【案内】『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』前進座 津公演

【案内】『花こぶし 親鸞聖人と恵信尼さま』前進座 津公演
(共催 真宗教団連合三重県支部)
日 時 令和6年2月20日(火)開演14時(開場13時30分)
開 場 お城ホール(津リージョンプラザ)津市西丸之内23
観劇料 6,500円(全席自由席)

問い合わせ 法苑院 妙華寺 059-255-2846
お寺から、真宗教団連合三重県支部事務局へ連絡します。
※申し込み順で満席になった場合は、申し込みできませんのでご了承ください。

昨年は、三重県総合博物館で『親鸞 専修寺の至宝』展が開催され何度か足を運びました。
今回の演劇も、近くの会場で観ることができるのはうれしいことです。
ご興味・ご関心があり、ご都合がつきましたら是非足をお運びください。

法友

法友
親鸞聖人の「み教え」に興味を抱く友がいます。中高の同級生ですが、大学以降疎遠になっていました。同窓会で会えば話をする関係ですが、もう10年以上前に、彼のお父さんが亡くなられたそうです。父の葬儀をしてから菩提寺の住職に、親鸞聖人の「み教え」を学ぶことをすすめられたそうです。これまで、仏教に縁がなかった彼でしたが、高田本山で開催される夏の仏教講座に菩提寺の住職と共に聴聞されたそうです。それから、毎年高田本山の仏教講座や講演などに参加するようになり、高田短期大学の主催される仏教専科(2年で1クール)の講座にも毎回参加されています。高田本山での仏教講座や講演で顔を合わすようになり、仏教を学ぶきっかけや近状をお聞かせいただくことになりました。
もう1人の方は、同じ趣味の仲間で、退職後、市内の仏教を学ぶ会に参加されるようになり、高田本山での仏教講座などにも参加されています。京都の本願寺の聞法会館での講座の帰りにバス停で偶然お会いして、法を求める強さを感じました。二人とも自分の生活の中で聴聞する時間をつくられ、親鸞聖人の「み教え」を喜んでいらっしゃいます。私と会うのは年に数回ではありますが、仏縁に結ばれた法友であります。

もちろん、同じ仏教の道を歩む僧侶も、法兄・法友であり、親しくお教えをいただく師であります。索漠とした社会で生活をしていますが、仏の「はたらき」から気づくことはたくさんあると感じます。
自分の生活から離れているような仏教の教えでありますが、仏法に出遇うと、どうしても世俗の損得勘定で表現してしまいますが、私の生活がより豊かな気持ちになります。

※中川個人の感想です。

また、新しい一年が始まります。法友が増えるとうれしいです。

茶道の行方

茶道の行方
茶の木は、中国から輸入されたものです。いつも飲料している緑茶も最初は薬のような扱いであったと聞いたことがあります。お茶の葉を蒸しあげて時間をかけて碾茶にする。そして、生活の中でお茶一服を美味しく喫する為に、お茶を点てる作法や、もてなしの方法が考えられていく。茶をいただく為の茶室も造られて、日本の総合文化と呼ばれる「茶道」が造り上げられていった。日本に仏教が入ってきた時より遅いので、日本仏教のエッセンスも含まれている。
しかし、現代の生活者の視点から見ると「茶道」は、特別なことだ。今の時代に炭を使ってお湯を沸かすことなど考えられない。炭の火力を整える「灰」を知っている人がいるだろうか。「床の間」を知らない世代もいるし、畳に座ることも珍しい。まして、親から子どもへ伝えられることではなくなっている。これまでの当たり前が通じない時代だ。

床の間の掛軸をどのように感じるか。炭をついで、火を熾すことや、ほのかな香木や練香の香りを聞くこと、鉄釜のお湯がとてもまろやかに感じること、お茶一服を美味しく喫することに意味があるのだろうか。

「茶道」は、これまでの生活の中で大切にされてきたことだが、何にとってかわられたのだろうか。わからないことだらけだけど、求める者は、実践(稽古)を続けていくしかないのかも知れない。

同じかどうかもわかりませんが、「仏教」の教えもこれまでの生活では当たり前であったことが、次世代には伝えられていない時代なのでしょう。
仏教史観の「末法」の時代であることはずいぶん前からですが、今を生きる私には、これまでの「末法」であるが故の伝え方とも違う、伝え方も模索しなければいけないとも感じています。
※中川個人の感想です。

おてらおやつクラブ

おてらおやつクラブ
毎月、一人親世帯を支援されている団体に、お寺のお供えをおさがりとしておすそ分けさせていただいています。支援団体さんには、報恩講のお非時(ひじ=食事)の時にこども食堂も併設してご奉仕していただいています。
今年は、4年ぶりにお非時とこども食堂のご奉仕をいただきました。その場が、お寺の「おてらおやつクラブ」の活動も知っていただく場となっています。
お非時にお越しいただいた方から、一人親世帯へ手作りのペンダントをお預かりして支援団体様へお渡ししました。また、「おてらおやつクラブ」のことをHPで知って、お菓子をお届けいただく方もいらっしゃいます。来月1月にお寺のお供えと共に支援団体様へお渡しする予定です。
これまでも、市内・市外・県外から「おてらおやつクラブ」の活動に賛同され、お寺にお菓子他をお送りいただいたり、持参していただく方もいらっしゃり、尊いご縁をいただいていることに感謝しています。

2023(令和5年)のアーカイブ②

2023(令和5年)のアーカイブ②

②お寺の新しい試み
2020年から続いていました新型コロナウィルス感染症の感染防止対策も、5月に感染法上で5類に分類されるようになり、インフルエンザの取扱いになりました。しかし、感染の波はこれからもあると考えています。

コロナ以前の「集い場」の感じが変わったかもわかりませんが、お寺の行事など仏法に出遇う「集い場」は開き続けていく予定です。
それでも不安である場合はご無理を申し上げることはありません。

2020年からはじめましたTemple Morningも4年目を迎えました。
ご奉仕いただきました皆様には感謝申し上げます。

今年の報恩講は、4年ぶりに組内法中(ほっちゅう=住職)を迎えてお勤めができました。また、非時(ひじ=食事)も子ども食堂を併設して開催することができました。

2020年に開催しました「終活カフェ」にご協力いただきました行政書士法人中村事務所のお力添えで9月の秋彼岸会、10月の秋千部会のあと「終活カフェ」を開催しました。
次回2024年3月の春彼岸会に3回目(内容はすべて違います)を開催する予定です。

新しく「一般財団法人お寺と教会の親なきあと相談室」の趣旨に賛同して、5月13日に「親なきあと相談室」キックオフ講演会を、津市久居アルスプラザで開催させていただきました。10月7日には、妙華寺会館にて「親あるあいだの語らいカフェ」を、「傾聴僧の会」の有志に方にもお越しいただき開催しました。参加者は1名でしたが、思いを語っていただきました。令和6年から年3回(2月6月10月の第一土曜日)に開催予定です。

自分の姿②

自分の姿②
前回のブログから改めて自分の姿を見ますと、親鸞聖人の書かれた和讃が迫ってきました。

外儀のすがたはひとごとに 賢善精進現ぜしむ
貪瞋邪儀おおきゆえ 奸許ももはし身にみてり【正像末法和讃 愚禿悲歎述懐 2首】

私の内側は、賢い人でなく、善き人でなく、精進する心もないのに、外面は、賢き人、善き人、精進していると思われたい心があるのだ。

私の内側は、むさぼりと腹立ちとよこしまな考えといつわりばかりで、人間の知恵は、わるがしこく、いつわりが多い、自分自身を振り回してしまう身なので。

親鸞聖人は、自分の姿を悲しむと同時に社会の姿を悲しんでいかれる。そして、如来の大悲が、「はたらき」かけていると感じました。

如来の「はたらき」に遇うことで、自分の姿が顕かになるとも感じています。

※中川個人の感想です。

自分の姿

自分の姿
歳をとればこれまでできていたことの一つや二つできなくなることに驚くことはないと思います。しかし、他者から「老いた」と見られたくない意識はあります。
日々のお勤めの時、背筋を伸ばして立ち振る舞いをしていますが、お勤めが終わって私服に着替えると背筋は曲がってしまう。家族や1人でいる時の姿は、他者は知りません。
自分のありのままの姿を他者に見せないのは、今に始まったわけでなく。若い時からそうだった気がします。
家族や1人でいる時は、周りを気にせずリラックスしている。それが本当の自分の姿なんだと思いますが、他者の視線を感じるとそうはいかないのはどうしてでしょう。

「かわらない私」でいたいのかと言えばそうでなく、「かわらない私」として見てもらいたいからのように感じます。

これも自分の中にある執着なのでしょうね。

※中川個人の感想です。

【案内】高田本山の報恩講(お七夜)

【案内】高田本山の報恩講(お七夜)
親鸞聖人のご遷化が、今の暦で正月16日です。高田本山の報恩講は毎年ご正忌をご縁として正月9日から16日までお勤めされています。
七昼夜、親鸞聖人のご遺徳をしのび、ご恩を喜び報謝させていただきますので、「お七夜」と親しまれて呼ばれています。

コロナ下の4年間は、報恩講のお非時(ひじ=食事)が中止でしたが、令和6年のお七夜では復活するようです。10日から15日11時から14時まで、毎日200食限定で食堂(じきどう)が会場です。お非時を召し上がるには、お七夜券が必要です。また、お七夜券は高田本山護持会のお店でも期間限定ですが使用できます。

妙華寺では、高田本山のお七夜券が必要な方にお渡ししています。
 数量限定ですが、修正会のお勤めの後から配布いたします。

 

 

 

 

 

 

【高田本山 専修寺のHPより】

報恩講こぼれ話

報恩講こぼれ話
4年ぶりの組内法中(ほっちゅう=住職)を招いて報恩講の控室で久しぶりに会話ができました。
コロナ下の3年間は、報恩講を自分のお寺だけでお勤めしてたこともありますが、コロナ以前からお寺の行事に参加されるお同行さんが少なくなっています。特に報恩講は真宗寺院の一番大切な行事で荘厳や行事の内容も気合が入っています。仏前の前卓(まえじゅく)の打敷・隅掛の準備。余間の親鸞聖人の絵伝に掛け替え。仏前にお供えするお餅や落雁、みかんなどの準備、非時(ひじ=食事)の準備も最初は、同行の方々が持ち寄った季節の野菜(大根や里芋やネギなど)を中心にお寺の独自の非時だったと思いますが、今は多くの食材を、スーパーなどで求めての準備です。
布教使様の法礼やお扱のなど考えると収支が赤字になることもあります。
本山の報恩講(お七夜)への懇志も、お寺の報恩講の収支から捻出しています。
宗教法人なので利益を求める考えはないですが、収支とんとんぐらいが続けていける境界線です。
布教使さんへの法礼が捻出できないので、お勤めだけで報恩講を考えている寺院もあります。
なかには、報恩講の費用は同行さんが負担して、お寺への志は宗教法人に入れて、そこから布教使さんへ法礼をお渡しするお寺もあるようで、いろんな工夫を知ることができました。

報恩講の片づけ

報恩講の片づけ
報恩講だけでなくお寺の行事も、終われば片づけはついてまわるものです。一日限りの報恩講ではありますが、本堂の荘厳を始めいろいろ準備をして当日を迎えます。
報恩講の案内看板と仏旗はもちろん報恩講時は本堂上り口や大玄関(出勤法中さんや布教使さんが上がられる玄関)に、幔幕が掛かります。参道には旗が並びます。当日の帳場の役をお願いしています方が報恩講が終わるともくもくと片づけていただいています。
お供えの餅・落雁・みかんなどはお下げして、翌日に、報恩講にご奉仕くださいました方々に、お配りさせていただいています。餅は時間が経つと固くなるので、できるだけ早く切り分けるのですが大変です。
組内法中さんに出仕していただきましたのでその経机や椅子(椅子式になり)などを片づけ、平素のお勤めの形に戻します。
妙華寺では、新年が近いので、本前や脇壇の前卓(まえじゅく)の打敷・隅掛けは、正月の三が日までそのままにしています。
余間の親鸞聖人の絵伝も最近は、お正月荘りをする年末までそのままにしています。

多くの方々のご奉仕によりお寺の行事は成り立っています。ただ、新しい方々がお寺の行事に参加されることが少ないことは、住職のお伝えする力がないことの結果なので反省するばかりです。

これからも、魅力ある親鸞聖人の「み教え」が多くの皆様に伝わるように精進していこうと思っています。