母の日

母のいない母の日 私(住職)が小学生の頃には、「母の日」「父の日」があり、先生から父や母に感謝する日と教わり、やがて「敬老の日」もカレンダーに加わって、両親とともに祖父・祖母を含む高齢者も尊ぶことを教えられました。
私(住職)が社会人になった頃から、「母の日」や「父の日」にプレゼントを贈ったことも、感謝の気持ちですが毎年の中元や歳暮のような感覚でした。
数年前に「母の日」は、諸説あるようですが、およそ100年前にアメリカで亡くなった母を追弔する(想う)日からはじまったとお聞かせいただいたのですが、

それほど実感はわきませんでした。
今年、65歳にして母がいない「母の日」を初めて迎えました。
日本仏教では亡くなられた方を追弔する日として、命日や年回(忌)法要を思い浮かべます(真宗では大切な方の命終えられる姿を通して仏徳讃嘆しています)
今は亡き母を「母の日」に追弔することも特別な記念になると感じています。
これまでの思い出も大切ですが、いなくなってからの関係性も大切にしていきたいと思います。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
悲しみは消えることがない、「慣れる」だけである

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「死別の悲しみは、残念ながら一生消えることはありません。現実を受け入れ、日常生活を取り戻していくことが一つのゴールになります」

どうすれば死別の悲しみを癒やされるかと聞かれることがありますが、残念ながら悲しみそのものは一生消えることはないようです。大切な人を亡くした後、遺された人が目指す一つのゴールを設定するならば、「日常を取り戻す」ということでしょう。これは、亡くなった人を忘れるという意味ではありません。むしろ、「亡くなった人と一緒に生きていく」ということになるのだと思います。
肉体を失ってしまったので、これまでのように触れたり、会話をしたりすることはできません。その変化を受け入れるには時間がかかるでしょう。ただ、頭の中や心の中には存在していますので、一緒に生きていくことができるのです。
大切な人の死を乗り越えるというのは、そんな関係性の変化に慣れて、日常を続けていくということです。

※話が少しそれますが、仏教では中陰(49日)と呼ばれる時間があります。中陰(ちゅういん)は中有(ちゅうゆう)「輪廻を繰り返す中で生命あるものが死んで次の生をうけるまでの時間」や故人が亡くなって49日間のことなどの説があります。真宗では命終わると往生しますので、追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、阿弥陀如来に等しく摂取される恩徳に報謝する時間とも言われます。私(住職)は、大切な方が亡くなられた時に受け入れがたい悲しみや苦しみを現実として受け入れる時間として49日があるのだと思っています。それは関係性の変化を受け入れる時間ではないでしょうか。

お寺の変化⑤

お寺の変化⑤ コロナ対策
4月に、総代会と世話方会を開催しました。世話方会は昨年コロナ禍で開催できませんでしたが、今回は、マスク着用・手指の消毒・検温などのご協力をいただき、お寺も感染防止対策として仕切り板などを用意して、2年ぶりに開催させていただきました。

三重県内でも新型コロナウィルス感染症の感染者が増えています。県内の幾つかの市町にまん延防止等重点措置が適用されるようです(5月7日現在)

ワクチン接種もはじまりましたが、ただちに終息することは期待できません。できることは限られていますが、これまでと同じように1人1人が気をつけないといけないと思います。

お寺の新型コロナウィルス感染症感染防止対策については、
昨年4月に厚生労働省・三重県や本山のガイドラインを参考にお寺のガイドラインを作成しております。また、主催者になられます お同行の皆様のご意見も尊重し、葬儀会場・法要会場のなどのガイドラインなども含めて、住職の判断で法務(葬儀・年回・お寺の行事)を執り行っています。
また、住職・寺族が感染した場合は、すぐさま公表し、厚生労働省や保健所のガイドラインなどに沿った対策をいたします。その間の葬儀・年回・お寺の行事につきましては、 相導師寺などにご協力をいただき安心できる場所でお勤めをさせていただきます。
同時に、コロナ感染者や家族・関係者に対する差別や偏見をすることがない心豊かな社会であることに取り組みたいと考えています。
人々の目の前にある不安な心を安心・安全に思える心に変えることに、宗教の役割は、あると思います。

「飛行機の失敗」のその後

滋賀県長浜市の江戸時代の飛行機図の資料提供
長浜市役所から、長浜(市)には、国友村(長浜市国友町)と言う鍛冶(鉄砲)集団の村があり、今も続く一族の古文書から江戸時代の飛行機図(「阿鼻機流 大鳥秘術 詳細図」)が発見されたことのプレスリリース(資料提供)を送っていただまたした。
江戸時代に空を飛ぶことを試みた方は日本にも何人かいたが飛行機図などは残っていないので貴重なものです。

どうして、お寺に送っていただいたかと言うと、江戸時代の久居藩のことが記載されている『藤影記(とうえいき)』に妙華寺の本堂の屋根から飛行した人物がいると言う伝承から連絡をいただきました。この方の名は「国友貢(みつぐ)」さん。
「国友」の名前からの想像ですが、津藩の藤堂高虎が、滋賀県の高島市から三重県(伊勢の国)の伊賀上野そして安濃津に入ったことから考えると鍛冶集団の何人かが藤堂高虎について来た可能性もあるような。

「2016年2月の日曜学校今月は、妙華寺の本堂から飛行した人の顛末をお話しました。『藤影記』(梅原三千著)にある「飛行機の失敗」と言うお話しです。国友貢(みつぐ)は、鳶鼻の異相を有し、天狗の如く空を飛んでみたいと考え、鴨を一羽手に入れて両翼と尾を秤(はか)り、体の重さも精密に秤量し、その割合を算出して、その比準で自分の体重に適当する大きな羽根を造った。早速、法苑院へそれを持ち込み、実験するということで、本堂の屋根から、羽ばたきたくましく飛んだが失敗して 蓮池の真ん中に墜ちた。国友はこの時挫折したのかその後空を飛ぶことを計った噂はなかった。今「久居城下町案内人の会」でこの話を紙芝居の一つとして紹介されています。
ここからは住職の想像です。①本堂の屋根から飛ぼうとして時期は?江戸時代のいつであるか定かでないのですが、妙華寺の本堂は、文政4年(1821)3月の久居の大火にて焼失しています。再建された今の本堂は、安政4年(1857)12月に棟上げされました。推測できることは、棟上げされて本堂が再建する過程で、屋根に瓦を載せる前の状態の時ではないかと考えています。②蓮池はどこに?妙華寺にはかつてお寺の境内の東南に弁天池と言われる池ありました。現在は、樹木の元でのお墓と駐車場になっています。また本堂の西側に蓮池と言われる池が今もあります。現在は、以前より池の範囲が小さくなり蓮も咲いていません。本堂の屋根の形状が寄棟ですので飛ぶ方向としてはこちらが有力と考えています。人類で最初にライト兄弟が空を飛ぶことに成功しましたが、世界中で空を飛ぶことを夢見た人はたくさんいたのでしょうね。」((https://myoke-ji.com/2016/02/ 参照 2021年4月22日))

今月の本

今月の本
「文類さんの話」 本川光定著 高田青少年会館
著者は私が通っていた中学の仏教の先生のお一人で、同じ組内のお寺のご住職様でもありました。著書は私が30代の頃に出版されています。当時も今も「正信偈」を解説された本は沢山ありますが、「文類(偈)さん」の解説本はまったくなかったように思い、出版されてすぐ求めた記憶があります。「文類(偈)さん」の最初「西方不可思議尊」は私には小さい時から聞き、自らも声を出してお勤めしてからことからかわかりませんが、とても温かい気持ちになります。著者の解説も、生生の独特と言うか個性が表現されていて、学生時代の頃を懐かしく感じています。
高田派では「文類さん」と親しみをこめて読んでいますが、正式には、『浄土文類聚鈔』の中で「念仏正信偈」と題されています。高田派では夕時の勤行にお勤めしています。
『顕浄土真実教行証文類』の「行巻」にある「正信念仏偈」と形式も内容も似ていますが、親鸞聖人は、「正信」と「念仏」の言葉が前後する「正信偈」と「文類(偈)さん」単に言葉だけ言い換えられのでないと思い幾つになっても2つの頌偈が気になります。
著者が往生される3日前の年末に津駅で偶然お会いし短く挨拶をしたのが最後でした。

お寺の掲示板

お寺の掲示板
「お粗末な自分」に気づいた先に見えてくること

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、「仏法を学び、仏法の大きさにだんだん気づかされていき、仏さんの”圧倒的な大きさ”を本当に感得できた人は、2つの行動を取ります」と続きます。

1つは「讃歎(さんだん)」、つまり仏さんをほめたたえるという行動です。
もう1つは「懺悔(さんげ)」。これは「本当にお粗末な私です」「参った」となること。この両方の行動をとるのです。

※仏さまのものさしで、はかると、私のものさしでは、はかることができないことに気づかされ、「おそれいりました」と言うしかありません。それがありがたいことなんですね。

お寺の掲示板

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「悲しみ」を共有することが、立ち直る力になる

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「大切な人の喪失後、自分と同じような環境にいる人と話し、悲しみを共有することは、喪失を乗り越えるグリーフケアの大切なプロセスになります」とあります。

この「共有」というのは、゛自分だけでない゛ということを実感できるということです。 実際に対面しなくても、頭の中では゛自分だけでない゛ということは理解しているはずですが、実際に同じような境遇の人に会い、話すことで初めて具体的に経験し、実感することができるのでしょう。

自然災害に限らず、突然死であってもそうでなくても、大切な人を失ったという現実を受け入れるスピードは人それぞれです。
それまでとは異なる新しい人生、別の人生を生きるようなものです。できるだけ境遇の近い人と、気持ちを共有することは、新しい人生に慣れていくために有効なことだといえす。

※私(住職)は、大学生活で下宿をした時、学校や町中で、初めて会う人でも三重県出身と聞くと少しほっとした経験があります。海外で日本人に会うとほっとする感覚なのかもわかりません。何を「共有」するかその時の自分の立ち位置により異なりますが、「 悲しみ」や「苦しみ」など気持ちに整理がつかない時、同じような「悲しみ」や「苦しみ」を経験された方との会話で自分の気持ちを落ち着かせることがあります。

お寺の変化④

お寺の変化④
お寺の社会貢献
令和3年1月25日付けで、文化庁から「宗教法人が行う社会貢献活動について(情報提供)」と題する事務連絡がありました。

大阪大学大学院教授の稲場圭信氏の活動の1つに10年前の東日本大震災で被災者への宗教者の活動や宗教施設の活用がベースとして、災害時に寺院施設を避難場所として活用することに行政が着目しお寺の社会貢献について新しく宗教活動として認識されることになったようです。

ポータルサイト「まいてら」を運営されている(一社)お寺の未来理事長の井出氏は、今回の文化庁の事務連絡に対して、「いわゆる公益事業として行われている社会貢献活動も各宗教法人の判断に基づき宗教活動と整理することが可能と考えられる」と称賛されました。
https://www.bunka.go.jp/seisaku/shukyohojin/pdf/92805001_01.pdf
「教義または教義を具体化した文書等(教憲等)に基づき、各宗教法人の判断による」という定めもあり、相応の根拠と判断が各寺院には求められることになりますが、根底には「社会通念」があることを文化庁も指摘しています。と述べています。

お寺の社会貢献が注目されていることは喜ばしいことです。

これまでのお寺も社会貢献として多くの事業や活動が興してきたことは貴重な社会的資源として今にも続いていますが、今のお寺としてできる社会貢献は何か改めて考えさせられます。
世の中が不条理であり、心の安寧・安心を求めるところに宗教があると考えていますが、社会と関わる実践的なこととして、地域の小さな私のお寺(妙華寺)でできることとは何か、それを可視化できるように考えています。

・地域のソーシャルキャピタルとしてのお寺の取り組み
①災害時における境内の開放(避難施設・スペースとして活用)
②人に寄り添う支援活動 「傾聴」活動(あなたの気がかりをお聴きします)
 ③今後、生きていくことに悩んでいらっしゃる方々に対する地域(行政など)の取り組み  の中、お寺ができることをわかりやすく示すことができればと考えています。
・お寺の文化の発信
 ①お寺のHP・寺院主催の講座・ワークショップの開催・登録文化財カードの配布
 ②久居城下案内人の会(ボランティア)と地域活性化などと連携
・地域の社会福祉協議会との連携
・おてらおやつクラブへの賛同
・自死(自殺)相談について取り組む団体への賛同

今、社会(世間)で注目されている多くの宗教者の実践活動にははるかにおよばない活動ですが、身の丈に合った活動を実践していきたいと思っています。

事 務 連 絡
令和3年1月25日
公益財団法人日本宗教連盟
都道府県宗教法人事務担当課
文 化 庁 宗 務 課
宗教法人が行う社会貢献活動について(情報提供)
近年、多くの宗教法人が、全国的に自然災害が発生する中で地域の防災・復
興に協力をされるなど、災害対策や地域支援などの社会貢献活動を行われてい
ると承知しています。
従来、このような活動の多くは、宗教法人法第6条に規定する公益事業とし
て各法人で整理されてきたものと思われますが、このたび、日本宗教連盟から、
このような活動と宗教活動の関係について問い合わせがあったため、宗教学に
関する学識有識者の意見等も踏まえ、下記のとおり、考え方等を整理しました
ので、情報提供させていただきます。

○宗教法人法上宗教活動の定義は行われておらず、国等には宗教法人の宗教上
の特性や慣習等宗教上の事項の尊重や不干渉が求められていること(宗教法
人法第84条・85条)から、宗教法人が行う活動が宗教活動にあたるかど
うかは、第一義的には各宗教法人の判断に委ねられていると考えられる。な
お、現状においても、宗教法人の中には、社会貢献活動を宗教活動と位置付
けて取り組んでいる例が見られるところである。
○上記の理由としては、
・宗教法人法成立に伴う施行通達(昭和26年7月31日文宗第23号(「宗
教法人に関する事務処理について(通達)」)においては「境内建物、境
内地であって同時に公益事業を行うためにも用いられるものは、境内建物、
境内地として処理してさしつかえないこと」とされていること、
・逐条解説宗教法人法(渡部蓊著)においては「単に宗教の教義をひろめ、
儀式行事を行い、および信者を教化育成することのみを宗教活動とし、し
たがってこれを行う団体が宗教団体として把握されるべきものとするいわ
れはなく、青少年の教化活動、孤児・難民の救済活動、社会の浄化活動な
ど、通常、いわゆる公益事業とか、慈善に関する運動として観念されるも
のがもっとも本来的な宗教活動として把握されることのあることは、じゅ
うぶん是認されよう。」とされていること、
・宗教法人制度の運用等に関する調査研究協力者会議主な意見等の概要(平
成19年3月)においては、「歴史的には、宗教団体の行う公益事業は宗
教活動の一部であった」「宗教活動と公益事業とは実際上、密接不可分な
関係にあるものも多く、宗教活動と公益事業が明確に区別できない場合も
ある」『宗教法人法においては、宗教活動は宗教法人にとって本来的「業
務」であり、公益事業は「行うことができる」「事業」であり、・・この
ようなことを踏まえて、それぞれの関係と在り方について考えるべきでは
ないか』とされていること
があり、いわゆる公益事業として行われている社会貢献活動も各宗教法人
の判断に基づき宗教活動と整理することが可能と考えられる。
○なお、各宗教法人が判断を行うにあたっては、以下の点に留意することが望
まれる。
・社会貢献活動が宗教活動に該当するか否かについては、教義または教義を
具体化した文書等(教憲等)に基づき、各宗教法人の判断によるものとさ
れることから、各宗教法人におかれては、根拠等を確認しておくことが望
まれる。教義や教憲等は、宗教法人規則等と異なり、所轄庁への提出・認
証、事務所への備付等は必要ないが、各宗教法人の教憲等の定めや慣習に
基づく取扱いが必要になると考えられる。
・「宗教法人法は、・・宗教そのものについては定義規定を置かず、社会通
念に委ねる立場をとっている。」(前記「逐条解説宗教法人法」)ことから、
社会貢献活動を宗教活動と整理するにあたっては、地域社会の宗教活動へ
のニーズをはじめとした社会通念を踏まえることが重要と考えられる。
・宗教活動は宗教法人をはじめとした宗教団体が行うものであることから、
宗教団体以外の団体等が行う社会貢献活動を宗教活動と整理することは適
当でないと考えられる。

メリシャカ(花祭り)は7日・8日です

今年も4月7日(水)8日(木)にメリシャカ(花祭り)を開催します。本堂正面入り口に花御堂(はなみどう)を安置します。誕生仏にご自由に手をお合わせください
よろしければ花御堂へお花を一輪お供えください。
隣寺の花祭りも開催されています。隣寺でスタンプをいただき妙華寺にお持ち頂きますと記念品をお渡しします。
※今年も新型コロナウィルス感染症の感染防止を考えお飲みいただく甘茶はご用意できません。ご了承ください。

※新型コロナウィルスの感染拡大防止の件について、様々な意見があることは重々承知しておりますが、最終的にはお寺の住職の判断で、開催を考えています。
花御堂は、いつも通り本堂前上がり口に安置します。
マスクの着用をお願いします。また体調が優れない場合はご参加は見合わせてください。
本堂入口にアルコール消毒液を設置するなどして対策を講じます。
とはいえ、決して不安や不満を抱えながら参加する催しでもありません。
ご無理のない判断をしてください。

お寺の宝物

お寺の宝物の1つに歴代ご法主の書かれた掛物があります。

常磐井 堯凞(墨山)筆 「弄花香満衣
高田本山第21世 弘化元年~大正8年(1844-1919)
近衞忠凞の第7子
当初「円褆」と号し、後 「常磐井」姓を名乗り 「堯凞」と改名 雅号「墨山」

漢詩 于良史「春山夜月」から
春山多勝事
賞翫夜忘帰
掬水月在手
弄花香満衣
興来無遠近
欲去惜芳菲
南望鳴鐘処
楼台深翠微

立花 大亀 筆 「掬水月在手
※立花大亀 明治32年~平成17年(1899-2005)
大正10年 堺市南宗寺で得度 後大徳寺塔頭徳禅寺住職
「発祥」二字額 本堂東楽の間に掲示

 

【本堂東楽の間の額「発祥」常磐井 堯凞筆】