阿吽

阿吽(あうん)
先日、ヨガのインストラクターの方に、「阿吽」について聴かれました。ヨガ(ヨーガ)も古代インドの宗教的な瞑想から始まっているのか「阿吽」についても関心があるようです。

私(住職)は、「阿吽」は、仏教語でありますが、仏具に口が開いた状態や閉じた状態の動物の据え方(向き)で学びました。口が開いた「阿」が始まりで口が閉じた「吽」が終わりでありますので誕生から終わりを連想することもありますが、それ以上の知識もなく話は終わってしまいました。

始まりと終わりがあることからそれを超えた仏教の視点を伝えなければいけないのかと反省しています。

「阿吽」
「意味古代インドのサンスクリットの悉曇文字(梵字)において、a(阿)は全く妨げのない状態で口を大きく開いたときの音、m(h??、吽)は口を完全に閉じたときの音である[1]。悉曇文字の字母の配列は、口を大きく開いたa(阿)から始まり、口を完全に閉じたm(h??、吽)で終わっており、そこから「阿吽」は宇宙の始まりから終わりまでを表す言葉とされた[1]。宇宙のほかにも、a(阿)を真実や求道心に、m(h??、吽)を智慧や涅槃にたとえる場合もある。阿吽は宗教的な像にも取り入れられ、口を開けた阿形(あぎょう)と口を閉じた吽形(うんぎょう)の一対の像は、神社の狛犬(本来は獅子と狛犬の一対)などにみられる[1]。また、寺社の金剛力士像(仁王像)や沖縄のシーサーなどにも口を開けた阿形と口を閉じた吽形がみられる。」((https://ja.wikipedia.org/wiki/阿吽 参照 2024年6月24日))

親戚寺院の3回忌

親戚寺院の3回忌
先日、親戚寺院の3回忌でお焼香させていただきました。
高田派では、住職の絵像を掲げることが多いです。本山専修寺に準じた形と考えられます。
絵像を拝見すると「似ている」・「似ていない」とついつい詮索してしまいますが、絵師はどのように描こうとされているのでしょうか。現代は本物そっくりの絵像を求めてしまいがちかもわかりませんが、時代を遡ると、あまり「似ていない」絵像が多かったとか、いろんなことを教えていただきました。

花は野にあるように

花は野にあるように
お茶の稽古を月1度しています。これまで覚えていた点前や作法も何度稽古しても満足にできることはありません。いつも、注意をしていただきながら、以前習ったことを思い出したりしています。その中で、花入に花をいけることはとても難しいです。
花入れの花は幾度となく先生に手直ししていただいています。今回、初めて先生に花の生け方を褒められました。ただ、1点花入れの水はギリギリまで入れることを注意されました。「花は野にあるように」と言いますがまだまだ深い境地があるのだと感じました。

利休七則の1つ「花は野にあるように」があります。「花は自然に入れなさい」ということですが、「自然そのままに」再現するということではなく、一輪の花に、野にさく花の美しさと自然から与えられたいのちの尊さを盛りこもうとすることに真の意味があります。【裏千家HPより】

喪服

喪服
一周忌のお勤め前に、施主様から「喪服で参加でしょうか」とお尋ねがあった。
葬儀の時は、「喪服」姿がほとんどであるが、最近は、それ以降の法事では、「喪服」姿は少なくなっている。特に暑い時期の「喪服」はつらいと私(住職)自身も感じている。かと言って、施主様に「平服」の黒っぽいものでもよろしいですよと言ってしまうのもどうだろうか。参加される方の中には「喪服」姿の方もいるかもわからないからだ。
「弔意」をどのように表現するかはそれぞれだから。

山門の開閉時間

山門の開閉時間
先日、お同行さんから「山門の開閉時間はいつですか」と電話をいただきました。妙華寺の場合、山門は常時開いています。以前から、境内の通路が駅への通り道になっているのも理由の1つだと思っています。
夏場だと、まだ暑くならない、朝5時頃から境内墓地にお参りにこられるお同行さんもいらっしゃいます。
本堂の開け閉めの時間は、朝6時頃から17時頃まで、いつもご本尊へ手を合わせることができます。

インタビュー

インタビュー
これまで、インタビューを受けたことはありませんでしたが、5月に入って2回経験をしました。
事前にアポイントがあって、時間があれば、話すことも整理できると思っていましたが、なかなかどうしてその時出てくる質問は、私の想定外のことも多く。どうしてこの質問をしてくるのだろうか。とっさには判断できず、頭にひらめいたことしか言えないことのほうが多かったような。まっ、その方が自分がでているのかもわかりません。
2回目は、突然の電話からのインタビュー。こちらは心の整理もできないくらいあわてました。相手は私のことをHPで確認してのインタビューで、電話口で相手の自己紹介も、こちらには直ぐ確認できることもなく、「今、やっていることのきっかけは」みたいな質問に対して、思い出さなければいけない内容も不正確では失礼だし、不安だらけの時間でした。掲載された記事は、それぞれの視点からのもので、一方は、初稿・2稿まで確認させていただき、つたない話の思いを十二分言語化していただいたと感じました。もう一方は、写真のデータを送ることの依頼だけで、後日掲載記事を送っていただきました。電話だけでは伝わらないことがあることを学んだ次第です。それでも、言葉にすること(言語化)でわかってくることもあります。また、相手方からの質問で気づいたり・つながる事柄もあり、とても良い経験をしました。インタビュー受ける側も大変ですが、インタビューをする側の方がもっと大変な気がするように思います。

お寺とは⑤

お寺とは⑤
今年になってから私(住職)にとって「お寺とは」と題して、HPのブログに掲載していました。このことについて、初めて会う方と話し合う機会がありました。
頭の中で考えていることを、他者と会話(話すこと聞くこと)することから、気づくことがあります。「お寺とは」で考えていたことは、私(住職)以外の他者も考えていることであった。そして、これまでの歴史の中でもずーと考え続けられていたことであった。その視点が私の中では気づくことなく考えていたのだなと思います。また、話を聞く側について考えることがありました。話を聞く(傾聴)ことも話を伝えることと同じように難しいことにもあらためて気づかさせていただきました。また、話す・聞くことなくそこにたたずむことだけでもよいのではないかとも思えることになりました。
ただ、気づくことだけで終わるのは残念です。思いを伝えようとする方とシェア(共有・共感)できるその関係性を構築していく工夫を考えていきたい思います。

6月のお茶

6月のお茶
6月は、5月のさわやかな時期から梅雨の時期に入ります。私の梅雨のイメージは、活動的な若かった頃はあまり良くなかったですが、今は、なんだか落ち着ける感じもします。中庭の大きな梅の実を父が梅酒にしていたことも思い出に残っています。
梅雨のイメージから水にちなんだ趣向の茶会も楽しいです。

お茶の稽古をしながら和菓子について学ぶこともあります。お寺では薄茶を喫する機会があり、その時和菓子が出てくるので、他の方より和菓子をいただく機会も多いです。上用饅頭やきんとん、干菓子の場合もありますが季節感を感じることもあります。新年の花びら餅、3月のひっちぎり(ひちぎり)、4月の花見団子、5月の柏餅・粽、9月の月見団子、10月の栗きんとん、11月の亥の子もちなど、以前からなんとなく知っている和菓子もありましたが、6月の「水無月」はお茶の稽古を始めるまで知りませんでした。
京都のお菓子で三角の形をした「水無月」は、暑気払いの意味も込められているとか。

茶道は、日本の総合芸術とも言われます。茶室や露地には日本の建築や庭園技術を取り入れて独自のものになっています。懐石や和菓子には、食文化が、室内の床荘として掛軸や花・花入や香合(香)、点前と共に茶道具の焼物や細工された漆器や金物、どれもこれまでの日本人の生活に必要であったものが残っています。本当に奥深いものがあります。

 

お寺の6月

お寺の6月
6月は、2月と同様お寺の行事がない月です。境内の雑草が勢いよく伸びる時でもあり、きれいに保つことは大変です。お寺の組内(そない)会が例年あります。組長様から本山の予算報告や組長会の報告があります。また、今年のそれぞれのお寺の報恩講の開催日の確認です。組内のお寺の報恩講には、出合いのような形でお互いが出仕しています。新型コロナウィルス感染症の3年間は、他寺院への出仕はありませんでしたが、昨年から出仕できるお寺も出てきました。

お寺の社会貢献⑥

【妙華寺の社会貢献について】
お寺の総代会や世話方会で紹介をしています。またこのHPでも2022年2月に紹介しましたが、あらためて妙華寺の社会貢献について紹介します。

これまでのお寺も社会貢献として多くの事業や活動を続けてきたことは、周知の事実であります。また日本の貴重な社会的資源として今にも続いていますが、そのことを表だって発信することはありませんでした。
今のお寺としてできる社会貢献は何か改めて考えさせられています。

世の中が不条理であり、心の安寧・安心を求めるところに宗教があると考えていますが、社会と関わる実践的なこととして、地域の小さな私のお寺(妙華寺)でできることとは何か、それを可視化できるように考えています。

⑥終活カフェ
以前から、FP(ファイナンシャル・プランナー)さんや終活アドバイザーさんを招いて、終活についてお話をいただいています。また、介護施設で健康体操を紹介されている方に、お寺で健康体操を皆様にお教えいただいたこともありました。2020年と2023年に行政書士法人中村事務所様のお力添えで、お寺の行事のあと、3回の連続講座として「終活カフェ」を開催しています。今後も予定しています。
高齢者の個々さまざまな問題を1度で安心できることではありませんが、何度か「終活カフェ」に参加される中でその方に届く内容が見つかる場合もあります。