大正時代の久居へタイムスリップ

大正時代の久居へタイムスリップ
お彼岸のお勤めに遠方からお越しいただきましたお同行様から大正時代の久居の地図と資料をいただきました。地図は「久居町勢一班」とある大正元年12月に久居町役場が発行した冊子の最後に綴じられていました。久居町の人口、児童数、選挙人数、地域の農産物の生産量、駅の乗降数などの統計と税金や町の財産などの一覧で行政からの報告書のようです。この頃はまだ江戸時代の町と同じ区域が久居町の地図として描かれています。今の鉄道駅も軽便駅と表記されていたり、私(住職)が小さかった昭和30年代まであった劇場が示されていたり、「久居農林高校」の前身の「農林学校」や私(住職)が通っていた小学校が「久居学校」の名であったり、私(住職)が知らない「洋裁学校」があったり、行政の役場の場所や、郵便局・銀行・警察が本町通りにあったり、寺町のお寺の位置が確認できたりとても貴重な資料と思います。


もう一冊は「一志郡久居町地誌」とある手書きの袋とじの資料です。こちらも久居の沿革、位置、地勢、字地(町名)、街道、寺院、神社、古墳(久居藩主の墓)名勝が記載されています。寺院の部に妙華寺の紹介もあり、文政4年の久居の大火では、山門と鐘楼堂を除き本堂など焼失とありました。お寺の寺誌では山門だけ残ったと聞いていたのですが鐘楼堂も焼失しなかったことを確認しました。