10月のおてらおやつクラブ

10月のおてらおやつクラブは、22日に支援団体様24日に一人親家族様にお送りいたしました。
今年も、12月2日の報恩講のお非時(ひじ)にこども食堂を併設します。
今年の夏前にお同行の豆腐屋さんが廃業されました。これまでのお非時の飛竜頭や豆腐の味噌汁をどのようにするか思案中です。

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また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は来年1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

 

もうすぐ久居ができて350年

久居城下案内人の会様が、久居藩350年記念として『久居のお殿様』椋本千江著を出版されました。
久居藩主の初代髙通(たかみち)から16代髙邦(たかくに)までを分かりやすく紹介されています。
津藩の分家として久居藩がつくられたのは、当時の考え方で「お家断絶」にならない為の方策で、久居藩藩主の中から4人が津藩藩主を嗣いでいます。

久居藤堂藩の菩提寺は隣の玉せん寺さんです。当初の寺号は「玉泉寺」で「ぎょくせんじ」の読みでしたが藤堂家が「泉守」でしたので、「泉」から「布施」の「施」の「方」を「氵」にして「せん」と読むようになったようです。久居藩の歴代の位牌やお墓があります。
また、この本の終わりには久居城下案内人の会様のこれまで10年間の活動記録も記されており、今後もご活躍を念願いたします。

 

続いて、少し前に深谷克己先生に「久居」の由来について伺っていました返信が届きました。久居の由来について『勢陽五鈴遺響』(せようごれいいきょう)と言う江戸時代末期に完成した伊勢国(現・三重県)に関する地誌までしか今のところ遡れないとお教えいただきました。

久居城下案内人の会の皆様、深谷克己先生には、改めて久居について勉強できる機会を与えていただきありがとうございます。

※ 深谷克己氏は、三重県津市久居出身の早稲田大学名誉教授・近世史学者で、多くのご著書があります。妙華寺の本堂が平成16年に国の有形登録文化財に指定された記念に「法苑院妙華寺縁起」の原稿をお願いし、お寺(妙華寺)と久居のことを詳しくお書きいただきました。

来年(2019)5月18日の「お寺の講演会」のご講師のテレビ出演の紹介

浦上哲也師のテレビ出演紹介

浦上哲也さんは、来年(2019)5月18日の「お寺の講演会」のご講師です。
少し早いのですが、ご講師の浦上哲也師が、10月26日(金)のETVの20時からの「明日も晴れ!人生レシピ」の中で、

新しい取り組みをされている僧侶の一人として紹介されることを知りました。
ご講師の今を知り、来年のご講演を楽しみにいたしましょう。
番組の中でも紹介されます浦上師の取り組みの1つ「死の体験旅行」は、妙華寺でも平成27年5月18日の婦人会総会の日に希望者に受講していただきました。

浦上師のお寺のHPで番組のことを紹介されていま文章を掲載させていただきます。
【ちいさなお寺 倶生山 なごみ庵 https://753an.blog.so-net.ne.jp/ 2018-10-20掲載】
 「修行」をテーマに色々なお寺を取材していたようなのですが、なぜか修行の無い浄土真宗の私のところにも取材にいらっしゃいました。どうやら「修行」と平行して、お寺の現代的な取り組みという部分のようです。
 また、お坊さんQ&Aハスノハや「自死・自殺に向き合う僧侶の会」で一緒に活動している浄土宗の東さん、ハスノハの共同代表の堀下さんも取材をお受けになったようです。
 告知VTRを見ると、私の部分が全面カットにはなっていないようなので、ご紹介させて頂きます (^_^;)
スタジオにはゲストとして、浄土真宗僧侶であり宗教学者でもある釈徹宗先生がいらしているようなので、どんなコメントが頂けるか楽しみです。
 ぜひ10月26日の20時、また11月2日の11時に再放送されるようですので、お手空きの方はご覧頂ければ幸いです (^人^)

丁度、12月にお配りする予定の「お寺の講演会」のチラシの最終稿が届けられました。
来年(2019)5月18日(土)の「お寺の講演会」では、『「適当」に生きるススメ』の講題でご講演をいただきます。

その後、妙華寺衆徒と対談も予定しています。

 

 

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

浄土高僧和讃 源空聖人 第04首

曠劫多生の間にも 出離の強縁知らざりき
本師源空いまさずば この度空なしく過ぎなまし

久遠の昔から幾度となく生まれ変わって、この世に生を受けた間にも、煩悩の束縛から解き放つ強力な働きかけを知らずに過ごして来た。わが師源空上人がおられずしては、今のこの生涯も、空しく過ぎてしまったことであろう。

多生は、幾度も生まれ変わること。
出離の強縁は、迷いの世界から抜け出るための強力なよりどころ。強縁は増上縁と同じで、弥陀の本願を指す。
「な」は、完了を表わす「ぬ」の未然形である。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

はかり知れない過去遠々より、生まれ変わり死に変わりして迷いの生死を繰り返しつつも、今日に至るまでこの生死より出で離れる強い縁となるところの本願力に遇うことなくして過ぎました。もしもここに本師源空がこの土にいでまさなくしては、このたびのかけがえのない一生も、手を空しくして過ぎ終わるという絶望的な悲しみにさいなまれることでありましょう。
生死流転の身であったことを知るのは、生死を出離することのできたときに、はじめてその恐ろしさに目覚めるのです。源空自らも叡山にあって日にち念仏しつつも、その念仏でたすかったというところに身をおくことができずに、いらいらしていたのです。
もだえ苦しみを『黒谷上人語灯録』巻15のうえに聞きましょう。
(『黒谷上人語灯録』巻15略)
悲しみの極まりにおいて、善導の文言が眼を射たのです。何度も通過しつつ、今はじめていのちが燃えたのです。本願の念仏に触れて、善導の声を聞いたのです。たすかりたいの念仏でなく、たすけられてあることのかたじけなさが、本願によって証知されたのです。源空の善導一師としての仰ぎ方は、ここに根拠があるのです。一声一声の念仏を通して、如来から摂取不捨と捨てられていないとの感知は、善導と源空との出遇いを呼び起こし、更に具体的にあざやかな形で、源空と祖聖とのめぐり遇いのうえに将来されたのです。本願念仏の人には智慧光の力があって、道を求める人を招き寄せずにはおきません。

以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

弁財天坐像と初代坐像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
初代自信像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 43.6cm 江戸時代
弁財天坐像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 53.2cm 江戸時代

初代自信上人の像は、妙華寺二代の融海(ゆうかい)上人が作製されました。
毎年、正月の3日間西余間に自信上人像を中心に歴代の位牌、7代からの11代の絵像を掲げています。
現在ある弁財天像は、資料室に安置していますが、初代自信が持参された小さな弁財天像をその後、胎内に入れ今の弁財天像を造ったと聞いています。また妙華寺五代の自運上人が弁財天宮殿を建立されたとありますのでそれ以前かその頃かと拝察しています。
私(住職)が小さかった頃、現在の樹木の元のお墓の当たりが弁天池でした。以前はその池の畔に弁天堂がありそこに祀られていたと前々住職から聞きました。

 

青巖寺の年回法会

親戚寺院の青巖寺の前々住職の命日に前々住職様の23回忌並びにその坊守様の27回忌のお勤めがあり、お同行の皆様と一緒にお勤めをさせていただきました。青巖寺の前々住職様は、妙華寺の前々住職の弟であり私(住職)も普段の生活の中で僧侶のあるべきようをお教えいただいていたと思います。ご往生されたのは、妙華寺の秋彼岸会でご法話をいただき、その後、住職・寺族と一緒に食事をしてお休みされてからのことでした。昨晩までお元気でしたので、とても驚くと同時に青巖寺様に申し訳なく思うことでした。27回忌の坊守様のご往生は、青巖寺様の秋の千部永代経の日でお勤めに出仕させていただいていたときでした。今もいのちのつながりを感じると同時に月日が経つのは早いと感じています。

大正時代の久居へタイムスリップ

大正時代の久居へタイムスリップ
お彼岸のお勤めに遠方からお越しいただきましたお同行様から大正時代の久居の地図と資料をいただきました。地図は「久居町勢一班」とある大正元年12月に久居町役場が発行した冊子の最後に綴じられていました。久居町の人口、児童数、選挙人数、地域の農産物の生産量、駅の乗降数などの統計と税金や町の財産などの一覧で行政からの報告書のようです。この頃はまだ江戸時代の町と同じ区域が久居町の地図として描かれています。今の鉄道駅も軽便駅と表記されていたり、私(住職)が小さかった昭和30年代まであった劇場が示されていたり、「久居農林高校」の前身の「農林学校」や私(住職)が通っていた小学校が「久居学校」の名であったり、私(住職)が知らない「洋裁学校」があったり、行政の役場の場所や、郵便局・銀行・警察が本町通りにあったり、寺町のお寺の位置が確認できたりとても貴重な資料と思います。


もう一冊は「一志郡久居町地誌」とある手書きの袋とじの資料です。こちらも久居の沿革、位置、地勢、字地(町名)、街道、寺院、神社、古墳(久居藩主の墓)名勝が記載されています。寺院の部に妙華寺の紹介もあり、文政4年の久居の大火では、山門と鐘楼堂を除き本堂など焼失とありました。お寺の寺誌では山門だけ残ったと聞いていたのですが鐘楼堂も焼失しなかったことを確認しました。

9月のおてらおやつクラブ

9月のおてらおやつクラブは、19日に一人親家族様と支援団体様にお送りいたしました。
今年は、お彼岸の前になりました。
また、おてらおやつクラブ事務局が作成された「てばなす」と言うフリーペーパーが創刊されました。秋彼岸法会のご案内時に配布いたしましたる。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、

『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。

浄土高僧和讃 曇鸞和尚 第20首

罪障功徳の体となる 氷と水の如くにて
氷多きに水多し さわり多きに徳多し

私どもの煩悩がつくる罪とがは、却って功徳の本体となる。
丁度、氷と水の関係のようで、氷が多いとそのとけた水も多い。
罪とがが多いとその転じた功徳もまた多い。

罪障は、菩提のさまたげとなる悪業。仏にそむくこと。
体は、もと

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

第4行の左訓は「悪業煩悩なり、功徳となる」と見えます。煩悩悪業罪障はそれがそのまま功徳の内容となります。

それは丁度、氷が解けて水となる関係のように、氷が多ければ解けた水も多いです。
罪障が多ければ、それにつれて功徳もまた多いです。業障の身が、念仏に呼びおこされている事実です。

功徳が多くなることは、同時に罪の身を知るのです。罪のおもいが深くなって、

自分の全存在が罪となってしまうことを離れて、こしらえた功徳があるのではありません。
氷が多ければ水が多い、という言い方は、非常に自然でどこにでも根拠がありそうですが、

たやすくは見い出せないです。これが祖聖の書写された「信微(しんび)上人御釈」(西本願寺蔵)の中に発見されたのです。
障滅すれども去ぬる所無し、氷解けて水と為るが如し。氷多ければ水多し、障多ければ徳多し。
と、全くそのものずばりです。自信を確認するために、いかに広く渉猟(しょうりよう)されたかその一端に触れて、

伏しつ仰ぎつするばかりです。

以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

阿弥陀如来座像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。
阿弥陀如来座像 一躯 木像 玉眼・寄木・金泥 像髙 88.5cm 江戸時代

妙華寺二代の融海(ゆうかい)上人が、青巖寺(せいがんじ)より入寺した時に、持参した恵心僧都(源信)作の阿弥陀如来坐像。
印相は、阿弥陀の定印(両手を膝の上に組み左右の第一、二指を結ぶ)

※源信(げんしん)は、比叡山の横川の恵心院に住したことより恵心僧都と言われる。天台教学を究め、『往生要集』(おうじょうようしゅう)三巻を著し、阿弥陀佛の浄土を欣求することを勧めた。真宗の七高僧の第六祖

私が幼少の頃、この像は、本堂の西の場所に安置されていました。祖父や父の話では、秘仏として本堂裏側の須弥壇の部分に安置されていたようです。 昭和60年までに妙華寺会館ができ、それから会館に安置されていました。平成23年5月初旬に、本堂西にある資料室にご遷坐いたしました。会館には、妙華寺の一光三尊佛を安置しています。