お寺の掲示板

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宗教は 利用されるものでなく 利用するもの

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から
著書は続けて「世の中には、悩める人を利用する良くない宗教も少なくありませんが、宗教だからといって敬遠せずに、うまく活用していきましょう」とあります。

死を意識すると、人は孤独を感じるようになります。さまざまな別れを伴うわけですから、それは自然のことです。
お墓参りや除夜の鐘、初詣、結婚式など、これまで仏教やキリスト教、神道といった宗教に、少しは関わってきた経験のある人が多いのではないでしょうか。
孤独や不安でいっぱいの最期を迎えるより、そういった宗教の力を借りることで幸せにれるなら、そのような選択もありだと思います。

宗教団体を選ぶときの基準としての一例として
「人の行動を規制しないこと」・「法外なお金を要求しないこと」・「人を騙さないこと」

※主体が私で、客体が宗教としての表現と思いますが、少し違和感を持たれる方もいらっしゃるかもわかりません。人は絶望の真っ只中にいる時、藁にもすがりたいと思います。宗教を利用していると思っている、私の「考え」が破られていくのが宗教の「み教え」とイメージしているのですが。

お寺の紹介③ 冊子「み法(のり)の苑(その) 妙華寺を楽しもう」

お寺の紹介③ 冊子「み法(のり)の苑(その) 妙華寺を楽しもう」
妙華寺の本堂は、平成16年11月29日に国の有形登録文化財となりました。
当時、日本近世史が専門の早稲田大学文学部教授で久居にご縁があります深谷克己先生に久居の歴史や妙華寺の歴史をまとめた「法苑院妙華寺縁起」と題した冊子を作成してお同行の皆様に配布しました。本堂を見学に来られる方や久居城下案内人の会の皆様にお渡ししていました。

冊子が少なくなり、平成27年に改めて登録文化財の紹介できる冊子を作成しました。今回は、登録文化財の本堂の説明文に (一社)お寺の未来 松﨑香織さんにお力添えをいただき英訳をつけました。
また、久居の歴史や妙華寺の略縁起・行事なども紹介した冊子です。

まだ冊子はありますのでご希望の方は、庫裡(くり)にお申し出ください。

お寺の紹介② お寺の紹介カード(朱印に代えて)

お寺の紹介② お寺の紹介カード(朱印に代えて)
寺社のご朱印がブームです。妙華寺もご朱印ではありませんが、お寺の紹介カードがあります。
これまで時々、ご遠方からお越しいただく方からご朱印を依頼されることがあり、その都度お持ちいただいた朱印帳へお寺の妙華寺にちなんで『重誓偈』の最後の一行「當雨珍妙華」と記していました。住職がお勤めの時や留守の時にお見えになられる場合は、お断りすることでした。その為、お寺の紹介カード(ご朱印帳サイズ)を作成してご朱印の代わりとさせていただいています。

先日、茨城県からお越しの方がご朱印を求められました。上記の説明でお寺の紹介カードをお見せしましたが、やはり朱印帳に記してほしいとのことでした。

お寺の紹介 ①登録有形文化財トレーディングカード

お寺の照会 ①登録有形文化財トレーディングカード

昨年(2018年)4月から配布をさせていただいています。登録有形文化財トレーディングカードは、今年の10月末に100枚を越えました。早くはありませんが、平均すると1ヶ月に5枚以上このトレーディングカードを求めに来られる方がいらっしゃいました。三重県・愛知県・奈良県の近隣の方もいらっしゃいますが、遠くは、新潟県や長野県、兵庫県からもいらっしゃいます。旅行やドライブの合間に立ち寄っていただくようです。このトレーディングカードをどこで知ったかとお聞きすると三重県の登録文化財のHPや時折紹介されます地元の新聞記事などのようです。また、全国のダムカードが有名でその収集と同じように収集されているとのこともお聞きします。

登録有形文化財トレーディングカードについては、平成30年(2018年)4月1日のHPに記載しました。
一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値をご認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも数に限りはありますが作成していただきました。
是非、現地にお越しいただき実物を見て、庫裡(くり)にて「トレーディングカードありますか」(なくなり次第終了)とお声かけください。また、三重県内の登録有形文化財にも足をお運びいただきトレーディングカードを集めてみてはいかがですか。

11月18日(月)13:30から秋の朗読会

4月に「春の朗読会」を開催されました「あめんぼう朗読会」さん主催の「秋の朗読会」が11月18日(月)13:30からお寺(妙華寺)の妙華寺会館(山門から入って左の建物)で開催されます。入場無料でどなたでもご参加できます。

お問合せは、妙華寺のHPからか、電話 059-255-2846 へ
妙華寺から主催者の「あめんぼう朗読会」様にお伝えします。

※「春の朗読会」も盛況でした。今回は何の朗読会になるのか楽しみです。

【写真は、春の朗読会の案内】

お寺の一日(11月)

お寺の一日

11月は、これまでの住職は来年の繰り出し(年回表)を筆で巻紙に書き始めるのですが、字が大変汚い私(住職)にはそのことが苦痛でワープロを使い繰り出しを作成しています。ワープロの字が小さいとお同行の方から指摘され次の年から少し大きな字体に変更しました。12月の報恩講の式文の稽古や報恩講の案内とその準備、特に境内の銀杏の葉が11月末頃から落ちだす時は暗くなっても境内の掃除をしています。

10月の聞法

10月の聞法
8日に、羽田信生師の「米国で真宗を学ぶ」~私が米国で体験した困難なことがらと米国人の真宗理解~の講演を聞くことができました。
私(住職)は英語も理解できない人間ですが、異国で多くの日本人か仏教を伝えようとされていることは知っています。羽田先生もそのお一人で現在も米国に在住して米国人に仏教(真宗)の教えを伝えられています。前半は、ご自身が仏教に出遇うことになったきっかけから米国に赴かれたこと。米国での生活の中で日本人と米国人ではバックボーンが違うことから、故郷とか家についての感覚や人間の見方などの相違点。英語を学ぶにあたっての難しさ特に英文を書くことは大変難しいことををお話されました。後半では、真宗のみ教えの「3願転入」から、米国人の真宗理解をお話されました。西洋思想にもある、理性的、合理的、倫理的な仏教や二元的、神秘的な仏教は理解されやすく人気がありますが、それらを超えた仏教には中々理解が及ばないようです。このことは米国人だけでなく今の私たち日本人も西洋思想を前提として勉強していますので「3願転入」に至る道をうなづくことは、師を通して聞法なくしては難しい道と思っています。
※中川個人の感想です。

17日は、4ヶ月ぶりに紫雲会に伺うことができました。講師は、本願寺派布教使の花岡靜人師で「恩徳讃を仰いで」の講題でお話いただきました。「恩徳讃」は身近な和讃で紫雲会の最後にも参加者全員で唱和しています。親鸞聖人が「恩徳讃」でどのようなお心を表現されようとしたのか改めてお話いただきながら私(住職)も考えていました。「如来」と「仏」のこと、「恩徳」の言葉の意味、「報謝」の生き方とは。「疑」についてや「粉骨砕身」の由来や和讃の背景など詳しくお聞かせいただきました。
個人的には、「平等」と「公平」についても興味深く聞きました。講義のようで法話のようなどっちつかずでなく、どちらとしても、私に迫ってくる貴重な時間でした。
※中川個人の感想です。

23日に毎年2回公開講座を開催しています、仏教教育研究センター公開講座の1つに妙華寺衆徒が『「お寺」を開く時代へ』と題してお話するご縁をいただきました。
また、妙華寺の衆徒の話を聴きたいとお同行様も一身田まで駆けつけていただき感謝申し上げます。
仏教教育研究センター公開講座のチラシには、【講師中川結幾から】
近年、様々な分野においてお寺の役割が再発見されつつあります。一方で、お坊さんが世間からの期待に十分応えることができているかというと、まだ検討されるべき余地が残されているように感じます。本講座では、私自身が経験してきた児童館での子どもを中心とした「地域づくり」や「子育て支援」、自死相談活動での「心の居場所づくり」などを通して、開くとはどういうことなのかについて皆様と一緒に考えてみたいと思います。
とあり、衆徒のこれまでの経験の中で、「お寺を開くこと」に関する衆徒自身の思いを共有する時間でした。
お寺の存在価値はどこにあるのか。そして、お寺の何を開くのか。考える中身は深くて様々ですので限られた時間で結論に至る問題ではありませんが、お寺について改めて考える時間となりました。私が思う「みんな」と言う概念の外側にいる「人々」(私が想定できない人々)に思いを馳せていかなければ「開く」ことの意義はないのだろうと言うことはとても新鮮でした。今回のようなテーマは、講師の話を聴くだけでなくWSのスタイルで色んな方の意見も聞くことができれば面白いのではないかと思いました。
私(住職)の知らない衆徒の一面を知ることにもなりましたし、お寺への思いを知ることにもなり親バカかも分かりませんが聴講して良かったと思います。
※中川個人の感想です。

死後事務委任って?

弔い委任講座
大阪で先駆的な寺院活動を行っている大蓮寺・應典院が会場で、「お寺のための弔い委任講座」が開催されました。「弔(とむら)い委任」とあまり耳慣れない言葉ですが「死後事務委任」のことです。「死後事務委任」の言葉もあまり耳慣れないですね。お寺では、お同行の方から「私が亡くなった時、後のこと全部お願いします」などの言葉をいただくことがあります。この言葉に込められている、お同行様の思いとお寺の住職である私の思いの中で、重なる部分とどちらかが気がつかない思い、そして共に気づいていない思いが存在しますし、私たちの思いは時間と共に変化します。


また、私に何かあった時の緊急連絡先を思い浮かべてみてください。2人以上の連絡先があればよいけれど、1人だけであったり、思い浮かぶ人がいない場合どうすればよいのか。そこにお寺が連絡先として思い浮かべていただくことができるような関係を結ぶことができないか。特に、これまでの家制度が中心のお寺とお同行様の関係では語られてこなかった単身者や後継者がいない方の死後のこと、お寺の関わりでいえば、葬儀、納骨、その後の供養以外にも多くの事務手続を誰がするのか特に身柄引受は切実な問題のようです。お一人で生活されていらっしゃる方は死後のことだけでなく、生前の生活の中でも多岐にわたり切実な問題があります。
これまでお寺の住職は、葬儀などの仏事だけ行っているだけでよかったのかもわかりませんが、これからの時代のお寺の住職には仏事以外にもできることがあるのではという観点から「死後事務委任」の制度にお寺が関わることができる部分を考えさせられました。
死後事務委任には専門的な知識が必修ですが、僧侶に備わっていない知識は、専門家の士業の方々とパートナーを組みながらワンストップのパッケージの提案でした。
参加された寺院の方々では、お一人で生活されていらっしゃる方へ「死後事務委任」を既に独自に取り組まれているお寺もあり、お話を聞くだけでも興味深い講座でした。会場の大蓮寺・應典院住職の秋田光彦住職のお寺の取り組みを30分ほどお聞かせいただく時間もあり有難いセミナーでした。「死後事務委任」についてのお寺の取り組みにはそれぞれの寺院の形がありますので一律ではありません。それでも志を一つにして、それぞれのお寺での取り組みや工夫を共有できる組織があれば、大いに賛同したいと思います。

妙華寺でも令和2年は、行政書士法人 中村事務所様のご協力をいただき3回にわたり
終活カフェを開催予定しています。日頃、相続や遺言・介護保険について不明な
ことがございましたら、お茶を飲みながらお気軽にお尋ねください。どなたでも参加できます。
令和2年(2020年)
03月20日(祝日・金)春彼岸会 法話終了後から17時終了予定
終活カフェ 行政書士さんに聞く① 「相続を争続にしないために」

09月22日(祝日・火)秋彼岸会法話終了後から17時終了予定
終活カフェ 行政書士さんに聞く② 「遺言・後見・死後事務について」

10月24日(土)秋千部会法話終了後から17時終了予定
終活カフェ 行政書士さんに聞く③ 「介護保険の活用方法」

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私は死ぬために生きているのですか?

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
がんの再発などでホスピス(終末期医療を行う施設)に移り、同じ病気の人の死を知る時、医師に訴えた言葉の一つです。家族や友人愛する人がこのような状態の時、私たちはどう寄り添えばよいのか。そして私自身が死の床にある時、その現実をどのように受け取ればよいのか。死く人たちの「生きることの意味」「生きることの物語」の問いかけに僧侶も十分答えることができているでしょうか。

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何のために 何を求めて
傷つきつかれ 年老いて死ぬのか

「何のために」 作詞 北山 修

世の中には、自分で気がつかない葛藤に縛られて、強迫的な窮屈な生き方をしている人は少なくないようです。そのために自分が本来もっているはずの可能性を発揮できないでいます。そこから自分でもっと自由に、自分らしく生きてゆけるようになる地点まで連れてゆくのが精神分析です。たとえ厳しくても、自分のおかれている現実を、そのまま現実として直視することができるようになると、その人なりに何か、自分にできる現実に即した適応的な豊かな生き方を模索することになるものでしょう。といっても、結局、人は死の前には無力です。これは動かしがたい現実です。しかし生きているかぎり、今ここに生きているからこそできることや、味わえる楽しみや喜びを味わうしかありません。そこで何を、どうするといいのか、そこに「君たちはいかに生きるか」という今日的な課題も出てきます。精神分析は自分なりの幸福論を探して、自分なりの生き方を求めてゆくための心の自由を援助するものです。
『良い加減に生きる』歌いながら考える深層心理 きたやまおさむ・前田重治(共著)

自分の中で「何のために」と問うことは大切な決断をするときに起きてくる。
自分の進路で悩んでいる時、何かを天秤にかける時、大義名分がほしくなる。
「生きる」ことだけでなく「生死」は「何のため」と問うていくと どうだろう。