お非時(ひじ)

報恩講の準備
真宗寺院として最も大切な行事の報恩講をどのように、お同行(生活者)に伝えるかそれぞれのお寺が工夫した行事を考えられています。
妙華寺の報恩講のお非時(ひじ)は、長年、親友婦人会の皆様が、自宅の野菜などを持ち寄り前日から準備して、当日ご聴聞いただく皆様にご奉仕していただいていました。
時代が変わり、婦人会に次の世代の方の加入が少なくなり、およそ9年ほど前からお非時のご奉仕も難しくなりました。その後、おてらおやつクラブで支援させていただいています団体様のお力を借りて一日限りの子ども食堂も併設して、今に至っています。
今年は、4年ぶりに開催する予定です。お寺で食事を提供するのは、報恩講だけです。

お非時で思い出すことは、ご奉仕いただく皆様が、たくさんの食材を、丁寧に形にして、多くの方々にお非時としてお出しくださることです。その切り盛りをすべてご奉仕いただく皆様の姿です。本当に頭が下がります。

昨年、食品衛生法が改正されたことを知り、イベントなどで飲食を提供する時に保健所に所定の書類を届け出ることが必要になったと聞きました。無料での提供も食中毒の危険性は同じです。冬は、ノロウィルスによる食中毒が多いそうです。
11月に入り、津保健所に届けました。
お非時も以前から気を付けていましたが、これまでも以上に衛生管理には気をつけていきます。

報恩講

組内 西向寺の報恩講

新型コロナ感染症が蔓延した年から27組の報恩講は、各寺でお勤めすることとなり、4年間組内の各寺の報恩講に出仕することはありませんでした。今年5月の感染症法の取扱い変更になり、今年は各寺の判断によることになり、西向寺様の報恩講に出仕することができました。青空の中、4年ぶりに伺うと、これまで同様、四季桜が出迎えていただきました。4年ぶりの声明などの役割を決めてお勤めをすること、少し緊張はありましたが、改めて、報恩講を多くの方々とお迎えすることはとても大切なように感じました。次に組内の報恩講で出仕をお願いしているのは、妙華寺です。4年ぶりに賑々しくお勤めをしたいと準備をしています。

甘いもの

甘いもの
私(住職)は、小さかった頃から、「甘いもの」が好きです。当時は、冠婚葬祭の時にいただく「砂糖菓子」、日常では、お茶請けの饅頭、小遣いをもらっての駄菓子屋さんのお菓子。今より、質素なものでしたが貴重であったと思います。小学生になる頃にケーキを食べたのだろうか。誕生日くらいしか食べることはなかったと記憶しています。大学生や社会人になる頃に、今のように日常的に甘いものを食することができるようになったような気がします。ケーキ類も美味しいですが、和菓子の美味しさに気がついたのは、お茶の稽古を始めたこともあるようです。甘いもの原点は、果物からと聞いたことがありますが、秋になると「栗きんとん」がシンプルですが美味しいので好きです、若いころは、栗の産地の岐阜県の中津川や長野の小布施にもドライブ旅行をしたことが思い出します。地元の栗おこわ・栗粉餅・栗落雁他にも、栗は洋食のデザートでも美味しいですね。
お寺の報恩講は、12月です。他のお寺の住職様もお勤めいただくことで、お越しいただきます。その時、お出しするお菓子は、「ゆず饅頭」です。いつも楽しみにしています。

中陰の数え方

中陰の数え方

ご家族が亡くなられますと、枕勤め・通夜・葬儀と続きます。
ご家族に、中陰の日にちを記載した「中陰逮夜忌」と称している中陰票をお渡ししています。
妙華寺でも、初七日のお勤めを、葬儀が終わった後にご依頼されることが多いのですが、その後(二七日以降)のことは、少し時間があきますのでご家族で考えて改めて連絡をいただくようにしています。

最近亡くなられた方の家族から中陰の数え方を聞かれました。
私(住職)も若かった頃は、多くの方と同じように、亡くなられて一週間後が「初七日」にあたると考えていました。
そのように数えて中陰をお勤めされる場合もあると思いますが、妙華寺の場合は、亡くなられた日の前日から数えるとのことで、また、中陰の示し方も「中陰逮夜忌」として前日の逮夜の日を示しています。なので亡くなられた日の5日後の日にちが初七日の日にちにあたります。その後は、プラス7日の日にちで数えます。

先代からの話では、真宗では命日の前日の逮夜にお仏壇でお勤めし、命日の朝お墓勤め・本堂勤め(報恩講と同じ形)にならっていると聞いています。

親鸞聖人のご命日のお勤めを報恩講と申していますが、高田派の専修寺では毎年1月16日が命日の7日前の9日の逮夜からお勤めが始まり、15日に盛大にお勤めをいたします。そして命日の16日の朝 ご廟(墓)でお勤めをして、御影堂でお勤めがありご満座(終了)です。

後悔

後悔
先日、納骨のお勤めの後、私(住職)の両親が亡くなった時の自分の気持ちを思い出しながら、「頭が真っ白になったことや、やるべきことが多く時間が経過した」ことを話しました。その後、喪主様に今のお気持ちをお聞きする時間がありました。「後悔ばかりです」と仰られました。「母は我慢強く、泣き言一つ言わなかった。あの時(入院に至る過程に)、もう少し早く気づいていれば、今、亡くならなかったのでは」と、続いて「それを伝えることができないのが残念です」
喪主様の両親や祖父母の年代の方は、我慢強く、自分の弱みを見せることを良しとしなかった方が多かったと思います。身体がしんどくても病院にいかずに我慢する。自分が苦しかっても外にはみせない姿。時代背景もあったかもわかりませんが、そうやって生きぬいていたのだと思います。私(住職)も、喪主様のように両親を送って後悔することばかりです。送る側の心にはきっと「後悔」はついてまわるものなんでしょう。そこには、感謝を伝えることができないことも「後悔」に含まれていると感じています。

登録文化財

登録文化財
広報つ(令和4年)10月16日号の「歴史散歩194」のコーナーで、国の登録文化財の「妙華寺 本堂」が紹介されました。改めて振り返ってみたいと思います。
「妙華寺 本堂」が国登録文化財(建造物)に登録されたのは、平成16年11月8日です。
妙華寺としては、そのことを記念して、平成17年、当時早稲田大学文学部教授(専門は日本近代史)の深谷克己先生に「妙華寺と久居藩世界」の原稿を賜り「法苑院妙華寺縁起」の冊子を作成しました。
その後、平成28年には、登録文化財の説明文をを当時、(一社)お寺の未来の松﨑香織さんに英訳していただきした。
平成30年3月には、 一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値を認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも作成していただきました。

他にも、東海TV「スタイル+」やZTVの市政案内。季刊誌の「すばらしきみえ」などで紹介されています。思い出深いのは、東海TVの「スタイル+」で紹介していただいた時、犬好きの照英さんが、犬と戯れているカットが終了間際に放送されたことで、愛犬家が愛知県や三重県の他市町村から犬を見に訪ねてこられたことは驚きでした。

※つ広報10月16日号の「歴史散歩194」のコーナーで、国の登録文化財の「妙華寺 本堂」が紹介されました文書の冒頭の所在地が「津市元町」とありますが「津市二ノ町」が正しいです。

※お寺のHPブログ2022-10-16の再掲です

登録文化財

登録文化財 トレーディングカード
平成30年4月には、(一社)三重県建築士会様が「妙華寺本堂」のトレーディングカードも作成していただきました。
三重県内にある登録有形文化財の文化的・観光資源としての価値を認識し、さらなる活用と地域の活性化の一助としてのものです。
これを縁として、全国から多くの方がトレーディングカードを求めに妙華寺にお越しいただいています。

登録文化財

登録文化財
「すばらしきみえ」の掲載文も紹介します。
【「すばらしきみえ」三重の「国登録有形文化財」平成20年10月発行より】
久居の中心部を歩くと、久居旅籠町・久居東鷹跡町(ひがしたかと)など、かつての城下町を彷彿させる地名が続きます。
雲出川の北に広がる野辺野(のべの)の丘に居を構え、町を形成したのは、藤堂高虎の孫、高通(たかみち)で、寛文9年(1699)のことでした。久居とは彼がこの地に「永久に鎮居する」の意味を込め、命名したと伝わります。
久居二ノ町には、玉せん寺(ぎょくせんじ)と妙華寺(みようけじ)が並びます。どちらも藩主藤堂家ゆかりの名刹。しかし、文政4年(1821)の大火でいずれも焼失の憂き目に会いました。玉せん寺は、明治時代に再度本堂を失ってしまいましたが、妙華寺は安政4年(1857)の再建から今日にいたるまで、150年の間この地に建ち続けています。
現在、妙華寺本堂を訪ねると、随所から歴史の重みが伝わります。中でも見事なのは、参詣者が本堂に上がる場所・向拝(こうはい)に見られる装飾でしょう。エビのように曲がった化粧梁は、「海老虹梁」(えびこうりょう)、木鼻(きばな)のキバの無い動物は「獅子」、有る方は「象」を表していることなどを、住職の中川和則さんから教えてもらいました。
屋根に視線を移すと、途中で形が変わり、まるで2段構造になっているように見えます。この形が、兜の左右から後方に垂れて首筋を覆う錣(しころ)に似ていることから「錣葺」といわれる、独特の造りです。
開基は天和元年(1681)までさかのぼる妙華寺、寺の存在は、今後も久居の歴史の1ページを飾ることでしょう。

※玉せん寺(ぎょくせんじ)の「せん」は、旋の「方」が「さんずい」になります。

 

登録文化財

登録文化財
平成16年11月に妙華寺の本堂が登録文化財に指定されました。今年で19年目になります。
今一度、本堂について紹介させていただきます。

今ある本堂は、文政4年3月の久居大火にて焼失した本堂を当時のお同行の皆様のご尽力により安政4年に再建した本堂です。
平成16年11月に国登録文化財に指定されました。
その紹介文と英訳を紹介します。

 

白帯

白帯
僧侶は白衣の上に、簡素な外着(真宗ではふほうと呼ばれるもの)や、儀式で着用する色衣・袈裟・差袴を着用します。白衣は着物の白色と考えるとわかりやすいです。その白衣の帯は白色で白帯と呼んでいますが、着物の帯(男用の博多帯)よりしっかりしていないので、一年も使うとへたってしまい新しいのに取り替えています。もう少ししっかりと編んである白帯を探すのですが中々見つかりません。知り合いの僧侶にもたずねるのですが、無いようです。中には、博多帯の地味な色(シルバー)を使っている方もいらっしゃいます。
白衣は、その上に着用するものがありますので、着物の帯のようには目立たないので、しっかりした博多帯を使うのもありかなと思ったりします。