吉田拓郎さんの最後のTV番組を見ました。番組内では引退と言うのではなく卒業と話されていたと思うますが、人生の中の1つの引き際と感じました。私(住職)の青春時代もタクローさんの歌に夢や背中を押されたようなことがあったなと懐かしく思い出しました。私(住職)の引き際もそう遠くないことも感じながら、次にバトンが渡せるよう考えていきたいです。

【案内】8月15日 津 平和の鐘

【案内】8月15日津・平和の鐘
今年5回目になる、「津 平和の鐘」を8月15日に開催します。「津がつながる津ぅりずむ」が主催し、津市内にある鐘を撞き「戦没者の追悼と世界平和を祈念する」ことに賛同した寺院が正午に黙祷をしてから鐘を撞きます。
妙華寺も趣旨に賛同して終戦記念日の15日(日)正午から30分間、一分間の黙祷の後、鐘をつきます。
昨年同様、コロナ禍の中ですので呼びかけはしませんが、新型コロナウィルス感染症の感染防止対策をしています。8月15日正午から30分の間にお墓参りにお越しの場合、鐘をお撞きいただく機会もあります。

※妙華寺の鐘は、お寺の行事の案内の時だけ撞いています。

【報告】7月の初盆総回向

【報告】 初盆総回向
7月の初盆のお勤めが終わりました。妙華寺では初盆の最後のお勤めを初盆を迎えられましたご家族の皆様と一緒にお勤めしています。
今年は例年のように19時からのお勤めでした。

また、「高田派の平素のお給仕」のビデオを視聴していただいています。今回は、プロジェクターからスクリーンに投影しました。

これまでのTV画面より大きくなったと思います。ご自宅のお仏壇の作法を改めてご確認していただいています。

また、いつも初盆の方の法名を余間に安置しています。その余間には、「南無不可思議光如来」の九字名号と「帰命無量盡十方無碍光如来」の十字名号が掛けられてあります。
共に「南無阿弥陀仏」の名号の別号でありますので、「倶会一処」のお浄土に、一緒にいらつしゃるお姿と見ることもでき、可視化の一方法であるようにも感じています。

親戚寺院の葬儀

上宮寺住職の葬儀
私(住職)の祖母方で母の従兄弟にあたる津市の上宮寺の住職の葬儀で焼香をさせていただきました。第二次世界大戦中、津市内への空襲で本堂など全て焼失した寺院を立て直されました、高田本山の維那(いのう)職も勤め、本山の行事で活躍されていました。お預かりされていた上宮寺は歴史があり、地名である「阿漕」が有名になった「阿漕平治」のお寺でもあります。
従兄弟にあたる私の父(前住職)や母(前坊守)にも親しくしていただいていました。私が小さかった時の思い出は、上宮寺の住職が中学生くらいでしょうか、お父様と自坊に来られた時の制服姿が新鮮でした。私(住職)とは、共通の趣味の骨董を通して、本山の歴代の法主殿の掛軸などから学びをいただいていました。

法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会の報告書

法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会の報告書が出来上がりました。3年前の令和2年か本堂東附属屋の改修から始まり、本堂一部床下の補強工事、墓地水屋の改修、選択本願念仏集掛軸(3幅)の修理、本堂音響設備の新設や照明器具の改修内陣のイス席の導入、境内北側の樹木の伐採、境内墓地位置掲示板の改修、新しい生活様式への対応など多くの事業にご賛同いただきありがとうございました。法会も5月22日にお勤めできましたこと改めて感謝申し上げます。
当初12月にお同行の皆様に配布できればと考えていましたが、秋彼岸会の案内時に配布させていただきます。
親鸞聖人の「み教え」をよりどころにしている私たちは、改めて親鸞聖人と出遇いなおす機会でありました。
50年前の高田派の本に「高田の流れは南無阿弥陀仏の流れであります。南無阿弥陀仏の流れはお仕えする心の流れであります」と表現されていました。
奥深い表現で一言では言い表せませんが、「南無阿弥陀仏」を中心に私が生きていくことのように感じています。

※辞書に「仕える」は、「その人のために働く」

【報告】7月のお盆

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【報告】7月のお盆
妙華寺では地区を分けて7月と8月にお盆勤めをしています。今年は6月中に梅雨明けでしたが7月のお盆は、例年と同様に雨を気にしながらのお盆でした。

7月のお盆勤めをお手伝いしていただいています3名の僧侶がいてくださることで例年お盆お勤めができることに感謝しています。

今年のお勤めの後の話題は、やはり新型コロナウィルス感染症のことでした。お盆中に三重県のこれまでの感染者数の更新もあり感染拡大の傾向ですが、2年前や昨年とは違い、それぞれが感染対策や新しい生活様式の実践もされていますので、やみくもに怖がることはなくなっています。高齢者の4回目のワクチン接種もはじまりましたので、もう一度感染対策などしっかりと実践していきましょう。

また今回は、お盆中に葬儀が入り、一部の方に例年の時間にお勤めができずご迷惑をおかけしました。申し訳ございませんでした。

1年に一度の訪問してのお勤めですが、対面でお会いできる貴重な時間であることを感じています。
毎年でありますが、お仏壇を何代にも渡りその家で大切にされてきたことに頭が下がります。

地区を区切って日にちを指定してのお盆のお勤めですのでその日の予定でご都合がつかない場合は、前もってお知らせいただきますと、お墓でお盆勤めをさせていただいています。お盆の期間中は、ご遠方のお同行様へも出向くことが難しい為、ご連絡をいただきますと前後の日になりますが、本堂やお墓でお勤めをさせていただいています。
ご都合のつかなかった方の墓前で12日の午後から時間がある時にお勤めをしております。

 

お盆によせて

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お盆によせて

お盆といいますと、私たちは、一年に一度家に帰ってこられるご先祖の霊に供養し、なぐさめることと思っています。
しかし実は、お盆は、どれほど厚い孝心をもって亡き母への供養をしても、所詮その心はとどかないものであったことを思い知らされた目蓮尊者の悲嘆に由来している仏事なのです。

つまり、亡き人への供養一つできない身であったことを、あらためて懺悔し、自らが聞法する時なのです。
私たちの日々は、ふりかえってみますと、そうはっきり意識しているわけでないにしても、自分があって父母があり、おのれがあって社会があるという考え方、生き方をしています。

亡き人々への供養といっても、自分の心のままに務めているもので、供養の後は、これで一安心と、自分が満足するものでしかありません。
母親への供養が届かないことを悲嘆する目蓮に、釈尊は、安居(あんご)のとき衆僧供養することをすすめられます。安居とは、虫たちがもっとも活発に歩きまわる季節をいいます。無駄な行動をして虫たちを踏み殺さないようにつつしみ、専ら聞法につとめる期間です。
お盆は、亡き肉親をはじめ、こんなに多くの人(多くの命)とのつながりのなかに賜っている我が身の命を、今一度いただきなおし、その尊さを聞きひらいていくべき時であったのです。
そしてもし、私が、賜っているこの私の命を歓び、尊ぶということがなければ、ご先祖への供養も、遂に形だけの気安めに終わるばかりです。
宮城 顗
【法苑院妙華寺資料】

妙華寺では、7月12日から15日までと8月11日から15日まで、地区を分けてお盆のお勤めをさせていただいています。
お盆の期間、お釈迦様の弟子の目蓮尊者の母親の話から「いのち」について考えさせられることがあります。
当日、お盆勤めのご都合が難しい場合は、ご連絡ください。他の日時やお墓でのお勤めも可能です。

仏教の旗印

仏教の旗印

世間一般では、特別、宗教を信じているとは考えない人が多いですが、

「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」「一切皆苦(一切行苦)」と言う言葉を聞いたり、感じたりしたことはありませんか。

私(住職)は、自分の身体の変化や大切な方が亡くなられた時、「諸行無常」や「諸法無我」を感じることがあります。亡くなられた方がいらっしゃると「涅槃寂静」に入ったと思う時があります。人生で思い通りにならなければ「一切皆苦」と感じたりします。

私(住職)が、お寺で生まれ育った一面もありますが、学校でも社会人になってからも生活者と対話する時にどちらからとなく話題に上がることです。それは、日本で長い時間に育まれた仏教の教えに基づいたものと思っています。しかし、それ以上のことまでは思うことがないのが世間一般の考えなのかもわかりません。どうしてそのような考えに行き着いたのかを考えてみるのも人生の中で大切なような気もします。

 

三法印
仏法の旗印の意で、仏教の根本真理を3つにまとめたもの。「諸行無常」「諸法無我」「涅槃寂静」 これに「一切皆苦(一切行苦)」を加えたものを、四法印と呼ぶ。

「諸行無常」は、因縁によって作られたものは常に変化してとどまることがないということ。
「諸法無我」は、すべてのものは永遠不変の実体ではない、すべてのものに永遠不変の実体は存在しないということ。
「涅槃寂静」は、煩悩の火か消された状態(涅槃)は究極の安穏の世界(寂静)であるということ。
「一切皆苦(一切行苦)」は、あらゆる存在はすべて苦しみであること。

願い

仏の願い

私の願いは、自分の欲望からくるものが多い。その願いが叶うよう、自己が努力することもあるし、他者を頼ることもある。そして最後は神仏に願う。
その願いが、成就すれば喜ぶプラスの感情が沸き起こり、かなわなかったら悲しんだり、恨んだりするマイナスの感情になることが多い。
そのような私の願いを、神仏はどのように見ているのだろう。

仏の願いを、『浄土真宗辞典』で調べると、
仏の願(がん)
目的をたて、それを成就しようと誓って願い求める意味で、誓願ともいう。
仏は、因位の菩薩の時に願をたてるが、すべての仏に共通する願を総願といい、それぞれの仏の固有の願を別願という。総願とは、四弘誓願のことで、別願については、釈迦仏の500願、薬師仏の12願、阿弥陀仏の48願などが代表的である。

そして、仏の総願(そうがん)と呼ばれる、四弘誓願(しぐぜいがん)は、

四弘誓願 4つの広大な誓願
①衆生無辺誓願度 一切の衆生をさとりの岸にわたそうとする誓願
②煩悩無尽誓願断 一切の煩悩を断とうという誓願
③法門無量誓願学 一切の教えを学びとろうという誓願
④仏道無上誓願成 このうえないさとりを成就しようとする誓願
この4つはすべての菩薩に共通する願であるから総願といわれる。
なお、経論釋によっては示される願文に若干の異同もみられるが、意味は同じである。

と記載されている。

これは、私への願いで、私が仏に願う願いとは向きが違っている。

私が願う前から私を願っている仏がいることに気づく事ができるのだろうか。