おてらおやつクラブ

「おてらおやつクラブ」は、奈良県の浄土宗 安養寺の松島靖朗師が声をあげ、賛同する宗派を超えた寺院が、お寺のお供えとしていただいたお菓子などを一人親家族へおすそ分けする活動です。以前からも各寺院のお供えを、団体や施設などに寄付することは各寺院で行っていますが、お寺のある地域に限られたりしていました。その取り組みをもう一度見つめ直し、今の時代に合わせた取り組みにした活動だと思います。当初は、一人親家族に直接お届けしていましたが、今は支援団体様を通してお届けすることになり、コロナ下に入ってからは、一人親家族へも匿名集荷と言うシステムでお届けできるようになり、賛同寺院も全国で増えつつづけています。

妙華寺も、2015年2月から毎月一回、最初は一人親家族へ、今は支援団体様へお供えをおすそ分けさせていただいていす。
「おてらおやつクラブ」のHPなどでこの活動を知った方からも、お菓子をお寺に寄付していただいたり、お手伝いにきていただいたりしています。

利休忌

利休忌
千利休は、千家流の茶道を修行している者にとっては、祖師です。
裏千家今日庵では毎年、3月28日に、全国の同門が集まり、利休忌として遺徳を偲んでいます。今日庵の利休忌には中々参列することはできませんので、稽古の時に、床に利休像を掛け、三具足を設え、供茶を献じます。
今回、三具足が揃わず、供茶だけ献じました。

お茶の稽古を始めた時は、利休のことをいろいろ調べて学んでいましたが、いつしか目の前の稽古に気をとられて、利休の求めた精神性を省みることが少なくなっている感じです。
長い年月の稽古(修行)では、裏千家淡交会の「ことば」を唱和することがあります。
「私達は茶道の真の相を学び それを実践にうつしてたえず己の心をかえりみて、一盈を手にしては多くの恩愛に感謝をささげ、お互いに人々によって生かされていることを知る茶道のよさをみんなに伝えるよう努力しましょう。一、他人をあなどることなく、いつも思いやりが先に立つように。一、家元は親、同門は兄弟で、共に一体であるから、誰にあっても合掌する心を忘れぬように。一、道を修め、なお励みつつも 初心を忘れぬように一、豊かな心で、人々に交わり、世の中が明るく暮らせるように」
この「ことば」は、茶人としても、生活者としても考えさせられる「ことば」です。
※中川個人の感想です。

お寺の名前

お寺の名前
先日、お同行の方が庫裡(くり)にお見えになられ、「寂陽山(じゃくようざん)」の額を見て、「山号」はどのように付けるのですかとおたずねになられました。
お寺の名前である、山号(さんごう)・院号(いんごう)・寺号(じごう)については、調べたこともなく、先代から聞いた話として、お寺は、修行の場として山の中にあったので、時代が下り街中にあっても「山号」がつけられます。お話させていただきました。

妙華寺の山号・院号・寺号は、江戸時代にこの地(久居)にお寺を建立する時に本山からいただいたものと、もう少し丁寧にお話できればよかったです。
5年後の2030年(令和12年)にお寺の創建350年を迎えることになります。
もう一度、妙華寺のこれまでを振りかえるのによい機会になりそうです。

私(住職)にとっては、当たり前のように思っていたお寺の名前について、今では、簡単にインターネットで調べたことができます。

山号(さんごう)・院号(いんごう)・寺号(じごう)とは山号とは、仏教寺院につける称号のことです。山号の有無は寺院により異なります。山号自体は、その寺院がある場所の山の名称からつける場合や仏教用語からつける場合などがあります。山号は中国から伝わったとされており、同じ名前の寺院が増えてきたことにより山号をつけるようになったそうです。院号とは、皇族や高僧が生活した際の寺に贈られた称号のことです。院号のはじまりは、平安時代の嵯峨天皇が御所を嵯峨院と名付けたところからだと言われております。院は寺の中にある僧侶が生活する場所のことを指し、院号のない寺も多く存在します。寺号とは、寺に縁のある僧侶や開山の名のことです。寺号には、延暦寺や寛永寺など開創された時代の元号を用いることがあります。山号・院号・寺号を合わせて山院寺(さんいんじ)と言い、それぞれがお寺の正式名称となっております。山号や寺号はあるが、院号がない寺院や寺号のみの寺院もあります。」
((https://www.oshiete-oterasan.com/c-issue.html 参照 2025年4月5日))

いのちの積み木

「いのちの積み木」は、自分の「いのち」のこれまでを見える化して、「いのち」のつながりから「感謝の心」を育てるワークショップの活動です。

私の「いのち」について考える視点はいくつもあります。その一つとして私が生まれてくるまでのことを考える=「先祖」について考えることは、以前の日本社会より今の社会では少ないかもわかりません。
家制度で考えると父方の家系にしか目がいきませんが、私の「いのち」を考えると母方の家系も大切な要素です。あなたは、祖父の名前を知っていますか。必ずしも知っている必要はありませんが、俯瞰的な見方で、「いのち」が血脈として続いていることからの気づきがあるかもわかりません。父方・母方をきちんと遡って見えてくるものは何か。そして私の「いのち」をどのように捉えるか、伝えたいことは何か。また、「いのち」のつながりから「感謝」について考えることもあります。
※中川個人の感想です。
「いのちの積み木」のワークショップで使用している「ご先祖さまシート」があります。必要な場合、お申し出ください。

【報告】真宗入門講座

【報告】真宗入門講座
高田本山専修寺の「親鸞伝絵」から親鸞聖人の生涯の紹介です。
今回は、「山伏済度」の段でした。
親鸞聖人が関東に滞在されている時期のエピソードで、これまでその地域で人々に信仰が篤かった「修験道」から、親鸞聖人の「み教え」が広まってきたことに、敵愾心を持った山伏が、板敷山で、待ち伏せするのですが、親鸞聖人と相対することができない状態が続いていました。山伏は、親鸞聖人の住まいを訪れると、その尊顔を拝すると、今まで山伏の中にあった心に後悔の念が生じて、山伏の身なりを捨てて、親鸞聖人の「み教え」に帰依されることになる。部分の紹介でした。

私(住職)は、これまでの信じる「教え」を捨てて、新しい「教え」を信じることになる場面で、親鸞聖人が、法然聖人に出遇われた時のことを思い出しました。
仏教で「回心(えしん)」と言う言葉があります。
私が信じる「み教え」がどのような縁で、信じることになったのか。振りかえる時間をいただきました。
※中川個人の感想です

【回心】えしん ①悪心を改めて仏の教えに帰すること ②自力の心を捨てて本願他力に帰すること 【浄土真宗辞典】

次回は04月16日(水) 13時30分から15時30分 高田会館ホールで「箱根霊告」「熊野霊次」の段の紹介があります。

登録有形文化財の説明文

2004年11月に妙華寺の本堂が国の登録有形文化材に登録されました。
およそ20年の間に、これまでの説明文が汚れて見にくくなっていました。改めて新しくしていただきました。

トレーディングカード

登録有形文化材のトレーディングカード
2004年11月に妙華寺の本堂が国の登録有形文化材に登録されました。
2018年4月に一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に三重県の登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値をご認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも数に限りはありますが作成していただきました。
トレーディングカードができて、7年が経過します。県内外から、多くの方かだにトレーディングカードをお渡しさせていただいています。
ご関心のある方は、お寄りください。


火を熾す(使う)ことができたことは、人類が今の生活を手に入れてきた一つの要因であるでしょう。
私が小さかった昭和30年代前半は、日常生活で、ご飯はかまどで薪を使って焚いていました。煮物や焼物は、練炭コンロを使っていました。お風呂も薪を使って沸かしていました。
居間には、火鉢に鉄瓶がありお湯を絶えず沸かすのに炭が使われていました。暖を取るのも炭でした。その生活から、徐々に、ガスや電気を使う生活になり、今では、薪や炭などは、野外キャンプ場や、専門店でしか使われなくなっています。
その中、茶道では、いまだ炭を使っています。(電熱ヒーターを使用することもあります) 炭を熾して、茶釜でお湯を沸かして、お茶一服差し上げるのですが、差し上げる時が一番お茶に適した温度になるように炭をつぐのが炭手前になります。
火種になる炭から炭をついで、お湯が沸くまでの間、お茶をおいしく召し上がっていただくのに時間がかかりますので、炉の時は、初炭の手前から逆算して、お米を炊き出す時間を決めて、汁を温めたりしなが、一汁三菜の懐石をお出しします。
今の感覚では時間がかかるのを否定的に捉えがちですが、実際経験してみると客様もやるべき役割があって時間を忘れさせてしまいます。
徐々に炭が熾り、炭が灰に変わるまで、炭のつぎ方に決して同じではないこと、人生にも似ているように感じます。
※中川個人の感想です。

無邪気と邪気

無邪気と邪気

19日は、69年前、私(住職)が生まれた日です。でも、生まれた日を果たして、私(住職)の頭の中に記憶があったのかと問われますとわからないが正しいと感じています。
出生届・戸籍の記載された日であっても、生まれてきた時、泣いているだけの小さな「いのち」で何一つ自分でできない状態でした。その「いのち」を大切に思い、育てていただいた方々がいて、今日があるのだと感じています。生まれてきてからも縁によっては、その時に「いのち」が終わっていたことも経験していますが、有難いことに生きています。

最近、ある本を読んでいて、「無邪気」と「邪気」が気になりました。
「邪」が含まれる言葉は、マイナスイメージですが、私(住職)の中にあるものです。
人として、直せることができればいいのですが、皆さんはどう捉えますか。
努力して直すことができる。少しはできる。全て直すことができる。できることとできないことがある。努力してもできない。いろんな思いが交わります。
仏教語の「邪見」を主にして考えていくと、「広い意味で仏教に背くすべての思想のことで、とくに因果の通りを否定する考えを指すことが多い」真宗では、「自力をたのみ、本願を疑う見解を指すこともある」とあります。仏教の浄土の教えから捉えると、私をどのような存在であるかを考えるきっかけになりそうです。

明日20日は、妙華寺の春彼岸会です。13時30分からお勤めが始まり、14時頃から15時頃まで、浄泉寺の戸田栄順師の法話がございます。ご都合がつきましたら、ご参集ください。

 

むじゃき【無邪気】
〘名・ダナ〙性質・気持などが不純でなく、素直なこと。あどけなく、かわいいこと。「―に遊ぶ」「―な子供」
[派生]―さ ⇒純真
岩波 国語辞典 第八版 (C)2019 株式会社岩波書店

じゃき【邪気】
①すなおでない、ねじけた気持・性質。わるぎ。「―のない人」
②人の身に病気を起こすと信じられた悪い気。「―を払う」
岩波 国語辞典 第八版 (C)2019 株式会社岩波書店

じゃあく【邪悪】
〘名ナノ〙心がねじけていて、他に危害をおよぼし人倫に反すること。
[派生]―さ 岩波 国語辞典 第八版 (C)2019 株式会社岩波書店

じゃけん【邪見】
①〔仏〕因果の道理を無視する、間違った考え方。
②間違った見方。
▷かなり古風。
岩波 国語辞典 第八版 (C)2019 株式会社岩波書店

じゃしん【邪心】
悪い心。邪悪な心。「―がない」
⇒心
岩波 国語辞典 第八版 (C)2019 株式会社岩波書店

【案内】真宗入門講座 3月27日13時30分から高田会館ホール

【案内】真宗入門講座
真宗入門講座は、高田本山専修寺に伝わる「親鸞伝絵」から親鸞聖人の生涯の紹介です。
今年で3期目にあたります。

03月27日(水) 13時30分から15時30分 高田会館ホール 
        「山伏済度」の段
04月16日(水) 13時30分から15時30分 高田会館ホール
「箱根霊告」「熊野霊次」の段
05月20日(火) 13時30分から15時30分 高田会館ホール
「聖人入滅」「廟堂創立の段
どなたでも参加できます。関心のある方は、高田本山教学院におたずねください。

※3月27日は、妙華寺の副住職が紹介します。

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