お寺の掲示板

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「介護離職」はどんな理由であれ、絶対してはならない

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「家族にさまざまな面で大きな負担をかける介護ですが、共倒れにならないためにも、無理をしないことが大切です。介護離職などはもってのほかです」とあります。

一緒に過ごせる時間が長くないとわかっているとき、家族にとって大切なのは、後悔しないようにすることです。それは、できるだけそばにいることも大事ですが、生活を維持することも同じように重要です。患者本人も、自分の介護で家族がボロボロになる姿は見たくないでしょう。家族はこの先も生きていかなければならないのですから、安心させてあげるという意味でも、無理のない体制を整えていきましょう。

※大切な家族とどのように最期を過ごすのか悩ましいことです。共に気遣いながらも、共に後悔が残るのが現実のように感じます。それでも自分の生活の中でできることを探し続けることなのかもわかりません。

いのちの積み木

いのちの積み木
2018年に「いのちの積み木」のワークショップに出会い、改めて「いのち」について考える機会がありました。自分の命の誕生を考えるとどうしても家系図を思い出します。
先祖から私への流れです。「いのちの積み木」では、私から先祖への流れを可視化しています。先祖から私でも、私から先祖でも同じことのように思えますが、主体が、「先祖」と「私」では少し違って感じることもあります。

「いのちの積み木」のプロジェクトは、目に見えないご先祖様の「可視化」とご先祖様への「感謝」を育てることで、わたしの「生きる力」に変わることを願ってのワークショップです。【いのちの積み木のHPから】
※このワークは、ご先祖様についての不安や恐れを増長するものではありません

私(住職)は「いのちの積み木」のワークショップから、いただいた「いのち」について考えた時、孤立した「いのち」ではなく支え合う「いのち」つながり合う多様な「いのち」
「いのち」を通して関係性を学ぶことと感じました。

2019年3月にお寺でワークショップを開催しました。初めてで不慣れな進行で参加されました方にしっかり伝えることができたか、もう少し工夫ができたか反省点はいくつもありましたが、参加して良かったとの声もいただいたりしています。

昨年からのコロナ禍で心に大きな不安をいだいているこの時期、ワークショップの開催は難しいですが、「いのち」について考えることは大切と思います。

これからのお寺

お寺の変化②
これからのお寺のあり方の模索中
私(住職)は、中学3年の昭和45年(1970)9月15日に得度をしました。その後、大学生になり、お盆のお勤めや井戸山の報恩講のお勤めを当時の住職(前々住職)から実践を通して学んでいきました。社会人になり、職場での仕事と法務を当時の住職(前住職)の手伝いをしながら実践していました。10年間の市役所勤務を退職し、自坊の法務と高田本山での単発的な事務を経て平成18年に妙華寺の住職を拝命しました。この間に、お寺の事や教義のことで学んだこともたくさんあり今に至っていますが、平成25年(2013)未来の住職塾の2期を受講したことは、私(住職)にとっては、僧侶として新たな視点に気づかさせられたように感じています。私の場合、お寺の住職として、自坊のこと檀信徒のこと、宗派の教義のことを大切にしていく中で少し内向きな思考になっていることがあります。宗教法人としてのお寺の意義とは、僧侶としてのあり方とはの視点が私の中で当たり前でありすぎて抜け落ちていたのかもわかりません。そこに立ち戻ることができたことがとても良かったと思っています。閉塞感のある令和2年(2020)に未来の住職塾 NEXT R2をオンライン受講して忘れかけていた視点を集中して考える時間がこれからのお寺のあり方にも大切な視点になると考えています。
時代の変化でこれまでの大切にされていたものが、忘れかけられたり、切り捨てられていくことも多くあります。そのこと自体は、その時代の人々に評価されなくなった現実でもあるのですが、本当にそれだけなのだろうかと考えることはたくさんあります。私が伝えたいことは何故伝えたいのか、そしてそれは伝わっているのかを実践し検証するだけのことしかありませんが、これからも考え続けていきたいと思います。

葬儀

お寺の住職や寺族が往生すると、葬儀を勤めしていただく寺院の住職にお願いします。(相)導師(寺)さんと呼ばれたりします。妙華寺の前坊守が往生した時もお願いしました。(ご病気で副住職様にお勤めしていただきした)
その相導師様が往生されたと連絡があり、悔やみの勤めに伺いました。その後、通夜・葬儀のことでお話がありましたが、第3波と呼ばれるコロナ禍で三重県の緊急事態宣言中でありますので、ご家族と近いご親戚での密葬として、本葬は、コロナが収束してから予定されるようです。お寺の住職が往生されると、檀信徒はもとより、親しくされていたお寺の住職様など数多くの方々が駆けつけられソーシャルディスタンスがとれなくなりますので致し方ないことだと思います。
通夜のお勤めの後、往生された住職様のことを思い出しますと、病気でお弱りになられているとお聞きしながら見舞いもせず無礼なことを詫びながら、4年前の前住職様の37回忌で話をさせていただいたことが最後であったと思い出しました。
往生されました住職様は、前住職様が往生されてから職場とお寺の法務で365日休み無く働かれていたそうです。そして戦争で焼失した本堂を新しくし再建され、庫裡や鐘楼堂の再建と檀信徒様が利用できる会館を新築されたことを改めてお聞かせいただき、きっとお寺の中興上人として多くの檀信徒様の心に残っていくことと思いました。妙華寺との関係で思い出すことは10年前に妙華寺の前住職の葬儀でお勤めしていただいたこと、それ以降の年忌法要もお勤めいただいていていることです。仏間に掲げてあります、前ご法主殿の「歓喜光」の額装がとても印象的でした。

お寺の宝物

お寺の宝物 佛涅槃図
佛涅槃図(ぶつねはんず) 一幅 真宗高田派 京都別院所蔵 【複製】
縦151.2cm 横128.7cm 兆殿司筆(室町時代)

妙華寺所蔵の「佛涅槃図」が江戸時代焼失し、その後、平成23年の高田本山の親鸞聖人750回御遠忌大法会の記念として、京都別院の「佛涅槃図」【複製】を求めました。

その後毎年2月の15日から3月15日まで西余間にかざっています。

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佛涅槃図は、釈迦(しゃか)の入涅槃の場面を描いたもので、釈迦が亡くなられた二月十五日の涅槃会で本尊とされます。
八十歳になられた釈迦は、インド北西部のヴァイシャーリーで夏安居(なつあんご)を過ごし、北のバーヴァーに向い、鍛冶工のチュンダから食事の供養を受けましたが、食あたりを起こしました。痛みをこらえつつ、阿難(あなん)とクシナガラに赴きました。阿難に「私は疲れた。休みたい」と言われ二本の沙羅双樹の間に、頭を北に顔を西に向け、右脇腹を下にして横たわれました。釈尊の元にかけつけた弟子に「もろもろの事象は移ろい無常である。放逸に堕することなく、修行せよ」と諭され二月十五日の満月の日に静かに入滅されました。釈迦の最後の説法は『大般涅槃経』に、入滅とその後の話は、『大般涅槃経後分』に説かれています。
箱裏に「涅槃像 兆殿司筆 一幅」とあり、室町時代の明兆(一三五二~一四三一)筆との所伝であるが、明晰な色彩から実際の制作年代は十六世紀後半、室町時代後半から桃山時代にかけてと考えられる。
精微な作であるうえ、群青など良質な顔料を贅沢に使用していることから、相当の名手が手がけたことがわかる。周辺は、描表具がめぐらされているが、群青地に箔を押し地色と同じ群青で模様を施している。これは唐物裂を模したと思われる。
中央の釈迦像を見ると、袈裟には截金(きりがね)が施され、衣の縁(ふち)などは胡粉(こふん)で模様を盛り上げた後に金泥(きんでい)を重ねて豪華な雰囲気を作り出している。他の人物には、目元に朱を入れて泣き腫らした様を表し、衣裳には豊かな文様が丁寧に手描きされている。この涅槃図は、鎌倉時代後期に日本に伝来した、中国の宋・元時代の涅槃図をモデルとしてる。日本で多くのヴァリエーションがあり、すべての人物の特定は難しい。中央の釈迦の手前で錫杖を持つ地蔵菩薩、その前の転倒する若い僧は十大弟子の阿難、それに水を注いで介抱するのが阿那律、阿那律の横の俗人は耆婆大臣、その手前は、迦葉童子、その下で向かい合うのは、難陀龍王と無垢称王(維摩居士)、その隣の金剛力士とその上部には、龍をまとった優婆難陀龍王、和須龍王、その上に蛇をまとった摩睺羅伽、金趐鳥を頂いた迦楼羅、三面六臂の阿修羅など八部衆が続く、釈迦の足に触れるのは、昆舎離城老女である。阿修羅の左手前の菩薩は、冠に水瓶があるので勢至菩薩である。中央一番奥の神将は毘沙門天(もしくは韋駄天)、その左正面向き菩薩は、観世音菩薩 である。床台の左隅の白い身体の佛弟子は羅睺羅である。その右隣の冠に五輪塔をいただくのが、弥勒菩薩である。釈迦枕頭の二菩薩は、文殊と普賢と思われる。その横の沙羅双樹に挟まれている三人目の人物は帝釈天である。その横の象頭冠をかぶるのは八部衆の緊那羅で、その下部で飯器を捧げるのが釈迦の食あたりの原因となった純陀である。上方から飛来するのは、忉利天から釈迦の臨終に会うため飛来する摩耶夫人で、先導するのは阿那律である。阿那律が再登場するのは、『摩訶摩那経』に基づき、異なる時間を一つの図に表した。
最後は、動物については、人物の巧妙さに比べやや稚排で愛すべき描写となる。すべて判別できないが、左から大体の順序で列記すると、イノシシ、豹、狸、狐、鼬(いたち)、狢(むじな)、猫、青羊、犀(背中に甲を持つ霊獣として表現)、孔雀、金翅鳥(きんしちょう)、迦陵頻伽(かりょうひんか)、雉(雌雄)、鸚鵡(おうむ)、鳥、鵲(かささぎ)、磯鵯(いそひよどり)、雀、百舌(もず)、鼠、猿、兎、象、犬、鳥、燕(つばめ)、鷹、虎、龍、蜻蛉(せいれい)、蜥螐(せきお)、百足、蝶、蚯蚓(みみず)、蜂、蝸牛、蟹、蛇、獅子、水牛、鳩、蛙(雌雄)、亀、馬、駱駝(らくだ)、牛、鹿、(雌雄)、狼、白鷺、朱鷺(とき)、真鶴、鵜(てい)、鵞鳥(がちょう)、鳥、雁、鴨(雌雄)、鴉(からす)、雄鶏(おすにわとり)、鳥、鴛鴦(おしどり)となる。(京都国立博物館大原嘉豊氏の解説を元に作成)

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1月のおてらおやつクラブ

1月のおてらおやつクラブ
1月は、13日に3つの支援団体様に今月もお供えをおすそ分けすることができました。
おてらおやつクラブの活動が、一人親家族の生活の一助にでもなれば有難いです。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は正月月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

お寺の掲示板

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威張らない、誇らない、他と比べない

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、「花が美しいのは、①威張らない、誇らない ②他と比べない ③見るものを楽しませる こうした特長を備えているからだと思われます」と続く。

『阿弥陀経』の中には「青色青光 黄色黄光 赤色赤光 白色白光」と説かれています。これは、浄土に咲く蓮の花のありさまを語ったものです。各人がその人本来の姿で輝きを自在に発揮する「自然の姿」が表現されています。
多くのものによって生かされている、支えられている、願われている、教えられているという「存在の満足」を感得する者は、周囲の人を温かくしていくのです。

※自分の本来の姿は、映し出す鏡がないとわかりませんね。私を映し出す鏡は、私が選ぶ鏡でなく、私を選ばれた鏡に映る姿を見ないとわからないでしょう。

前坊守の満中陰を終えて

前坊守(母)の満中陰を終えて
前坊守の満中陰のお勤めが1月21日に終わりました。
通夜が12月6日・葬儀が翌日7日その日にお骨をお墓に埋葬し、続いて初七日を勤めて、中陰壇は本堂西余間に飾り17日に二七日、24日に三七日、31日(大晦日) に四七日、正月7日に五七日、14日に六七日そして21日に七七日でした。年末年始のご多用な時にかかわらずお勤めに駆けつけていただいた皆様には感謝をしています。
この間に、母の保険証・年金の返還(死亡)手続や、金融機関での手続、お世話になっていた老人保健施設での手続など多くの事もしなければならず、本当に悲しむ時間は取れませんのでした。中陰のお勤めは、グリーフケアの視点からすると悲しむ時間がとれないことの善し悪しはわかりませんが、お集まりいただいた親戚から自分の知らない母の思い出を聞いたり、日常の中で感じることはたくさんあり、毎週の中陰のお勤めすることが目的になってしまっている事が正しいことではありませんが、自分の中ではメンタルの支えになっていたとも感じました。中陰の最後(49日)のお勤めまでには、ご焼香を賜りました皆様に形式的な禮状と別に私自身の思いを綴った文面を考えたり、志を考えたりすることも私にはグリーフケアと捉えることができました。(逆にグリーフケアと捉えることが難しい方もいらっしゃることも承知しています)
昨年から続くコロナ禍の中での「集い」ですので、これまで通りのこともできませんが、往生した前坊守と縁がある方々が思いを一緒にお勤めする時間をとることができたことは貴重な時間であると心から思いました。
また、オンラインを通してお勤めにご参加いただきました方もいてくださり感謝しています。

法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会

お同行の皆様に、年末に寺報と共にご案内させていただきました行事が、法苑院妙華寺 親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会です。
少し先の話ですが、高田本山では、2023令和5年5月にお勤め予定ですので、一年前の令和4年(2022)5月22日(日)に予定しています。

法会は、午後1時(又は)午後1時30分からお勤めして、その後、講演会・対談を午後2時頃から午後4時30分頃終了予定で考えています
今回、「選択本願念仏集」の3幅の掛軸が見つかり、記念事業として修復しています。


修復しました掛軸を当日西余間に掛けご披露させていただく予定です。
法苑院妙華寺の親鸞聖人ご誕生850年・立教開宗800年奉讃法会妙華寺のテーマとしまして、「親鸞と法然(案)」として、「選択本願念仏集」を著述した法然聖人の視点から、宇都宮市の浄土宗 光琳寺のご住職 井上 広法 師(平成27年(2017)のお寺の講演会講師)と、「選択本願念仏集」を書写した親鸞聖人の視点から、真宗高田派 青巖寺のご住職 清水谷 正尊 師からお話を伺い、座談会を予定しています。

まだ先の日程ですので、昨年からの新型コロナウィルス感染症拡大防止の対策をしながら、令和4年(2022)に賑々しく開催できれば有難いのですが、その時の状況を鑑みながら行事を進めて参りたいと考えています。

尚、お同行の皆様のご理解・ご協力をいただきながら、今後も妙華寺の寺院活動が継続できるように、今回の親鸞聖人誕生850年・立教開宗800年奉讃法記念事業としての境内整備を下記のように進めています。
・本堂東楽の間(現在物入れ)の改修(屋根・床と床下)
屋根部分の改修・床・床下補強・天井、壁クロス仕上げ・内陣脇壇の板張り替え
・墓地水屋(2か所)の改修
・新しい生活様式へ対応費用
・選択本願念仏集掛軸(3幅)修理
・本堂内陣の住職・法中席の椅子導入
・本堂の音響設備の新設と照明器具の交換
・お寺の北側の樹木の伐採と撤去 他を考えています。

誠に心苦しいのですが 法苑院妙華寺 親鸞聖人御誕生850年・立教開宗800年奉讃法会の記念事業にご賛同いただき皆様のお力添えをお願いしている次第です。
ご依頼早々にご寄付をお届けいただいき重ねてお禮申し上げます。