お寺の掲示板

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人事を尽くしたら「あとは、おまかせ」

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、剣道の達人の話から、仏教では、自分でできる精一杯を生きたら、「あとは、おまかせ」という部分があります。その教えを、仏教の心を知る、お念仏を称えるということを通して受け取られたのだろうと思います。とまとめられています。

※何でも自分が納得しないとうなづくことができない私(自分)がいますが、少し自分を離れて考えてみるとどうでしょうか。1度自分の尺度から離れてみることや、「おまかせ」できる教え(存在)に出遇うことがあればもう少し穏やかになる気がします。

3月のおてらおやつクラブ

3月のおてらおやつクラブ
3月は17日に支援団体様におすそ分けさせていただきました。
3月から4月は、別れや新しい出会いなど人生の節目になることも多く、不安や心配・希望など心が揺れ動く時期です。
おてらおやつクラブの活動としてお供え物が、一人親家族の生活の一助にでもなれば有難いです。

※お彼岸(春分の日)前日に10月にも「おてらおやつクラブ」の活動に賛同いただいた小田てつこ様から袋菓子をお持ちいただきました。ありがとうございます。4月のおてらおやつクラブで支援団体様にお届けします。
おてらおやつクラブ事務局では、コロナ禍でおてらおやつクラブに支援を希望されています一人親家族の皆さんが増えていらっしゃるそうです(おてらおやつクラブのHP)
もっともっとこの活動が拡がっていくことを願っています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

前坊守100ヶ日のお勤め

前坊守100ヶ日
前坊守が往生して100ケ日のお勤め 私(住職)が伝え聞いていることは、棺を墓地に埋葬していた頃は、およそ3ヶ月で骨になり、改めてお勤めをしたと聞いています。
現在は、葬儀の時に火葬されお骨になっているので以前の感覚ではありません。
昭和55年の前々住職の100ヶ日の時、高田本山の御廟の前の拝堂で「お届けまいり」のお勤めに同行した覚えがありましたので、平成22年の前住職の100ヶ日も、そして今回前坊守の100ヶ日も同様に高田本山で「お届けまいり」のお勤めをしていただました。
高田派では、親鸞聖人の葬儀を執り行った一人の顕智上人が親鸞聖人の「歯骨」をいくつかをもらい受け、栃木県の本寺の御廟に「歯骨」を埋葬したことから始まり、本山の機能が一身田の専修寺に移ってから一身田の御廟にも残っていた「歯骨」が埋葬され今に至っています。
親鸞聖人のみ教えを大切にしている私たち同行は、親鸞聖人の御廟近くに、自分の遺骨の少しが埋葬できることが大きな喜びであるのは今も昔も変わらないと感じています。

また3月19日は、私(住職)の生まれた日で65歳になりました。明日の彼岸会の準備をしながら私が生まれてきた時、寺族がお寺の行事の準備の中での出来事だったんだと改めて気付きました。私の出産は、自宅(庫裡)で産婆さんに取り上げてもらったと聞いています。今の出産よりもっと大変だったんだろうなと勝手に想像しています。そして両親や祖父祖母家族のことを思い出しています。

今回は3月に入り、介護保険証が届いたり、年金の手続をしたりして65歳の実感をしています。
どのように歳をとっていくのかわかりませんが、いのち終わっていく後のことは心配ないのですから、今を精一杯生きていきたいと思っています。

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人は亡くなった後も、心の中で生き続ける

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「大切な人との死別は、大きな喪失感を与えるものです。日常生活に支障が出るのも自然なこと。焦らず、一歩前へ歩き出す準備をしましょう」とあります。

亡くなった人の存在は、少なくとも頭や心の中にあるものだと考えられるのではないでしょうか? (中略)そういう意味では、思い出すことで、一緒に生きていくことができるし、生きている人の思いに従って、亡くなった人の様子も変化するものだと私は思います。 突然の死別の場合、自分を責めたり、加害者がいる場合は激しい怒りに飲み込まれたりしてしまいがちです。もちろん、そういうふうに感じるというのはよくわかるのですが、どうか、自分の人生を壊さないでほしいです。

※実体の死と社会的な死などの表現もありますが、私の中で亡くなった方が生き続けている時、生死を1つのものとして捉えることができます。

あの日から10年

東日本大震災から10年
10年前の東日本大震災の時、母を近くの歯科医院に送って1度帰って来た時、体には感じないのだけど蛍光灯のスイッチの紐が揺れ出し、急いでTVをつけると東北で大地震のニュースが伝えられた。そして延々と現地からの映像が続いていく。
一旦、歯科医院に母を迎えに行き帰ってからずっとTVに釘付けになった。
それまで私(住職)にとって東北地方は高校の修学旅行で訪れた風光明媚な場所の記憶しかなく、それも懐かしいだけのことであった。

その時の春彼岸の志の一部を義捐金として送ったり、翌年お寺で被災され亡くなられた方の一周忌のお勤めをして以降は、東日本大震災の為としての活動をしていない。報道では毎年特集が組まれ新たな情報を知り得ていくのだけど、私(住職)が被災者の方へ心を寄せているつもりでも活動として何も残っていないのが、現実だ。私(住職)の意識は気まぐれで時間毎に目移りしている。その後も日本全国で毎年大きな災害が起こり、私(住職)と繋がりがある方がいらっしゃる地域の災害にわずかですが見舞金などをお送りさせていただいています。

そして、今年は10年目として大きな節目として多くの報道を目にします。ビックデータから当日の人の動きを可視化してこれからの防災に役立てる取り組みや、被災者が前を向いて歩む姿を描いたドラマにも心動かせられる。

災害時にお寺として何ができるのか試行錯誤が続いていますが、災害時に地域の方々の受け皿として、本堂の開放や今後整地する臨時駐車場の開放など一時避難場所としての「場」を提供できればと考えています。

※2月13日の23時過ぎに、福島県・宮城県を中心に大きな地震が起こり、10年前の東日本大震災を思い出した。恥ずかしいことですが記録としては残っているが記憶は薄れていました。自然の時間では今回の地震も10年前の東日本大震災の余震の1つであるようですが、私時間では日々に追われて生活をしていて10年前は遠い昔になっているのかもわかりません。

お寺の変化③

お寺の変化③
オンラインのお勤め
昨年からの新型コロナウィルス感染症の感染リスクとして「集う」ことへの不安があります。妙華寺でも感染防止対策として試行錯誤していますが、検温・手指の消毒・マスク着用のお願いであったり、本堂の換気対策や消毒の徹底・着席する椅子の間隔に仕切り板を設けたりしていますが、不安は消えません。
どうしても、「集う場」は必要と感じていますのでお寺としてできることは、今後も取り入れていこうと考えています。

そのような中、社会でこれまで「集う」ことで成立していた仕事や会議・授業などの一部がオンラインでも成り立つことも可能になってきました。
お寺に「集う」ことが難しい場合、法要やお寺の行事をオンラインで配信するお寺も増えています。

新しい取り組みの1つとして妙華寺でもオンラインのお勤めを手探りながら始めています。インターネット環境やPCなど設備がそろわないと難しい面もありますが、若い世代の方々は日常的に使われていますのであまり違和感はないかもわかりません。
オンラインでできることできないこともありますが、お寺に「集う」気持ちをお持ちでも「集う」ことが難しい方々にオンラインでご一緒(集うことが)できる可能性もございます。

オンラインのお勤めをご希望の場合、事前に打ち合わせをさせていただきますのでご連絡をお願いします。

お寺の宝物

お寺の宝物 山号
お寺には、山号(さんごう)があります。妙華寺の山号は、「寂陽山」(じゃくようざん)と本山からいただいています。

現在本堂に掲げてある山号は、平成30年(2018)に高田本山ご法主殿にご染筆していただいたもので額装して本堂入り口内部の上部に掲げてあります。

これまで本堂に掲げてありました山号は、東久世通禧(ひがしくぜ みちとみ)(1833-1912)が書かれたものでした。何時かは特定できませんが、「当山に御来遊中に筆」と歌と画賛の二本の掛け軸があり、その頃に「山号」も書かれたのだと思います。
※現在庫裡の玄関に掲げてあります。

※山号 寺名に冠せられる山の称号。中国では寺院が山間部に建立されたので、その所在を示すため用いられた。日本では平安時代後期から平地に建てられた寺院にも山号を付けるようになった。

 

いのちの日

いのちの日
京都府では、(平成28年から)毎年3月1日を「京都いのちの日」と定め、自らの命を見つめ直すとともに、家族や友人など周りの人にも思いをはせ、 共に生きることの意味や絆の大切さについて周知されます。

行政が進んで、「自殺(自死)対策」に取り組まれ、全国に「いのちの日」が広がることを願っています。

また、この趣旨に賛同した宗教者の活動の一つが「Life Walkいのちを想う宗教者の行進」です。今年はコロナ禍の為中止で、オンラインでの講演会・トークセッションが開催されます。どなたでも参加できるようですので時間が合いましたらお申し込みをして参加してください。

【「Life Walkいのちを想う宗教者の行進」HPから】
「例年は講演やトークセッションを行った後に行進していましたが、今年は新型コロナウイルスの影響により、オンラインでの講演・トークセッションを行うこととなりました。【日時】2021年3月1日(月)18:00~19:30
【ゲスト】野呂 靖(のろ せい)さん龍谷大学文学部准教授、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター理事。花園大学非常勤講師、浄土真宗本願寺派総合研究所研究員などを経て現職。博士(文学)。専門は仏教学(華厳思想)。2010年、有志とともにNPO法人京都自死・自殺相談センターを立ち上げ活動を行っている。
野村 清治(のむら きよはる)さんリメンバー名古屋自死遺族の会 代表幹事(共同)。自死遺族当事者として、さまざまな自死遺族のわかちあいに参加し、また遺族会の運営に加わる。死にたい思い、遺族の思い、自死そのものについて、模索しながら現在に至る。
【プログラム】はじまりの挨拶講演「仏教と自死 ~自死という死はどのように語られてきたか~」(野呂さん)トークセッション(野呂さん・野村さん)
*ご参加の皆さまの質問や投げかけを反映させながらトークセッションを進行しますおわりの挨拶【方法】オンライン*お申込みいただいた方に後日URLをお送りします
【定員】50名(先着順)【参加費】1,000円*イベント実施後のキャンセルにつきましては、キャンセル料として参加費全額を頂戴いたします*参加費はLifeWalkの活動のために活用させていただきます【申込み】コチラのURLよりお申込みをお願いします。https://lifewalk2021.peatix.com/」((https://peraichi.com/landing_pages/view/lifewalk 参照 2021年2月28日))

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養生しても死ぬ時は死ぬ

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、「死の不安」に抗不安薬は効くかと章を起こしています。「私(著者)が心配するのは、「死の不安」でパニックになっているこういう人たちに、医師がどう対処するかということです。たぶん、抗不安薬を処方することがほとんどでしょう。「死の不安」という根本のところは解決せずに、抗不安薬という症状を抑える薬で対応していくわけです。しかし、それが「本当の解決」になるでしょうか」と問いかけられています。

※私の根本的な「不安」の1つが「死への不安」ですがどのように対処できるでしょうか。若く健康で元気な時は「自分の死」についてそれほど考えることもなく生きていますが、病気をしたり老いてきたりする中で考えたり、大切な方の死を通して考えたりさまざまですが、「死の不安」を落ち着かせる(和らげる)物語を生涯探し続けることが大切なのだと思います。死んだらおしまいと言う考え方もありますが、「死」を不安と感じながら自分の中で、「それでも大丈夫」と頷くことができる物語に遇えること願います。

春彼岸の準備

お彼岸の準備で、お寺からの案内の宛名を手書きでしています。お世話方様へ一週間ほど前にお届けして配布をお願いしています。宛名書きは、デジタル時代ですがアナログのままが面白いところです。

新型コロナウィルス感染症の感染防止対策をとりながら、お勤めをします。

春のお寺の行事も案内させていただきます。4月7日・8日のメリシャカ(花まつり)も予定しています。

昨年から始まりましたTemple Morningは、今年は4月の第3日曜日(18日)から予定しています。

個人的には、蓮の植え替えもあります。東日本大震災から10年と言うことも考えさせられることです。