炭団のたとえ

炭団(たどん)のたとえ
「人間は、磨けばダイヤモンドになるとか、洗えば白くなると思いたいんや。でも凡夫っていうのは洗っても白くならん、磨いても芯の芯まで真っ黒なんや」「炭団の輝く方法が1つあるんや」「炭団を磨いてダイヤモンドにしようとしたり、洗って綺麗にしようとするのは方法が間違っとる。炭団の輝く方法は、仏法の火がつけばええんや」「真っ赤になって燃えるやろ。だから、炭団と言っても、情けない者という意味ではないんや」
※安田理深  「人間はなぜ争うことをやめられないのか」 一楽真著から抜粋

このたとえは、「自分自身に仏性があるか、ないか」を問われているように感じます。あなたはどう感じますか。
※中川個人の感想です。

花をとおして

花をとおして
花と聞くとみなさんは何を思い描くでしょう
私(住職)は、四季折々の梅・桜・藤・紫陽花・蓮・百日紅など境内の花々が思い浮かびます。また、茶花や生け花や本堂の立華、内仏(仏壇)や墓の供華にも思いが及びます。
そして、はかなさも感じることがあります。花のはかなさ(無常)から、自分の「いのち」のはかなさに想いを馳せる時もあります。
違う一面では、花の値段を気にする場合もあります。境内や庭で花を育てようとする時、園芸店で花を探しながら、価格の安い花を求めたりします。自分の中で花にランク付けするということは、「はからう」ことを無意識にしているのでしょう。「花以外でも生きている中で同じようなことをしているのではないか」と考えると私(住職)は、はたして、「仏教の教えに遇うことができているのか」が問われているように思ってしまいます。
みなさんは、花をとおして、どのようなことを思いますか。

「ことばの向こうがわ」

「ことばの向こうがわ」安部智海著 法蔵館
今から13年前の東日本大震災の被災者に寄り添い話を聞く2011年から2016年までの仮設住宅居室訪問活動の記録です。
7年前に出版されてから、今回ご縁をいただいて、拝読する機会を得ました。
阪神淡路大震災の時もそうでしたが東日本大震災のTV中継(映像)には、とても衝撃をうけました。遠く離れた場所に住んでいる私(住職)でも胸を締め付けられる思いが、今も込み上げてきます。被災された方々も誰1人同じではない想いを聞き取ること、時間の経過の中で変化する想いを拝読しながら、このそれぞれの想いをどのように捉えていけばよいのか、とまどうばかりです。被災者のいろんな感情(死にたい気持ちや自分を責める気持ち)に気づかせられながら、それでも生きていくこととの意味は何か。発せられたことばの想いは何か。人間の根源的な意味を問われているようです。

私たちの住んでいる地域も東南海地震で被害が発生する可能性があり、地震対策に備えていますが、実際被災した場合の、人々の想いまでは考えることがありませんでした。その時の私の想いはどうなるのか、気になるところです。

妙華寺では、この本を何冊か必要な方へお渡しすることができます。関心がありましたらご連絡ください。

先輩との分かれ

先輩との分かれ

7月のお盆の期間に、5歳上のお茶の先輩が亡くなられたと17日に連絡を受けました。ご本人の意向で家族で葬儀をされたそうです。先輩は、私が青年部活動を始める時にそれまでの青年部長として長年活躍されていました。青年部の年齢でありながら、支部活動に関わられ長く支部役員として尽力されていました。この間、三重県の青年部や支部の成り立ちを丁寧にお教えいただき、他青年部や他支部の会員と交流し、次世代に引き継ぐことの大切さを学びました。私が青年部を卒業してからは、同じ支部の班の会員として一緒に活動させていたこともうれしい思い出です。三重北支部青年部主催の東海ブロック大会や三重北支部主催の東海地区大会では、支部・青年部の役員として一緒にお手伝いをしながら多くの組織運営について学ぶことができ、今の寺院運営にも生かされています。
この2年は、闘病生活であまりお会いすることもできない状態で、私はさみしい思いでした。茶道の多くの事をお教えいただきありがとうございました。

「人のさいご」

「人のさいご」
看取りの場で出逢った人々から実際に「人は死ぬ時にどう変化していくのか」と問われた経験から生まれました。自分のいのちが閉じられていくことに気づいたとき、自らに訪れる変化を知っておきたいと願う人が多くいるからです。人のいのちがどう閉じられていくのか、前もってその知識に触れておくことが、きっと大切な人と過ごす時間をかけがえのないものにしてくれる。わたしたちは、そう願っています。
「人のさいご」制作チーム一同 「人のさいご」を制作した理由が述べられています。

私(住職)は、自分なりに父母を見送りましたが、看取りの多くは、医療関係者や介護関係者に委ねていたことをあらためて自覚しました。誰もが1日24時間ずっと付添うことは不可能だと感じます。新しい「いのち」が生まれてくる時も、「いのち」の最後に関わることもひとりでは何一つできません。
自分が生まれてきたことのことは、記憶として残っていませんが、自分の死期(さいご)について、学ぶことができる1冊です。

※中川個人の感想です

紋章

紋章
家紋はご存知ですか?
時代劇では、●●家の家紋が旗になびいていたり、紋付き袴の着物の背中に描かれているのを見かけます。家制度にとらわれない現代でも、お墓に家紋が彫ってある場合もありますね。老舗のお店ののれんや包装紙に家紋が描かれていることもありますね。家紋は、家系や家柄を表す紋章で、家族や親戚など血縁者が共有するシンボルマークだそうです。家制度のなごりと思われます。今の時代ではそれほど気にされる方も少ないようで知らなくても問題はありません。
お寺など歴史的に長く存在しているところでは、まだまだ紋章は身近な存在です。
妙華寺は、「浮線桐」と言う寺紋です。年回法要などで着用する五条袈裟の紋や輪袈裟の紋に使われています。

布教

布教
宗教法人は、そのお寺の教え(宗祖)を広く伝えることを目的として活動しています。
教えを伝えることを「布教」「伝道」「教化(きょうげ)」活動と言っていますが、そのほとんどが、お寺の行事であったり、檀信徒さんの年忌法要の時の法話などです。

時には、市内を僧侶の姿で歩るくのも布教活動の1つであると好意的な言葉をいただくこともありますが、はたしてどうでしょうか。
また、法話などの布教活動でなくても、非日常のお寺の境内や本堂の静けさ(環境)に心が癒やされると聞くこともあります。言葉(法話)を使わなくても、その環境がその方に布教として届いていることも考えられます。

私の「伝える」言葉は、他者に「伝わる」かは、他者に委ねられています。
毎日、多くの情報が私の前を通り過ぎていきますが、どれだけの情報に、私は興味をもって、共感できるかとなるとどうでしょうか。一日に1つあるかないか。1ヶ月にいくつあるか。1年を振り返ってどれだけ共感した情報が残っているのか。数えたことはないのですが、ほとんどは忘れ去れているようにも思います。
私の「伝える」情報が、他者に自分事として捉える情報となるには、どれだけ、その方の関心を捉えなければいけないか想像するだけで、気が遠くなりそうですが、それでも「伝える」ことを止めてはいけない。「伝え」続けなければいけないものが、仏教の教えなんだと改めて気づかされています。

7月のお茶

7月のお茶
お寺では、7月・8月はお盆の行事に追われて、お茶をゆっくり楽しむことはできません。
それでも、7月と言うと、七夕や祇園祭、海の日から海のテーマの茶会などを聞きます。
また、お茶には暑さをしのぐ工夫があります。目にも涼しげな茶碗や葉蓋の水指。茶巾洗いの点前や、涼しげなお菓子。最近では冷たい水で薄茶を点てることもあります。ですが、最近の夏の暑さには苦労します。そのようなこともあり、エアコンが完備する茶室も増えましたが、日が昇るのが早い時期なので、朝茶と呼ばれる茶事があります。暑さが上昇する前に終わりますのでありがたいです。
個人的には、祖母が7月に亡くなっていますので、ホタルなど「はかなさ」を表現した道具に目がいきます。

お寺の7月

お寺の7月
妙華寺のお盆は7月にお寺に近い地区のお盆勤めをしています。
ちょうど、梅雨明け前の頃で、雨が降る日が多く、以前より雨も強いと思うこともあり、お手伝いいただいている僧侶には蒸し暑い中でのお勤めに感謝しています。
お寺から少し離れた地区は8月にお盆勤めをしています。お寺の周辺地区は、以前に比べて人口が減っています。住んでいらっしゃる方の子どもさん達は、別の場所に住まいがあり、住んでいらっしゃる方が高齢で、入院や施設に入られたり、お亡くなりになると空き家となり、お仏壇も、継承する子どもさんの住まいに移動します。また、昔の狭い空間の住居から、新しい住まいを求めて団地などに引っ越される場合もあり、前々住職や前住職の頃よりお盆勤めをする家も少なくなっています。
私(住職)の中では、7月のお盆勤めが終わると梅雨明けで、セミが鳴き出す、夏休みと言うイメージがあります。

水無月

水無月
京都のお菓子で、「水無月」と呼ばれるお菓子があります。三角形のういろうに小豆がのっているものです。6月の晦日の「夏越しの大祓」と「氷室の節句」の行事から始まったとか。そういえば、神社で「茅の輪」くぐりがありますね。無病息災を祈ることは、無病息災の生活が大変難かしいことでもあり、祈りが生きる力にもなっていたのだと感じます。