生活の中の仏教のことば 2016年7月29日 Processed with MOLDIV 高田山専修寺(たかださんせんじゅじ) 修身、修養、修学など「修」は「しゅう」と読むのが一般的なので、「せんしゅうじ」と読む人が多くいます。 しかし、私たちの本山は「専修念仏(せんじゅねんぶつ)(お念仏ひとすじのみ教え)」から付けれてた寺号ですので「じゅ」と読みます。 「たかださん せんじゅじ」と正しく読むようにしましょう。
生活の中の仏教のことば 2016年7月15日 「同行(どうぎょう)」 ふつう同行(どうこう)と読みます。同行する、同行者などと道連れの意味で使います。 真宗では、○○寺の同行(どうぎょう)といいます。同じ教えをきき、同じ念仏を申す仲間のことです。 Processed with MOLDIV
生活の中の仏教のことば 2016年6月28日 「生死(しょうじ)」 ふつうは生死(せいし)と読みます。生きているか死んでいるか。生死の境をさまよう、生死不明などと使います。 和讃では、「生死(しょうじ)の苦海ほとりなし」とおつとめします。つまり生死というと、単なる生と死ではなく、私自身が今生きているこの娑婆・迷いの世界そのものを言い表す言葉となります。 生死(しょうじ)界は苦海です。 Processed with MOLDIV
生活の中の仏教のことば 2016年6月15日 「祈願(きがん)」 神・仏に『どうぞたのみます』と心を込めてお願いする行為が祈願です。初詣はその代表的な習俗といえましょう。 しかし、親鸞聖人は、この祈願を「わたしたちの願いは、自分勝手なことばかりであること。仏さまは、そのような私の心をすべてお見通しであることだから」と教えて否定されました。 だから、私たちは必ず救うと約束された仏さまの誓願に「お念仏を申すばかりなり」とうなずいて、お参りするほかありません。 Processed with MOLDIV
生活の中の仏教のことば 2016年5月29日 「縁起(えんぎ)」 「縁起をかつぐ」「縁起が悪い」「だるま・招き猫は縁起物」などといいます。何かをするときのよしあしの判断に、この言葉がつかわれています。 しかし、仏教でいう正しい意味は「縁起とは、すべての因(原因)と因に働きかける縁(条件・きっかけ)によって、生じ変化し滅ぶという永遠の真理」です。だから、目先のできごとについて、自分の勝手な都合にあわせて使うのは間違いです。
生活の中の仏教のことば 2016年5月14日2016年5月27日 「方便(ほうべん)」 世間では「ウソも方便」などと使い『いいのがれや、ごまかしの代名詞』になっています。これは大きな間違いです。 「方便」とは仏教の言葉で「正直を方をいう。己を外にすることを便という」とあります。ほとけが、真宗の教えを私たちにわかるように、平易に説いてくださる心です。
生活の中の仏教のことば 2016年4月29日2016年5月27日 「信心(しんじん)」 信心には二種あります。普通は、神・仏を向こうにおいて、自分の願いごとを一心にたのむことを「信心する」と言っています。 しかし、真宗はこれを自分勝手な願い心だとして嫌います。 真宗の信心はほとけの方(かた)より『必ず救う』と私にかけられたお心に『ハイ』とうなずくことを「信心」と教えられています。
生活の中の仏教のことば 2016年4月15日2016年5月27日 「食堂(じきどう)」 一般には食事をさせる店や各家の台所を食堂(しょくどう)と呼んでいますが、もとは寺院の七堂伽藍(がらん)のひとつでした。僧房なので、「堂」の一字がついており、食事のマナーもきびしいものがあります。今日でも、食前食後に手を合わせ「いただきます」「ごちそうさま」というマナーは生活の基本になっています。 Processed with MOLDIV
生活の中の仏教のことば 2016年3月29日2016年5月27日 「娑婆(しゃば)」 梵語(ぼんご)で忍ぶという意味の音訳。人間界のこと。この世は、悩み苦しむことが多く、それに耐え忍んでいることから、この世を娑婆という。 自由のない刑務所から出ることを娑婆に出るという。忍土(にんど)には違いないが、地獄よりはましだと意味でつかわれている。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA
生活の中の仏教のことば 2016年3月15日2016年5月27日 「往生(おうじょう)」 交通渋滞で「立往生」とか、困ったことに出会って「往生した」といいます。しかし、正しい意味は、この反対で「往(いき)生(いきる)」ですから、行き詰まりから抜け出ることです。だから仏教では、はっきり「ほとけの国に生まれること」を往生というのです。 OLYMPUS DIGITAL CAMERA