10月の聞法

10月の聞法
8日に、羽田信生師の「米国で真宗を学ぶ」~私が米国で体験した困難なことがらと米国人の真宗理解~の講演を聞くことができました。
私(住職)は英語も理解できない人間ですが、異国で多くの日本人か仏教を伝えようとされていることは知っています。羽田先生もそのお一人で現在も米国に在住して米国人に仏教(真宗)の教えを伝えられています。前半は、ご自身が仏教に出遇うことになったきっかけから米国に赴かれたこと。米国での生活の中で日本人と米国人ではバックボーンが違うことから、故郷とか家についての感覚や人間の見方などの相違点。英語を学ぶにあたっての難しさ特に英文を書くことは大変難しいことををお話されました。後半では、真宗のみ教えの「3願転入」から、米国人の真宗理解をお話されました。西洋思想にもある、理性的、合理的、倫理的な仏教や二元的、神秘的な仏教は理解されやすく人気がありますが、それらを超えた仏教には中々理解が及ばないようです。このことは米国人だけでなく今の私たち日本人も西洋思想を前提として勉強していますので「3願転入」に至る道をうなづくことは、師を通して聞法なくしては難しい道と思っています。
※中川個人の感想です。

17日は、4ヶ月ぶりに紫雲会に伺うことができました。講師は、本願寺派布教使の花岡靜人師で「恩徳讃を仰いで」の講題でお話いただきました。「恩徳讃」は身近な和讃で紫雲会の最後にも参加者全員で唱和しています。親鸞聖人が「恩徳讃」でどのようなお心を表現されようとしたのか改めてお話いただきながら私(住職)も考えていました。「如来」と「仏」のこと、「恩徳」の言葉の意味、「報謝」の生き方とは。「疑」についてや「粉骨砕身」の由来や和讃の背景など詳しくお聞かせいただきました。
個人的には、「平等」と「公平」についても興味深く聞きました。講義のようで法話のようなどっちつかずでなく、どちらとしても、私に迫ってくる貴重な時間でした。
※中川個人の感想です。

23日に毎年2回公開講座を開催しています、仏教教育研究センター公開講座の1つに妙華寺衆徒が『「お寺」を開く時代へ』と題してお話するご縁をいただきました。
また、妙華寺の衆徒の話を聴きたいとお同行様も一身田まで駆けつけていただき感謝申し上げます。
仏教教育研究センター公開講座のチラシには、【講師中川結幾から】
近年、様々な分野においてお寺の役割が再発見されつつあります。一方で、お坊さんが世間からの期待に十分応えることができているかというと、まだ検討されるべき余地が残されているように感じます。本講座では、私自身が経験してきた児童館での子どもを中心とした「地域づくり」や「子育て支援」、自死相談活動での「心の居場所づくり」などを通して、開くとはどういうことなのかについて皆様と一緒に考えてみたいと思います。
とあり、衆徒のこれまでの経験の中で、「お寺を開くこと」に関する衆徒自身の思いを共有する時間でした。
お寺の存在価値はどこにあるのか。そして、お寺の何を開くのか。考える中身は深くて様々ですので限られた時間で結論に至る問題ではありませんが、お寺について改めて考える時間となりました。私が思う「みんな」と言う概念の外側にいる「人々」(私が想定できない人々)に思いを馳せていかなければ「開く」ことの意義はないのだろうと言うことはとても新鮮でした。今回のようなテーマは、講師の話を聴くだけでなくWSのスタイルで色んな方の意見も聞くことができれば面白いのではないかと思いました。
私(住職)の知らない衆徒の一面を知ることにもなりましたし、お寺への思いを知ることにもなり親バカかも分かりませんが聴講して良かったと思います。
※中川個人の感想です。