摂取不捨(せっしゅふしゃ)
お経に「一々の光明は、あまねく十方世界を照らし、念仏の衆生を摂取して捨てたまわず」とあります。
摂取(せっしゅ)とは、摂(おさ)め取ること、仏や菩薩の衆生救済のはたらきをあらわす語として用いられます。
「浄土和讃」に「十方微塵世界の 念仏の衆生をみそなわし 摂取してすてざれば 阿弥陀となづたてまつる」とあり「国宝本」左訓には「めとる。ひとたびとりて永く捨てぬなり。摂はものの逃ぐるを追はへとるなり。摂はをさめとる、取は迎えとる」とあります。
(浄土真宗辞典)
「正信偈」 に「摂取心光常照護」「摂取の心光、つねに照護したまふ」 阿弥陀さまが一切の人を救いとって捨てないぞという誓い、その慈悲の心が光となり私に届き 照らして、護ってくださっています。
阿弥陀さまの本願は、「私を必ず救う」とこれまでもこれからも願ってくださっていらっしゃることです。そして、私はそのはたらきに出遇うことで、「必ず救われる」ことです。
人生の苦しい時、悲しい時、自分の存在を消してしまいたいほど辛い時にこそ「摂取不捨」と言う言葉を思い出してほしいです。阿弥陀さまに遇ってほしいです。