お寺の掲示板

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「こんなはずじゃない」と落胆しないために

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、「「団塊の世代」が定年を迎え、社会的な仕事から離れた時、3ヶ月から半年くらいの間は、その自由を謳歌できるようです。しかし、それ以上が過ぎると、今度は時間を持て余して、「これでいいんだろうか」と多くの人が感じます」とあります。

人間として生まれて、生きて、老いて、そして病気で死んでいく。これが人間としての自然なプロセスです。ところがたいていの人は、元気で生き生き、楽しく健康に生きることだけが自分の持ち分であって、その先の「老病死」は、あってはならないことのように考えています。

結局、「老いること」「病むこと」「死ぬこと」ということの意味がわからず、人間としての成熟、老成ということが、いつの間にか文化の中から失われているのが現実です。

※日常の生活(人生)は、生き生きと楽しければいいのだ。そう思いたいのだけど現実はそれほど甘い物ではありません。悲しいことや苦しいこと嫌なことみんな引き受ける時がいずれやってきます。その時の自分に向き合う術があるのか考えさせられますね。

仏事と仏の教え

仏事と仏の教え
お寺の住職や寺族のほとんどは、お寺の行事や葬儀・年忌法要など仏事のお勤めを通して、お同行さんと関係を築いています。
そして何を伝えたいのかと言えば、仏様の教えです。

仏事の時は、世間話や個々の相談など、その時気になることが話題になり、常識的な受け答えも大切ですが、世間(自分)の「ものさし」だけではなく、仏様の「ものさし」で現実を見ることが大切なことをお伝えできればと思っています。仏様の教えを受け入れていただくことができるかは、お同行さんと、お寺の住職や寺族の関係性に尽きるようにも感じています。
そう思うと、仏事にしっかり向き合うことが大切だと、お盆のお勤めを通して新たに感じています。

8月のおてらおやつクラブ

8月のおてらおやつクラブ
8月は、「おてらおやつクラブ」は、3つの支援団体様へ手渡し、これまでの宅配と7月からの新しい「集荷依頼」を使い、「おすそ分け」をしました。

また、「おてらおやつクラブ」ののぼり旗を事務局から届けていただき、本堂横に掲げることにしました。更にご理解・ご協力がいただけることを願っています。

また、年2度回収の古本勧進での古本も募集しています。
今回は8月月末までに集まった古本を寄付させていただきます。
不要になりました古本がありましたらいつでもお寺にお持ち込みください。
対象の本は、裏表紙にバーコードのあります文庫本・新書本・単行本です。
申し訳ございませんが、週刊誌・雑誌・百科事典・全集は対象外です。
本以外、書き損じのハガキ・不要なCDも受け付けています。

お寺の掲示板

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宗教を利用しながら、元の生活を取り戻す

『人は人を救えないが、「癒やす」ことはできる』 谷川洋三著から

著書では続けて、「儀式やお墓を通して、死者との関係に区切りをつけたり、継続させたりする宗教のもつグリーフケアのシステムを利用しましょう」とあります。

どこの国も、昔から宗教が、その地域のグリーフケアを担っていました。宗教によるグリーフケアは、葬儀・その後の(キリスト教では)追悼ミサや記念祭・(仏教では)法要や墓参り・仏壇などが挙げられるます。遺された人は、これらの力を借りることで、亡くなった人との生前の関係性に区切りをつけ、日常を取り戻していくことができます。

※日本の仏教は、日本文化を含めた地域に根ざしたグリーフケアであり、遺された方々の人生観や価値観に合わせた関わり方をすることが必要なのだと感じています。

グリーフケアと仏事

グリーフケアと仏事

グリーフと言う言葉はお聞きしたことがあるでしょうか?

グリーフとは、「喪失」にともなう様々な感情。それに寄り添いながら「心の回復」を支援することが、グリーフケアとされます。
【『グリーフケア入門』悲歎のさなかにある人を支える (高木慶子編著 上智大学グリーフケア研究所制作協力 勁草書房)の中の「日本社会の伝統的なグリーフケア」大河内大博師の論文から】

グリーフケアの研究は、精神医学、精神分析学、心理学、社会学などさまざまな分野での研究があり、どの分野からグリーフケアに興味を持つかでグリーフケアの関わり方もさまざまあります

「日本社会の伝統的なグリーフケア」大河内大博師の論文では、
大切な人が亡くなった時の「喪失」感情をケアすることとして仏事を考察されています。
これまでは地域社会で人が亡くなると、その地域で亡くなった方のことを遺族と共に悲しむ中で、亡くなった方を知る僧侶が葬儀を行い、49日間のお勤めを通して、(その後の初盆や、年忌も含めると長い時系列で)遺族や親族、なくなった方を知る地域の方で悲しみを共有することがグリーフケアとして大切な要素であったと思います。
そのグリーフケアの大きな要素であった地域社会で共に悲しむ「死」が、家族だけで悲しむ「死」や、悲しむことができない「死」へ向かっているように思え、大切な方が亡くなった時のグリーフケアとしての仏事をどのように考えていくか僧侶にも意識の変革を求められていると感じました。
僧侶として「死」を悼む儀礼の先にあるものと、大切な方を亡くした遺族の考える「死」を悼む儀礼の先にあるものが決して同じではないことを前提として仏事がどうあるべきか考えていかなければいけないようです。

ご遺族様の亡くなられた方への思いはさまざまでありますが、亡くなられた方を「忘れたくない」「忘れられない」のお気持ちに耳を傾けながら、ご遺族様と亡くなられた方の新たな関係を築いていくことが大切でないかと考えています。

グリーフケアとは直接関係はありませんが、独り住まいの方がお亡くなりになり、後日分かり、ご縁のある方がお寺に連絡をいただくようなことが最近増えているように感じます。地域のコミュニティが以前より希薄になっているのは感じていましたが、行政のセーフティーネットにも漏れ、近所の方も気づかず亡くなられていたことが、私の町でも起こっています。

私達は、生活の中で将来(老後)の不安はとても大きくて、その心配で今を、自分らしく生きることができない時代と感じます。独り住まいの方だけの問題でなく今生きている私の問題として、将来(老後)の不安の先にある「死」の不安をどのように感じていらっしゃるのでしょうか?
どのような状態で「死」を迎えても、「私は救われるのか?」、「阿弥陀如来の私へのお救いとは?」

私の後生(ごしょう)の一大事について、心の不安を解き放す1つとして、仏教のご法話を聴聞しながらうなづかさせていただくしかないと思います。

 

お寺の宝物

お寺の宝物
お寺の宝物の1つにご法主が書かれた額や掛物があります。
常磐井 慈祥 筆 「寂陽山」山号額
「無量寿」額・「居實」掛軸

高田本山第25世 平成25年~
1959年生まれ 第24世鸞猷の子 雅号「欅山」

今月の聞法

今月の聞法

布教伝道研修講座 「入出二門偈2」一楽真師
高田本山はすっかり夏でハスがきれいです。
私にとって対面の講座は先月に続いて今年3度目。
「入出二門偈」の講座は、昨年が中止で2年ぶりですっかり前回の内容を忘れていいましたが、ご講師が前回のこともお話いただくなかで思い出す部分もありました。親鸞聖人が著作された「偈頌」では「正信偈」が有名で、「文類偈」は、高田派の夕時のお勤めとして大切にされています。「入出二門偈」は、本山の報恩講の15日後夜(ごや)でお勤めする機会がありますが、私(住職)はまだそのお勤めに出会っていません。
「入出二門偈」の内容は、自利利他のことが中心で、共に仏の領域のものであることや、法蔵菩薩と阿弥陀如来の関係を「因」と「果」で捉えるとどう見えてくるのか。
今よく使う「想定外」の言葉の意味は、私と仏との出遇いのことで、親鸞聖人は「不可思議」と呼ばれたのだろう。と講義を聴きながらいろんなことを感じていました。

前回の時もそうでしたが、対面の講義は、とても有意義に感じられる時間です。
※中川個人の感想です。

お寺の掲示板

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「外野席」に座ったまま人生を終える人

『大往生できる人 できない人』潔く、とらわれず、おまかせして生きる 田畑正久著 から
著書では、「 私たちは「合理的で客観的な思考」ができるのが有能な人間である、と学校教育ですり込まれます。この思考法がすべてと思ってしまうと2つの点で問題があります。1つは、「この考え方(合理的で客観的な思考)を極めていけば、善・悪の判断もきちんとできて、みなが仕合わせになれる」と幻想を抱いてしまうこと。もう1つは、合理主義という「理知分別」だけでは、「うれしい、悲しい、寂しい」といった「感情の部分」がほとんど抜け落ちてしまうのです」と述べられています。

「私」と「周囲の出来事」を切り離すことで、いつの間にか「傍観者的な人生」を歩んでしまうことになります。傍観者の良い面は、自分が責められないこと、自分というものを問われないことです。しかし、そこには「本当に生きた」という実感がなくなる危険があるのです。
「自分が問われる」ことを、仏教では「内観」といいます。自分の姿が仏の光に照らし出されてはっきりする。

※最近は、外部からの情報が多すぎて、自己の中で消化できずに人ごとのように「傍観者的な意見」を発してしまう場合があります。
いつも感じることですが、自分を見つめることはとても難しいです。しかし、自分の姿を映し出していただくはたらきに遇うと、恥ずかしい姿であったとはっきり見つめることができます。

消火器の交換

梅雨も明け暑い日が続いています。
お寺にある消火器の取り替え時期になりました。本堂は、後堂に1つ、給湯室に1つ、廊下に1つ、会館に1つ、庫裡に2つ、書院に1つの計7つです。およそ10年毎の交換です。
これまでは、加圧式粉末ABC消火器でしたが、今回は蓄圧式粉末ABC消火器にしました。使い方は同じですが、蓄圧式の方が安全性にすぐれているようです。
初期消火訓練は、毎年1月の文化財防火週間に行っています。(今年は、コロナ禍で中止でした)
近年は、自然災害も多くなりつつあります。東南海地震の発生も論じられています。防火並びに防災に対してお寺ができることも考えていきたいと思います。

【災害支援マップ】

COVID-19(新型コロナウィルス感染症)におけるお寺の対策

COVID-19(新型コロナウィルス感染症)におけるお寺の対策

平素は、法苑院妙華寺の寺院活動にご協力・ご支援を賜り、ありがとうございます。
昨年から妙華寺でもCOVID-19(新型コロナウィルス感染症)における感染対策を講じてきています。改めて現在(令和3年7月21日)のお寺の対策を紹介します。

葬儀は、催される式場が、適切な 密閉・密集・密接でない環境を確保・提供されていましたら行います。

お同行様の法事では、本堂の対策としまして、お参りに見えます皆様に安全、安心を提供できますよう既にHPでご紹介させていただいてますが、本堂入り口での手指の消毒・給湯室にうがい・手洗い場の確保・座っていただく椅子は、仕切り板を使い畳一畳に2席で36席の確保(それ以上の人数の場合は調整させていただきます)・水分補給のウォーターサーバーの設置・手が触られる部分(出入り口や手すり)のアルコール消毒をこまめに行っています。

とはいえ、決して不安や不満を抱えながらお越しいただくことではありません。どうかご無理ない範囲でご検討をいただきますよう、よろしくお願いいたします。

新しい試みとして、インターネット環境が整っていましたら、遠隔地からでも本堂のお勤めをオンラインで共有(live配信)もできます。
また、これまででもご要望がございます、お寺の住職だけのお勤めもさせていただいています。

尚、私(住職)の健康管理として、昨年3月から一日に2度~3度の検温と、うがい、これまでにない入念な手洗いをしています。また、今年6月中にワクチン接種も完了しました。

他にもご心配がございましたら、気兼ねなくお寺にお尋ねください。

これからも緊急事態宣言が発令され、不安がさらに増すことと思います。
コロナ禍の中、過剰な反応で「不安を差別につなげてはいけません」思い 込みが差別や偏見を生みます。正しい知識・情報に基づいて行動をしましょう。

 今、みんなが不安に包まれやすくなっています。そんな時だからこそ、自分の言葉や行動が差別につながっていないか、「誰か」のことでなく「自分のこと」として考えて見ることが大切です。悪意がない言動が人権侵害につながることもあります。
 そして、感染対策に影響を与える可能性があります。正しい知識と情報をもとに行動しましょう。それが、新型コロナウィルス感染症から、自分を、家族を、みんなを守ることにつながります。    【法務省・全国人権擁護委員会連合会のチラシから抜粋】
長い時間がかかるかも分かりませんが、今の医学や科学の力でこのウィルスの脅威を沈静化できることを信じていますが、それまでに救えなかった「いのち」を忘れず、阿弥陀様の「はたらき」が私の不安な心を安心できるよう「み教え」をお伝えできるよう精進させていただきます。

令和3年7月21日

法苑院 妙華寺 中川 和則

 

※1年3ヶ月ぶりに更新しました。STOPコロナ差別