書院
お寺に、僧侶がお越しいただくとお通しする場所があります。多くのお寺で書院と呼ぶ場合が多いです。
妙華寺では、前々住職の時に建て替えた書院にお通ししています。
(専修寺第23世)堯祺上人が書かれた「漱月書院」の額が掲げてあります。
『漱月』とは、「しゅうげつ」と読み、月をあらう・すすぐ・すいこむの意があります。
前々住職は、「漱月」と名づけた歌集もつくっていました。
この書院の北側にある池(以前は、蓮池と呼んでいました)に、月が映る光景を思い浮かべます。

書院
お寺に、僧侶がお越しいただくとお通しする場所があります。多くのお寺で書院と呼ぶ場合が多いです。
妙華寺では、前々住職の時に建て替えた書院にお通ししています。
(専修寺第23世)堯祺上人が書かれた「漱月書院」の額が掲げてあります。
『漱月』とは、「しゅうげつ」と読み、月をあらう・すすぐ・すいこむの意があります。
前々住職は、「漱月」と名づけた歌集もつくっていました。
この書院の北側にある池(以前は、蓮池と呼んでいました)に、月が映る光景を思い浮かべます。

【案内】「秋の専修寺」展
高田本山の宝物館で10月24日から12月7日まで「秋の専修寺」展が開催されます。
~もう一度見たい至宝の品々~とありますので、これまで開催された展覧会から、選りすぐられた至宝が再び目にすることができるようです。
秋らしく感じるこの時期、高田本山にお参りして、専修寺の宝物に注目するのはいかがですか。

菩提寺
先祖代々の位牌が納めてある寺【岩波国語辞典】
菩提は「煩悩を断って悟りえた無上の境地」から「亡くなられた方の位牌やお骨が納められた寺院」を菩提寺と認識されているようです。
先日、高田派の僧侶と話す機会がありました。「墓じまい」の話題から「年忌法要」のあり方や何回忌までお勤めされるか・直葬と呼ばれる葬儀への考え方など、これまでの寺院活動を捉え直す必要性を強く感じています。
お同行(檀家)さんとお寺の関係性も希薄化を感じますので、生活者が認識するお寺(菩提寺)も大きく変化しているような気がします。
皆さんの「菩提寺」のイメージはどのようなものでしょうか?
※中川個人の感想です。

「日本の仏教史年表」朝日新聞出版社
7月に「日本史を宗教で読み直す」を読み終えたのは8月末頃でした。
その後、「日本の仏教史年表」を求めました。日本史の中から仏教に関する史実を調べるのにわかりやすい年表です。もう一度頭の中を整理するのに役立ちそうです。
※中川個人の感想です。

ムカデ
先日、朝本堂の唐戸を開けると、久しぶりにムカデを見つけました。
ムカデは、湿った暗い場所を好むようで、風呂場やトイレ、台所以外でも、以前は、寝るときに畳に敷いた布団や、座布団にもいたことがあります。玄関に置いてある長靴に潜んでいたこともありとても驚いたことも。小さい時に知らずにムカデを踏んで噛まれて痛かった経験から苦手と感じるのでしょう。ムカデについて調べると、ムカデのいる場所に、ムカデの餌となるゴキブリやクモなどがいるからだと知りました。
ムカデの餌になるゴキブリやクモを「害虫」と表現してあったことで、ムカデは益虫なのか。私(住職)は、ムカデも害虫ではと思うのですが、皆さんはどう思われますか。
「害虫」は、人間や家畜・ペット・農産物・財産などにとって有害な作用をもちらす虫。害虫はより広い意味を持つ「有害生物」に含まれると知りました。「有害生物」について調べると、学術的・法的な定義はなく、人間にとって「有害」かどうか、時と場合によって変わる相対的なものとありました。ということは、「害虫」や「益虫」も相対的な意味であります。
先日、布教使のお話で、「いのち」について、蚊の話になりました。蚊が血を吸うことは蚊の「いのち」をつなげる行為であることを知りました。だからと言って、かゆみを我慢したりテング熱や日本脳炎の感染症にかかるリスクもあるので、蚊に血を吸わせることはできません。「ごめんね」と言って蚊を叩いたとしても「いのち」の価値は等しくありません。仏法を聴きながら懺悔する生活をしています。
※中川個人の感想です。

紫雲会
9月17日、津市正覚寺さんが開催されている聞法会に参加しました。
講師は、高田派でも法話の指導されている本願寺布教使の花岡静人先生の「仏説無量寿経」のご法話です。
「仏説無量寿経」は、真宗の「み教え」の要のお経です。その内容に入るまでの多くのことをお聞かせいただきました。
「仏説無量寿経」「仏説観無量寿経」「仏説阿弥陀経」を「浄土三部経」と示されたのは法然聖人ですが、その先達である七高僧が顕かにされることがあってのことや、インドの経典を中国語訳する中で、国での言葉の違いや文化の違いによっての難しさをお聞かせいただきました。犬や猫の動物の鳴声の表記が、国によって違うことは知っていましたが、「わん」や「にゃー」の表記は江戸時代からでそれ以前は違った表記であることは知らなかったです。また、親鸞聖人の著された「顕浄土真実教行証文類」と「三部経」の関係や見方も、私(住職)にとってはとても刺激的でした。何度聴いても忘れていることが多くて聴く喜びを確かめさせていただいています。
花岡先生の法話を久しぶりにお聞かせいただくことを有難く感じしています。やっぱり聞法の素晴らしさを再確認いたしました。
※中川個人の感想です。

自殺予防週間(9月10日から16日)をご存知ですか。
先月、TV番組「子どもに「死にたい」と言われたら」を視聴しました。
「死」は誰もが避けることができないもの。仏教では「生老病死」を苦と捉えて、超えていく生き方を示しています。また、どのような死に方であっても同等のものであることも聞いています。「死にたい」思いをもつにことは誰にでもあることであるけれど「死にたい」と打ち明けられれば、その言葉に反応して、パニックになって「ダメ」と言った時点で、相手からそれ以上の会話は望めなくなってしまいます。まず自分の感情を抑えて、相手の気持ちを受けとめる「学び」がなくては、その先には進めません。
「死にたい」と口に出すことの難しさとその奥にある気持ち(死にたいくらいつらい思い)を私たちは受け取ることができるでしょうか。
「9月10日から9月16日は「自殺予防週間」です~関係府省庁等と連携し、さまざまな取り組みを実施します~厚生労働省は、毎年9月10日から9月16日の「自殺予防週間」において、自殺防止に向けた集中的な啓発活動を実施しています。このたび、関係府省庁、自治体、関係団体における、令和5年度の取り組みをまとめましたので公表します。昨年の自殺者数は前年を上回り、特に小中高生の自殺者数が過去最多となるなど深刻な状況となっています。自殺予防週間では、電話やSNSによる相談支援体制の拡充や、主にこども・若者に向けて、ポスターや動画による相談の呼びかけなど集中的な啓発活動を実施します。また今年は、自殺予防週間に先立ち、こども・若者の自殺防止に向けた取り組みを強化するため、こども家庭庁、文部科学省、内閣官房孤独・孤立対策担当室と連携し、8月1日からこども・若者に向けた集中的な啓発活動を実施しています。(参考URL:https://www.mhlw.go.jp/stf/jisatsutaisaku_press230801.html)引き続き「誰も自殺に追い込まれることのない社会」の実現に向け、自殺対策を推進していきます。また、自殺に関する報道は、その報じ方によっては自殺を誘発する可能性があるため、各メディアの皆様は、WHOの『自殺報道ガイドライン』を踏まえた報道を行っていただくよう、自殺対策へのご協力をお願いします。」((https://www.mhlw.go.jp/stf/r5_jisatsuyoboushukan.html 参照 2025年9月16日))

大切な方を亡くされてからのお別れ(葬儀)・追弔(法事)への想い(意識)の変化
以前に比べて大切な方とのお別れや追弔への意識が変化しているように感じています。新しい考え方を否定することではありませんが、どのような想いで変化しているのか気になるところです。
私たちの生活も、時代によって変化してきました。その多くは、コスパ・タイパと呼ばれる効率を求めてのものです。それによって豊かな生活ができるようになったのも事実です。この成功体験が、私たちの心の領域にも拡がってきているように感じます。
今の時代では、これまでのような「喪に服する時間」を効率の視点で考えると無用の時間と捉えられてしまうのでしょうか。
一方、効率を求めることで失ってきたものはなんでしょうか。人々との関係性や「共に生きている」という実感ではないでしょうか。忙しさのせいにして「心を亡くす」生き方をしてしまっているように私自身は感じています。
誰もが、独りで生きることはできないのが現実です。その時々の「ご縁」をいただき共に生きています。もう少しだけ、私と縁をいただいた大切な方について想いを馳せる時間をとることができれば、より豊かな気持ちにかるのでは感じています。
※中川個人の感想です。

お寺の行事の変化
お寺の行事として、元日の修正会・春彼岸会・春千部会・お盆・秋彼岸会・秋千部会・報恩講をお勤めしています。戦没者追悼会は、平成6年(50回忌)で終了しました。時代に合わせて法会の期間の変更はこれまでも何度かありました。
今回、令和8年元日の修正(しゅしょうえ)会の開始時間を午前5時30分から午前10時に変更することにします。お勤めの内容は以前と同じです。ご都合がつきましたらご参加ください。
お同行様がお寺の行事についてどのように考えられているか気になるところです。
※中川個人の感想です。

お同行様との距離
妙華寺は、江戸時代久居藩が造った町の北東(鬼門)位置にあります。今も同じ地で寺院活動をしています。お寺の半径1Kの西側の周辺にお同行様の居住があります(今は半径1k周辺)。お寺の周辺である二ノ町・本町・新町の古くから居住されていましたお同行様が亡くなられると、その跡取りの方の住まいにお仏壇を移されることが多く、お寺と距離的に離れます。
毎年のお盆勤めも、お寺の近くからお勤めするのですが、近くのお同行様の住まいが少なくなり、少し離れた場所のお同行様が多くなっているます。
以前からも、久居から関東・関西・名古屋へ住まいを移された方ともご縁が続く限り、お同行様として関係を結んでいますが、墓じまいなどの相談も多くなってきました。
地理的距離の問題もありますが、お寺とお同行様の心理的距離(関係性)も以前と比べると希薄になってきているとも感じます。
※中川個人の感想です。
