あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)②

あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)②
お寺の寺業計画のビジョンを具現化する取り組みとして ②お寺の文化の紹介を掲げました。未来の住職塾を受講した平成25年の4月に隣寺と同じ日に花祭り(メリシャカ)を開催し、スタンプラリーを開催したことからの発想です。これを所属の仏教会に広げて行くことができればと考えていましたが、所属の仏教会は休眠中で、個々のご寺院様へ趣旨を説明しましたが私(住職)の力不足でご賛同いただけずにいます。

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昨年4月から今年の3月までに7回【お寺には日本の伝統文化がたくさん残っています。今、妙華寺に残されたものを通して日本の伝統文化と親鸞聖人のみ教えに触れませんか?】という趣旨で『お寺で体験』と題した講座を日曜日の午前中に開講しました。10名ほどの方が受講されました。7回中1回葬儀が入り住職は参加できませんでしたが、改めて自坊のことを勉強する機会になりました。最終講で受講されました方のご意見をお聞きしましたら、「若い頃はお寺に興味がなかったが、年を重ねてお寺について知りたくなられた」ようです。このような機会を続けることができると良いのですが、住職と坊守の二人だけお寺を支えている今は、法務(年回法要などのお勤め)などのこともあり難しく、一旦休止して来年度に新しいテーマで開講できればと考えています。


また、お寺の文化については、それぞれのお寺にも魅力あるものも数多く存在すると思われます。さまざまな発信方法もありますので、この妙華寺の1回だけの取り組みではもったいないと感じています。地域の行事と連帯できることを含めて、所属の仏教会や組内にこれから働きかけていければと思います。

※3月の具体的な取り組みとして記載しました、お寺の新しいコミュニティへの取り組みは、まだ出来ませんでしたが、他の寺院で取り組まれていることを参考に今後も取り組みたいと考えています。

6日は組内の蓮性寺様の前坊守様の葬儀でした。組内法中として出仕させていただきました。前坊守様は102歳のご往生で多分組内の中では一番のご長寿であったと思います。坊守様としてお寺を支えられ、また長年小学校の先生をされていました教育者でした。組内の最長年のご住職様も前坊守様の教え子でいらっしゃいました。私(住職)は小学生の時に、学年担任ではありませんでしたが前坊守様も先生として学校にいらっしゃり気にかけていただいていたことを卒業後に知りました。また地元の小学校でもお勤めをされておりお同行の皆様も教えていただいた方がたくさんいらっしゃるようで、弔辞を述べられた前総代様も教え子のお一人でした。
40年ほど前から組内の報恩講で蓮性寺様へ出仕させていただくようになってからも前坊守様にお会いさせていただいていました。これまで長くご聴聞され坊守様としてお寺を支えていただきありがとうございました。

また、お同行様の葬儀もありました。ご往生された方は私(住職)と30歳ほど年が離れていましたが、公民館活動で3年間一緒に学ぶ同期の方でした。手先が器用で趣味の1つの伊勢型紙の作品は見応えあるもので市の文化祭などでも賞を何度もおとりになっていました。

また、関東在住の父方のいとこ夫婦が古都への旅行の途中に立ち寄る日でしたが、私(住職)はお寺に居ませんでしたので、坊守や前坊守(母)に迎えていただきました。

「忙」①心が落ち着かない。あわてる。②いそがしい。多くの用事に追われて時間がとれない。

1日にいくつもの大切なことが重なりますと、時間が十分とれませんので、心に余裕がなくなりあわてたりします。お同行様の葬儀を蓮性寺様の葬儀に出仕するので午前中にしていただき、灰葬・初七日を午後3時からにお願いしたり、蓮性寺様には、葬儀が終わるといち早く自坊に戻らせていただいたり、いとこ夫婦には会うこともできず、知らないところでご迷惑をかけている自分でした。

登録有形文化財トレーディングカードについて

登録有形文化財トレーディングカードについて
一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値をご認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも数に限りはありますが作成していただきました。
是非、現地にお越しいただき実物を見て、庫裡(くり)にて「トレーディングカードありますか」(なくなり次第終了)とお声かけください。また、三重県内の登録有形文化財にも足をお運びいただきトレーディングカードを集めてみてはいかがですか。

 

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
高田派門徒にはとても親しくしている和讃の一つです。

浄土高僧和讃 天親菩薩3首

本願力にあひぬれば むなしく過ぐる人ぞなき
功徳の寶海みちみちて 煩悩の濁水へだてなし

弥陀の本願に出遇うと、かいもなく終わる人は一人もいない。名号には功徳が海水のように満ち満ちているから、欲望に汚れた水も、差別なく同化してしまう。

本願力は、我々を救わねばおかぬという、第18願の広大な働き。
遇うは、『一念多念文意』に「遇は まうあふといふ。まうあふと申すは本願力を信ずるなり」とある。「ぬれ」は完了「ぬ」の已然形。確定条件である。
むなしく過ぐる人ぞなきは、『一念多念文意』に「むなしく過ぐる人なしといふは、信心あらむ人、むなしく生死にとどまることなしとなり」とある。救われない者はなく、必ず浄土へ生まれるということ。
寶海は、名号を宝の海にたとえる。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

如来の本願力をよくみて、これに遇いたてまつる眼を与えられ、信ずることのできた人には、生死にとどまり人生を空過(くうか)することがなくなります。本願念仏の功徳は、宝の海のように満ちあふれて、煩悩の濁った水も、満々たる宝海の中へ、へだてなくきらわず、融かされていきます。
これは『浄土論』の、「仏の本願力を観ずるに、遇うて空しく過ぐる者なし、能く速やかに功徳の大寶海を満足せしむ」に当たりますが、「能令速満足」は次の第4首にまわります。
『尊号真像銘文』には、「観仏本願力遇無空過者といふは、如来の本願力をみそなわす願力を信ずるひとはむなしくここにとどまらずとなり。能令速満足功徳大宝海といふは、能はよしといふ、令はせしむといふ、速はすみやかにとしといふ、よく本願力を信楽する人はすみやかにとく功徳の大宝海を信ずる人のそのみに満足せしむるなり。如来の功徳のきわなくひろくおほきにへだてなきことを、大海のみづのへだてなくみちみてるがごとしとたとへたてまつるなり」と述べられますが、86歳の高齢を考えますならば、信心表現のきわまりでしょうから、重く読みたいと思います。
本願がもし無いということならば、煩悩成就のわれらとしては酔生夢死に終わることもいたし方のないことですが、われらをたすけんがために本願力がこちらへ迫っているのですから、本願に遇わないことは、こちらの罪です。この身が空過するならば、本願のご苦労を徒労に帰せしめます。それこそはからざる大罪となります。『入出二門偈頌』に、「かの如来の本願力を観ずるに、凡愚遇うて空しく過ぐる者なし」と述べますように、遇うのは凡愚です。凡愚こそどうしても本願に遇うべき約束づけられていることを知ります。凡夫のたすかるのには如来の方から大きな力が要ります。

以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

東日本大震災から7年

東日本大震災から7年
今年は日曜日に当たり朝からお同行の皆様の年忌法会が続きました。
東日本大震災の日のことをお聞きしながら、それぞれの中で忘れられない一日があるようです。13回忌の命日の方のお勤めでは、12年前の3月11日がそのご家族では「忘れられない日」としてあるようです。大切な方とお別れするのはとても悲しく苦しいことです。「忘れられない」現実を直視してどのようにこれからの人生を歩んでいくかすぐには答えはでないと思います。時間の経過の中でこれまで気づけなかった思いに気づいたり、亡くなられた方のお年に近づき気づくことがあったり、大切な方との新しい関係を築いていく時間でもあるように思います。

親鸞聖人坐像

今年は、毎月10日に法苑院妙華寺を紹介していきたいと思います。

親鸞聖人坐像 一躯 木像 玉眼・寄木・彩色 像髙 43.7cm 江戸時代(寺伝に3代住職の代に造立)


妙華寺の本堂の内陣の向かって右脇壇に敬置されています。本堂の構造から分かることは、本堂の後の通路が本来ですと右脇壇の後ろを通り抜ける造りですが、坐像を敬置する宮殿が後ろの通路の部分まで突出していて遮る形になります。このことから、現在の本堂が再建した以降に親鸞聖人坐像の宮殿が作製されたと考えられます。

 

高田本山専修寺の親鸞聖人坐像は、首に帽子(もうす)を巻き、袈裟をつけて坐し、両手で念珠をつまぐるお姿で、聖人の風貌をいきいきと迫真的に表現している。像容を子細に見ると、両肘あたりに、絵画的な屈曲の強い線があり、「安城の御影」(西本願寺所蔵)と言われる聖人83歳の画像に見られ、帽子の皺の具合も、膝下の座具もそっくりなところから、「安城の御影」を原画として彫塑化したものと認められる。一尺ちょうどという像の寸法も、画像の寸法によったものである。

あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)①

あれから4年(お寺の寺業計画の具体的な取り組み)①
寺業計画書を発表する前(講師にコーチングを受けた)の具体的な取り組みは、1法会の改善 2行事の改善 3境内の整備 4(法人)経営の改善を揚げましたが抽象的でありもっと具体案を示すことを指摘されました。そのような中で、お寺の寺業計画のビジョンを具体化する取り組みとして、①お寺のコミュニティの構築を挙げました。これまでもあるお寺のコミュニティとして、地域の自治会のように担当の地区をお世話方様が中心となりお寺の行事の案内などをしていただくコミュニティと、婦人会としてお同行の女性が寺にご奉仕されるコミュニティがあります。本来この2つのコミュニティが十分機能していればお寺として安心できますが、地域のコミュニティと同様にさまざまな要因からふたつの活動が弱くなっています。次のお世話方様、婦人会会員様がいない地区も増える中で、ふたつのお寺のコミュニティが存続できるのか厳しい現実があります。4年前の寺業計画の発表では、妙華寺会館を無料休憩所として開放してお墓参りやお寺に見える方々に集っていただきそこから1つのコミュニティが構築できないかと思って取り組みましたが、残念ながら見込み違いでした。個々がお寺(お墓)に見える場合は、お寺(お墓)と個々の関係で成り立っていて、個々同士が自然とコミュニティを作ることまでの関係は生まれないようです。
住職または、寺族が中心となってお寺を中心としたコミュニティを作ることもできると思いますが、私(住職)には、そのような力がないようです。
お寺の本来の姿として、お同行の皆様が共に集う場(コミュニティ)は仏様を中心とするお寺の行事が主であることを改めて感じさせていだだいています。
お寺の行事に参加していただく具体的な取り組みについては、次の機会に記載させていただく予定です。

 

「未来の住職塾」の7期が今年の4月から開講されます。

ご興味のある方はお申し込みを(お寺の未来様のHPを参照)

いのちの日

いのちの日
京都府では、国、市町村及び府民等が一体となって自殺対策を推進して、悩み苦しんでいる方々が孤立することを防ぎ、全ての府民が地域社会の一員として共に生き、共に支え合う社会を実現することを目的として、都道府県で初めて「京都府自殺対策に関する条例」(平成27年京都府条例第20号)を制定されました。
京都府では、毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。
行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれることが、全国に広がる先駆けになることを願っています。

 

2月のおてらおやつクラブ

2月のおてらおやつクラブ 妙華寺のおてらおやつクラブの活動も4年目に入りました。19日に一人親家族様、支援団体様へおすそ分けさせていただきました。

全国で790ヶ寺以上のお寺様が賛同され、1月の発送数は312件で「おすそわけ」を受け取った子どもさんの数は約8,300人にのぼるそうです。

お寺のお供えがお役に立てることは有難いことです。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は1月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

 

和讃

和讃をご紹介いたします。和讃について多くの参考書がありますが、『注解 国宝 三帖和讃』常磐井鸞猶著と『浄土高僧和讃講話』川瀬和敬著より紹介します。
高田派門徒にはとても親しくしている和讃の一つです。

浄土高僧和讃 龍樹菩薩第6首

不退の位すみやかに 得むと思はむ人はみな
恭敬の心を執持して 弥陀の名號稱すべし

浄土往生から退くことのない位を、早く得ようと思う人はみな、わが身をつつしみ教法を敬う心を堅く保持して、弥陀の名号を称うべきである。

不退の位は、真の報土への誕生が確定して後退することのない、安定を得た信心の地位。
『讃阿弥陀仏偈和讃』第29首参照
恭敬は、『讃阿弥陀仏偈和讃』第32首の左訓に「心も及ばず敬うこころなり」とある。教法を敬うところにおのずからつつしみの心が生ずる。
執持は、金剛堅固の信心を表す。

以上 【注解 国宝 三帖和讃 常磐井鸞猶著より】

第4首と同じく『十住毘婆沙論』「易行品」の文によるものです。(中略)
願船に乗ずるとき不退の位を得るのは容易であることを、順風満帆の「不退の風航」と掛けてあるのです。祖聖の現生不退、現生正定について、『尊号真像銘文』よりその一つを選びます。「不退といふは、仏にかならずなるべき身と、さだまる位なり。これすなわち正定聚の位にいたるをむねとすと、ときたまえるみのりなり」と。
「恭敬」について、「つつしみ、うやまう」との左訓に加えて、「小乗おば供養という、大乗おば恭敬という」との注目すべき課題を与えられるのです。恭は自分の身を謙遜すること、敬は法を尊敬すること、これによって機を信じ法を信じる信心のすがたとみます。それでは小乗大乗とは何の意味でしょうか。『十住毘婆沙論』「釈願品」第5の初めに、「小乗の法を以て、衆生を教化するを名づけて供養となす。辟支仏(べゃくしぶつ)の法を以て、衆生を教化するを名づけて奉給となす。大乗の法を以て、衆生を教化するを名づけて恭敬となす」(中略)
『讃阿弥陀仏偈和讃』第32首には「恭敬をいたし歌嘆す」とあります。「執持」は「とりたもつ、散らし失わず。一度とりて長くすてぬにかく」と左訓されて、名号とのかかわりがよく分かります。直ちに『念仏正信偈』龍樹章の、「応以恭敬心執持 称名号疾得不退」を読誦することに誘われます。もとは『阿弥陀経』の「執持名号」「心不転倒」に由来するものでありましょうか。
往生浄土に一歩を印して退転のおそれのない地位を、一念一刻の早さで得ようとする人は誰人も、弥陀仏が名号を選んで本願としたもうた、その本願の名号を、こころをむなしくしてへりくだり、こうべにいただき、どこまでも身から離れないように、しっかりと大切にとりたもち、称名念仏にいそしむことこそが、不退転の実証の華となるということができます。
以上【浄土高僧和讃講話 川瀬和敬著より】

※この和讃から五首は、高田派では一番親しんでいる和讃です。ご自宅での年回のお勤めの時には「文類偈」に続いて一同でお勤めしています。