また、夏の「古本勧進」も受け付けています。ご家庭で不要になりました本がありましたらお寺にお持ちください。一人親家庭の支援団体様に寄付をします。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。
三重同宗連の前期研修会が、高田本山の宗務院で行われました。
今回の研修は、『自死問題を通して「いのち」に向き合う』~消えたい気持ち~様々な生死観から見えて来ること と言う講題で、ご講師は、根本紹徹師(臨済宗妙心寺派大禅寺住職)で、およそ90分のお話しをいただきました。以前から自死念慮者への相談や自死遺族へのサポートを、ネットやSNSを利用した新しいスタイルの活動を精力的にされています。フジテレビでご講師先生の1年をドキュメンタリーとして取材されたこともあるそうです。配布された資料には、これまでの取り組みからの、若者の相談から見える感想やコミュニケーションスタイルの変化、自死防止活動が何故広がらないのか、僧侶だからこそ出来ること、自死遺族から僧侶への不信など多岐にわたり書かれていましたが、講演はワークやシェアの時間があり実践的な試みでした。講師先生のお寺には海外のマスコミからも取材が来られるそうです。そこで感じることは、死者への思いの違いだそうです。お寺の位牌堂を海外の方が見るとどうして亡くなられた方の位牌があるか驚かれるそうです。日本人としてあたりまえである、亡くなられた方への枕勤めや通夜・葬儀、中陰、年忌やお彼岸やお盆は、死者を死者として見ているのでなく私の中で大切に生きてくださっている方と出会える場であるようです。海外でも葬儀はありますが、死者とどのように向き合っているのでしょうか。
以前にもグリーフケアの講演の中で、これまであった日本の行事の中でグリーフケアとして通夜・葬儀・中陰・年忌やお彼岸・お盆が機能していたのが現在は形骸化してしまったので、もっと宗教者がしっかりしなさいと叱咤激励されたことも思い起こしました。
青巖寺 前住職7回忌並びに前々坊守50回忌
小山の青巖寺の前住職の7回忌並びに前々坊守50回忌に、親戚寺院の1人としてお勤めさせていただきました。
ちょうど同じ年の5月に妙華寺の前住職が往生し、一月後過ぎの6月の終わりに青巖寺のご住職様がご往生されました。私はご往生された前年の11月に三河の親戚寺院の親鸞聖人750回御遠忌にご一緒させていただき、行き帰りの時間にお話しができたことと、その年の末に、私の父への見舞いに来ていただいた時、改修前の本堂でどのように改修するかお話ししたことが忘れられません。それまでも私が兼業からお寺のお勤めだけになった時から従兄弟の子ども(私の祖母が青巖寺から妙華寺に来られたので、青巖寺の前住職と母は従兄弟でした。)として気にかけてくださっていたことも有難いことでした。
法会の後、ご住職が挨拶で「前住職がご往生されて6年の間に大きな行事がありましたが、前住職が願われていたことが残されていて、それをできるようにお同行様と共にさせていただいたことや、これまでの歴代住職の記録を元に、行事を作り上げることができたことに感謝します」と述べられました。本当にお寺の相続は歴代のご住職やお同行の先達が一生懸命お寺をより良いお寺にという思いが詰まっているものと感じました。私が、今住職としてお預かりしている妙華寺も、お寺に思いを寄せていただいている多くの先達の思いを、次の世代へつなぐリリーフ(中継)としてより良いお寺を目指したいと思います。
小高い場所に位置する青巖寺の山門から外を見渡す景色は広々としていつまでも見入っていたい気持ちになります。
今日(6月23日)津市の彰見寺のご住職の葬儀が執り行われ、お焼香をさせていただきました。5月8日にご往生されたことを後日知りました。ご往生された時は彰見寺の本堂の耐震工事中(6月21日に工事が終了)でしたので、密葬を済まされ本葬を今日にされたようです。
小妻道生先生は、私が中学に入学して3年間の仏教の担任のお一人でした。何も分かっていない私に「仏教」・「親鸞聖人のみ教え」を教えていただいた先生です。その後も先生は高田の教学の第一人者として、派内の勉強会や講演でお話しをお聞かせいただいてお育てをいただいていました。後住様の葬儀の後のご挨拶にもありましたが、和(やわら)かなお顔で愛(やさ)しくお話しされるお姿は、「和顔愛語」そのものでした。彰見寺様の寺院活動は私共のお寺ではとてもできないような多くの活動を長年されています。ご住職様や坊守様、寺族だけでなくお同行様と一丸となってお寺をもり立てていく姿は、寺徳のようなものを感じます。彰見寺様の組内に親戚寺院がありますので、そちらの法会でお会いしましたのが最後でした。