登録文化財

登録文化財
平成16年11月に妙華寺の本堂が登録文化財に指定されました。今年で19年目になります。
今一度、本堂について紹介させていただきます。

今ある本堂は、文政4年3月の久居大火にて焼失した本堂を当時のお同行の皆様のご尽力により安政4年に再建した本堂です。
平成16年11月に国登録文化財に指定されました。
その紹介文と英訳を紹介します。

 

白帯

白帯
僧侶は白衣の上に、簡素な外着(真宗ではふほうと呼ばれるもの)や、儀式で着用する色衣・袈裟・差袴を着用します。白衣は着物の白色と考えるとわかりやすいです。その白衣の帯は白色で白帯と呼んでいますが、着物の帯(男用の博多帯)よりしっかりしていないので、一年も使うとへたってしまい新しいのに取り替えています。もう少ししっかりと編んである白帯を探すのですが中々見つかりません。知り合いの僧侶にもたずねるのですが、無いようです。中には、博多帯の地味な色(シルバー)を使っている方もいらっしゃいます。
白衣は、その上に着用するものがありますので、着物の帯のようには目立たないので、しっかりした博多帯を使うのもありかなと思ったりします。

お寺のお勤め

お寺のお勤め
皆さんは、僧侶のお勤めをどのように感じられているでしょう。
真宗高田派の妙華寺のお勤めは、浄土の教えが書かれたお経『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』(浄土三部経)をお勤めしています。短い偈文の『重誓偈』『歎仏偈』も『無量寿経』の中の一節です。
また、宗祖親鸞聖人が書かれた「正信偈」「文類偈」「和讃」なども拝読します。
「南無阿弥陀仏」と称する念仏も称えます。
私(住職)は、「お勤めは仏徳讃嘆」と聞き伝えられています。

本堂のご本尊「阿弥陀仏」の「はたらき」で私が本当の私の姿に気づき、懺悔し生まれかわっていくからです。
「正しいのは私だけ」の私が、そうではなかったと翻る経験を「阿弥陀仏」の「はたらき」がさせてくださるのです。

自分の健康が「あたりまえであること」が、「そうではなかった」と感じることはありますね。人それぞれの状況での経験ですので、そのことを「阿弥陀仏」の「はたらき」によってですよと言ってもそう捉えない方もいらっしゃるでしょう。
私の判断がいつも正しいことでなく、私の損得や善悪と違う物差しがありますよ。それが「阿弥陀仏」の「はたらき」として私に届くことを願っています。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

葬儀と初七日

葬儀と初七日
お寺のお同行さんが亡くなられると葬儀が営まれます。
もう40年以上前の話ですが、葬儀が終わるとお墓にお骨を埋葬し、その日は終わりました。そして初七日のあたりの日に初七日のお勤めをしていました。それが、葬儀の日と初七日の日が近いので初七日のお勤めを葬儀の日に一緒にする方が、改めて遺族親族が集まらなくてもよいので、葬儀と初七日を同じ日にすることが当たり前のようになってきました。それでも最初は、葬儀や埋葬が終わったら区切りとして、遺族を始め参列者がお寺の山門からいったん外へ出て、再び山門から入って初七日のお勤めをする姿が、数年間続いていました。しかし、20年ほど前からは、区切りの姿もなくなり、当たり前のように、葬儀納骨が終わると続いて初七日のお勤めをしています。
東京で20年頃前に、葬儀をして火葬の間の時間に初七日のお勤めを依頼されて驚いたこともありました。そして、ある市の方が亡くなられ葬儀の依頼が入りました。この市では、葬儀のお勤めをして引き続き、初七日のお勤めをして、出棺で火葬でその日が終わるとのことのようです。お寺の地域では葬儀時間を60分ほど取り、出棺で火葬の段取りがほとんどですが、葬儀時間60分の間に初七日のお勤めをして、出棺火葬と続くとなると葬儀のお勤めと初七日のお勤めがとてもタイトになります。ただ、今は家族葬がほとんどの為、葬儀開始時間を少し(10分ほど)早めてもらうことができれば、しっかりお勤めもできると思います。
葬送の儀は地域によって様々であるようで、また時代と共に変化していくものだと感じました。

『日本政教関係史』

日本政教関係史
10月15日のブログで宗教法人について考えていかなければならないことを投稿しました。
その後、『日本政教関係史』筑摩書房の本を知りました。まだ、最初の部分しか読んでいませんが、明治以降の150年、日本国が宗教にどのように向き合ってきたかを概観しています。現在の宗教法人法も終戦後の中でどのような背景があったかを知ることから新鮮に感じられました。当然そこには、戦前の宗教団体法が可決されるまでのことも知ることができ、改めて、宗教法人のことを学ぶ機会を得ました。

私(住職)にとっての親鸞聖人の「み教え」をどのように領解(りょうげ)しているのかもう少し掘り下げて味わいたいものです。

きっかけは何か

きっかけは何か
ある反省会で、「きっかけ」について話題になりました。
考えてみると何かを始める時「きっかけ(動機)」は、明確であると思います。
例えば、私(住職)の場合、車の免許を取る「きっかけ」は、家族の両親も祖父母も免許は持っていませんでした。当時は自転車が唯一の乗り物でした。近くのお同行様の自宅に伺うのは今も自転車を使いますが、遠方のお同行様からお勤めの依頼があれば送り迎えをお願いしていました。時にはタクシーを使う時もありました。そのころから、自転車だけでの生活では行動範囲が限られてしまいます。地方都市では、公共交通機関も発達していませんので、車が必要な時代になり始めていました。同級生の中には、18歳になった時点で教習所に通い車の免許を取得する者もいました。「車があればどこにもいける。生活が充実する」ということが、免許をとる「きっかけ」だったと思います。
ある物事を始める時も心の中で「きっかけ」があって始まるのだと思いますが、継続する中で「きっかけ」を思い起こすことができなくなることもあります。それほどの思いがなかったのでしょうか。それでも続けていることは何故なんでしょうか。
継続する意味は何か。改めて言語化しなければならないようです。
言語化できてもすべてを開示することはできないような気もします。
それでも、「けっかけ」を問うことはとても大切なように感じています。

宗教法人

宗教法人
法苑院 妙華寺は、宗教法人として昭和28年5月1日に認証されています。お寺の歴史としては、江戸時代に野辺野に藩が生まれて、新しい町の中に寺領を割り当てられて草庵が天和元年(1681)に結ばれました。それからこの地で寺院活動(布教)を続けています。

今の寺院規則の第5条(目的)に 「この法人は、真宗高田派宗制により、宗祖親鸞聖人の立教開宗の本義に基づき、教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して公共の福祉に寄与し、その他この寺院の目的達成のために、必要な礼拝の施設、その他財産の維持管理その他業務及び事業を行うことを目的とする」とあります。皆様に親鸞聖人の「み教え」を伝えることを目的として多くの行事などを行っています。

先日、本山での研修で、今後、宗教法人を取り巻く状況は、人口減少も含めますます厳しい状況になることを改めて学びました。そこには、お寺側の意識が生活者の意識から乖離していることが大きいのかもわかりません。もう少し、今の社会の現状を正しく認識しお寺の運営をしていかなければいけないと感じています。

檀信徒の皆さんに親鸞聖人の「み教え」が伝わっているか。問いかけていきたいと思っています。

 

言葉「させていただく」

言葉
私(住職)は「させていただく」の言葉をよく使います。「お勤めをさせていただきます」「私の口から称えるお念仏は仏さまからの呼び声として、お念仏させていただいています」
日常の中でも使ったり聞くことがあります。

【なごみ 令和5年10月号 「させていただきます」は誰のため? から引用】
・お稽古をさせていただきます。
・値下げさせていただきます。
・楽しく過ごさせていただきました。

「させていただく」
自分の行為について(相手に)させてもらうのだというとらえ方をし、「いただく」という謙譲語を用いて相手を高める言い方(『明鏡国語辞典』)

諸説の一つに「させていただく」は大阪船場界隈で使われた「させてもらう」に由来すると言われています。「儲けさせてもらう」「勉強させてもらう」(値引きするの意味)など、いずれも自分が中心の言い方ではなく、商人たちは世間や相手方を立てた表現を用いたといわれます。さらにたどると、北陸地方の浄土真宗の門徒さんたちが使用していた表現が大阪の船場地区の商人たちに伝わったという説もあり「生かされていただいている」という捉え方からの言葉になるのかな。

ただ、丁寧すぎる敬語の使い方は、「礼も過ぐれば諂いとなる」とあるようにかえって無礼になるので気をつけなければならないようです。
※中川個人の感想です。

茶筅供養

茶筅供養
(一社)茶道裏千家淡交会三重北支部津南班様の行事として茶筅供養のお勤めをいたしました。7年ぶりの行事で、本来はお勤めの後、持ち寄った茶筅を境内でお焚き上げをするのですが、前日から雨の天候でしたので、後日お焚き上げすることにしました。

私たちは、大切に使っているものがその用途で使えなくなると処分をしなければなりません。多くの物がゴミとして処分されますが、ゴミとして処分できないものがあります。
また、地域や業種によって扱う物に日頃の感謝をする気持ちを表現する場として「供養」のお勤めをしています。仏事に使う仏壇や位牌の供養(処分)の依頼は、どのお寺でもよくあると思います。
茶筅供養・針供養・人形供養・写真供養・うなぎ供養・クジラ供養(他にも全国にはたくさんあると思われます) お勤めをする時の思いは人それぞれではありますが、「感謝」がキーワードのようです。生き物への感謝だけでなく物への感謝も、その人の「心」の気持ちなのかもわかりません。
※中川個人の感想です。

掛軸

掛軸
お寺の本堂には教えに関係する掛軸が掛かっています。お寺の行事によって掛け替えもします。
また、僧侶の控室で使用する書院や茶室などに床の間があり掛軸が掛かっています。こちらも季節や趣向によって掛軸が掛け替えられます。掛け替える時はほとんど準備の時間で誰も見ていません。掛軸の掛け方、仕舞い方はそれぞれの仕方があると思いますが、お寺の宝物として大切に伝えてこられた掛軸でありますので大切に扱われていたと思います。また、私(住職)も次に伝えるために大切に取り扱っているつもりです。
大切な掛軸の掛け方・仕舞い方を、お茶の習い事の手前(作法)として学ぶ機会があります。
「軸荘(じくかざり)」と呼ばれている手前です。普段は、茶席の床の間に掛かっている掛軸でありますが、宸翰(しんかん)と呼ばれる天子の直筆であったり、名物、由緒ある掛軸は、正客が席入りをされ、床の間に巻かれたままの掛軸を、亭主が正客がいる前で床の間に掛ける・仕舞う手前(作法)です。いつもは誰もいない準備の時間にする掛軸の掛け方や仕舞い方を招いた正客の前でするものですから、緊張もします。でもその経験があって大切な掛軸を掛けたり、仕舞ったりすることに覚えていくようにも感じます。
※中川個人の感想です。