登録文化財

登録文化財
広報つ(令和4年)10月16日号の「歴史散歩194」のコーナーで、国の登録文化財の「妙華寺 本堂」が紹介されました。改めて振り返ってみたいと思います。
「妙華寺 本堂」が国登録文化財(建造物)に登録されたのは、平成16年11月8日です。
妙華寺としては、そのことを記念して、平成17年、当時早稲田大学文学部教授(専門は日本近代史)の深谷克己先生に「妙華寺と久居藩世界」の原稿を賜り「法苑院妙華寺縁起」の冊子を作成しました。
その後、平成28年には、登録文化財の説明文をを当時、(一社)お寺の未来の松﨑香織さんに英訳していただきした。
平成30年3月には、 一般社団法人三重県建築士会様が、多くの皆様に登録有形文化財の文化的価値、観光資源的価値を認識いただき、登録有形文化財のさらなる活用と地域の活性化の一助としてトレーディングカードを作成されました。三重県内にある多くの登録有形文化財の一つであります「妙華寺本堂」のトレーディングカードも作成していただきました。

他にも、東海TV「スタイル+」やZTVの市政案内。季刊誌の「すばらしきみえ」などで紹介されています。思い出深いのは、東海TVの「スタイル+」で紹介していただいた時、犬好きの照英さんが、犬と戯れているカットが終了間際に放送されたことで、愛犬家が愛知県や三重県の他市町村から犬を見に訪ねてこられたことは驚きでした。

※つ広報10月16日号の「歴史散歩194」のコーナーで、国の登録文化財の「妙華寺 本堂」が紹介されました文書の冒頭の所在地が「津市元町」とありますが「津市二ノ町」が正しいです。

※お寺のHPブログ2022-10-16の再掲です

登録文化財

登録文化財 トレーディングカード
平成30年4月には、(一社)三重県建築士会様が「妙華寺本堂」のトレーディングカードも作成していただきました。
三重県内にある登録有形文化財の文化的・観光資源としての価値を認識し、さらなる活用と地域の活性化の一助としてのものです。
これを縁として、全国から多くの方がトレーディングカードを求めに妙華寺にお越しいただいています。

登録文化財

登録文化財
「すばらしきみえ」の掲載文も紹介します。
【「すばらしきみえ」三重の「国登録有形文化財」平成20年10月発行より】
久居の中心部を歩くと、久居旅籠町・久居東鷹跡町(ひがしたかと)など、かつての城下町を彷彿させる地名が続きます。
雲出川の北に広がる野辺野(のべの)の丘に居を構え、町を形成したのは、藤堂高虎の孫、高通(たかみち)で、寛文9年(1699)のことでした。久居とは彼がこの地に「永久に鎮居する」の意味を込め、命名したと伝わります。
久居二ノ町には、玉せん寺(ぎょくせんじ)と妙華寺(みようけじ)が並びます。どちらも藩主藤堂家ゆかりの名刹。しかし、文政4年(1821)の大火でいずれも焼失の憂き目に会いました。玉せん寺は、明治時代に再度本堂を失ってしまいましたが、妙華寺は安政4年(1857)の再建から今日にいたるまで、150年の間この地に建ち続けています。
現在、妙華寺本堂を訪ねると、随所から歴史の重みが伝わります。中でも見事なのは、参詣者が本堂に上がる場所・向拝(こうはい)に見られる装飾でしょう。エビのように曲がった化粧梁は、「海老虹梁」(えびこうりょう)、木鼻(きばな)のキバの無い動物は「獅子」、有る方は「象」を表していることなどを、住職の中川和則さんから教えてもらいました。
屋根に視線を移すと、途中で形が変わり、まるで2段構造になっているように見えます。この形が、兜の左右から後方に垂れて首筋を覆う錣(しころ)に似ていることから「錣葺」といわれる、独特の造りです。
開基は天和元年(1681)までさかのぼる妙華寺、寺の存在は、今後も久居の歴史の1ページを飾ることでしょう。

※玉せん寺(ぎょくせんじ)の「せん」は、旋の「方」が「さんずい」になります。

 

登録文化財

登録文化財
平成16年11月に妙華寺の本堂が登録文化財に指定されました。今年で19年目になります。
今一度、本堂について紹介させていただきます。

今ある本堂は、文政4年3月の久居大火にて焼失した本堂を当時のお同行の皆様のご尽力により安政4年に再建した本堂です。
平成16年11月に国登録文化財に指定されました。
その紹介文と英訳を紹介します。

 

白帯

白帯
僧侶は白衣の上に、簡素な外着(真宗ではふほうと呼ばれるもの)や、儀式で着用する色衣・袈裟・差袴を着用します。白衣は着物の白色と考えるとわかりやすいです。その白衣の帯は白色で白帯と呼んでいますが、着物の帯(男用の博多帯)よりしっかりしていないので、一年も使うとへたってしまい新しいのに取り替えています。もう少ししっかりと編んである白帯を探すのですが中々見つかりません。知り合いの僧侶にもたずねるのですが、無いようです。中には、博多帯の地味な色(シルバー)を使っている方もいらっしゃいます。
白衣は、その上に着用するものがありますので、着物の帯のようには目立たないので、しっかりした博多帯を使うのもありかなと思ったりします。

お寺のお勤め

お寺のお勤め
皆さんは、僧侶のお勤めをどのように感じられているでしょう。
真宗高田派の妙華寺のお勤めは、浄土の教えが書かれたお経『無量寿経』『観無量寿経』『阿弥陀経』(浄土三部経)をお勤めしています。短い偈文の『重誓偈』『歎仏偈』も『無量寿経』の中の一節です。
また、宗祖親鸞聖人が書かれた「正信偈」「文類偈」「和讃」なども拝読します。
「南無阿弥陀仏」と称する念仏も称えます。
私(住職)は、「お勤めは仏徳讃嘆」と聞き伝えられています。

本堂のご本尊「阿弥陀仏」の「はたらき」で私が本当の私の姿に気づき、懺悔し生まれかわっていくからです。
「正しいのは私だけ」の私が、そうではなかったと翻る経験を「阿弥陀仏」の「はたらき」がさせてくださるのです。

自分の健康が「あたりまえであること」が、「そうではなかった」と感じることはありますね。人それぞれの状況での経験ですので、そのことを「阿弥陀仏」の「はたらき」によってですよと言ってもそう捉えない方もいらっしゃるでしょう。
私の判断がいつも正しいことでなく、私の損得や善悪と違う物差しがありますよ。それが「阿弥陀仏」の「はたらき」として私に届くことを願っています。

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葬儀と初七日

葬儀と初七日
お寺のお同行さんが亡くなられると葬儀が営まれます。
もう40年以上前の話ですが、葬儀が終わるとお墓にお骨を埋葬し、その日は終わりました。そして初七日のあたりの日に初七日のお勤めをしていました。それが、葬儀の日と初七日の日が近いので初七日のお勤めを葬儀の日に一緒にする方が、改めて遺族親族が集まらなくてもよいので、葬儀と初七日を同じ日にすることが当たり前のようになってきました。それでも最初は、葬儀や埋葬が終わったら区切りとして、遺族を始め参列者がお寺の山門からいったん外へ出て、再び山門から入って初七日のお勤めをする姿が、数年間続いていました。しかし、20年ほど前からは、区切りの姿もなくなり、当たり前のように、葬儀納骨が終わると続いて初七日のお勤めをしています。
東京で20年頃前に、葬儀をして火葬の間の時間に初七日のお勤めを依頼されて驚いたこともありました。そして、ある市の方が亡くなられ葬儀の依頼が入りました。この市では、葬儀のお勤めをして引き続き、初七日のお勤めをして、出棺で火葬でその日が終わるとのことのようです。お寺の地域では葬儀時間を60分ほど取り、出棺で火葬の段取りがほとんどですが、葬儀時間60分の間に初七日のお勤めをして、出棺火葬と続くとなると葬儀のお勤めと初七日のお勤めがとてもタイトになります。ただ、今は家族葬がほとんどの為、葬儀開始時間を少し(10分ほど)早めてもらうことができれば、しっかりお勤めもできると思います。
葬送の儀は地域によって様々であるようで、また時代と共に変化していくものだと感じました。

『日本政教関係史』

日本政教関係史
10月15日のブログで宗教法人について考えていかなければならないことを投稿しました。
その後、『日本政教関係史』筑摩書房の本を知りました。まだ、最初の部分しか読んでいませんが、明治以降の150年、日本国が宗教にどのように向き合ってきたかを概観しています。現在の宗教法人法も終戦後の中でどのような背景があったかを知ることから新鮮に感じられました。当然そこには、戦前の宗教団体法が可決されるまでのことも知ることができ、改めて、宗教法人のことを学ぶ機会を得ました。

私(住職)にとっての親鸞聖人の「み教え」をどのように領解(りょうげ)しているのかもう少し掘り下げて味わいたいものです。

きっかけは何か

きっかけは何か
ある反省会で、「きっかけ」について話題になりました。
考えてみると何かを始める時「きっかけ(動機)」は、明確であると思います。
例えば、私(住職)の場合、車の免許を取る「きっかけ」は、家族の両親も祖父母も免許は持っていませんでした。当時は自転車が唯一の乗り物でした。近くのお同行様の自宅に伺うのは今も自転車を使いますが、遠方のお同行様からお勤めの依頼があれば送り迎えをお願いしていました。時にはタクシーを使う時もありました。そのころから、自転車だけでの生活では行動範囲が限られてしまいます。地方都市では、公共交通機関も発達していませんので、車が必要な時代になり始めていました。同級生の中には、18歳になった時点で教習所に通い車の免許を取得する者もいました。「車があればどこにもいける。生活が充実する」ということが、免許をとる「きっかけ」だったと思います。
ある物事を始める時も心の中で「きっかけ」があって始まるのだと思いますが、継続する中で「きっかけ」を思い起こすことができなくなることもあります。それほどの思いがなかったのでしょうか。それでも続けていることは何故なんでしょうか。
継続する意味は何か。改めて言語化しなければならないようです。
言語化できてもすべてを開示することはできないような気もします。
それでも、「けっかけ」を問うことはとても大切なように感じています。

宗教法人

宗教法人
法苑院 妙華寺は、宗教法人として昭和28年5月1日に認証されています。お寺の歴史としては、江戸時代に野辺野に藩が生まれて、新しい町の中に寺領を割り当てられて草庵が天和元年(1681)に結ばれました。それからこの地で寺院活動(布教)を続けています。

今の寺院規則の第5条(目的)に 「この法人は、真宗高田派宗制により、宗祖親鸞聖人の立教開宗の本義に基づき、教義をひろめ、儀式行事を行い、信者を教化育成して公共の福祉に寄与し、その他この寺院の目的達成のために、必要な礼拝の施設、その他財産の維持管理その他業務及び事業を行うことを目的とする」とあります。皆様に親鸞聖人の「み教え」を伝えることを目的として多くの行事などを行っています。

先日、本山での研修で、今後、宗教法人を取り巻く状況は、人口減少も含めますます厳しい状況になることを改めて学びました。そこには、お寺側の意識が生活者の意識から乖離していることが大きいのかもわかりません。もう少し、今の社会の現状を正しく認識しお寺の運営をしていかなければいけないと感じています。

檀信徒の皆さんに親鸞聖人の「み教え」が伝わっているか。問いかけていきたいと思っています。