久居地域文化祭

久居地域文化祭
久居地域の文化祭が毎年開催されました。
美術展・盆栽・山野草展示販売会・生け花展・茶会・舞台発表会と地域の同好の方々が日頃の成果を発表しています。
私(住職)は、これまでも、久居文化協会茶道部の一員としてお手伝いさせていただいています。同じ時期に開催されますのでテーマは「秋」になりますが、毎年、趣向をこらしています。茶会と聞くと少し身構えてしまう方が多いかと思いますが、文化祭を楽しまれた皆様に気楽にお茶(薄茶)を一服さしあげています。コロナ下からすこしづづ以前の形に戻ってきています。お茶(薄茶)を通して、一期一会の時間を楽しんでいただくことができれば有難いです。

教学院研究発表大会

第30回教学院研究発表大会
今回は、3名の研究員の発表でした。
1、金信研究員から「専照寺所蔵宗学関係資料」のテーマで、専照寺の学僧 法定の活動の紹介をされました。真淳の後、高田教学を指導された1人とのことです。
2、田中明誠研究員から「村田静照師の念仏生活」と題して、幕末から昭和初期まで活躍された村田静照師を紹介されました。伊勢の地で「念仏」を声高らかに称する姿に多くの方が魅了されたことは、伝え聞いていますが、その人柄についてはあまり論じられていないように思われます。また、教学の師として仰いだ師匠はいたと思うが、定かではないようです。「念仏」を称える大切さを通して多くの方に支持されていたことを思うと魅力的な念仏者だったと感じます。新たな気づきをいただきました。
3、鷲山了悟研究員から「金子みすゞから学ぶお墓の意味」と題されて、真宗のお墓について発表されました。庶民の個人墓(家族墓)の初まりは、江戸時代に入ってからで、金子みすゞのいた今からおよそ100年前の日本のお墓を当時の視点で考えることとは、お墓への思いが多様化している、現在からすると、少し異なって見えるが、これから100年後のお墓事情はどうなっていくのか。想像もつかない思いです。
今回の節目の大会で、法主殿の挨拶で、教学院、仏教文化講座、宝物館、学階の連携の強化を考えられている発言をされました。「学山高田」に相応しい組織の再編は多くの方が望むところだと思います。
※中川個人の感想です。

広報津 歴史散歩

広報津 歴史散歩
新しく「津市」として近隣市町村が合併した平成18年2月から令和5年4月まで、広報津に市内の歴史遺産を紹介した200回の「歴史散歩」のコーナーがありました。その総集編として発行された冊子です。令和4年10月に津市内の歴史遺産の1つとして194「歴史散歩」として妙華寺の本堂(国登録有形文化材)も紹介されています。
いろいろな歴史遺産から郷土の歴史を振りかえる時間をいただきした。
※広報津には現在も「歴史散歩」のコーナーは続いています。

寺院運営

寺院運営
先日、寺院運営について考えさせられました。
寺院の役割は、教えを伝えること(布教)が一番の目的です。教えを通して、生きていく上で私自身の心の平安を得ます。そのことを喜び、仏徳讃嘆して生きていくのだと感じています。
その為、僧侶になろうとするものは、自らが選んだ宗派で得度をして、教学を学び、研鑽・資格を得る中で、僧侶としての活動をしています。教えを伝えるには、自らが学び続けなければできないと感じています。
また、住職は、お寺の代表責任役員として、宗教法人の運営(経営)もあります。法人の収入としては、葬儀や年忌法要の布施や、お盆や春秋の彼岸会・千部会・報恩講の志、檀家様の寺院維持費としての斎米料などが主な収入になります。支出は、高田本山へ納める義納金・儀式や行事の時の費用・布教使さんや行事をお手伝いいただく僧侶への法礼・衣や袈裟の新調・修繕・洗濯費・檀家さんへの教化する費用・境内の美化費用・境内建物の修繕や整備費用・住職などへの給与があります。
これらの会計事務を適切に行うには、僧侶としてではなく経営者の資質が必要になります。住職は、僧侶の側面と経営者の側面を兼ね備えることが必要です。でも、大変難しいように感じています。
妙華寺では、私が住職になってから、経営面の会計事務については税理士さんにお願いしています。

住職には、それ以外でも、お寺の歴史や本堂などの建築物への知識や、伝統文化の知識やマナー、境内の掃除などやるべきことはたくさんあり、いつも、時間に追われています。

「お寺は税金を払わない」と世間で認識されているようです。確かに、法人の収支計算にたいしては、公益法人と認められて非課税ですが、住職などへの給与は、所得申告をし、所得税を支払っています。それに伴い、市県民税や・社会保険料(健康保険・年金)も支払っています。多くの生活者と同じような給与所得者として生活をしています。

「教え」を伝えることが、生活者の寺院への関心が薄くなる現代では、期待されなくなり、ひいては、寺院経営も大変厳しい現実があります。
これまで必要とされていた寺院が、必要とされない時代にどう対応していくか、これまでの対応以上に、寺院や僧侶への改革が待っているように感じるのは、私(住職)だけでしょうか。

※中川個人の感想です。

心地よいもの

心地よいもの
私(住職)が生活していく上で、自分に心地良いものを求めています。
生まれた昭和31年からの生活は大きく変わりました。夏は蚊帳の中で団扇で扇いでもらって家族で寝ていたこと。ちゃぶ台を毎回出して食事をしていたこと。懐かしさはありますが、室内の空調設備やダイニングを手に入れ(心地良いものを手に入れ)たから、過去の生活に戻ることはできない自分がいます。有難い人生なのでしょう。
しかし、空しさがなくなることはありません。何故なのか。
いろいろなことが考えられると思いますが、僧侶として言うならば、心が落ち着かないからなんではないでしょうか。もう一度自分に向き合うことの1つに聞法があります。
阿弥陀様の「み教え」を聴くことです。何度聴いてもわからないとの声もお聞きします。本当にそうでしょうか。しっかり布教使に向き合いお聞かせいただいているでしょうか。
その場にいるのが心地悪いのでいいかげんな気持ちになっていないでしょうか。

その場に参加したことが無い方もいらっしゃいます。その方にとっては、魅力がないからなのだと思います。どのように伝えるのか本当に難しいです。
今日は秋千部会です。今1度、お寺の本堂にお上がりいただき、90分のご縁に遇いませんか。

バリアフリー

バリアフリー
以前から、「お寺に車椅子でお参りできますか」とおたずねいただくことがあります。
妙華寺は、江戸時代の本堂やこれまでの日本建築の建物の構成で段差があります。高齢者や障がいをお持ちの方にはとても不便な作りになっています。福祉車両の駐車スペースを設置しましたが、本堂にお上がりいただく階段にスロープを設けることも、本堂内の畳敷きに車椅子でお入りいただくことも難しいです。
誰もが不自由なく出入りできる空間が理想ですが、妙華寺のお寺の規模では、既存の建物をバリアフリーしていくことは難しいと考えています。しかし、できるところから、少しづつ進めていきたいと考えています。

「仏教と夢」

「夢」
先日、生活者の方と「夢」で感じることをお聞かせいただいた時間がありました。
「寝付きが良くてあまり夢を見たことがない」「夢と聞くと怖い夢を想像する」「現実の生活で精一杯で夢を感じることはない」など。
私(住職)も高齢になった今、あまり夢を見た記憶がありません。自分が見た夢では、幼少の頃に「(内容は覚えていません)怖い夢」で目覚めて泣いたことがあったようなことを思い出します。また、「夢」には、将来への希望や願いの意味もありますね。私(住職)も若かった頃になりたい自分を想像したことはあっても、なかいませんでした。
そういえば若い頃、井上陽水の「夢の中へ」を口ずさんだこともありました。

「仏教と夢」
京都の龍谷ミュージアムで「仏教と夢」の展覧会が開催されています。
「仏教と夢」では、お釈迦さんの夢の話から日本仏教の高僧の夢など、夢に焦点を当てた展覧です。
「古の人たちにとって夢は信仰の対象になるほどの影響力あつた」と広報誌「龍谷」100号の中(P34)にありました。
現代の「夢」の捉え方と、これまでの日本での「夢」の捉え方は、違っていたようです。親鸞聖人自身も夢告を大切にされていました。高僧の中では、明恵上人の「夢記(ゆめのき)」は、とても興味深く感じました。

※中川個人の感想です。

夢には、①眠っている間に、種種の物事を見聞きすると感じる現象 ②現実が困難な空想的な願い ③(現在のところ実現していないが)将来は実現させたい願い・理想 ④はかないこと。たよりにならないこと。⑤「夢にも」などの形で打ち消しを伴った副詞的に使う。【岩波国語辞典】

『宗教の本質』釋徹宗×若松英輔 講談社現代新書

『宗教の本質』釋徹宗×若松英輔 講談社現代新書
歳をとると、集中して本を読むことがおっくうになっていましたが、久しぶりに最後まで読み続けることができました。往復書簡は、対談のようなやりとりでなく、書簡が届くまでの時間が、言葉に深みをもたらすように私(住職)には、感じます。
宗教について知識は必要ですが、それだけで宗教を語るのは違うのだと改めて感じました。自身の宗教との関わり(回心)がなければ、本当の宗教と出遇うことはないと思います。大切な人を亡くした悲しみから自分自身がどう変化していくのか。「生きる」意義を見いだせない私がどう変わっていくか。宗教の深い思考に触れていく自分(住職)がとても心地よく感じる状態です。「信じる」ことの中に「信(まか)せる」意味があることや、共同体と集合体のこと・「死者」を想うことを知っただけでもありがたかったです。
3年半の往復書簡が終わってからの対談も掲載されていて、両者の信頼に基づく関係性がすてきだと感じています。
両者の深い思考内容についていけない私(住職)ですが、再読したくなる本に巡り会えてとてもうれしく感じています。
※中川個人の感想です。

妙華寺会館

妙華寺会館
境内に戦後、三重県食糧事務所の一志支部として使用していた建物が昭和40年代前半に移転したことで、前々住職・前住職が改修し「妙華寺会館」として使用しています。

「和顔愛語」の額は、以前、庫裡の書院に掛かっていましたが、改修された妙華寺会館に掲げることになりました。(専修寺第23世)堯祺上人が書かれた額です。

「和顔愛語(わげんあいご)」
仏頂面はいけませんよ
和顔愛語は、「和顔」はやわらかな顔、「愛語」はやさしい言葉。
つまり、文字通り、笑顔で愛情のこもった言葉で話すことです。
この言葉は、学校での教訓になったり、額や書幅しょふくにも書かれたりして、おなじみになりました。この言葉は『無量寿経(むりょうじゅきょう)』に出てくる言葉です。法蔵菩薩(ほうぞうぼさつ)が阿弥陀仏(あみだぶつ)になるために修行に励んでいるところで、「和顔愛語にして、意を先にして承問(じょうもんす)」とあります。現代語版では「表情はやわらかく、言葉はやさしく、相手のこころを汲み取ってよく受け入れ」と訳されています。親鸞聖人(しんらんしょうにん)はこの経文(きょうもん)を、『教行信証(きょうぎょうしんしょう)』にも『浄土文類聚鈔(じょうどもんるいじゅしょう)』にも引用しておられます。お金や物がなくても誰にでもできるほどこしである 「無財(むざい)の七施(しちせ)」には、「やさしい言葉で相手に接するほどこし」や、「善意に満ちた和やかな顔と明るい姿で相手に接するほどこし」があります。人間関係にはたいへん大切な態度ですが、心に余裕がなければなかなかできるものではありません。現代のような殺伐とした世の中では、なおさらですね。しかし、そんな世の中だからこそ、教えにあるように、相手のこころを汲み取ってよく受け入れ、「和顔愛語」を忘れないようにしたいものですね。
本願寺出版社「くらしの仏教語豆事典」より転載」((https://www.hongwanji.or.jp/mioshie/words/000916.html
参照 2025年10月11日))

書院

書院

お寺に、僧侶がお越しいただくとお通しする場所があります。多くのお寺で書院と呼ぶ場合が多いです。
妙華寺では、前々住職の時に建て替えた書院にお通ししています。
(専修寺第23世)堯祺上人が書かれた「漱月書院」の額が掲げてあります。

『漱月』とは、「しゅうげつ」と読み、月をあらう・すすぐ・すいこむの意があります。
前々住職は、「漱月」と名づけた歌集もつくっていました。

この書院の北側にある池(以前は、蓮池と呼んでいました)に、月が映る光景を思い浮かべます。