公開シンポジウム 岐路に立つ、これからの「お葬式」

公開シンポジウム 岐路に立つ、これからの「お葬式」
浄土宗総合研究所主催の公開シンポジウムが、オンラインでも視聴することができました。5名のパネリストが、専門の領域から提案があり、最後にディスカッション終了まで4時間のシンポジウムでした。

①「日本社会と葬送の変動」として、近世の日本の葬儀を振り返り、生活者の葬送への意識変化と、これからの葬儀・僧侶への期待を提案されました。
②「寺院へのアンケート調査からみるコロナ禍が葬送に与えた影響」としてコロナ禍の3年間、4回のアンケート調査を通して、葬送儀礼の変化、僧侶と檀家のコミュニケーション不足による不信・不満の要因であったり、葬儀社との友好関係の構築など対応が大切であると提案された。
③「本質から葬送を考える」として、葬祭業者からの視点で、これまでの葬儀の振り返りとこれからの葬儀には、遺族へのグリーフケア・サポートが大切である提案をいただいた。
④「コロナ禍における婚礼の現状と「お葬式」との共通点」として、ウエディングプランナーから婚礼(ブライダル)の現状と葬儀の共通点の提案は私(住職)にはない視点からの提案で勉強になりました。
⑤「葬儀の読経と意味」として、葬儀の読経の声に注目しての提案でした。こちらも私(住職)にない視点でした。確かに葬儀式の時間、「お経」を中心に「声」を発するのは僧侶だけです。僧侶の「声」は同心円に、仏と亡き人と遺族・関係者へ届いてき、誰の為の読経であるのか問い直していくことは大切と感じました。

最後のディスカッションは、予定が入り視聴できませんでしたが、生活者の視点と宗教者からの視点から膨大な資料と共に貴重な学びの時間に会えたことを喜んでいます。

妙華寺の「葬儀」も時代で変化をしてきています。そこには、時代に適したより良い「葬儀」を目指して変わり続けてきた証だと思います。今後も、生活者の視点に立った「葬儀」を大切にしていきたいと思っています。

※中川個人の感想です。

専修寺庭園

専修寺庭園
つ広報令和5年2月16日号の歴史散歩198で紹介されています専修寺庭園は、高田本山専修寺の御影堂・如来堂の北側にある「雲幽(うんゆう)園」と茶席「安楽(あんらく)庵」を「専修寺庭園」として三重県の史跡・名勝に指定されています。

今、改めて紹介するのは、1月27日から公開されています映画「レジェンド&バタフライ」3月17日公開予定の映画「わたしの幸せな結婚」の撮影があった場所として3月17日~19日までロケ地特別無料公開の予定だそうです。詳細は、専修寺HPでご確認ください。

3年前には映画「浅田家」で御影堂や如来堂がロケ地になり、映画の聖地めぐりで多くの観光客が訪れたと聞いていますので、今回も多くの皆さんが訪れると思われます。

マスク

マスク
新型コロナウィルス感染症の拡大防止の対策の1つのマスク着用が来月13日から個人の判断に委ねられるようです。
3年前の2月から6月頃までマスクが店頭からなくなり、慌てた時期がありました。
家で以前買ってあったマスクを探して使用していました。少しずつマスクも店頭で購入することができ、今では、マスク着用が、人前でのマナーのような感覚でいます。
これまでもマスク着用についていろいろな意見があり、議論はされていたと思いますが、同調圧力が強い日本では、私(住職)も皆に合わせてマスクを着用しています。

これから、お寺として、マスク着用をどうするか悩むところです。コロナ以前の状況に戻りたいと希望はありますが、感染リスクが高いとされます、基礎疾患のある方や高齢者の方のことを考えますと、直ぐにマスクをしない(外す)ことは、実際は難しく感じます。

また、お寺の行事の「集い場」で、個人の判断を尊重しながら、自分と異なる判断する人々を、その場にいる全員がどのように容認していくことができるか考えてもこれだと思える判断はできそうもありません。

これまでのように、換気を考え、アルコール消毒・体温測定にご協力いただきながら、安全・安心の場を提供し、皆様の判断に委ねてみようと考えています。

仏壇・位牌・墓石のお尋ね

新しく入檀された方からのお尋ねがありました。
①仏壇を求めましたが開眼勤めが必要ですか
②仏具は必要でしょうか
③位牌はどのように用意したらよいですか
④お墓はどこに依頼すればよろしいですか

①今風のコンパクトな仏壇をお求めになられたそうです。
まだ拝見していませんので正しい返答かわかりませんが、開眼のお勤めは、仏壇に安置されます「阿弥陀如来」または「名号」にお勤めさせていただいています。新しくこの家で、手を合わせる場所で毎日お給仕させていただくことをうれしく思いながらお勤めさせていただきます。
遠方の場合、仏壇に安置されます「阿弥陀如来像」または「名号」をお寺にお持ちいただき本堂でお勤めさせていただくこともあります。

②仏壇の仏具もいろいろありますのでなんとも言えませんが、よろしければ仏様を荘厳する「燭台」「花瓶」「香炉」は用意していただければと思います。
他にも、仏様への「仏飯器」やお勤めをする時に使用する「リン」であったり、お供えに使う「三宝」、お勤めの本を置く「前卓」など必要に応じて用意されましたらと思います。
ただし、コンパクトな仏壇ですとスペースの問題も考えて用意されますようにお願いします。

③位牌は、お寺への位牌は必要ありません。位牌も種類複数がありますので、仏壇店で十分話し合うことで、ご自宅の仏壇に見合う位牌をお決めいただことになります。

④墓石について、お寺の指定石材店はございません。知り合いの石材店があればそちらに見積もりを依頼されることも可能です。また、お寺の近くの石材店の紹介はしています。複数の石材店で見積もりをとり、ご納得のできる墓石をお造りになられたら良いと思います。

Processed with MOLDIV

佛涅槃図

佛涅槃図の見所
お釈迦様が亡くなられたのが2月15日。妙華寺では今日から3月15日まで、本堂西余間(むかって左側)に涅槃図をお掛けします。
この佛涅槃図は、親鸞聖人750回御遠忌の記念として高田本山より京都別院の佛涅槃図の複製が配布されましたものです。平成24年よりお掛けしています。
京都別院の佛涅槃図は、室町時代の兆殿司筆で、大きさは、縦151.2cm 横128.7cmです。

今回は佛涅槃図の見所の一部をご紹介いたします。
①お釈迦様の右手の表現
(1)両手を体につけて仰臥か右脇臥
(2)右手を顔前におき右脇臥
(3)右手枕で右脇臥
古代インドで(1)の両手体側・仰臥は「死者の臥法」(3)の右手枕・右脇臥は「獅子の臥法」と呼ばれ大般涅槃を成就した聖者の表現とされている。

日本で唯一 珍しい涅槃図 お釈迦様の右手の表現で上記の3点に納まらない作品がある。「大和法隆寺現身往生宝塔北正面涅槃像」と刻入されている木版涅槃図。
右脇を下に横臥されたお釈迦様は右手をまっすぐ前下方に差し出され、宝床下で一人物がその手に触れている。

②お釈迦様の枕
(1)手枕のみ
(2)枕をして手枕 『長阿含経』に「大衣を畳んで・・・」とありこれが枕に変わって表現 ガンダーラ出土の石彫の涅槃図などにもある。鈴鹿市の龍光寺の涅槃図もこの構図
(3)枕が蓮華台 右手が枕でない構図が多い。東福寺本、平安時代後期の金剛峯寺本の涅槃図の構図
例外として鎌倉時代後期の愛知・妙興寺本、京都大徳寺本は、右手はお顔の前にあり、枕は蓮華台でなく袈裟を畳んだものを枕とされている。

③宝床の向き
(1)宝床の右側を描く
(2)宝床の左側を描く
平安時代から見られる宝床の右側面を描く形式が古様な表現で鎌倉時代に入り、お釈迦様が右手枕をし宝床の左側面が描かれるものが現れこの形式が定着していく。

※涅槃図の見所は『涅槃図物語』竹林史博著 大法輪閣より抜粋しました。

 

【案内】親鸞展

【案内】親鸞展
祖師親鸞聖人に関する大きな行事がある時、展覧会が開催され、新たな知見をいただくことがあります。令和5年は、親鸞聖人御誕生850年の法会が真宗教団の各本山であり、真宗教団連合の協力で「親鸞展」が京都国立博物館で開催されます。
前回の大きな「親鸞展」は、2011年の親鸞聖人750回御遠忌の時、京都市美術館で「親鸞展」が開催されていました。同時期に法然聖人800回御遠忌で京都国立博物館で「法然展」が開催されていました。10月には、東京国立博物館で「法然と親鸞展」が開催されていました。

今年は、京都国立博物館で3月25日から5月21日まで『親鸞 生涯と名宝』展が予定されています。今回の見所は、親鸞聖人の著書の『顕浄土真実教行証文類』の板東本・西本願寺本・高田本が一同に拝見できることです。また、名号や門弟との自筆の消息(手紙)12通も出展されるようです。

他にも、三重県総合博物館で4月22日から6月18日に「親鸞と高田本山 専修寺国宝からひろがる世界」展が予定されています。こちらは高田に伝わる法宝物を拝観できます。

高田本山の新宝物館で5月21日から6月18日に「知られざる専修寺の至宝」展も予定されています。
多くの法宝物に出合える機会はなかなかありませんのでとても楽しみにしています。

文化時報創刊100周年記念報道写真展

文化時報創刊100周年記念報道写真展
宗教専門紙の創刊100周年の報道写真展に伺いました。100年前というと大正12年 関東大震災のあった年です。一つのメディアを通して宗教界のこれまでを振り返ることは意義があることだと思います。また、写真についても不勉強ですが報道写真が伝える熱量を感じられるか確かめたかったです。

文化時報社の代表の挨拶では、本願寺派の僧侶が刊行されたようで、当初から宗教界全体の情報を発信していたようです。また当初は、週刊紙で始まり、隔日紙になり日刊紙に発行形態が変化していったようです。社会に、宗教界の情報のニーズがあったからだといえます。
また、関東大震災や昭和の初めの室戸台風の被災地での宗教者の活動も新聞記事から読み取れます。阪神大震災や東日本大震災の宗教者の被災地での活動も、以前からの宗教者の社会への取り組みが続いているのがわかりました。もう少し視野を広げると仏教が日本に伝来した時からの宗教者(僧侶)の社会への活動は続いているのだと思います。
記念として大正13年発行の複製した新聞紙を1部いただきました。明治時代の教科書のような「カタカナ」の記事と思っていましたが「ひらがな」での記事で私(住職)にも読めます。

報道写真はテーマごとに展示してあり、キャプションもあり伝えたいことがわかります。見ている私(住職)の感性がどのようなものかも問われているようでした。

6日は、「宗教と社会活動を考える」をテーマに、東日本大震災の時から始まった「カフェデモンク」の活動のこれまでを金田諦應師がお話されました。

社会とつながる宗教者の活動は広範囲にわたりますが、できることを続けることが大切であり、生活者はそれに期待していると改めて感じています。

焼香

焼香
「焼香」と聞くと何を思い浮かべますか。
一般的には、仏式の葬儀式でお別れする時の作法を思います。葬儀の時の「焼香」は、「導師焼香」のアナウンスの後、僧侶が「焼香」し、その後、喪主の方から「焼香」が続いていきます。葬儀以外でも年忌法要で僧侶がお勤めしている時に、本(尊)前で「焼香」する時は、亡くなられた方のことを偲びながらの作法とも感じます。

岩波の国語辞典では、【焼香】「香をたくこと。特に、仏前・霊前で香をたいて拝むこと」とあるので、仏式のお参りの作法として「焼香(香をたく)」されているのでしょう。

僧侶である私は、「焼香」と聞くと、仏様を荘厳する作法として本堂やお仏壇でお勤めする最初に「香」を薫じて合掌礼拝をして、お勤めを始めます。

これは、『浄土真宗辞典』に「香を焚いて荘厳すること。『無量寿経』には「華を散じ香を焼きて、これをもって回向して(散華焼香以此回向)」と説かれている。恭敬礼拝の意味で行う」とあるように仏様への恭敬礼拝の作法として、献華・献灯の後の献香の意味の「焼香」ではないでしょうか。

私(住職)は香に満たされた空間は、心地よいと感じますが、香りに敏感な方の中にはその人に合わない香りの場合もありますので、これからは無香性の香も考えなければいけないかもわかりませんね。

科学から見た宗教

科学から見た宗教
『科学的とはどういう意味か』森博嗣著 幻冬舎新書
科学が苦手な私(住職)は、「科学的」と示されると、何も考えずそのまま信じてしまうのですが、本では「言葉(数字も含む)」の大切さや「感情」の捉え方、「生活」への心構えなど、「科学的」の意味は、生活の中の情報をもう少し自分で考えることが大切なんだと感じました。
「科学的」な見方とは、「科学」は「方法」であり「他者により再現できる」ことを条件として組み上げていくシステム。個人ではなく、みんなで築いていく方法が科学としています。
その観点からは、宗教は非科学であると思います。「あとがき」に述べられているように、信じる信じないは個々の自由に委ねられているので、布教(宗教・非科学)活動は、本当に正しいもの(あるいは魅力あるもの)であれば、自然に信者は集まる。尋ねてきた人には親切に教える、あるいは書物やウェブサイトで公開し、興味がある人には読めるようにする。といったレベルを超えてはいけない。勢力を拡大する活動として外部の一般の人を巻き込む行為や人の家にまで無闇に訪ねる宗教活動は逆に「信じられない」ものと宣伝しているものと考えていくべきかも知れない。
宗教が科学と違うのは、「他者により再現できる」ものでは無いからだが、それは教えが個人が救われる前提であるからだろう。魅力ある教えには自然にひかれる人は集まるだろうし、集団も生まれる。その教えを他者にも伝えたいと思うこともごく自然ではないだろうか。ただ教えを他者に伝えたい部分に他の目的が生じてしまうと宗教ではなくなってしまう。これまでもこれからもその点はよくよく慎重にならなければいけないと考えています。
※中川個人の感想です。

相導師寺院の前住職3回忌

相導師寺院の前住職3回忌
コロナ下でご往生され、昨年の一周忌は案内をいただいていましたが、予定日の一週間前に三重県にまん延防止等重点措置が適用され、感染者も増加していました。これらのことから、一周忌は内々(住職・寺族)でお勤めされることになり、私(住職)は、自坊でお勤めをさせていただいていました。
今年の3回忌は、組内の法中様と一緒に焼香・お勤めさせていただくことができました。
前住職様のご絵像が余間に掛けられ焼香をさせていただきました。そのご絵像は生前のお顔が懐かしく描かれていて、あたたかく見守ってくださっているよう感じました。本当に月日が流れるのは早く、ご住職さんが、お勤めの後「一周忌・3回忌は悲しみを和らげるお勤めで、7回忌からは悲しみを忘れないようにお勤めを・・・」と述べられたこと実感しました。

年忌法要は、悲しみだけではなく、悲しみを通して多くの気づきをいただきます。