2017(平成29年)のアーカイブ

2017(平成29年)のアーカイブ

① 本堂の空調設備の新設と境内墓地通路整備
本堂の空調設備は、1月29日のお世話方会の時に、室内設備と室外機の設置が完了しました。2月20日に中部電力の電線に接続し、保安協会の方にも確認していただき使用できるようになりました。7月8月のお盆の時期に初めて使用しました。例年より涼しくお勤めをすることができました。また11月中旬から灯油ストーブと併用して使用しています。
境内墓地の通路整備は、今年1月25日から墓地の奥にあたる北西側から通路ごとに順次舗装板(排水使用)を整備していました。工区を4つに分けて、11月11日に最後の4区画の通路全て整備できました。12月に入り新しく墓地通路の位置を示す札を作成しました。

およそ1年間境内墓地の通路整備の工事の期間中は、大変ご迷惑をおかけしました。これまで砂利道でご不便をお掛けしていましたが、これからは、押し車や杖をお使いいただいていますお同行様にも少し歩きやすくなると思います。
お同行の皆様にはご協力いただきありがとうございました。

② 自死のついての学びの場【僧侶・寺族対象の行事】の開催
僧侶としてまた、お寺の寺族としてお同行の皆様とお会いする時に、自死でお亡くなりなった場面に出合うことがあります。そのような場合、私(住職)はどのように寄り添うべきか悩んだり、戸惑ったりしたことがあります。
自死についての学びの場も、私(住職)のアンテナの感度が悪いのか中々見つけることもできずにいました。今回、京都自死・自殺相談センター様に出前研修という事業があることを知り、妙華寺にて研修をお願いしました。

自死のついての学びの場【僧侶・寺族対象の行事】の報告
2月10日、雪が心配でしたが、高田派・曹洞宗・天台真盛宗のお寺の僧侶・寺族の方13名と行政機関の方5名の方々にお集まりいただきSottoの出前研修を開催させていただきました。
講師は、京都自死・自殺相談センター様から金子様・小坂様にお越しいただき、「自死の苦悩を抱えた方に何ができるのか」をテーマとして、Sottoの活動から「死にたい気持ち」を相談することはとっても勇気のいることで、その時に相談者の心をシャットアウトしてしまうと関係性が閉じてしまうこと。相談者の「死にたい気持ち」の原因を取り除くことができても、その方に安心できる関係性を持っている方がいなかったら本当の問題解決にはならないこと。相談者の「死にたい気持ち」に私が本当に向き合っているのか、相談者の苦悩を(相談者と同じ苦悩経験していなくても)想像することの大切さや相談者と私の関係性の大切さを話され、改めて気づくことができました。
ワークショップでは、二人一組で愚痴を聴くことを体験し、モデルケースで相談者と面談者の会話を観察者の立場で聴くことを学びました。質問もあり終了時間が延びて受講されました皆様にご迷惑をおかけしました。
行政機関から参加されました、三重県こころの健康センター様から、三重県にも自殺予防・自死遺族電話相談を毎週月曜日、自死遺族の集い(わかち合いの会)の場も奇数月に一度あることも案内されました。
改めて、自死の苦悩を抱えた方に何ができるか考えることになりました。
※中川個人の感想です。

※その後、三重県こころの健康センター様主催の研修の案内をいただくことになり、参加させていただく機会ができました。

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③ 高田本山の清掃奉仕
前回から3年ぶりの本山清掃を10月10日に、住職、坊守含めて15名で奉仕させていただきました。10月に入り過ごしやすい気候になりましたが、妙華寺の本山清掃の10日は夏日になり暑い日になりました。
朝、9時に高田本山の内仏殿と呼ばれていますお対面所で宗務院の職員の皆様と共にお勤めをして、今回は、高田本山の裏側(北側)に位置する緑の苔に覆われた安楽庵の庭(三重県の史跡雲幽園)の清掃奉仕でした。休憩を挟んで落ち葉の掃き掃除をしました。清掃奉仕の後、「賜晴館」(ししゅんかん)と呼ばれる明治天皇の行在所を拝見する時間をいただきました。現在「賜春館」は、高田派僧侶の得度式、住職拝命式の時、御法主殿から辞令をいただく場です。
その後、高田会館でお昼をいただき、お寺に帰りました。
今回の本山清掃のご奉仕に参加されました皆様、ありがとうございました。

※これまでは、お世話方様、婦人会幹部の皆様だけにお願いしていましたが、ご高齢の問題もあり今回は、有志の方にお声がけしました。今後もお寺の行事にご参加いただける中でご奉仕をお願いすることもあると思いますが、ご協力をよろしくお願い申し上げます。

④ 境内西側の福祉車両用駐車場の新設
境内西側にお住まいされていました方がお亡くなりになり、9月に家屋を撤去いたしました。これまでの駐車場のスペースの西側になりますが、福祉車両用の駐車場として整備しました。ご使用頂く場合お寺にお声かけください。また井戸は、非常時の水確保として既存の井戸を活用しましたが、水質検査をしていませんので「飲料用」ではありません。

 

※番外① 高田本山専修寺 御影堂と如来堂の国宝指定
三重県内の建造物では初めてとなる国宝指定です
10月20日、国の文化審議会は、日本の代表的な近世寺院建築とされる高田本山専修寺の御影堂(みえいどう)と如来堂(にょらいどう)を国宝にするよう答申されました。
11月28日に三重県内の建造物で初めて国宝に指定されました。
専修寺を本山としています私たち真宗高田派に属する僧侶並びにお同行様、三重県民、津市市民において、とてもうれしい知らせでした。
これまで高田本山専修寺は、身近で親しくお詣りしていましたが、御影堂が重要文化財の建造物で国内で五指に入る大きさということも、平成の大修理の時に初めて知ったことでした。
また、専修寺所蔵の親鸞聖人直筆の『三帖和讃』『西方指南抄』など3点は、昭和28年に国宝に指定されて大切に保管されています。
これから益々多くの方々が専修寺の国宝に指定されました御影堂や如来堂にお詣りされますが、親鸞聖人のみ教えにもっと触れていただきたいと思います。

来年(2018)のお七夜の1月9日(火)13時40分から14時20分に御影堂にて、国宝指定記念特別講演として「高田本山専修寺の伽藍の特色と価値」と題して、三重大学大学院工学研究科教授の菅原洋一先生のご講演があります。

 

Sottoのシンポジウム

「”みんなちがって、みんないい。”って思ってくれない社会ってイヤだ! ”らしさ”による死にたいほどのつらさについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが55字のシンポジウムに参加しました。確か、 昨年のシシンポジウムの講題は「死にたいにまつわる言いたいようで言えないそんな気持ちのもっていきどころについてみんなでいろいろ考えるシンポジウム」タイトルが56字あるシンポジウムでした。「死にたい」気持ちについて丁寧に向き合うとどうしてもタイトルが長くなってしまうのでしょう。

今回は、作家の雨宮処凜氏、批評家の杉田俊介氏、主催者のSottoの代表の竹本了悟師が「~らしさ」について発言されました。毎日新聞編集委員の玉木達也氏がシンポジウムを進行されました。
詳細は、Sottoのフェイスブックでシンポジウムの中で更新されていましたのでそちらをご参考されることにして、
今回は、「らしさ」から自分を振り返って他者がどのように見えるか考えさせられました。女性・男性の視点からの発言から始まり、男性から見る女性らしさと女性から見る女性らしさ、女性から見る男性らしさと、男性から見る男性らしさは当然ではありますが違いますし個人により違います。しかしそれを何かのはずみで忘れている自分もいます。他者と一般論として話すとき私の思う「らしさ」と他者が思う「らしさ」には重なる部分と重ならない部分があるのに一緒にしている場合に違和感を感じたりするのか分かりません。そこには言葉の1つ1つが大切な事を感じました。「弱音」と「本音」と「本心」重なる部分もありそうで重ならない部分を他者にどこまで見ることができるのか。

「らしさ」は、居心地が良いと感じる時と、居心地が悪いと感じる自分もいます。他者を見ることも自分の中にある「らしさ」を重ねて見ます。また「自分らしさ」って分かっているようで分かってない「らしさ」もあります。「自分らしさ」に捜しながら、「これが私なのだ」と思い込みたいこともあります。

生きづらさ死にたい気持ちに向き合うことは誰にでもあることですが、その時に一人で抱え込まず他者とそのことを共有できる場所や関係性を確保できれば生きづらさや死にたい気持ちを持ちながらでもその日を過ごしていけるように感じました。

Sottoのシンポジウムは二度目ですが参加している私達からの質問にも時間をかけて話をしていただけるのはうれしい気持ちになります。ツイッターのつぶやきや質問も登壇者の後ろのスクリーンに映し出されているのは今の若者には当たり前でも地方在住の私にとっては驚きです。

※中川個人の感想です。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

無慚無愧のこの身にて まことのこころはなけれども
弥陀の回向の御名なれば 功徳は十方にみちたもう

『正像末法和讃』「愚禿悲歎述懐」第4首
「無慚無愧」、これは聖人の大事なお言葉です。慚愧(ざんぎ)と懺悔(さんげ)、初めにこの2つのちがいをみておきたいと思います。懺悔は人に向かうのではなくて仏に向かう。仏前にわが犯した罪を懺悔してたてまつるのです。慚愧の方は内心に向かう。慚愧について詳しいのは『涅槃経』です。一番簡単なのは、人間と畜生を区別する言葉です。「慚愧なきを畜生と名づく」というのです。阿闍世王が親殺しの大罪を犯して後に、慚愧の心がでてくる。こういうところが非常に大事なところです。あの老婆が阿闍世のこころの動きをよくとらえて、あなたは今まで自分の罪を認めまいとしてきた。ところがあなたは今や、慚愧の心がおこってきた、それが大きな転換点になります、貴重なことです。こういって阿闍世を大きく抱き込んでいく。そういうところにでてきます。
それから「懺悔」につきまして、これは「高僧和讃」の善導のところにでております。「三品の懺悔するひとと、ひとしと宗師はのたまへり」。「三品」というのは上・中・下の三品という、人間の種類です。ぞれ三様の懺悔の内容を異にするが、ご信心をいただいた人は、懺悔のことをわざわざいわなくても具わっているのだと、こういう言い方です。それで善導のところで善導の「懺悔」という言葉をお使いになりましたが、それ以外に聖人は「懺悔」という言葉をとりたてて申されません。この「懺悔」というのは、我の混らないもの、「後悔」というのは、これは我執の仕事です。「懺悔」とは「我の砕けたすがた」です。それで聖人は懺悔ということはわれらにできない、と見抜いていられたようです。だから懺悔するとも懺悔せよとも言われない。だから「懺悔せよといわれても懺悔できない私だ」という言外のおこころをくめば、深い懺悔をそこに感じます。

聖人は普通の宗教家のいわれる「懺悔」ということを、殆ど口にしておいでにならないということです。そうでありながら「慚愧」については、自分を「無慚無愧」の身だと語っておられる。慚じねばならぬことを愧じずにおるような身だというのです。善人の姿をながめて私は悪人だと慚じ、賢い人の姿をながめて、何と私は愚かであろうと自らを愧じると、こういう言葉です。いろいろな意味がありますけれども、「慚」というのは、自分と教えに対して恥ずかしいと愧じることです。
『涅槃経』には「慚愧あるが故に、父母・兄弟・姉妹であることを説く」。もし慚愧ということがなかったら、父母というようなことも言い得ないということです。人間の一番大事な関係をして関係たらしめるものは慚愧であると、こういう言葉です。

しかもこの言葉を受けて無慚無愧のこの身のうえに「弥陀の回向の御名なれば」弥陀のご回向、南無阿弥陀仏を回向して下さったればこそ、「功徳は十方にみちたまふ」、この蛇蝎奸詐、無慚無愧の私を貫いて、骨髄に徹(とお)って、その光が十方に満ち溢れて下さる。この弥陀の回向の御名というものの光をこうむらないものは一人もないのであるからして、悲喜こもごもに至るのであります。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】

差別

「差別」
お同行様と、家族の介護の話から、私の中に潜む「心の中にある差別」について考える機会を与えていただきました。私が生活する地域のコミュニティの中で、とっても曖昧な普通であることから、はみ出した部分が、他者と違う「個性的」と呼ばれる場合と「差別」される場合の線引きはどこにあるのだろうか。一人一人の違いを認める多様な社会と差別する社会について短時間の中で深く話すことはできませんでした。生活の中で「差別」する側とされる側が混在し、自らも「差別」される側になり、する側になる現実に向き合いますと、きれい事ですまされることでなく自分の持っている「差別」の心をどのように捉えていくか考えざる得ません。
社会の中にある多くの「差別」について無くしていくことを目標に活動することは当然ですが、私の中にある「差別」の心は、無くすことができるのかと言うと、自分の中にある感情や感覚に関わる「差別」心はどうすることもできないものとして捉えてしまいます。
自分の中にある「差別」心を含む「悪性」にどうすることもできないと知らされるのは、阿弥陀様の目当てがこの私であったことを、親鸞聖人の「み教え」によって気づかされるからであります。この時は、愚禿悲歎述懐和讃がとても響きました。
私(住職)は、今の社会は以前より寛容ではなくなってきているように感じます。お寺のコミュニティはどのような方もそのままで安心して居られる場所として存在してきました。そしてこれからもそれが絵空事にならないよう努力していかなければならないと感じています。

『差別感情の哲学』中島 義道著 講談社
以前に読んだ本ですが、差別について考える時に改めて本を開きます。私が生まれてきて成長する社会の中で得てしまう「差別」心と私の中にある感情や感覚の「差別」心。
社会の中で差別が無くなることは大切であるが、差別を批判する時に自分自身の中にある差別する心に目を向けているかというと曖昧である。この本を読んで自分の中にある差別感情がどうすることも出来ないものとして捉えるように思った。また、本の中で使われた「差別のまなざし」と言う言葉が私の中でとても印象に残っている。

27組(そ)の報恩講

 

27組の報恩講
今年の27組の報恩講は、10月29日の満誓寺様の報恩講で台風22号の影響で雨の日になりました。これまで満誓寺様の報恩講は、10月と言うこともありますが、晴れた日で時には暑く感じる中でお迎えしていました。組内の5ヶ寺のお勤めの前に小降りなり、今年最初の報恩講の出仕です。毎年の事ですが最初の一声は緊張します。還暦を過ぎてからは今後どれだけ報恩講に遇うことができるか思うことがありますが、丁寧にお勤めをさせていただきたいと改めて感じています。


11月5日の光蓮寺様の報恩講は遠方の葬儀になり急にお勤めに行くことができずご迷惑をお掛けしました。
11月19日は西向寺様の報恩講でした。例年より寒い日でしたが、境内の四季桜は満開でした。西向寺様の「親鸞聖人絵伝」は2幅掛けです。一度ゆっくり拝見をさせていただきたいと思います。書院の前門様の「光壽」の掛軸は大きな字体で迫力がありました。また、組内の1ヶ寺の合併の手続きが行われたことの報告もありました。こんなに近くにお寺の運営が難しい事例を知ることになり学ぶべきことがあります。


10月23日は、妙華寺に一番近い西林寺様の報恩講でした。とてもお同行様の参詣が多くてこれまでのご教化が実っていることを改めて学びたいと思っています。西林寺様の「親鸞聖人絵伝」は2幅掛けです。こちらもゆっくり拝見させていただきたいと思います。


10月26日は木造の蓮性寺様で、書院の掛軸が高田派の墨山上人の名号でいつも法中を向かってきます。この日は、マラソンの話から27組のお寺巡りのコースの話になりました。西は戸木の満誓寺様から東は今日の蓮性寺様まで7ヶ寺を巡れば20Km弱くらいのコースでしょうか? マラソンと共にご法話巡りもよさそうです。


これまでこれほど穏やかな報恩講は無かったと思うほどの12月3日は温かい中、妙華寺の報恩講をお勤めすることができました。組内の5ヶ寺のご法中様、お手伝いをしていただいています慈相寺様と妙華寺の衆徒でお勤めできました。お非時も新しい試みでしたが多くの皆様にお越しいただけました。また、ご法話に西本願寺派の布教使で龍谷大学大学院教授の葛野(かどの)先生のご縁をいただきご法話の素晴らしさを改めて感じました。お同行の皆様も一人でも多くご聴聞いただければと思います。

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12月10日は、浄徳寺様の報恩講でした。副住職・衆徒様も出仕されいつも賑々しいお勤めです。最近は、県内の高田派寺院へ社会保険の加入の案内があるようです。専業の住職のお寺では、法人としてのあり方を新たに考える機会になるのでしょうか。


何回お勤めしても反省することはありますが、27組の報恩講に今年も出仕できたことはとても有難いことでした。本山のお七夜も待ち遠しい気持ちになります。

『教学院報』2004年12月発行 第36号 「研究員のひとこと」 「相客に心せよ」

『教学院報』2004年12月発行 第36号 「研究員のひとこと」
「相客に心せよ」
 茶道の稽古を初め10年が過ぎました。きっかけは薄茶を喫する作法を知ることだったような気がします。茶席に入り、お菓子をいただき、お茶を喫する作法を学ぶこと自体は、一年もあれば少し分かってくるのですが、このお菓子をいただき、お茶を喫する簡単な作法の中にある心を聞くことは大変奥深く、何年経っても会得できないような気がします。
 茶道の世界で利休七則という原則的な教えがあります。「茶は服のよきよう点て、炭は湯の沸くように置き、花は野にあるように、さて、夏は涼しく冬は暖かに、刻限は早めに、降らずとも傘の用意、相客に心せよ」また、利休の言葉で「茶は渇を医するに止まる」・「和敬清寂」があります。これらの言葉の道徳的・倫理的・宗教的な一面に気づいていくと、茶道は日本の総合的文化といわれることも過言ではないと思います。
 利休七則のひとつ「相客に心せよ」は、主客はもちろん客同士がお互いに尊敬しあい相手の立場を思い、この一会(茶事)を楽しく過ごすことです。私自身もこの10年で何度か茶事を経験する機会を得て、その都度自分の立場で「相客に心せよ」を実践しているつもりですが、振り返ってみればいつも反省するばかりです。相手の心遣いに気づくことの難しさというか、相手の立場を理解する難しさを実感しています。
 私は、「相客に心せよ」を茶道から離れてでありますが、佛の私(衆生)への関係と思うことがあります。いつも私の立場をありのまま見ておられる佛のまなざしのように思います。その中で私が自由に存在している。上手く表現ができないのですが、そのようなことを感じます。
 また、私は、茶道の稽古の中で面授の大切なことも学び続けています。茶道の点前も以前に比べ一般に公開される部分も多くなっています。また茶道の情報についても収集は可能になり、一人で学ぶこともできるような気もします。しかし、個人で学ぶことができるのであっても、学んでいる自分自身を見つめることは、師と言う第三者を通じてしか分からないような気がします。高田(の教団)は面授の弟子による教団であることも思い起こされます。

※お茶の先生がご高齢になりお茶の稽古から離れて6年が経過しました。前々住職はお茶(抹茶)を毎日、午前中に当時居間にあった火鉢で沸かしたお湯で一服たしなんでいました。そこにいる家族にも振る舞っていただきました。私(住職)が、小学生や中学生の夏休みや春休みに居間にいる時は、お菓子につられていただきましたが、苦くてあまり美味しいものでないと思っていました。社会人になりお寺の法務で組内(そない)のお寺の行事の時、お同行様の年回法会の時に、抹茶(お薄)でもてなされることもあり見よう見まねでいただいていました。30歳を過ぎた頃、公民館でお茶の稽古の参加者の募集があり参加しました。前々住職の好んでいた茶道具やお寺に伝えられた茶道具の数々を見つけながらその取扱や保存の方法にも興味が出てきて、それらのことは、お寺の法宝物の管理にも役立つことになりました。しかしお茶はだだ一服のお茶を美味しくいただく(差し上げる)だけのことが一番大切な事です。その為の作法や相手への心遣いを砕いていくことは生涯にわたる修行のように感じます。自力的なことが多いのですが、最後は、その場におまかせするしかないところがとても面白いです。

※お茶の師匠とお別れ
11月3日、私のお茶の先生が亡くなられました。毎年続いている久居地域(以前は久居市)の文化祭の最中で、この文化祭が始まった時にお茶の呈茶席でご奉仕されていた先生のお一人でした。
30年前に入門しそれから覚えの悪い私をゆっくりお育ていただいていました。ご自宅以外でも大学などで稽古場を持ち、多くの社中をお育ていただいていましたが、ご病気やご高齢で、先生のお稽古が無くなりました。先生の社中がその後お稽古を続けて若い方々をお育ていただいています。
先生は淡交会の諸活動でもご活躍され、また地域の茶道協会や茶友会、公民館活動などに、日本文化の総合芸術と言われる茶道の素晴らしさを多くの方々に伝えていらっしゃいました。
最後に、これまでのご指導ありがとうございました。

中陰逮夜忌

中陰(ちゅういん)
中有(ちゅうゆう)のこと。生命あるものが死んで次の生をうけるまでの中間の時期。
また故人が亡くなって49日間のことで、7日毎に勤める法要を中陰法要という。真宗においては、阿弥陀仏の本願を信じ念仏するものは、現生に正定聚の位に入り、命終すると直ちに往生成仏するので追善供養でなく、故人の死を縁として仏法に遇い、故人も遺ったものも、阿弥陀仏にひとしく摂取されている恩徳に報謝するお勤めです。

妙華寺では、「中陰逮夜忌」として49日の日をお知らせしています。逮夜(たいや)とありますので、前日の夜のお勤め日を記載しています。
いつしか葬儀式の後、初七日を続けてお勤めするようになりました。その最初の頃は、初七日は、別の日のお勤めですので一旦お寺の門から出て改めて門から入り本堂へお上がりになっていました。またそれ以前は、初七日の日までの夜は、自宅で組(地域)の方々と共にお勤めをされていたこともお聞きしています。
以前と比較することではありませんが、大切な方を亡くされた悲しみを遺された個人や家族で抱え込むような時代になったようにも感じます。
これまでの仏教の行事が、大切な方を亡くされた悲しみをケァする存在では無くなってしまったのでしょうか?  私達のコミュニティへの考え方も変化している中でお寺や僧侶に求められていることを変わってきているようにも感じます。それでも僧侶として「私を救うと誓われた仏の願い」を伝える工夫をしていかなければいけません。

11月のおてらおやつクラブ

11月のおてらおやつクラブ 16日に一人親家族様へおすそ分けさせていただきました。支援団体様へは12月の報恩講に支援団体様と行事をさせていただくことになりました時におすそ分けを予定しています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

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和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『正像末法和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

 

釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心は得しめたる
信心の智慧に入りてこそ 仏恩報ずる身とはなれ

釈迦弥陀の二尊の大慈悲によって 私どもは大菩提心を頂くことができた
は即ち、如来より賜る信心の智慧であって この信心の智慧を得ればこそ、仏恩を感じてこれに報い奉ろうとする身とはなるのである。

願作は、仏になろうと願う心

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

 

『正像末法和讃』第33首
「釈迦弥陀の慈悲よりぞ」の表現は、国宝本にも文明本にも「釈迦弥陀」となっております。こういう場合は「釈迦弥陀二尊」「二尊一致」ですから、この「一」に着目しておいでになるのだと思います。こういう聖人のお言葉というものは、ご恩を感じての深いおもいです。「釈迦弥陀」「弥陀釈迦」と、弥陀のなかに釈迦が生きつづけておいでになる。われらに慈悲をもたらしめたもう二尊のご恩のかたじけなさを詠っておられるのであります。「釈迦弥陀の慈悲よりぞ 願作仏心はえしめたる」、「願作仏心」というのは、前に何度もでてまいりました「浄土の大菩提心」であります。「仏になりたいと思って弥陀の誓いを信ずる心」、これが「願作仏心」です。国宝本の左訓に、「われをしてほとけにならしめたまえと、ちかいをしんずるこころ」とあります。「釈迦弥陀二尊の温かい、こまやかなおはたらきによりまして、私の身に願作仏心をたまわることになりました」と。そうしてその「願作仏心」のことを言葉をかえて、つぎに「信心の智慧にいりてこそ」、国宝本左訓には「弥陀の誓いは智慧にてましますゆえに、信ずる心のいでくるは智慧の起こると知るべし」とありまして、「信心となって生きて働く智慧に入ることができてみますと、仏のご恩を報ずるというよろこびがわいてきたのであります」と。「仏のご恩を報ずる身」とならなければ、これはわが身に何ごともおこらなかったということです。聖人が「正信偈」をお作りになるときにも、「知恩報徳の為に」「恩を知りて徳を報ず」「仏恩の深遠なるを信知して」といっておられます。だから、仏恩を報ずる心がおこったことが、信心だということです。信心のしるしということは、ご恩かたじけなしという思いがわが身におこってくることです。ご恩を感ずるということは、わが身には、ほこるべきものは何もないということです。自我妄執が砕け散るばかりです。

以上【正像末法和讃講話 川瀬和敬著より】

「仏教は自死・自殺にどう向き合うか」

11月10日、「仏教と自死に関する国際シンポジウム」で、花園大学の佐々木閑師の基調講演「仏教は自死・自殺にどう向き合うか」を拝聴しました。とっても丁寧な資料をいただきました。
これまで仏教では、自死・自殺は悪であると教えられ、自死遺族の方々を苦しめていることがありました。しかし、徐々にではありますが自死・自殺が仏教で悪でないと言うことを知らされることになりますが、どうしてこれまで仏教では自死・自殺は悪であると教えられてきたのかについて、お釈迦さんの時代では自死・自殺で亡くなった方も、「般涅槃」したと仰せられていたが、時代が下がっていく中で、他の事例と混同しながら自死・自殺が「悪」であるように思われるようになったと佐々木先生の専門の律(仏教の法体系)から分かりやすくお話がありました。

講演の最初に、お釈迦様は、「平等」を説かれましたがこれは、生者だけでなく、死者も共に平等であること、そして自死・自殺について論じる時も死者も聞いている(一緒にいる)ことを胸にして論じることであると仰り、生者のおごりに気づかされました。 仏教における「悪」の定義を説明され、自死・自殺はその定義に当てはまらないことと説明され、自死・自殺は、仏教では仏道に入って涅槃へ至るチャンスを自ら手放すことで「もったいない行為」と話されました。また、教団について、本来ひとりの人をまるごと受けとめることがサンガ(教団)のあり方であったが現代ではその力が無いのが残念であると仰いました。
私(住職)の中で勉強不足で知らないことばかりの律(仏教の法体系)について、多くの事を学ぶことができ、お釈迦様が自死・自殺についてどう思われていたかがわかる貴重な時間をいただけたことに感謝しています。

「仏教と自死に関する国際シンポジウム」自体は、11月6日から海外の自死・自殺に関われている仏教徒を含め、横浜からスタートして京都で最終日を迎えたようです。参加された方々の日本と海外の自死・自殺に関する取り組みの事例発表から見えてきた課題についても活発な議論が進んだようです。この日は、このシンポジウムを振り返って、お話をされていました。日本でも自死・自殺に関わる僧侶や市民が増えること念願します。

※中川個人の感想です。