「看脚下」

「看脚下」千玄室著 淡交社
今年8月14日に102歳で永眠された裏千家15代家元の令和5年百寿の時の書き下ろされた1冊。今年12月に発刊されました。青年期に学徒動員され、終戦を迎えられた中、多くの戦友が戦死したことを生涯忘れず、茶道家元として、「平和を祈願」される姿は、世界各国からも認められ、茶道家元の枠を越えた人格者だと感じました。
また、日本人の心のあり方にも共鳴することもあり、素直な気持ちで読み終えました。
書名の「看脚下」は、禅語で知られていますが、自分の足もとを見ることから、自分自身をしっかり見つめ、自身のあり方を問い直していくことを、自ら実践された生涯であったと思います。
私(住職)自身も、古希を迎える歳に、自分自身を見つめなおしていこうと思っています。
※中川個人の感想です。

2025(令和7年)のアーカイブ②

2025(令和7年)のアーカイブ

②報恩講
真宗寺院で一番大切な行事の報恩講もこれまで通り行うことは難しくなってきたと感じています。報恩講の時だけですが、お非時(ひじ)を用意しています。このお非時も以前に比べると喜ばれる方が少なくなっています。また、本堂の荘厳(しょうごん=荘つけ)
も他の行事に比べて大変です。重ね餅も10年ほど前から近くのお店が廃業して5㎞ほど離れたお店に前日取りに行くようになりました。今年は、落雁をお願いしていましたお店が休業でできなくなりました。時代の流れと言えばそれまでですが、「報恩講」の意義だけはこれまで通り伝えていきたいと思っています。

2025(令和7年)のアーカイブ

2025(令和7年)のアーカイブ

①喪失感
6月に変形性膝関節症になり、座ることができません。当初は、しゃがむことも(痛みを伴い)できず、身も心も本当に立ち尽くすだけでした。半年経過しましたが座ることはできずにいます。「今までできていたことが、できなくなる」ことは生きていくなかでは当たり前のことと、他者に言っていた私(住職)が、自分がそのようになってうろたえている姿があります。「僧侶は座るのができないと、お勤めが不自由ですね」とねぎらっていただくのですが、近年は、本堂のお勤めをイス式にしましたのでそれほどの不自由はありませんが、ご自宅でのお勤めの時にイスをお借りすることになりご迷惑をおかけしています。
また、茶道の稽古を続けていましたが6月から休止しています。イス式の茶道も普及していますが、点前を考えると今の畳の茶室では難しいです。(水屋の仕事も基本が座ってするものですので難しいです)
とても大きな喪失感を味わっています。

仏教する日本① 見えるものと見えざるもの

「仏教する日本1」見えるものと見えざるもの 春秋社
近江ARSの活動の柱の「仏教を通して日本を読む」中で、末木文美士を迎えての講演と対談をまとめた著書のようです。
私(住職)は「見えるもの見えざるもの」の言葉に反応して(末木文美士氏の著書でも語られていて以前にも拝読したこともあり)興味を持ち手にした1冊です。
これから年末年始に入り、少し時間が取れそうです。積読(つんどく)にしないで読み始めたいと思っています。

紫雲会

紫雲会
12月17日 津市正覚寺で開催されています聞法会に参加できました。
講師は、今年の妙華寺の報恩講で出講していただきました本願寺布教使の葛野洋明先生でした。「浄土真宗の救いのよろこび」(古本『拝読 浄土真宗のみ教え』)からの仏徳讃嘆についての法話でした。仏教は、私が仏になる教えであることを要として、聞法しなければいけないことや、『観阿弥陀経』の韋提希の嘆きは私自身の嘆きであることも押さえていかないといけないこと。他力回向によりいただく安心(あんじん)から私に起こる行いは「仏徳讃嘆」しかないのではお話されました。
最後に、親鸞聖人と恵信尼の関係が素晴らし関係であったことを喜ばれました。
今の私(住職)も、もう一度初心に戻り、これからも、聞法しようと勇気をいただいた思いです。
※中川個人の感想です。

未来の法友

未来の法友
彼が私のお寺にやって来たのは16年前の10月でした。その年の3月に前の犬が亡くなってもう飼わないと誓っていたのに、愛くるしい姿を見て飼うようになっていました。今、ペットを外で飼っていると「虐待」と思う方もいらっしゃるかもわかりませんが、「番犬」として育てていました。一度、TV番組で紹介された時は、県外からも彼に会いたいと訪れる家族が何組かいらっしゃいました。今年の夏は例年になく厳しく長かった頃はとてもバテていましたがその季節を乗り越えた10月(16年を迎えた)頃から、散歩の距離も減りだし、多分、目も耳も臭覚も衰えてきたようで食事も時間をかけてするようになっています。近い将来分かれることを考えている中、彼はどうなるのか。こんなに私(住職)や家族に優しい気持ちにさせる存在で、家族の一員のような彼は。
多くの安らぎを与える彼は、次に人間界に生まれ変わり、仏法を聴く中で周囲をこれまで以上に安らぎを与える存在として往生すると思っています。未来の法友の誕生を喜ぼしく念じています。
※中川個人の感想です。

お寺の行事は、あなたの行事

お寺の行事はあなたの行事

妙華寺では、修正会・春秋の彼岸会・春秋の千部会・報恩講のお寺の行事があります。
それぞれの行事前にご案内させていただいていますが、皆さん関心はありますか。
1年で6日間。時間にすれば合わせて8時間30分。ご多用な方には時間がとれないかもわかりません。それでもお寺の行事に参加しませんかと呼びかけたいです。
「参加したところで何の意味があるの」と思われている方もいらっしゃるかわかりません。「仏のみ教え」は私が直面する現実の課題に対して何の意味もないかもわかりません。でも、少し、大胆なことを言えば、仏さんがいらっしゃる本堂で、「仏徳讃嘆」することに、私たちが考える意味があるのでしょうか。私たちの「いちの」が、「仏様に願われている命」であることを深く考えたことがあるのでしょうか。
難しいことは考えずに、その場に座することに意味があるのではないかとも思っています。私の人生の中に「お寺の行事」について考えてみたことがない方に是非一度参加されることを呼びかけたいです。参加された時の思いをお聞きしたいと思います。
※中川個人の感想です。