寺院運営
先日、寺院運営について考えさせられました。
寺院の役割は、教えを伝えること(布教)が一番の目的です。教えを通して、生きていく上で私自身の心の平安を得ます。そのことを喜び、仏徳讃嘆して生きていくのだと感じています。
その為、僧侶になろうとするものは、自らが選んだ宗派で得度をして、教学を学び、研鑽・資格を得る中で、僧侶としての活動をしています。教えを伝えるには、自らが学び続けなければできないと感じています。
また、住職は、お寺の代表責任役員として、宗教法人の運営(経営)もあります。法人の収入としては、葬儀や年忌法要の布施や、お盆や春秋の彼岸会・千部会・報恩講の志、檀家様の寺院維持費としての斎米料などが主な収入になります。支出は、高田本山へ納める義納金・儀式や行事の時の費用・布教使さんや行事をお手伝いいただく僧侶への法礼・衣や袈裟の新調・修繕・洗濯費・檀家さんへの教化する費用・境内の美化費用・境内建物の修繕や整備費用・住職などへの給与があります。
これらの会計事務を適切に行うには、僧侶としてではなく経営者の資質が必要になります。住職は、僧侶の側面と経営者の側面を兼ね備えることが必要です。でも、大変難しいように感じています。
妙華寺では、私が住職になってから、経営面の会計事務については税理士さんにお願いしています。
住職には、それ以外でも、お寺の歴史や本堂などの建築物への知識や、伝統文化の知識やマナー、境内の掃除などやるべきことはたくさんあり、いつも、時間に追われています。
「お寺は税金を払わない」と世間で認識されているようです。確かに、法人の収支計算にたいしては、公益法人と認められて非課税ですが、住職などへの給与は、所得申告をし、所得税を支払っています。それに伴い、市県民税や・社会保険料(健康保険・年金)も支払っています。多くの生活者と同じような給与所得者として生活をしています。
「教え」を伝えることが、生活者の寺院への関心が薄くなる現代では、期待されなくなり、ひいては、寺院経営も大変厳しい現実があります。
これまで必要とされていた寺院が、必要とされない時代にどう対応していくか、これまでの対応以上に、寺院や僧侶への改革が待っているように感じるのは、私(住職)だけでしょうか。
※中川個人の感想です。
