お寺の掲示板

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遠慮せずに助けを求める。周りが力になってくれる

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「死別の悲嘆に向き合って生きていくために、周囲の人の手助け、グリーフケアを受けることも大切です。さまざまな社会資源もサポートになります。」と続きます。

悲嘆を抱えている人の周囲の人からのグリーフケアは、日常生活の手助けです。遠方の場合は、電話や絵はがきでの交流で負担がないように伝えることが必要です。さまざまな社会資源の活用もあります。充実しているとは言えませんがこれから公的な制度の拡充を期待します。「グリーフケア」という言葉は聞き慣れないかもわかりませんが、当たり前のように存在しています。

※当たり前のように存在する「グリーフケア」や社会資源に気づくことができない場合もあります。どのようなサポートができるかはさまざまですが、誰もが素直に「助けて」と発することができる社会が実現できればいいですね。そしてそれに向かってできることをしていくことが大切です。

お寺の鳴り物

6月10日は時の記念日にちなんで

久居に過ぎたるものの1つとして「子牛(とき)の鐘」があります。今は幸町にありますが、元文元年(1736)に中大手(現在の東鷹跡町)に時刻を知らせる鐘として造られました。寛政元年(1789)に今の幸町に移され火事を知らせる鐘になりました。その後寛政9年(1797)に再び時刻を知らせる鐘になりました。津市の鋳物師 辻越後藤原種茂が造られました。

お寺の鳴り物(打ち物)の紹介
お寺の境内に梵鐘(ぼんしょう)があります。妙華寺では、行事への参集の合図として法会の30分前から打ち始めます。また、お寺によって、毎日、時の鐘として鳴り響くことや、除夜の鐘として大晦日に鳴り響くことも有名です。
妙華寺の梵鐘は、寛保4年(1744)1月18日 (当院3代恵成上人の代)の時、津市の鋳物師 辻越後藤原種茂が造られました。高さ1m6cm・直径82.5cm・厚さ9.5cm
戦中の、金属等回収令により一時期、鐘楼堂から外されましたが、
戦後、戻ってきました。
※久居の町ができる頃多くのお寺が造られ、多くのお寺の梵鐘も津市の鋳物師 辻越後藤原種茂が造られています。「子牛(とき)の鐘」の梵鐘も同じ方が造られました。

本堂内には、高座の横に磐(けい)が掛かり、磐枚(けいまい)の柄の端を垂直に保ちながら軽く打ちます。高座に着座してお経や式文を拝読するときに使います。

 

内陣の住職の席に砂張(さはり)があり、 打棒で、砂張の外側上部をすりあげるように打つよう聞いています。


妙華寺では、衆徒席に大鏧(だいきん)があり、鏧の外側上部をすりあげるように打つよう聞いています。


本堂の裏に梵鐘の小さな形の喚鐘(かんしょう)が釣られおり、法会開始の時に打つ始めます。

お経を拝読する時に、音木(おんぎ)を使います。音木はかるく持ち平行に打ち合わせると聞いています。打ち方に1つ拍子、三つ拍子(中・小・大)がありお経の文字横に大・中・小の●印で打ち方が示されています。

お墓で使う輪(りん)があります。

また大きな法会では楽人衆が奏でる雅楽も本堂内に満ちあふれます。

他にも葬儀式などで、引鏧(いんきん)、銅鑼(どら)、鐃鈸(にょはち)の鳴り物を使うお寺もあります。

お寺で使う鳴り物は、法会への合図であったり、始まりや終わりを示したり、共に読誦(どくじゅ)する拍子であったり、法会に集う共々が一緒になり阿弥陀様を讃嘆する助けとしてあるようです。

お寺の宝物

お寺の宝物
お寺の宝物の1つにご法主が書かれた額や掛物があります。
常磐井 堯祺 筆 「漱月書院」額
高田本山第23世 明治38年~平成4年(1905-1992)88歳
第22世堯猷の次男 雅号「翠山」

妙華寺10世實明上人が再建した書院に揮毫されました。

漱月(しゅうげつ)は、「月をあらう・すすぐ・すいこむ」の意がある。
書院の北側にある池に月が映る光景をあらわしている。
妙華寺10世實明上人の歌集に「漱月」と題している。

「和眼愛語」額
以前は庫裡の居間だったと思いますが、現在は、妙華寺会館に掲げてあります。

季節を感じて

季節を感じて
茶道では立夏から立冬までが風炉の季節になります。
最初、書院でお茶が振る舞われていた頃は、年中、風炉でした。利休が立冬から立夏まで畳に炉を切りお茶を振る舞うことになり書院から茶室での茶道となり、更に季節の移ろいをより感じることができるようになりました。
衣服も、暑さや寒さを感じる時に衣更えをします。日本では、6月から10月が単衣の着物になりますので、僧侶の衣も6月と10月に衣更えをしています。最近思うことは、気候変動などの影響で暑い時期が延びていますので、立夏から立冬までの半年間、単衣でも良いのかなと思ったりします。
今の時代、四季の花を愛でたり、自然を感じることなど、季節の移ろいを感じながら生活することはとても豊かな気持ちをいただけます。

今月の本

今月の本『利他主義と宗教』稲場圭信 弘文堂
10年前(東日本大震災の後)に出版された本に出会った。宗教社会学の研究者で 共生(きょうせい)学を立ち上げた一人である稲場氏の宗教的利他主義の研究20年目頃に出版された1冊で海外の宗教団体や日本の宗教団体での調査や、阪神淡路大震災や東日本大震災などの非常時での宗教者の活動や日常での活動を、研究者(生活者)の視点から宗教者や宗教法人の現状と将来を語られていて、とても感銘を受けました。
私(住職)の中で、宗教者として社会貢献の活動をしているのか自省をしながら、私(住職)にできることは微々たるものであるが、宗教界として希望をいだける内容と感じた。 著者が日本人の宗教性を、「無宗教」と言わず「無自覚」と示されていることや、宗教者や宗教法人のこれからの社会貢献の可能性を「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)」として論じられていることに興味を持ちました。
そこから、著者の研究領域である『共生学宣言』や『災害支援ハンドブック~宗教者の実践とその協働~』の1冊にも出会うことができました。
※著者の稲場圭信さん達が立ち上げた宗教施設などの地域資源を活用した減災・見守りシステの構築から、全国の避難所と宗教施設のデータが登録されている「未来共生災害救援マップ」https://map.respect-relife.net が公開されています。それぞれの地域で大きな災害などが起こった時、避難施設の情報として活用されます。

お寺の掲示板

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渡る世間を「鬼」ばかりにする人 「仏さん」ばかりにする人

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、「渡る世間は鬼ばかり」の発想は、私たちは自分の周囲をとりまく様々な出来事を、「これは利用価値がある・ない」「これは便利がいい・悪い」といった視点で見ています。

仏法に対するスタンスも、本当に利用価値があるかどうか、自分が判断して「いいとこどり」をしていこうという発想をもつ人もいます。これは「私」の方が「仏さん」より偉くなっているわけです。

※耳の痛い言葉ですね。どこまでも私の都合を優先する「迷い」の中にいれば、私を含めて「渡る世間は鬼ばかり」です。そうではないことに遇うことがどれほど難しいのかもわかっていません。

介護保険制度と成年後見制度

 

介護保険制度と成年後見制度
私(住職)は今年の3月で65歳になりました。3月に入ると「介護被保険者証」が送られてきました。父や母も晩年介護サービスを使用していしましたので見慣れた「保険証」ですが、実際自分自身の「介護被保険者証」が届くまで、「介護保険」について詳しく知ろうとしていませんでした。そして、成年後見制度は、もしも自分自身が判断力を失った時、生活をしっかり支える制度で、介護保険制度と同時に成立した制度だと言うことを知りました。
「介護保険制度」で自立した安心な生活を支援(サービス)しつつ、判断力を失った後もその方の生活支援の中で、資金管理をきちんと守る「成年後見制度」がそろって、私たちの終活も安心なものになるのでしょう。もちろん制度に行き届かない点もあるのだと思いますが、しっかり自分で理解をしておきたいと思います。
これまで、お寺で「終活」について、行政書士様や終活カウンセラー様などと共に行事を何度か開催してきました。「成年後見制度」についても本来関わっていらっしゃる方にお話をお聞きしたいと思っていますが、現在コロナ禍の中では、行事として開催が難しいので、「市民後見センターSTEP」さんが作成したわかりやすいパンフレットを用意しました。(定価200円) 成年後見制度についてご興味のある方は、お寺にお申し出ください。数に限りがあります。


【これまでのお寺で開催した終活行事】
・エンディングノートについて
・「死の体験旅行」のワークショップ
・相続について
・死後事務委任について
・介護保険について
・健康体操

親鸞聖人降誕会 来年の妙華寺の誕生850年まで後1年

親鸞聖人降誕会(ごうたんえ)
親鸞聖人の出自について覚如上人の『親鸞伝絵』に記されていますが、中世の史料には、聖人がいつどこで生まれたか具体的な記述がありません。
宗祖(しゅうそ)親鸞聖人は、承安3年(1173)に誕生されたことは、聖人のお手紙・書物に年齢が記されていますので判明しています。誕生の月日は、1月1日・2月上旬・4月1日、10月の諸説があります。これらは江戸時代に編集された聖人の伝記によるものです。その中で高田派の良空(りょうくう)の『高田開山親鸞聖人正統伝』に記された4月1日(太陽暦5月21日)説が有力になり、定着していき、場所については山城の日野の里に伝承があり今に至ります。また聖人の誕生日の行事として法会が勤まるのは明治に入ってからです。降誕会とは普通お釈迦様の誕生をお祝いする行事ですが、真宗では「親鸞聖人は阿弥陀如来の応現(おうげん)」と頂くところから聖人の誕生を降誕会と言いお祝いの行事をしています。

※五天良空(ごてんりょうくう) 四日市川原田の常超院の住職
親鸞聖人の伝記研究に没頭し、専修寺の古い記録をさぐり、
史料調査で聖人の遺跡を訪ね正徳五年『高田開山親鸞聖人
正統伝』を著した。当時は聖人伝の研究の華やかな時で、
大谷派の慧空・本願寺派の玄智などと論戦が行われた。

また、来年は、法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会を予定しています。
 日時は2022年令和4年5月22日(日)に予定しています。
    講演会 午前10時から午前11時30分 講師 田畑正久氏
    法会 午後1時(又は)午後1時30分から一席
    提言・対談 午後2時から午後4時30分終了予定 
    清水谷正尊師と井上広法師のお二人に「親鸞と法然」をテーマとした提言後 座談会30分を考えています。

親鸞聖人ご誕生850年と立教開宗800年奉讃法会で、法然聖人から親鸞聖人に伝えられたお念仏のみ教えを「選択本願念仏集」を通してどのように今に伝わってきたか、また、今後どのように伝えていくかを浄土宗と真宗高田派の僧侶をお迎えして語り合う場を持ち、お同行の皆様と一緒に考えたいと思います。

※午前中の田畑正久先生の講演は、令和2年の「お寺の講演会」が中止になったことで、令和4年に時間をとっていただきました。

妙華寺親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会の行事に、記念事業の1つとして妙華寺に伝わる「選択本願念仏集」の掛軸(3幅)を修復し、西(向かって左)余間に掛ける予定です。

まだチラシなども出来上がっていませんが、妙華寺に伝わる「選択本願念仏集」の掛け軸について、調査していただいています清水谷正尊師に新しい知見を紹介していただきます冊子を作成する予定です。

今月のおてらおやつクラブ

5月のおてらおやつクラブ
5月は12日に支援団体様におすそ分けさせていただきました。
昨年からのコロナ禍で、多くの一人親家族が生活に苦慮されている現実があります。
おてらおやつクラブへの「助けて」との声も増えていることを事務局からお聞きしました。そして新しい取り組みもはじまりました。「助けて」の声があげられる世の中で、不安や心配が少しでも小さくなればうれしいですね。
おてらおやつクラブの活動としてお供え物が、一人親家族の生活の一助にでもなれば有難いです。

おてらおやつクラブ事務局では、コロナ禍でおてらおやつクラブに支援を希望される一人親家族の皆さんが増えていらっしゃるそうです(おてらおやつクラブのHP)
もっともっとこの活動が拡がっていくことを願っています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

母の日

母のいない母の日 私(住職)が小学生の頃には、「母の日」「父の日」があり、先生から父や母に感謝する日と教わり、やがて「敬老の日」もカレンダーに加わって、両親とともに祖父・祖母を含む高齢者も尊ぶことを教えられました。
私(住職)が社会人になった頃から、「母の日」や「父の日」にプレゼントを贈ったことも、感謝の気持ちですが毎年の中元や歳暮のような感覚でした。
数年前に「母の日」は、諸説あるようですが、およそ100年前にアメリカで亡くなった母を追弔する(想う)日からはじまったとお聞かせいただいたのですが、

それほど実感はわきませんでした。
今年、65歳にして母がいない「母の日」を初めて迎えました。
日本仏教では亡くなられた方を追弔する日として、命日や年回(忌)法要を思い浮かべます(真宗では大切な方の命終えられる姿を通して仏徳讃嘆しています)
今は亡き母を「母の日」に追弔することも特別な記念になると感じています。
これまでの思い出も大切ですが、いなくなってからの関係性も大切にしていきたいと思います。